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第7章 誰も私たちの知らない場所へ
2 密告者キャリー
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その日の深夜、静かに扉が叩かれた。
「コンツェット、私です」
ロイが戻って来たのだ。
銃を手に取り、コンツェットは音を立てないよう扉まで歩み寄る。
息を殺して扉に耳を押しあてる。
気配からして、ロイ一人のようだ。
コンツェットは警戒しながら扉を開く。
「大丈夫、追っ手はいない」
少し開いた扉からロイが滑り込むように小屋に入った。その表情は厳しい。
「コンツェット、最悪の状況になった」
無駄な話はいっさいせず、ロイは用件を切り出した。
「軍を裏切ったおまえに軍事裁判がかけられることになった」
「そうか」
コンツェットの声は落ち着いていた。
驚くことはない。
当然そうなることは覚悟していた。もし、軍に捕らえられれば処刑は免れない。大佐の娘との婚約を、あんな形で破棄したのだから。
「エリス様を裏切ったことで大佐はお怒りだ。それ以上にエリス様が……コンツェット、今から大佐のところに行き誤解だと言って許してもらうんだ。今ならまだ間に合う。エリス様は君が戻ってくれば、咎めないと言っていた。彼女は……」
彼女と言って、ロイはファンローゼを一瞥する。
「私が責任を持って、この国から逃がすと約束しよう」
いや、とコンツェットは首を振る。
「俺はもう自分の気持ちを偽ることなどできない」
生きるために、大切なファンローゼを守るために、敵国の軍に、忌々しいエスツェリア軍に身を投じた。
死の間際から自分を救ってくれたエリスに恩は抱いていても、それ以上の感情を持つことはできなかった。
ファンローゼとの再会がなかったとしても、彼女と結婚し夫婦としてやっていく自信などなかった。
「正当な裁判などないぞ。裏切り者として処刑される。そもそもおまえはエスツェリア人ではない。何をされるか。それでもいいのか」
コンツェットはああ、と一言答えただけであった。
ロイはやれやれと肩をすくめる。
「説得は無駄だと思っていましたが」
ロイもコンツェットが軍に戻ることはないと、最初から分かっていたのだ。
「お別れですね。コンツェット、今度会った時、私はあなたを狩る立場になる。どうか、生きてこの国から逃げのびてください。私にあなたを殺させないで。いや、私など、あなたの相手にもならないでしょうが」
「すまない。そして、今までありがとうロイ。おまえのことは一生忘れない。なあロイ、こんな時代でなければ俺たち、いい友達になれただろうな」
そうですね、とロイは笑いながら頷いた。
ロイとは気の合う間柄だった。よく飲みにも行った。だが、軍を裏切った今、彼もまたコンツェットにとって敵となる。
「それからコンツェット、頼まれていたクレイという男の素性ですが……」
「何か分かったか?」
クレイという男のことを調べてもらうようロイに頼んでいたのだが、ロイの表情を見る限り、たいした結果は得られなかったようだ。
もっとも、それは想定していたこと。
ロイは折りたたんでいた一枚の用紙をポケットから出し、コンツェットに渡した。コンツェットはその用紙に視線を落とす。
そこにはクレイの経歴が書かれている……はず、だった。しかし、用紙には名前しか書かれておらず、所属も経歴も写真すらもない。
「私が思うに、クレイという男は諜報部では?」
「おそらく、そうだろうな」
あの男は自分で、あまり表舞台には出ないと言っていた。
コンツェットはもう一度用紙に目を落とす。
クレイ――Cray……。
コンツェットは用紙を握り締め、くつくつと肩を震わせ笑った。
「どうした、コンツェット? なにがおかしい?」
「いや、なんでもない」
「コンツェット、最後の忠告です。〝キャリー〟には気をつけて」
「密告者キャリー、か」
眉根を厳しくするコンツェットに、ロイは神妙に頷く。
「キャリーが裏で動いている。どうやらコンツェットの行動もすべて筒抜けのようだ」
なるほど、とコンツェットは呟く。
「筒抜けか。俺の隠れ家としていたアパートを探り出したのも、エリスにファンローゼのことを話したのも……」
「間違いなくキャリーでしょう。キャリーはいつでもどこでも私たちを見張っている」
最後にロイは、テーブルの上に紙切れのようなものを二枚置き、小屋を出て行った。
コンツェットはロイが置いていったそれを手にとる。
切符であった。
早朝一番のフォルドゥイーク発、スヴェリア行きの列車の切符。
急げばその列車に間に合う。
今なら、追跡の手もまだ緩い。
不安な面持ちで、ファンローゼはコンツェットの元に歩み寄る。
「……私のせいで」
いや、と首を振り、コンツェットはファンローゼを抱き寄せた。
「行こう」
コンツェットの力強い声の響きに、ファンローゼはただ一言、はい、と頷いた。
「コンツェット、私です」
ロイが戻って来たのだ。
銃を手に取り、コンツェットは音を立てないよう扉まで歩み寄る。
息を殺して扉に耳を押しあてる。
気配からして、ロイ一人のようだ。
コンツェットは警戒しながら扉を開く。
「大丈夫、追っ手はいない」
少し開いた扉からロイが滑り込むように小屋に入った。その表情は厳しい。
「コンツェット、最悪の状況になった」
無駄な話はいっさいせず、ロイは用件を切り出した。
「軍を裏切ったおまえに軍事裁判がかけられることになった」
「そうか」
コンツェットの声は落ち着いていた。
驚くことはない。
当然そうなることは覚悟していた。もし、軍に捕らえられれば処刑は免れない。大佐の娘との婚約を、あんな形で破棄したのだから。
「エリス様を裏切ったことで大佐はお怒りだ。それ以上にエリス様が……コンツェット、今から大佐のところに行き誤解だと言って許してもらうんだ。今ならまだ間に合う。エリス様は君が戻ってくれば、咎めないと言っていた。彼女は……」
彼女と言って、ロイはファンローゼを一瞥する。
「私が責任を持って、この国から逃がすと約束しよう」
いや、とコンツェットは首を振る。
「俺はもう自分の気持ちを偽ることなどできない」
生きるために、大切なファンローゼを守るために、敵国の軍に、忌々しいエスツェリア軍に身を投じた。
死の間際から自分を救ってくれたエリスに恩は抱いていても、それ以上の感情を持つことはできなかった。
ファンローゼとの再会がなかったとしても、彼女と結婚し夫婦としてやっていく自信などなかった。
「正当な裁判などないぞ。裏切り者として処刑される。そもそもおまえはエスツェリア人ではない。何をされるか。それでもいいのか」
コンツェットはああ、と一言答えただけであった。
ロイはやれやれと肩をすくめる。
「説得は無駄だと思っていましたが」
ロイもコンツェットが軍に戻ることはないと、最初から分かっていたのだ。
「お別れですね。コンツェット、今度会った時、私はあなたを狩る立場になる。どうか、生きてこの国から逃げのびてください。私にあなたを殺させないで。いや、私など、あなたの相手にもならないでしょうが」
「すまない。そして、今までありがとうロイ。おまえのことは一生忘れない。なあロイ、こんな時代でなければ俺たち、いい友達になれただろうな」
そうですね、とロイは笑いながら頷いた。
ロイとは気の合う間柄だった。よく飲みにも行った。だが、軍を裏切った今、彼もまたコンツェットにとって敵となる。
「それからコンツェット、頼まれていたクレイという男の素性ですが……」
「何か分かったか?」
クレイという男のことを調べてもらうようロイに頼んでいたのだが、ロイの表情を見る限り、たいした結果は得られなかったようだ。
もっとも、それは想定していたこと。
ロイは折りたたんでいた一枚の用紙をポケットから出し、コンツェットに渡した。コンツェットはその用紙に視線を落とす。
そこにはクレイの経歴が書かれている……はず、だった。しかし、用紙には名前しか書かれておらず、所属も経歴も写真すらもない。
「私が思うに、クレイという男は諜報部では?」
「おそらく、そうだろうな」
あの男は自分で、あまり表舞台には出ないと言っていた。
コンツェットはもう一度用紙に目を落とす。
クレイ――Cray……。
コンツェットは用紙を握り締め、くつくつと肩を震わせ笑った。
「どうした、コンツェット? なにがおかしい?」
「いや、なんでもない」
「コンツェット、最後の忠告です。〝キャリー〟には気をつけて」
「密告者キャリー、か」
眉根を厳しくするコンツェットに、ロイは神妙に頷く。
「キャリーが裏で動いている。どうやらコンツェットの行動もすべて筒抜けのようだ」
なるほど、とコンツェットは呟く。
「筒抜けか。俺の隠れ家としていたアパートを探り出したのも、エリスにファンローゼのことを話したのも……」
「間違いなくキャリーでしょう。キャリーはいつでもどこでも私たちを見張っている」
最後にロイは、テーブルの上に紙切れのようなものを二枚置き、小屋を出て行った。
コンツェットはロイが置いていったそれを手にとる。
切符であった。
早朝一番のフォルドゥイーク発、スヴェリア行きの列車の切符。
急げばその列車に間に合う。
今なら、追跡の手もまだ緩い。
不安な面持ちで、ファンローゼはコンツェットの元に歩み寄る。
「……私のせいで」
いや、と首を振り、コンツェットはファンローゼを抱き寄せた。
「行こう」
コンツェットの力強い声の響きに、ファンローゼはただ一言、はい、と頷いた。
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