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第三話 玉藻
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鬱蒼とした竹林の中を、漣は慣れた様子で歩いていた。一見すると手入れされていないように思えるが、よく見ると人一人ほどが通れる敷石が小道を作っており、ところどころに小さな石灯籠が置かれている。
漣が出てきた屋敷は上品だが贅を尽くしたしつらえで、庭の奥には自噴の温泉まである。
大きな玄関を抜けると床の間のある広い座敷と控えの間。少し離れたところに大きめの厠と家人用の小さな屋敷がそれぞれ建てられており、庭に面した豪奢な湯殿がある。不思議な構造をしている理由は、そこが好事家のために造られたからだ。吉原や陰間茶屋では飽き足らなくなった金持ちが、カネに困った素人を好き放題に嬲るために建てられた場所なのだ。
とはいえ、漣のように緊縛されるのは少ない。
大抵はやんごとなき家の女を抱きたい豪商や豪農たちが利用している。また、大奥勤めの娘や、どこぞの武家の妻が急な出費で困ったときに頼る場所でもあった。
身分の低い者がカネに物をいわせて高貴な女体を好き勝手にできる貴重な場所。だから一日一組しか使えないし、使用料も目玉が飛び出るほど高い。しかも、利用客からの紹介が無ければその存在を知ることすらできない。
そんな怪しい屋敷の名を、玉藻と言う。
漣は、利用客に情事の春画を描くよう頼まれてから通うようになった。最初は春画絵師として、二回目からは身体を暴かれるために。
絵師見習いの漣がこの屋敷を知ったのは偶然である。手慰みに描いた春画を売りに出したら、それを気に入った版元に頼まれたのだ。コトの最中を絵にしたいと言う上客がいてね、と。
「……どうしておれに?」
「お前さんなら、描いている時におっ勃たないからさ」
「何故そう思うんですか?」
冷笑する漣に、版元はこう返した。
「そんじょそこらのまぐわいでは動じないだろ?」
漣の描く春画は冷徹な目線で描かれている。だが同時に猛烈な欲も滾っていて、絵を見た女は股がびしょびしょになるほど濡れてくるし、男は猿みたいにいきり立つ。どれほど場数をこなして来たのか分かりゃしない、最初は漣の師匠が描いたものかと思ったくらいだ……数多の絵師を抱えてきた版元ならではの鋭い分析だった。
「ただの若造じゃねえ、一体どんな生い立ちなんだ、って柳露先生に尋ねても、のらりくらりと躱しやがる。まあ、こちらとしては、頼んだモンを納期さえ守って描いてもらえれば、それに越したこっちゃねえんだが……で、どうだい?」
カネは弾むぜ、と版元は意味ありげにニヤリと笑った。
「いいよ。おれの取り分はアンタが勝手に決めて構わない」
「へえ。先生にバレたら破門になるかもしれないぜ?」
「……柳露先生は面白がると思うよ。牡丹さんは嫌がるだろうけど」
漣のことを弟のように可愛がっている姉弟子なら激高しそうだ。それでも、漣はこの話を受けるつもりだった。ぬるま湯に浸かったままグズグズと腐るような今の生活に、少しでも刺激が欲しかったからだ。
怪しい屋敷、玉藻での春画を描く依頼はあっさりと終わった。
老いた譜代の後添が、月代も青々とした若侍に組み敷かれるものだ。玉藻では男が女を買うだけでなく、女が男を買うこともある。
政略結婚で後添を迎えたものの、年の差が三十もあれば夜床が上手くいくはずもない。ましてや夫は風流人で、元から淡白な性質だった。
ならば若い後添の疼きを玉藻で鎮めてもらおうという老夫からの依頼だが、情事の最中に妻が唆されても困る。そこで第三者として絵師を呼び、春画を描かせようという話である。そこに老夫の覗き趣味が含まれているのは言うまでもない。
「あっ……ああんっ……いいよぅ、もっと、もっと奥まで突いてえっ!」
面白いことに、目を閉じて喘ぐ後添を組み敷き腰を激しく動かしながら、若侍の眼差しは漣を舐るように見ていた。本来なら衆道を好む男だったのだろう。生活に困ってカネを得たいのは女も男も変わりない。
そして情事を終えた二人が、奥にある温泉で湯浴みを済ませた後。
「あれ、なんと素敵な絵だろうねえ。お前さんたら、可愛い顔して、随分とまあ……」
漣が描き上げた絵を見ながら、若い後添は頬を染めた。あられもない女体に男がかぶりつく、猛々しいが神々しくも見える構図。恥ずかしいやら嬉しいやら。きっと老夫も気に入るはずだわ、とほくそ笑む。
「おれは見たものを見たとおりに描いただけです」
頭を低く伏せて畳に両手をつきながら、漣は淡々と告げた。後添の隣に座る若侍は、絵を見るふりをしながら、漣のむき出しになった白い項に熱い眼差しを送っていた。
「ねえ絵師さん、また来る気はないかい?」
帰り際、玄関で草鞋を履く漣に向かい、玉藻を取り仕切る老女が声をかけた。
己の春画を描いてもらいたい客は意外と多い。今日来た若い後添の様子と、ちらりと見せてもらった春画の出来に感心した老女は、青年絵師をこちら側へ引き込もうと考えたのだ。
しかし、漣からは予想外の答えが返ってきた。
「抱かれる側ならいいよ」
老女は目を見開いた。ふん、まあ、確かに悪くない。若い男を好む客も玉藻を利用する。だがしかし、身元はともかく身分がねえ……。
「カネはいらない。あんたの取り分にするといい」
老女は険のある目で漣を見た。この坊やは何が目的なんだい? まさか、公儀の間者?
「おれは優れた絵師になりたいだけだから。何事も経験しとくに限るって言うだろ?」
漣は爽やかに微笑んだ。老女の脳内で算盤が素早く弾かれる。この子を紹介してきた版元が言うには、御用絵師に弟子入りしているって話だったね。
「わっちはねえ、タダより高いものは無いって諺が骨の髄まで刻み込まれてるんだよ。だから、お前さんにはちゃあんと払います。ここはそんな安い店じゃないんだからね」
鋭い声で叱りつけられても、漣は小さく笑うだけだった。
「終わった後に、相手がおれに見合う金額を払うっていうのでどうかな」
「……随分と自信があるんだねえ」
「カネに困ってるわけじゃないから……あんたが適当な額を決めても構わないよ」
老女は少し考え込んだ。わっちが金額を決めて構わないなら、そう悪い話でもないか。まずは一回、こちらの息のかかった者に相手をさせて様子を見るか……。
「わかったよ。じゃあ、病気持ちじゃないか調べさせてもらって、それからだね」
この時には強気だった老女だが、やがて漣には下手に出るようになる。
白狐と名乗った漣を最初に買った客が、私財を投げ売ってまで玉藻へ通い詰めたからだ。
漣が出てきた屋敷は上品だが贅を尽くしたしつらえで、庭の奥には自噴の温泉まである。
大きな玄関を抜けると床の間のある広い座敷と控えの間。少し離れたところに大きめの厠と家人用の小さな屋敷がそれぞれ建てられており、庭に面した豪奢な湯殿がある。不思議な構造をしている理由は、そこが好事家のために造られたからだ。吉原や陰間茶屋では飽き足らなくなった金持ちが、カネに困った素人を好き放題に嬲るために建てられた場所なのだ。
とはいえ、漣のように緊縛されるのは少ない。
大抵はやんごとなき家の女を抱きたい豪商や豪農たちが利用している。また、大奥勤めの娘や、どこぞの武家の妻が急な出費で困ったときに頼る場所でもあった。
身分の低い者がカネに物をいわせて高貴な女体を好き勝手にできる貴重な場所。だから一日一組しか使えないし、使用料も目玉が飛び出るほど高い。しかも、利用客からの紹介が無ければその存在を知ることすらできない。
そんな怪しい屋敷の名を、玉藻と言う。
漣は、利用客に情事の春画を描くよう頼まれてから通うようになった。最初は春画絵師として、二回目からは身体を暴かれるために。
絵師見習いの漣がこの屋敷を知ったのは偶然である。手慰みに描いた春画を売りに出したら、それを気に入った版元に頼まれたのだ。コトの最中を絵にしたいと言う上客がいてね、と。
「……どうしておれに?」
「お前さんなら、描いている時におっ勃たないからさ」
「何故そう思うんですか?」
冷笑する漣に、版元はこう返した。
「そんじょそこらのまぐわいでは動じないだろ?」
漣の描く春画は冷徹な目線で描かれている。だが同時に猛烈な欲も滾っていて、絵を見た女は股がびしょびしょになるほど濡れてくるし、男は猿みたいにいきり立つ。どれほど場数をこなして来たのか分かりゃしない、最初は漣の師匠が描いたものかと思ったくらいだ……数多の絵師を抱えてきた版元ならではの鋭い分析だった。
「ただの若造じゃねえ、一体どんな生い立ちなんだ、って柳露先生に尋ねても、のらりくらりと躱しやがる。まあ、こちらとしては、頼んだモンを納期さえ守って描いてもらえれば、それに越したこっちゃねえんだが……で、どうだい?」
カネは弾むぜ、と版元は意味ありげにニヤリと笑った。
「いいよ。おれの取り分はアンタが勝手に決めて構わない」
「へえ。先生にバレたら破門になるかもしれないぜ?」
「……柳露先生は面白がると思うよ。牡丹さんは嫌がるだろうけど」
漣のことを弟のように可愛がっている姉弟子なら激高しそうだ。それでも、漣はこの話を受けるつもりだった。ぬるま湯に浸かったままグズグズと腐るような今の生活に、少しでも刺激が欲しかったからだ。
怪しい屋敷、玉藻での春画を描く依頼はあっさりと終わった。
老いた譜代の後添が、月代も青々とした若侍に組み敷かれるものだ。玉藻では男が女を買うだけでなく、女が男を買うこともある。
政略結婚で後添を迎えたものの、年の差が三十もあれば夜床が上手くいくはずもない。ましてや夫は風流人で、元から淡白な性質だった。
ならば若い後添の疼きを玉藻で鎮めてもらおうという老夫からの依頼だが、情事の最中に妻が唆されても困る。そこで第三者として絵師を呼び、春画を描かせようという話である。そこに老夫の覗き趣味が含まれているのは言うまでもない。
「あっ……ああんっ……いいよぅ、もっと、もっと奥まで突いてえっ!」
面白いことに、目を閉じて喘ぐ後添を組み敷き腰を激しく動かしながら、若侍の眼差しは漣を舐るように見ていた。本来なら衆道を好む男だったのだろう。生活に困ってカネを得たいのは女も男も変わりない。
そして情事を終えた二人が、奥にある温泉で湯浴みを済ませた後。
「あれ、なんと素敵な絵だろうねえ。お前さんたら、可愛い顔して、随分とまあ……」
漣が描き上げた絵を見ながら、若い後添は頬を染めた。あられもない女体に男がかぶりつく、猛々しいが神々しくも見える構図。恥ずかしいやら嬉しいやら。きっと老夫も気に入るはずだわ、とほくそ笑む。
「おれは見たものを見たとおりに描いただけです」
頭を低く伏せて畳に両手をつきながら、漣は淡々と告げた。後添の隣に座る若侍は、絵を見るふりをしながら、漣のむき出しになった白い項に熱い眼差しを送っていた。
「ねえ絵師さん、また来る気はないかい?」
帰り際、玄関で草鞋を履く漣に向かい、玉藻を取り仕切る老女が声をかけた。
己の春画を描いてもらいたい客は意外と多い。今日来た若い後添の様子と、ちらりと見せてもらった春画の出来に感心した老女は、青年絵師をこちら側へ引き込もうと考えたのだ。
しかし、漣からは予想外の答えが返ってきた。
「抱かれる側ならいいよ」
老女は目を見開いた。ふん、まあ、確かに悪くない。若い男を好む客も玉藻を利用する。だがしかし、身元はともかく身分がねえ……。
「カネはいらない。あんたの取り分にするといい」
老女は険のある目で漣を見た。この坊やは何が目的なんだい? まさか、公儀の間者?
「おれは優れた絵師になりたいだけだから。何事も経験しとくに限るって言うだろ?」
漣は爽やかに微笑んだ。老女の脳内で算盤が素早く弾かれる。この子を紹介してきた版元が言うには、御用絵師に弟子入りしているって話だったね。
「わっちはねえ、タダより高いものは無いって諺が骨の髄まで刻み込まれてるんだよ。だから、お前さんにはちゃあんと払います。ここはそんな安い店じゃないんだからね」
鋭い声で叱りつけられても、漣は小さく笑うだけだった。
「終わった後に、相手がおれに見合う金額を払うっていうのでどうかな」
「……随分と自信があるんだねえ」
「カネに困ってるわけじゃないから……あんたが適当な額を決めても構わないよ」
老女は少し考え込んだ。わっちが金額を決めて構わないなら、そう悪い話でもないか。まずは一回、こちらの息のかかった者に相手をさせて様子を見るか……。
「わかったよ。じゃあ、病気持ちじゃないか調べさせてもらって、それからだね」
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