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しおりを挟むエレインの側室の1人であるローシュ・マト
彼はこのオルトマン帝国にて最も戦果を挙げる優れた武人だった。
2メートル近くある身長に鍛え上げられた身体。
この国で1対1での戦いで彼に敵う人間はいないだろう。
服に隠れていない部分から覗く身体には新しいものから古いものまで数多くの傷跡がみられるが、それが彼が数多の戦場を勝ち抜いてきた証だった。
玉座へと続く赤い絨毯の敷かれた1本道をただ一直線に歩き続ける。
多くの人々が視線を向けているが、ローシュがそちらに視線を向けることも、表情を崩すことも一切なかった。
ローシュが視線を向けるのはただ1人。
玉座に座るこの国の皇帝、エレインだけだった。
玉座のある階段の前にたどり着いたローシュは大きな声で宣言する。
「…不肖このローシュ・マト。アウストリア国との戦の勝利を、…唯一のエレイン皇帝陛下に捧げます」
そう言って、体に染みついたように至極当然に膝をつき最大限の礼をする。
玉座に腰掛け、その男に興味なさげに視線を向けたエレインは、目の前の膝をつき頭を下げる男へと声をかける。
「マト将軍、此度は大義であった」
形式的な文言のたった一言。
数か月にわたる戦を勝ち抜いた武人に与えられる相応しい一言では決してない。
しかしその言葉に、今まで一切感情を示すことのなかった男が、大きな身体をぶるっと震わせる。
その言葉たった1つだけ。
何一つ特別なものではない。
しかし、その言葉たった1つであの過酷な戦いのすべてが報われたような気がした。
ローシュにとってはあの一言にそれだけの価値があったのだ。
喜びに沸く心によって、ローシュは自身の表情が動かない様に唇を強く噛んだ。
しかしながら、エレインからの言葉はその一言だけだった。
それに続いて宰相のシリウスがこの度の戦の褒章に関しての説明を続けるが、そんな事はローシュにとってはどうでも良かった。
エレインからの言葉が終わった今、ローシュが望むのはこの日の夜に与えられる、つかの間の時間だけだった。
褒章も地位も、金も名声も、すべてがローシュには余分なものでしかなかった。
彼が戦果を挙げるたった一つの理由は、皇帝であるエレインがそれを望むから。
それ以外の理由と結果は余分なものでしかなかった。
――――――――――――――――――――――――
その日の夜、鎧を脱ぎ、久しぶりの身軽な寝衣に着替えたローシュはただその時を待っていた。
側室である彼に与えられた後宮での紅蓮の間は、戦場でも見慣れた紅に囲まれた部屋だった。
「あっ…」
その一室でエレインの訪れを待ち焦がれていたローシュは、部屋に入って来たエレインの姿を見て、今まで考えていた言葉すべてが脳内から吹き飛んだ。
何か言おうと口をパクパクとさせるが、言葉は一切出なかった。
「早く座れ」
そう言って先に長椅子に腰掛けたエレインの声に、はっと慌てたように少しだけ距離を開けて腰掛ける。
戦場で鬼のように相手を圧倒する武人の姿はそこにはない。
ただただ、エレインの邪魔にならない様にその大きな身体を最大限に縮こませていた。
「ふん。相変わらずだな。よくお前のような鈍い男があの戦に勝利できたものだ」
皮肉めいたような笑みを浮かべて言葉を放つが、そんな皮肉はローシュには通じない。
「申し訳ございません」
そう謝罪をするが、ローシュはエレインに言葉をかけてもらえる。
ただ、それだけで嬉しかった。
それが、蔑みでも皮肉でも、何でもいい。
自分にだけ向けられる視線とその言葉。
それが特別であることをローシュは理解していた。
「ふん」
その謝罪が気に食わなかったエレインは勢いよく体重がかかるようにローシュの方に身体を傾ける。
鍛え上げられたローシュにとってはそんなエレインの些細な行動の影響はほとんどないようなものだ。
しかし、急に触れたエレインの身体と感じられる温もりにローシュは大げさに驚いたように身体をびくつかせた。
「ロー、動くな」
エレインは至極不機嫌そうに言い放った。
「…申し訳ございませんっ」
そう謝罪の言葉を大きな声で言い放った反動でまた震えた身体に、エレインはまた不機嫌そうに息を吐いた。
そうして何も言わないエレインと何も言えないローシュは、少しの間何も口にすることなく過ごしていた。
「あのっ、…陛下は、…変わらずにお、お美しく・・」
そうたどたどしく、エレインにとっては言われ慣れ、そしてこの男からも飽きるほどに何度も聞いた言葉をまたかけられた。
「あ、アウストリア国の真珠は、あの、…陛下にとてもお似合いになると…思い、沢山持って帰ってまいりました」
「そうか」
その言葉に短く返すとローシュは不安そうに視線を左右に動かした。
そして、慌てたように言葉を続ける。
「あ…プラサ王国はダイヤモンドの産地と聞きました!次はダイヤモンドの方が良いでしょうか?それとも!エルバのエメラルドはどうでしょう?」
戦場で誰からも恐れられる武人の姿はそこには一つもない。
ローシュは戦うことも人を殺めることも別段好きでも嫌いでもない
褒章にも金にも興味はない
しかし、かつて彼女が一度だけ自分に向けてくれたあの最大の微笑みと喜びの言葉
それだけが見たくて聞きたくて、たまらないのだ。
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