【完結】涅槃の霧、因果の池

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第六話 蒼谷

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 れんは自分の身に何が起こっているのか分からなかった。

「まったく、おぬしも好きだなあ」

 着物を脱がされ、素っ裸になった漣は、上に伸ばした両手を僧侶の一人に抑えつけられている。

「お前もだろう? このくらいはお目こぼししてもらわんとな」

 もう一人の僧侶は膝立ちのまま、下卑た笑いを浮かべて下帯を緩め、いきり勃った男根をぶるんと揺らした。

「それもそうだ。役得でもなければ、死体の始末なんてやってられん」

 漣の手を抑えている僧侶が上から覗き込んで笑う。なかなか可愛い顔してるじゃないか。大丈夫だって、痛いのは最初だけだから。すぐに気持ちよくなるさ。そう言いながら、漣の頬をベロリと舐めた。

「やっ……やめろっ! 離せっ!!」

 漣の全身に鳥肌が立つ。拘束から逃れようと身体をひねると、頭の上でワッハッハッと笑われた。

「これから大悦だいえつを教えてやる」
「……な、何をっ」

 漣の太腿がぐいっと広げられ、尻穴に熱くぬめった男根がてられた。恐怖で頭の中が白くなる。

「ひぃっ、い、嫌だ、嫌だあっ! やめろっ!」
「へへへ……死ぬ前に極楽を味わわせてやるんだから、感謝しろって」
「おい、私の分も残しておけよ」
「…………ぃいっ!」

 ズキンッ……と、後孔に痛みを感じた瞬間。

「ほえ?」

 珍妙な声と同時に、腕の拘束が解け、尻に挿さりかけた異物が外れた。ぎゅっと閉じていた漣の瞼や顔、身体に温かい雨が降り注ぐ。

「うぎゃあああっ!!」

 足元から絶叫が聞こえる。ドサリと重いものが落ちる音がする。変な臭いがする。何があったんだろう?

「……なんだよ、女だと思ったのに男かよ。これだから生臭坊主は」

 おずおずと目を見開いた漣の視界に飛び込んだのは、首と身体が離れて横たわる血まみれの僧侶と、ギラギラ光る瞳でニヤリと笑う、ざんばら頭の美丈夫。頬の刀傷が生々しい男だった。

「ふわ、わっ、ああああっ!!」

 漣に男根を突き刺そうとしていた僧侶が、腰を抜かして後退あとずさる。

「ははっ、ずいぶん貧相なモンぶら下げてんじゃねえか。これはいらねえよな!」
「ぎゃああああっ!!」

 ブンッと音がして、僧侶の右太腿に傷がついた。鮮血がダラダラと流れ出す。

「おおっと、手が滑っちまった。チンケなイチモツで良かったなあ坊主」
白羅はくら、一人は残しておけ」

 刀を振り回しつつ、ギャハハハ、と悪趣味に笑う白羅の後ろから、身なりの良い侍が現れた。



 素っ裸の上、全身が血に染まった漣は急いで起き上がり、小屋の片隅まで這って逃げた。恐怖のあまり、全身がブルブル震え、歯がガタガタして止まらない。

 白羅はハンと鼻先で笑いながら、僧侶の足の指を刀で切り落としつつ、

「どうせ三下さんしただぜえ? なんも知らねーと思うけどなあっ!」
「ひぎゃああああっ!!」

 凄惨せいさんな光景を見たくない漣は、曲げた両足を抱え込んで頭を埋めた。

「そこで死んでいるのは、お前の父か?」

 頭の上から、重い声が落ちてくる。おずおず見上げると、身なりの良い侍が蒼谷の遺体に向けて顎をしゃくった。漣は怯えながらコクリと頷く。

「殺した奴を見たか?」

 身なりの良い侍は、じっと漣の瞳を見つめて問いかけた。漣は必死に言葉の意味を考える。

(父さんを殺した奴? ここにいる奴じゃない。さっき、後始末って言ってた。じゃあ、その前にいた人? 小姓みたいな坊っちゃんと、仁王みたいな……)

 太眉の下でギョロッと見開いた目を思い出した漣は、ブルっと身体を震わせた。

「……見たのだな、焔禅えんぜんを」

 身なりの良い侍が、声を荒らげて問い詰める。どんな男だ? どんな顔だ? 仲間はいたか? 侍はずんずんと漣の前に近づき威圧した。

「町人のガキに、なに尋問しちゃってんの?」

 こっちの生臭なまぐさに聞いた方が早いって、と白羅はゲラゲラ笑いながら僧侶の手指を切り落とした。聞くに耐えない絶叫が小屋に響く。

「白羅、そいつで遊ぶのは終わりにしろ。この者を連れて行く」

 顔面蒼白で震える漣を立たせた後、侍は最初に死んだ僧侶が持っていた手ぬぐいを使い、漣の身体についた血をぬぐった。次に、小屋の奥に積み重ねられた蒼谷の画材をあさり、中から大きな絹布を取り出した。ふむ、と少し考え込んだ後、漣の胴体にぐるぐる巻き付ける。

「へえ、アンタもそっちの趣味なんだ?」
「違う。早く仕留めろ。お前が騒がせすぎたから、そろそろ人が来てしまう」

 ハイハイ、と薄ら笑いを浮かべ、白羅は僧侶の首をねた。



 江戸の世が安泰なのは、白羅のように裏稼業を生業とする者がほどよく暗躍するからだ。

 しかし、それを良しとしない者もいた。必要悪を排除しようと立ち上がった善意の集団は、三界外法さんがいげほうと名乗った。その筆頭が焔禅という元修験者である。

 彼らは「仏の教えに従う良き民を救うため、悪しき者どもを成敗する」という触れ込みで、仇討ちの助太刀をすることから始まった組織だが、やがて破戒僧の武装集団と化した。

 必要悪と不要善。対立するそれぞれの組織で最後まで残ったのは白羅と焔禅であり、二人は何度も太刀を交えて闘った。





「つまり、オレを殺したのは焔禅とかいう奴か」

 先程の大立ち回りを見たせいか、少しだけ記憶を取り戻した白羅が呟いたところ、

「……さあな」

 意味有り気に蒼谷そうやは視線を外した。闇色の水鏡で再び波紋が広がって消え、いつしか池の水は元の色に戻っていた。

 蒼谷が殺された日から、漣はなし崩し的に白羅が属する組織へ身を寄せることになった。犯人である焔禅の顔を見た唯一の人間だからだ。そして、人斬り以外の時はロクに機能しない白羅の手足となり、身の回りの世話をするよう言いつけられた。もちろん、それには性欲処理も含まれる。

 かくして、僧侶から犯されずに済んだ漣は、白羅によって衆道しゅどうの世界へ足を踏み入れさせられたのだ。

「まあ、お前でもだいたい分かっただろう」

 憤懣ふんまんやる方ない、といった口調で蒼谷が告げる。あー……と白羅は頭を抱えた。いつの間にか頭痛が少し軽くなっていたが、それと同時に蒼谷を仕留めてやろうという気持ちも失せている。

「大事な倅が、よりによってお前みたいな糞野郎になぶられる姿を延々見させられた俺の身にもなれ」

 煙管の吸口をガギリと噛み締めた蒼谷が、白羅をギンッと睨みつけた。

「そんなんオレの知ったことじゃねえ。大体、オッサンだってあちこちで散々やらかしてきたクチだろ? 偉そうに説教できる立場かよ」

 負けじと白羅も言い返す。自分と漣の閨事ねやごとを、よりによってこんなオッサンに覗き見されていたとは腹が立つ。

 すると蒼谷はフッと自嘲し、目を伏せた。

「ああ、そうだ。……ようやく理解できた」

 流行病はやりやまいで妻が亡くなり、男手一人で漣を育てねばと、肩に力が入りすぎただけと思っていた。だが違った。本当はそこまでやる必要は無かった。裏稼業に手を染めた当初は、ただの窓口役だったのだから。

 落ちぶれたとはいえ武士の血筋だと息巻いた。剣の腕もそれなりに立つ、殺しもできると強気に出た。息子に残すカネのためだと己を偽って。

 道理で、この霧の世界へ来てからずっと池のほとりに座らされていたわけだ。



 俺は己の自尊心を満たすために殺しをしたのだ。
 俺は侍なのだ、刀を振れるのだと証明するために。
 戦の無い世で、妻子を持つ身でやるべきことではないと知りながら。
 もし父親がいなくなったら、漣がどうなるかを考えようともせずに。



 道理で、己が死んだ直後のことが水鏡に映らなかった訳だ。

 この腐れ外道がここへ来るまで。

 闇鏡が過去を映し出すまで。



 今までどうして漣があんなことになっているのか分からなかった。
 そうだったのか。俺を探して、あの小屋に来ちまったのか。



 すまなかったな、漣。

 五平餅を食えなくて。

 それくらいの幸せで、良かったんだよなあ。





 誰かの呼び声がして、蒼谷はふと顔を上げた。池の向こう側から、懐かしい声が聞こえる。

——こっちですよ。蒼谷さん。

 ああ、おまえか。長いこと待たせて悪かったな……素直にそう思えた。





 不意に遠くへ視線を送った蒼谷の姿を見て、白羅は違和感を覚えた。

「どうしたんだよ、オッサン」

 なに神妙になっちゃってんだよ、とからかい声をかけるが、隣の男は微動だにしない。

「……此処から先は、お前の番だ」

 静かに告げた後、蒼谷はすっと立ち上がり、池の反対側に広がる霧へ向かって歩き始めた。

「オッサン、どこ行くんだよ?」

 思わず声が出た。白羅にしては珍しい。生きている間は、他人の動向を気にしたことなど無かったというのに。

「俺の因果は終わったのさ。お前には分からんだろうが、俺の前には道が見える」

 眩しいものを見るかのように、じっと前を見つめつつ、蒼谷は目をすがめた。

「道ぃ? どこにあんだよそんなもん」

 白羅も同じ方向へ視線を送るが、灰色の霧が広がるばかり。

「己の因果が果てるまで、そこにいろ」

 振り返った蒼谷は、白羅と視線が合ったと思いきや、ニヤリと笑った。

 転瞬、姿が消える。

「…………この、クソったれがあっ!」

 池のほとりに独り残された白羅の絶叫が、濃くなりはじめた霧の中で反響する。

 水鏡は静かだった。
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