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第五話 闇鏡
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「どうだ、お前の因果を見せられるのは?」
こん、と煙管を膝に打ち付けて、蒼谷が尋ねた。霧の地面に灰が溢れて消えていく。
「どうって、なんで漣が? もしかして、ここにいるのか?」
目玉が飛び出そうなほどの頭痛を堪えつつ、右手で顔半分を抑えながら、白羅は声を荒らげる。
「ここにはいない。池に映し出されるのは生者の世だ」
蒼谷は懐から煙草の葉を取り出して、再び煙管に詰めながら答えた。
「俺たちはただ見るだけ。己が生前にしてきたこと、それがどんな結果を招いたかを、手をこまねいて見続けることしかできない」
眉間に皺を寄せながら、蒼谷は煙草を深く吸い、またしても白羅へ向かって煙を吐いた。
頭痛に加え、煙が目に染みる。白羅は右手をずらしてギロリと睨みつけたが、蒼谷はハンと嘲るような顔で冷たく見返すだけだ。
畜生め、頭がこんなに痛くなければ、こんなオッサンの一人や二人……と怒りながらも、白羅は蒼谷の言葉が気になった。オレの生前だと? 人斬りしかしてねえ。漣を連れ回して襲ったのは認めるが、さっきの水鏡で見た漣と何の関係がある?
「ちょっと待てよ。オレの因果と漣にどんな関係があるって……」
「ハッ! よく言うぜ! お前が漣をあんな風にしちまったんだろうが!!」
怒りを抑えながら、震える声で、蒼谷は白羅をギロリと睨む。池の水面が揺れ、黒く濁り始めた。
水というよりは漆黒の闇のように思えた。水鏡ではなく闇鏡。
暗い水面が怪しく光り、映し出されたのは裸の漣だった。先程の漣より若く、寝転がった白羅の上にまたがって激しく腰を動かしている。
「……んっ、はっ、あ、ああっ、うっ……」
「おら、漣。ちゃんと腰を使えって言ったろ?」
前身頃をはだけただけの白羅が、意地悪そうに笑って漣の尻を軽く叩いた。キュッと眉を顰めた漣の背中が仰け反る。よく見れば、背中や腕のあちこちに噛み跡が残っていた。
「ったく駄目だなぁお前は。ちっとも使えねえ」
つまらなそうな顔で、白羅は繋がったまま起き上がり、そのまま漣を床に押し倒した。
「……あうっ!」
漣の目尻に涙が浮かぶ。倒れた弾みで、腹の奥底まで白羅の剛直が突き刺さったからだ。痛みなのか違和感なのかよく分からない感覚に囚われた漣は、とっさに逃れようと腰をくねらせる。
「ああー、そうそう。最初からそうやってればいいんだよ」
ご褒美をやるな、と薄く笑いながら、白羅は漣の腰骨をしっかり抱え、己の魔羅をゆっくり抜いた。張り詰めた先端を漣の孔に引っ掛けて前後左右に動かしたり、ズンと挿して奥を突いたりして相手の反応を伺う。
「ふっ、ううっ、あ、ああっ……や、やだっ、ぁあんっ……」
白羅が胎内で放った精が潤滑油となり、艶めかしく淫らな音を立てながら、漣の後ろはまるで雌穴のように広がり、滾った玉茎を受け入れる。
しばらくすると白羅は亀頭を挿しこんだ状態で、向かい合った漣の下腹を突き上げるよう腰を動かし始めた。
「漣……お前さ、ここがイイって知ってたか?」
ゴリッとした違和感。強い刺激。漣の目の前がチカチカする。
「ひあっ、ああん。んんっ……は、はくらっ、嫌だっ、やあああっ!」
興に乗った白羅が抜き差しを続けるうちに、涙ながらに乱れる漣の下腹で若い白濁が迸る。
「よーしよーし、うまくイケたなあ漣。じゃあもう少し楽しもうぜぇ」
漣の耳元へ顔を近づけた白羅は、低く嗄れた声で囁いた後、ぺろりと舌を出して耳朶を舐め、息を吹きかけた。
池の闇鏡に肌色が浮かび、すすり泣きと喘ぎ声が重なる。肉同士が生々しくぶつかる響きが反響する中、白羅はなんとも言えない顔で蒼谷を見た。
「あー……なに? オッサン、自分の倅がまぐわってるのを覗くのが趣味なん?」
「そんな訳あるか」
剣呑な声と不機嫌な顔が返ってくるのと同時に、闇色の水がさざめいた。中央から波紋が広がり、人の姿が映し出される。
漣だ。
表情と身体つきから、何年か前だろう。
池のほとりに座る男二人は、無言のまま黒い水面へ視線を向けた。
「父さん、今日は五平餅の屋台が出てるよ。馬籠宿から来たんだって」
満面の笑顔で走ってきた漣を見て、蒼谷は苦笑した。何かと思いきや、開口一番に餅の話とは。
「店の準備もそこそこに何処へ行ったんだと思っていたら……。お前、そんなに腹が減ってたのか?」
「えっ! そ、そんなことないよ! それにっ、おれ、ちゃんと面を並べておいただろ?」
「まあな。他の品は出してないがな」
「だって、父さんが『季節の色に合わせて並べるんだ』とか面倒臭いこと言うからだろ? おれがやるより、父さんがやった方が早いと思って……」
ブツブツ文句を言いながらも、ちらちらと父の顔色を伺う息子の様子に、蒼谷は苦笑しながら懐に手をやり財布を出す。
「ほら、買ってこい。無駄遣いすんなよ」
「ありがとう、父さん!!」
満面の笑みを浮かべて漣が走り出した。
「まったく、図体はデカくなったってのに、中身はまだまだ子供だな」
人混みに紛れる息子の背中を眺めつつ、蒼谷は小さく笑った。
五月十六日。
新緑と藤の花と透き通った青空がきらめく中、聖天様の正五九の縁日を迎えた寺では、本尊の十一面観世音菩薩を拝もうとする人々でごった返している。
縁日の屋台にも序列があり、寺の檀家や常に店を出す者、遠くからはるばる呼ばれて来た店は人の多い境内に、たまにしか店を出さない者は外側と決まりがある。
境内の外で軒を連ねる出店のうち、いちばん端に蒼谷のおもちゃ屋があった。綺麗な柄が描かれた風車に、おかめやひょっとこ、稲荷のお面、江戸の名所を描いた団扇などなど。全ての商品に蒼谷が絵を描き彩色していることもあり、人の目を引く店でもあった。
表向き、蒼谷は香具師ではない。絵師ということになっている。しかし絵だけではなかなか食っていけないので、たまに露店を出すのだと周りには伝えていた。実のところは諜報や情報交換、裏仕事の依頼を受けたりするのが目的なのだが。
「鯛車はありますか? できれば黒の……」
尋ねてきたのは眉目秀麗な、いかにも良家のお坊っちゃんといった風情の少年だ。年の頃は十四、五歳といった所か。
「残念ですが御座いません。……それに、店を間違えているのでは?」
蒼谷は丁重に断った。黒の鯛車は、裏の仕事を依頼したいという符牒である。こんな小僧が知っていてよい言葉ではない。
「……なんでも屋さんは此処だと伺ったのだけれど」
狐の面をつつきながら、少年は小声でつぶやきニコリと微笑んだ。蒼谷の裏稼業について知っていると言わんがばかりに。
「どこでそれを?」
「白石の娘に」
「ふぅん……白石さんねえ……」
たしか、一年ほど前に受けた依頼だ。田舎から江戸へ上ってきた商人を痛めつけてやってくれという話。江戸には江戸の商いがある、野放図にやられたら迷惑なんだよ、と啖呵を切った出戻り娘だったな……と蒼谷は思い出した。
「まあ、そういうことなら……作業小屋にあるか見てきましょうかね」
隣の女店主に、漣が戻るまで店番を頼むと告げた後、蒼谷は少年と連れ立って出ていった。
聖天様の寺から墓地を抜け、寺所有の畑の外れに作業小屋がある。元はこの寺の倉庫で、いちおう蒼谷の商品や絵を描く道具も置いていた。
なんでも屋という名の集団は、強請り、恐喝、強盗なんでもござれの荒事を営む組織で、その元締めは高名な僧侶である。
蒼谷は窓口として依頼を受ける時、言付けをもらうだけで普通は何処かに案内はしない。依頼主からの言付けを仲介人に伝えた後、組織が正式に依頼を受けた場合にのみ仕事の指名が来る流れだからだ。そして蒼谷は、野盗に見せかけて対象者を街道で殺す暗殺者という、もうひとつの顔も持っていた。
「こんなところに作業小屋があるのですか?」
次第に人の気配が無くなっていくからか、少年が不安気な声で尋ねてきた。
「こちらの縁日にはよく店を出しますので、在庫が置けるよう、お寺さんに頼んで貸してもらったんです」
「……縁日の出店はたくさんあるのに、あなたの店は特別なんですね?」
「おかげさまで、ウチの品を気に入ってもらえたようでして……ああ、そこの小屋ですよ」
小さいが、程よく手入れされている作業小屋を指差しつつ、蒼谷は微笑んだ。この坊っちゃんには気の毒だが、少し痛い目を見てもらわないとな……。怪しい依頼の時に小屋へ連れ込み、誰の差し金か拷問して吐かせるのも蒼谷の役目だ。
「少し散らかっていますがご容赦下さい」
そう言いながら、建付けがあまり良くない引き戸を開けようとした刹那、蒼谷は背中で殺気を感じた。あ、と思った瞬間、引き戸がグワッと開けられる。頭に強い衝撃を受け、目の前が暗くなった。待ち伏せされていたのだと気づいた時にはもう遅い。
五平餅を二串買った後、甘く香ばしい味噌だれの香りにゴクリと喉を鳴らしつつ、漣は父親の元へ戻った。
「あれ、父さんは?」
「なんか、お客さんを連れて出ていったよ。おや、おいしそうだね。どこの店で買ったのさ?」
「奥にある屋台だよ。馬籠宿から来たんだって」
「へえ、じゃあ、あたしも買ってこようかね」
そう言うと、隣の店の女主は漣に店番を頼んで出ていった。この店は近隣の農家の嫁が営んでおり、手作りの笊や籠を取り扱っている。蒼谷と同じく、たまに露店を出すクチだ。ただし理由は正反対で、家族のために現金が欲しいからという庶民らしいものである。
しばらくすると、いかにも旗本のお嬢様と母親らしき二人連れが通りかかった。
「わあ、きれいな風車! お母様、買って下さいな。わたし、赤いのがいい!」
「あらあら。じゃあ、お姉様の分も頂きましょうか。二本だとおいくら?」
「四十文です」
母親は赤色と橙色の風車を買ってくれた。六歳くらいに見えるお嬢様は、風車にふうふうと息をふきかけながら、羽根が回る様子を見て笑っている。
母子連れが境内の奥に消えるまで、漣は羨ましそうに眺めていた。十歳の冬に流行病で亡くなった母の姿を重ねたからだ。
住んでいる長屋で咳をしている人がいるな……と思ったらあっという間に広まって、半月ほど寝込んだ後に母はあっけなく世を去った。そして、それから父の様子が少し変わった。夜ごとに外出するようになり、煙草を嗜むようになった。不機嫌な顔をすることも増えた。
「おまたせしたね。店番ありがとう、漣……あれ? まだ蒼谷さん帰ってこないのかい?」
あんまり遅いと五平餅が固くなっちゃうよ、と農家の嫁は笑った。
父の分の五平餅を皿に乗せて待っていたが、昼八つの鐘が鳴っても戻って来ない。一刻(約二時間)ほど経っている。
「どうしたんだろうねえ、蒼谷さん……ちょっと遅すぎないかい?」
「おれ、探しに行ってくる!」
農家の嫁の言葉を機に、漣は立ち上がり、一目散に駆け出した。
「あ、漣! まったく、店番どうすんのよ……」
走り去った漣の後ろ姿を見ながら、農家の嫁が口をとがらせた。まあ、聖天様の法要も終わったみたいだし、縁日の客も減り始めているからいいけど……店番代として、売れ残った風車と張り子の虎をもらおうかしら。蒼谷の店のおもちゃは、自分の子供たちも欲しがっていた。よく隣に店を構えるが、ちょっと高くて手が出なかったのだ。
「はあっ、はあ、はあ……」
息を切らしながら漣は走った。たしか父さんは聖天様のお寺から小屋を借りていた。母も露店に出ていた頃、こっそり後をつけたことがある。あの時も、どこかの使用人らしい男の人と一緒だった。
「……父さん……!?」
小屋が見えるくらいにまで近づいた時、漣は思わず口ごもった。なんとなく嫌な感じがしたからだ。よく分からないまま、咄嗟に側に生えていた躑躅の茂みへ身を隠す。
すぐにガタリと音がして、小綺麗な少年と体格の良い男が小屋から出てきた。男は顔を隠すように黒い頭巾を被っていたが、小屋の扉を閉めるなり、ゆっくり頭巾を脱いだ。剃髪している。僧侶らしい。
(聖天様のお坊さん……? でも、見たことないな……)
今日の縁日を開いている寺院の僧侶たちと漣は顔なじみだ。新しく来た人だろうか? だが、そんな噂を聞いたことは無い。それに、険しい顔をした少年が、僧侶に何やら文句を言っているようにも見える。あの子は誰だろう?
(父さん……)
何があったのかと漣が息を潜めていたところ、いきなり僧侶が振り向いた。太い眉に、ギョロッと見開いた目。頬骨が高く厳つい顔。身体つきだけでなく、顔まで仁王のようだ。漣は身体を強張らせ、目を見開いて息を潜めた。
しばらくの間、僧侶は漣が隠れている躑躅の茂みを睨みつけていたものの、やがて視線を外して少年と共に立ち去った。よく見ると僧侶は太刀を腰に帯びており、墨染の衣の裾には灰色の炎と青鼠色の髑髏が描かれている。
変な坊さんだな、と漣は思ったが、今はそれより父が心配だった。
「父さん!」
ガラッと小屋の引き戸を開ける。視界いっぱいに血が広がった。
「!? 父さん?」
壁にもたれかかるように座る父が見えた。袈裟懸けに切られており、全身が血に染まっている。
「おい、誰か来たぞ! どうするんだ?」
小屋の中には二人の男がいた。剃髪しているので、この連中も僧侶だろうか。
「……見られてしまったのだから、仕方無いな」
もう片方がニンマリ笑うなり、一瞬のうちに駆け寄ってきた。
ピシャリと引き戸が閉まる音と共に、漣は腕を掴まれ小屋の奥へと引き摺りこまれた。
こん、と煙管を膝に打ち付けて、蒼谷が尋ねた。霧の地面に灰が溢れて消えていく。
「どうって、なんで漣が? もしかして、ここにいるのか?」
目玉が飛び出そうなほどの頭痛を堪えつつ、右手で顔半分を抑えながら、白羅は声を荒らげる。
「ここにはいない。池に映し出されるのは生者の世だ」
蒼谷は懐から煙草の葉を取り出して、再び煙管に詰めながら答えた。
「俺たちはただ見るだけ。己が生前にしてきたこと、それがどんな結果を招いたかを、手をこまねいて見続けることしかできない」
眉間に皺を寄せながら、蒼谷は煙草を深く吸い、またしても白羅へ向かって煙を吐いた。
頭痛に加え、煙が目に染みる。白羅は右手をずらしてギロリと睨みつけたが、蒼谷はハンと嘲るような顔で冷たく見返すだけだ。
畜生め、頭がこんなに痛くなければ、こんなオッサンの一人や二人……と怒りながらも、白羅は蒼谷の言葉が気になった。オレの生前だと? 人斬りしかしてねえ。漣を連れ回して襲ったのは認めるが、さっきの水鏡で見た漣と何の関係がある?
「ちょっと待てよ。オレの因果と漣にどんな関係があるって……」
「ハッ! よく言うぜ! お前が漣をあんな風にしちまったんだろうが!!」
怒りを抑えながら、震える声で、蒼谷は白羅をギロリと睨む。池の水面が揺れ、黒く濁り始めた。
水というよりは漆黒の闇のように思えた。水鏡ではなく闇鏡。
暗い水面が怪しく光り、映し出されたのは裸の漣だった。先程の漣より若く、寝転がった白羅の上にまたがって激しく腰を動かしている。
「……んっ、はっ、あ、ああっ、うっ……」
「おら、漣。ちゃんと腰を使えって言ったろ?」
前身頃をはだけただけの白羅が、意地悪そうに笑って漣の尻を軽く叩いた。キュッと眉を顰めた漣の背中が仰け反る。よく見れば、背中や腕のあちこちに噛み跡が残っていた。
「ったく駄目だなぁお前は。ちっとも使えねえ」
つまらなそうな顔で、白羅は繋がったまま起き上がり、そのまま漣を床に押し倒した。
「……あうっ!」
漣の目尻に涙が浮かぶ。倒れた弾みで、腹の奥底まで白羅の剛直が突き刺さったからだ。痛みなのか違和感なのかよく分からない感覚に囚われた漣は、とっさに逃れようと腰をくねらせる。
「ああー、そうそう。最初からそうやってればいいんだよ」
ご褒美をやるな、と薄く笑いながら、白羅は漣の腰骨をしっかり抱え、己の魔羅をゆっくり抜いた。張り詰めた先端を漣の孔に引っ掛けて前後左右に動かしたり、ズンと挿して奥を突いたりして相手の反応を伺う。
「ふっ、ううっ、あ、ああっ……や、やだっ、ぁあんっ……」
白羅が胎内で放った精が潤滑油となり、艶めかしく淫らな音を立てながら、漣の後ろはまるで雌穴のように広がり、滾った玉茎を受け入れる。
しばらくすると白羅は亀頭を挿しこんだ状態で、向かい合った漣の下腹を突き上げるよう腰を動かし始めた。
「漣……お前さ、ここがイイって知ってたか?」
ゴリッとした違和感。強い刺激。漣の目の前がチカチカする。
「ひあっ、ああん。んんっ……は、はくらっ、嫌だっ、やあああっ!」
興に乗った白羅が抜き差しを続けるうちに、涙ながらに乱れる漣の下腹で若い白濁が迸る。
「よーしよーし、うまくイケたなあ漣。じゃあもう少し楽しもうぜぇ」
漣の耳元へ顔を近づけた白羅は、低く嗄れた声で囁いた後、ぺろりと舌を出して耳朶を舐め、息を吹きかけた。
池の闇鏡に肌色が浮かび、すすり泣きと喘ぎ声が重なる。肉同士が生々しくぶつかる響きが反響する中、白羅はなんとも言えない顔で蒼谷を見た。
「あー……なに? オッサン、自分の倅がまぐわってるのを覗くのが趣味なん?」
「そんな訳あるか」
剣呑な声と不機嫌な顔が返ってくるのと同時に、闇色の水がさざめいた。中央から波紋が広がり、人の姿が映し出される。
漣だ。
表情と身体つきから、何年か前だろう。
池のほとりに座る男二人は、無言のまま黒い水面へ視線を向けた。
「父さん、今日は五平餅の屋台が出てるよ。馬籠宿から来たんだって」
満面の笑顔で走ってきた漣を見て、蒼谷は苦笑した。何かと思いきや、開口一番に餅の話とは。
「店の準備もそこそこに何処へ行ったんだと思っていたら……。お前、そんなに腹が減ってたのか?」
「えっ! そ、そんなことないよ! それにっ、おれ、ちゃんと面を並べておいただろ?」
「まあな。他の品は出してないがな」
「だって、父さんが『季節の色に合わせて並べるんだ』とか面倒臭いこと言うからだろ? おれがやるより、父さんがやった方が早いと思って……」
ブツブツ文句を言いながらも、ちらちらと父の顔色を伺う息子の様子に、蒼谷は苦笑しながら懐に手をやり財布を出す。
「ほら、買ってこい。無駄遣いすんなよ」
「ありがとう、父さん!!」
満面の笑みを浮かべて漣が走り出した。
「まったく、図体はデカくなったってのに、中身はまだまだ子供だな」
人混みに紛れる息子の背中を眺めつつ、蒼谷は小さく笑った。
五月十六日。
新緑と藤の花と透き通った青空がきらめく中、聖天様の正五九の縁日を迎えた寺では、本尊の十一面観世音菩薩を拝もうとする人々でごった返している。
縁日の屋台にも序列があり、寺の檀家や常に店を出す者、遠くからはるばる呼ばれて来た店は人の多い境内に、たまにしか店を出さない者は外側と決まりがある。
境内の外で軒を連ねる出店のうち、いちばん端に蒼谷のおもちゃ屋があった。綺麗な柄が描かれた風車に、おかめやひょっとこ、稲荷のお面、江戸の名所を描いた団扇などなど。全ての商品に蒼谷が絵を描き彩色していることもあり、人の目を引く店でもあった。
表向き、蒼谷は香具師ではない。絵師ということになっている。しかし絵だけではなかなか食っていけないので、たまに露店を出すのだと周りには伝えていた。実のところは諜報や情報交換、裏仕事の依頼を受けたりするのが目的なのだが。
「鯛車はありますか? できれば黒の……」
尋ねてきたのは眉目秀麗な、いかにも良家のお坊っちゃんといった風情の少年だ。年の頃は十四、五歳といった所か。
「残念ですが御座いません。……それに、店を間違えているのでは?」
蒼谷は丁重に断った。黒の鯛車は、裏の仕事を依頼したいという符牒である。こんな小僧が知っていてよい言葉ではない。
「……なんでも屋さんは此処だと伺ったのだけれど」
狐の面をつつきながら、少年は小声でつぶやきニコリと微笑んだ。蒼谷の裏稼業について知っていると言わんがばかりに。
「どこでそれを?」
「白石の娘に」
「ふぅん……白石さんねえ……」
たしか、一年ほど前に受けた依頼だ。田舎から江戸へ上ってきた商人を痛めつけてやってくれという話。江戸には江戸の商いがある、野放図にやられたら迷惑なんだよ、と啖呵を切った出戻り娘だったな……と蒼谷は思い出した。
「まあ、そういうことなら……作業小屋にあるか見てきましょうかね」
隣の女店主に、漣が戻るまで店番を頼むと告げた後、蒼谷は少年と連れ立って出ていった。
聖天様の寺から墓地を抜け、寺所有の畑の外れに作業小屋がある。元はこの寺の倉庫で、いちおう蒼谷の商品や絵を描く道具も置いていた。
なんでも屋という名の集団は、強請り、恐喝、強盗なんでもござれの荒事を営む組織で、その元締めは高名な僧侶である。
蒼谷は窓口として依頼を受ける時、言付けをもらうだけで普通は何処かに案内はしない。依頼主からの言付けを仲介人に伝えた後、組織が正式に依頼を受けた場合にのみ仕事の指名が来る流れだからだ。そして蒼谷は、野盗に見せかけて対象者を街道で殺す暗殺者という、もうひとつの顔も持っていた。
「こんなところに作業小屋があるのですか?」
次第に人の気配が無くなっていくからか、少年が不安気な声で尋ねてきた。
「こちらの縁日にはよく店を出しますので、在庫が置けるよう、お寺さんに頼んで貸してもらったんです」
「……縁日の出店はたくさんあるのに、あなたの店は特別なんですね?」
「おかげさまで、ウチの品を気に入ってもらえたようでして……ああ、そこの小屋ですよ」
小さいが、程よく手入れされている作業小屋を指差しつつ、蒼谷は微笑んだ。この坊っちゃんには気の毒だが、少し痛い目を見てもらわないとな……。怪しい依頼の時に小屋へ連れ込み、誰の差し金か拷問して吐かせるのも蒼谷の役目だ。
「少し散らかっていますがご容赦下さい」
そう言いながら、建付けがあまり良くない引き戸を開けようとした刹那、蒼谷は背中で殺気を感じた。あ、と思った瞬間、引き戸がグワッと開けられる。頭に強い衝撃を受け、目の前が暗くなった。待ち伏せされていたのだと気づいた時にはもう遅い。
五平餅を二串買った後、甘く香ばしい味噌だれの香りにゴクリと喉を鳴らしつつ、漣は父親の元へ戻った。
「あれ、父さんは?」
「なんか、お客さんを連れて出ていったよ。おや、おいしそうだね。どこの店で買ったのさ?」
「奥にある屋台だよ。馬籠宿から来たんだって」
「へえ、じゃあ、あたしも買ってこようかね」
そう言うと、隣の店の女主は漣に店番を頼んで出ていった。この店は近隣の農家の嫁が営んでおり、手作りの笊や籠を取り扱っている。蒼谷と同じく、たまに露店を出すクチだ。ただし理由は正反対で、家族のために現金が欲しいからという庶民らしいものである。
しばらくすると、いかにも旗本のお嬢様と母親らしき二人連れが通りかかった。
「わあ、きれいな風車! お母様、買って下さいな。わたし、赤いのがいい!」
「あらあら。じゃあ、お姉様の分も頂きましょうか。二本だとおいくら?」
「四十文です」
母親は赤色と橙色の風車を買ってくれた。六歳くらいに見えるお嬢様は、風車にふうふうと息をふきかけながら、羽根が回る様子を見て笑っている。
母子連れが境内の奥に消えるまで、漣は羨ましそうに眺めていた。十歳の冬に流行病で亡くなった母の姿を重ねたからだ。
住んでいる長屋で咳をしている人がいるな……と思ったらあっという間に広まって、半月ほど寝込んだ後に母はあっけなく世を去った。そして、それから父の様子が少し変わった。夜ごとに外出するようになり、煙草を嗜むようになった。不機嫌な顔をすることも増えた。
「おまたせしたね。店番ありがとう、漣……あれ? まだ蒼谷さん帰ってこないのかい?」
あんまり遅いと五平餅が固くなっちゃうよ、と農家の嫁は笑った。
父の分の五平餅を皿に乗せて待っていたが、昼八つの鐘が鳴っても戻って来ない。一刻(約二時間)ほど経っている。
「どうしたんだろうねえ、蒼谷さん……ちょっと遅すぎないかい?」
「おれ、探しに行ってくる!」
農家の嫁の言葉を機に、漣は立ち上がり、一目散に駆け出した。
「あ、漣! まったく、店番どうすんのよ……」
走り去った漣の後ろ姿を見ながら、農家の嫁が口をとがらせた。まあ、聖天様の法要も終わったみたいだし、縁日の客も減り始めているからいいけど……店番代として、売れ残った風車と張り子の虎をもらおうかしら。蒼谷の店のおもちゃは、自分の子供たちも欲しがっていた。よく隣に店を構えるが、ちょっと高くて手が出なかったのだ。
「はあっ、はあ、はあ……」
息を切らしながら漣は走った。たしか父さんは聖天様のお寺から小屋を借りていた。母も露店に出ていた頃、こっそり後をつけたことがある。あの時も、どこかの使用人らしい男の人と一緒だった。
「……父さん……!?」
小屋が見えるくらいにまで近づいた時、漣は思わず口ごもった。なんとなく嫌な感じがしたからだ。よく分からないまま、咄嗟に側に生えていた躑躅の茂みへ身を隠す。
すぐにガタリと音がして、小綺麗な少年と体格の良い男が小屋から出てきた。男は顔を隠すように黒い頭巾を被っていたが、小屋の扉を閉めるなり、ゆっくり頭巾を脱いだ。剃髪している。僧侶らしい。
(聖天様のお坊さん……? でも、見たことないな……)
今日の縁日を開いている寺院の僧侶たちと漣は顔なじみだ。新しく来た人だろうか? だが、そんな噂を聞いたことは無い。それに、険しい顔をした少年が、僧侶に何やら文句を言っているようにも見える。あの子は誰だろう?
(父さん……)
何があったのかと漣が息を潜めていたところ、いきなり僧侶が振り向いた。太い眉に、ギョロッと見開いた目。頬骨が高く厳つい顔。身体つきだけでなく、顔まで仁王のようだ。漣は身体を強張らせ、目を見開いて息を潜めた。
しばらくの間、僧侶は漣が隠れている躑躅の茂みを睨みつけていたものの、やがて視線を外して少年と共に立ち去った。よく見ると僧侶は太刀を腰に帯びており、墨染の衣の裾には灰色の炎と青鼠色の髑髏が描かれている。
変な坊さんだな、と漣は思ったが、今はそれより父が心配だった。
「父さん!」
ガラッと小屋の引き戸を開ける。視界いっぱいに血が広がった。
「!? 父さん?」
壁にもたれかかるように座る父が見えた。袈裟懸けに切られており、全身が血に染まっている。
「おい、誰か来たぞ! どうするんだ?」
小屋の中には二人の男がいた。剃髪しているので、この連中も僧侶だろうか。
「……見られてしまったのだから、仕方無いな」
もう片方がニンマリ笑うなり、一瞬のうちに駆け寄ってきた。
ピシャリと引き戸が閉まる音と共に、漣は腕を掴まれ小屋の奥へと引き摺りこまれた。
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