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しおりを挟む湯浴みを終え、長椅子に足を延ばし腰掛け、ぼうっと窓の外を眺める。
日中に着ていた華美な衣ではなく、装飾は少ないが高価な生地で作られた寝衣を身に纏い美しい髪を結わえることなく流す。
それが反ってエレインの美しさを損ねることはなく際立たせた。
『美しさ』、それが彼女が唯一持つ、最も優れた能力である。
何も言わずにぼんやりとしているときは、比較的精神状態が落ちついているときであるのだ。
そんなエレインに少しだけ気まずそうにレンは声をかけた。
「陛下、…ルスラン様の侍従が本日はお渡りになるのかと」
その名前を聞いたエレインは、すぐに眉をしかめた。
「行かない」
視線こそ窓の外に向けたままのものの、不満をあらわにした声で短く一言答える。
「承知いたしました」
そう言って、レンは一礼して部屋を出る。
ドアが閉まる音が聞こえると、エレインは窓に映る自身の姿を見つめ、ぎりっと唇を噛んだ。
――――――――――――――――――――――――
「なんだと! 陛下は、また来られないのか!」
入り口で恐る恐る皇帝の訪れがない旨を告げた侍従に、突き刺すような怒声が向けられる。
部屋の中で寝台に腰掛け、大声を上げるのは筆頭側室のルスラン・クリロフである。
一級品の生地で作られた寝衣を少し着崩し、その隙間から麗しい身体が覗いている。
怒りによってその表情が歪んですら、それを見た100人中100人の人間全員が美しいと認めるだろう。
その美貌、そしてその身に流れる血も皇配を数多く輩出した高貴な家の生まれであり、礼節も教養もまさに一級品。
皇帝の夫となるため
そのたった一つのためにルスランは生まれ、育てられたのだ。
『ドンっ』
感情のまま寝台に振り下ろしたその拳が鈍い音を立てる。
その仕草に傍に控えていた専属侍従であり、血縁関係では彼の従弟であるリリクは慌てたように駆け寄り、その拳を手に取る。
「ルスラン様っ! …ああっ、お美しいお手が赤くなっております」
リリクはすぐに他の侍従に冷やすものを持ってくるよう指示を出す。
やわらかい布団の敷いてある寝台なのだ。怪我や痛み等起こるはずもない。
そう思いながらもルスランはリリクの行動を何も言わずに見ていたが、思考は別のところにあった。
皇配になるために生まれた自分が、皇配にもなれず一体何をやっているのか
そんな思いだけがこの後宮に来たあの日からずっとルスランの心を占拠していた。
――――――――――――――――――――――――
エレインとルスランの出会いは、ルスランが9歳、エレインが6歳の時だった。
しかしエレインが生まれたその日、いや生まれる前からルスランはいずれ皇帝になるその存在のためだけに生きていた。
ルスランは美しい。
周囲の人間からずっとずっと言われてきた。
そして、ルスランも自身の美しさを幼い頃から自覚していた。
幼いルスランは自分が世界で最も美しいとさえ思っていた。
しかし、それもエレインを見て覆される。
自身より幼い少女であったのに、初めて会ったその瞬間、その美しさから目が離せなかった。
そして同時に、幼いルスランはこの美しい少女が自分の将来の妻となるのかと思うと、その心は歓喜に踊った。
それからは美しい彼女の隣に並び立つにふさわしい夫になるべく、ルスランはただ一心に励んだ。
しかし、エレインが10歳を迎えた時だ。
皇太女がエレインから妹のジルフィアへと代わる。
美しい少女の将来の夫となるべく励んでいた13歳のルスランの心は驚愕と失意にのまれた。
しかし、ルスランに求められているのはエレインの夫ではない。
ルスランに唯一求められているのは、皇帝の夫である皇配となることだ。
皇帝になる人間がエレインからジルフィアに変わる、ただそれだけのこと。
ルスランの未来は変わらない。
自分がどう感じようと、誰の事を想っていようとルスランに求められるのは皇配になることだけだ。
それからのルスランはあのときめきを、心の高鳴りを、
13歳の自分の中に置き去りにしたまま、今度はジルフィアの夫となるため励む年月だった。
経過した年月がルスランを大人にする。自分を納得させる術を覚える。
ジルフィアにはあの熱い想いが涌き出ることはなかったが、それでも共に過ごすことにより、愛すべき妹のような存在として見ることができた。
しかし大人になった25歳のルスランの心がまた乱される。
なぜなら自身の妻となるはずだったジルフィアが急死する。それは皇位を受け継ぎ、婚儀を行う3か月前だった。
そして愛すべき娘、次期皇帝を失った現皇帝であるコルネリアがその知らせを聞き、床に臥せる。
コルネリアが亡くなったのもそれから1か月後だった。
そんな皇帝と跡継ぎを一度に失ったオルトマン帝国
そんなこの国の皇帝へと、12年前に皇太女の座を奪われたエレインが玉座へと上る。
それはすべて宰相であるシリウスのシナリオを通りだったが、そのシナリオに気づく者はこの国にはいない。
ジルフィアの夫となるべく励んでいた25歳のルスランの中から、置き去りにした13歳の自分の想いが湧き上がってくる。
ルスランに唯一求められているのは、皇帝の夫である皇配となることだ。
困惑が心を占めるが、歓喜に震えている自分の心には見てみぬふりをした。
なぜなら、ルスランの未来は変わらない。
自分がどう感じようと、誰の事を想っていようとルスランに求められるのは皇配になることだけだ。
しかしだ。
エレインが皇帝となり半年が過ぎる。
ルスランの未来は変わらない。
なぜなら誰が皇帝になろうともルスランは皇配になるのだ。そう育てられてきた彼にはその未来しか思い描けない。
しかし、いまだルスランは皇配の座に就くことはできていない。
エレインは嫌だった。
何もできないエレインだが、自分のすべてを奪ったジルフィアの皇配になるはずだった男を自分の皇配に、夫に、そして隣には決して置きたくなかった。
周囲の策略、進言があってもそれだけは決して良しとしなかった。
それでも周囲の貴族たちや従者たちにより、ルスランは筆頭側室という、皇配の不在の中で最も皇帝の夫として権力が高い地位に置かれる。
それでもエレインがルスランの元を訪れることはない。
エレインはジルフィアの持っていたものすべてが嫌いだった。
だからこそ、ルスランを受けれ入れることができないのだ。
ルスランは心を置き去りにしたままだが、それでも大人になることができた。
しかし、エレインは違う。
エレインの心は10歳の時に大きく傷つけられたあのときから、大人への一歩をいまだ踏み出すことができないのだ。
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