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第一章 和風カフェあじさい堂

9.最初のお客さま

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 最初のお客さんは観光客らしい二人組の女性客だった。

「いらっしゃいませ」
 黒の丸いトレーを胸の前に抱いて挨拶をする。

 にこやかな笑顔もお辞儀の角度も、新人研修時代に「鬼の接遇講師」と呼ばれていた先輩の女性社員にビシバシ鍛えられたものなので自信がある。

 スマホの地図アプリを頼りに辿りついたらしい彼女たちは、おずおずとした様子で悠花が案内した席についた。

 町家風の外観も、藍色の大きな暖簾も見た目はシックでお洒落だけど、ちょっと敷居が高く感じてしまうところはあるかもしれない。観光客の人なら特に。

 もうちょっと店内の様子が外からも見えるようにしたら少しは入りやすいかもしれないな。
 まあ、それも私がどうこう言う話じゃないけど。

 女性二人はメニューを開いてしばらく相談した末に、おずおずと
「あの、お茶だけ……っていうかドリンクとデザートだけでもいいですか?」
 と尋ねてきた。

「はい。もちろんです。こちらにセットメニューもございます。時間帯で制限はしておりませんのでご自由にオーダー下さい」

 奏輔から受けた説明通り、にこやかに言う。

 一人は抹茶のチーズケーキ、もう一人は和三盆ブリュレのセットをオーダーしてくれた。
 ドリンクはゆず茶とホットミルクティー。

 カウンター越しにオーダーを通すと、「了解!」と元気な返事がかえってきた。

 10分も経たないうちに、ほぼ同時に二つのオーダーが出来上がって来る。
 さすがに一人でこれだけのメニューを出しているだけあってものすごく手際がいい。

 出来上がってきたメニューはどちらもものすごく、綺麗で美味しそうだった。
 間違っても落としたりしないように、一つずつ順番にテーブルに持っていく。

 二つのトレーが並ぶと、二人の女性が同時に「わあ~」と嬉しそうな声を上げた。


「すごい、綺麗。可愛い」
「写真よりずっと美味しそう」

 言いながらスマホを取り出して、パシャパシャと写真を撮り始める。

 カメラの高さや角度を変えながら熱心に撮影しているところを見るとSNSにでもアップするつもりなのかもしれない。
 
(あの子たちが撮ってくれた写真をメニューに使った方がよっぽど見映えがいいんじゃないかな)

 カウンターに戻り、小声で
「こんな感じで大丈夫ですか?」
と自分の接客について尋ねると、「バッチリ!」の一言と一緒に全開の笑顔がかえってきた。

 やっぱり、かなりのイケメンなような気がする。


「やっぱり亀の甲より年の功だな!」

……口を開かなければだけど。
 その後も次々とお客さんが入って来た。

 観光客らしい女性グループの姿が目立つけれど、地元の女子大生や高校生らしいグループも結構やってくる。

 常連客らしい母くらいの年代の女性二人組には、「あらあ、また新しいバイトの子?」と声をかけられた。

 臨時の手伝いで……などとここで、いちいち説明する必要はないだろう。

「はい。よろしくお願いします」
とにっこり微笑み返して、Cセットのオーダーを三つ、厨房に通す。

 やはりカフェということもあって、三つのセットのうちデザートまで付いているCセットを頼むお客さんが多かった。


「はいよ」
 休みなく手を動かしながら、奏輔さんは毎回元気に返事を返してくれる。

 百貨店に勤務しているとき、繁忙期になると目に見えてピリピリして、声をかけるのをためらってしまうような上司や同僚を何人も見てきた。

 悠花自身もそういうところがあったと思う。何度も同じことを訊いてくる後輩にイライラして、それを態度に出してしまっていた。

 奏輔はどんなにお店が混雑してきても、そんなに広くない厨房のなかをくるくると動きながら、少しも苛立ったそぶりを見せなかった。

 一度、確かに別のものを頼んだはずの客に「これ、違うんですけど!」と言い張られてしまった時に、

「ご、ごめんなさい。メイン、南蛮漬けじゃなくって、鶏照り焼きだったそうです……!」

と慌てて謝ると、

「了解。すぐに出すから待っていただいて」
という返事が返ってきた。


 その後、合間を見て

「オーダー、自分が言い間違えたの気づかないでクレーム言ってくるお客たまにいるけど、ハイハイって聞いておけばいいから」
 小声でフォローをしてくれた。



「いきなり忙しくて悪いけど、頑張ろな」

 頑張れ、じゃなくって頑張ろうなというその言い方は、自分たちは臨時とはいえ一緒にお客様対応にあたるームなんだと思えた。

 奏輔は悠花の仕事ぶりを監視して叱責する人じゃなくって、一緒にお客様のために頑張る人だった。

 おかげで初めてのお店でのはじめての仕事にも関わらず、とても安心して、仕事に集中することが出来た。

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