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第1章 村祭りの夜のできごと
2 祭の後
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翌日。
昨夜の祭りの余韻も消え、村にはいつもと変わらない日常が訪れる。
起床し身支度を調えていた利蔵の耳に、失礼します、と遠慮がちな声が障子の向こうから聞こえてきた。
下男のひとりが頭を下げている影が見えた。
「どうした?」
「へえ、旦那様にお会いしたいという方が表門の前に訪ねておりまして」
「僕に? 誰だろう」
時刻は、朝の七時前。
他人の家を約束もなく訪問するには、常識が外れている時間だ。
「それが……尋ねても名乗らないもので」
下男は申し訳ございません、と声を落とす。
「そうか……分かった。すぐ行こう」
部屋を出て、待ち人がいる表門へと早歩きで向かった利蔵は、門を開け視線を巡らせた。
門柱の隅にひとりの娘が立っている。
長い黒髪を結わえることなく肩に垂らし、うつむき加減でたたずむ娘。
着ているものはすり切れ黒ずみ、清潔感が感じられない。
他に誰もいないところをみると、この娘が自分を呼び出した人物のようだ。
娘の手には、白いハンカチが巻き付けられていた。
「ああ、君は昨日の……」
娘は顔を上げた。
「ええと……」
前髪の隙間から、ぎょろりとした目が利蔵を見上げる。
昨夜は暗がりで気づかなかったが、あまり気分のいい雰囲気の娘ではない。
娘は口元をゆがめニイっ、と笑う。
黄ばんだ歯と欠けた前歯に嫌でも視線がいき、目のやり場に困惑する。
その笑い顔すらおぞましいものを感じた。
そういえば、村で異質なまでに暗い印象の娘を時折見かけることがあったことを思い出す。
名を確か。
「曽根……」
「多佳子」
利蔵は目を細めた。
そう、曽根多佳子。
村で嫌われ者の娘の名だ。
「そうそう、曽根多佳子さんだったね。それで、こんな時間に僕を訪ねてきて、どうしたのかな?」
多佳子と名乗った娘はじっと利蔵を見上げる。
「あいにきた」
「僕に会いに来た? ああ、昨夜のお礼をわざわざ言いにきたのだね。別にたいしたことはしていないから気にしなくていい」
多佳子は無言で突っ立ったまま。
昨夜の礼を言うわけでもないし、お辞儀をするわけでもない。
前髪の隙間から、じっとこちらを見上げるだけ。
「怪我、早く治るといいね。じゃあ、僕はこれから出かける用があるから」
そう言って、利蔵は屋敷に戻っていく。
門が閉まるまで、多佳子は笑いながらこちらを見つめていた。
ぴたりと門が閉ざされたと同時に、利蔵は眉根を寄せた。
結局、彼女は何をしに屋敷に来たのだろうか。
利蔵は側で庭掃除をしていた下男を呼び止めた。
先ほどの下男とは別の男だ。
「君、曽根多佳子という娘を知っているか?」
へえ、と下男は庭掃除の手をとめ頷く。
「村の外れで病気の母親と二人暮らしをしている娘です」
「そうか」
と言い、利蔵は足早に屋敷に戻った。
胸にわだかまる気味の悪さは残されたものの、曽根多佳子の件もこれっきりだと思っていた利蔵にとって、それほど今朝のことを気にとめることはしなかった。しかし、多佳子は翌朝も、ほぼ同時刻に屋敷を訪ねてきた。
「今日は何かな」
昨日と同じく、じっとこちらを見上げるだけで、多佳子はなかなか口を開こうとはしない。
多佳子の手に、白いハンカチが握られていることに利蔵は気づく。
「ああ、ハンカチを返しに来たのだね。それは返さなくてもいいよ。多佳子さんにあげるから」
すると、多佳子はニイっと笑い、手にしたハンカチを口元に当てた。
多佳子の笑い顔はおぞましいものすら感じた。
それにしても、改めて見ると、とてつもなく醜い女だ。
若い娘が笑顔を浮かべれば、誰だって可愛らしいものだが、多佳子の笑った顔に可愛いという表現は当てはまらない。
それどころか、人を不愉快にさせるものがあった。
「じゃあ、僕はもう行くよ」
いつまでも、わけの分からない娘につき合っているほど、こちらも暇ではない。
利蔵は早々に切り上げ、屋敷へ戻った。
だが、まだこの時、異常ともいえる多佳子のしつこさに、利蔵自身のみならず、村人たちを巻き込み恐怖の底へと陥ることになろうとは思いもしなかった。
昨夜の祭りの余韻も消え、村にはいつもと変わらない日常が訪れる。
起床し身支度を調えていた利蔵の耳に、失礼します、と遠慮がちな声が障子の向こうから聞こえてきた。
下男のひとりが頭を下げている影が見えた。
「どうした?」
「へえ、旦那様にお会いしたいという方が表門の前に訪ねておりまして」
「僕に? 誰だろう」
時刻は、朝の七時前。
他人の家を約束もなく訪問するには、常識が外れている時間だ。
「それが……尋ねても名乗らないもので」
下男は申し訳ございません、と声を落とす。
「そうか……分かった。すぐ行こう」
部屋を出て、待ち人がいる表門へと早歩きで向かった利蔵は、門を開け視線を巡らせた。
門柱の隅にひとりの娘が立っている。
長い黒髪を結わえることなく肩に垂らし、うつむき加減でたたずむ娘。
着ているものはすり切れ黒ずみ、清潔感が感じられない。
他に誰もいないところをみると、この娘が自分を呼び出した人物のようだ。
娘の手には、白いハンカチが巻き付けられていた。
「ああ、君は昨日の……」
娘は顔を上げた。
「ええと……」
前髪の隙間から、ぎょろりとした目が利蔵を見上げる。
昨夜は暗がりで気づかなかったが、あまり気分のいい雰囲気の娘ではない。
娘は口元をゆがめニイっ、と笑う。
黄ばんだ歯と欠けた前歯に嫌でも視線がいき、目のやり場に困惑する。
その笑い顔すらおぞましいものを感じた。
そういえば、村で異質なまでに暗い印象の娘を時折見かけることがあったことを思い出す。
名を確か。
「曽根……」
「多佳子」
利蔵は目を細めた。
そう、曽根多佳子。
村で嫌われ者の娘の名だ。
「そうそう、曽根多佳子さんだったね。それで、こんな時間に僕を訪ねてきて、どうしたのかな?」
多佳子と名乗った娘はじっと利蔵を見上げる。
「あいにきた」
「僕に会いに来た? ああ、昨夜のお礼をわざわざ言いにきたのだね。別にたいしたことはしていないから気にしなくていい」
多佳子は無言で突っ立ったまま。
昨夜の礼を言うわけでもないし、お辞儀をするわけでもない。
前髪の隙間から、じっとこちらを見上げるだけ。
「怪我、早く治るといいね。じゃあ、僕はこれから出かける用があるから」
そう言って、利蔵は屋敷に戻っていく。
門が閉まるまで、多佳子は笑いながらこちらを見つめていた。
ぴたりと門が閉ざされたと同時に、利蔵は眉根を寄せた。
結局、彼女は何をしに屋敷に来たのだろうか。
利蔵は側で庭掃除をしていた下男を呼び止めた。
先ほどの下男とは別の男だ。
「君、曽根多佳子という娘を知っているか?」
へえ、と下男は庭掃除の手をとめ頷く。
「村の外れで病気の母親と二人暮らしをしている娘です」
「そうか」
と言い、利蔵は足早に屋敷に戻った。
胸にわだかまる気味の悪さは残されたものの、曽根多佳子の件もこれっきりだと思っていた利蔵にとって、それほど今朝のことを気にとめることはしなかった。しかし、多佳子は翌朝も、ほぼ同時刻に屋敷を訪ねてきた。
「今日は何かな」
昨日と同じく、じっとこちらを見上げるだけで、多佳子はなかなか口を開こうとはしない。
多佳子の手に、白いハンカチが握られていることに利蔵は気づく。
「ああ、ハンカチを返しに来たのだね。それは返さなくてもいいよ。多佳子さんにあげるから」
すると、多佳子はニイっと笑い、手にしたハンカチを口元に当てた。
多佳子の笑い顔はおぞましいものすら感じた。
それにしても、改めて見ると、とてつもなく醜い女だ。
若い娘が笑顔を浮かべれば、誰だって可愛らしいものだが、多佳子の笑った顔に可愛いという表現は当てはまらない。
それどころか、人を不愉快にさせるものがあった。
「じゃあ、僕はもう行くよ」
いつまでも、わけの分からない娘につき合っているほど、こちらも暇ではない。
利蔵は早々に切り上げ、屋敷へ戻った。
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