好きな人が媚薬を飲んで帰ってきた

ちづる

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ふたりのハッピーエンド(※)

#1

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 その日は仕事を終えると、明人はいつもの帰り道とは違うルートを歩いていた。腕の時計を見れば約束の時間まで十分にある。それでも逸る気持ちが足元を急がせる。道脇の街灯が磨かれた靴を照らす。建物のガラスに映る慣れないジャケットを着込んだ自分を見て襟元を正す。
 この日の為に買い付けた服を身に纏い、明人は弾んだ足取りでとある料理店へと向かっていた。鉄板焼きを扱うその料理店は、明人がマンション付近を散歩していた時に発見して以来、入ってみたいと気になっていた店だった。同居人の凪に話せば彼もまた同様のようで、「それなら行ってみる?」と言った凪の言葉で二人は料理店へ食事に行く事にした。明人に言わせればデートである。
 通りにはまだ立ち入った事のないレストランやバーが並び、暖色の照明を灯しながら明人の興味を惹いた。他の店にもいつの日にか凪と、と想像を繰り広げながら、明人は目的地へ到着した。同じくして一台のタクシーが店の前に寄せられて、明人の前で扉が開かれる。車内からは薄手のロングコートに身を包むすらりと華奢な人物が姿を現し、カツリと靴底を鳴らして明人に歩み寄った。鍔広の帽子は目元を隠し、口元はマスクで覆われ顔を見る事が出来ない。
「凪……。お前って本当に隠れられないタイプなんだな……」
「えっ!?」
 幼馴染の明人に言わせれば変装にならない変装だった。表情が見えなくとも、その人物の凛々しい佇まいに振り向かずにはいられないだろう。通行人がちらりとこちらを気にしながら通り過ぎていく。声までは掛けない都心のクールさに感心しつつ、明人は凪の気品のある立ち姿に、ふと彼の母親を思い出した。上品ながら話をすればお茶目でよく笑う彼の母親に、凪はよく似ていた。
「ステーキとハンバーグ、どちらにしようかな」
 格好に似合わない言葉を口にする凪に思わず明人の頬が緩む。一緒に暮らし始めたと言っても、改まって約束をして二人で会うのは初めてだ。入店すると丁寧にウエイターに出迎えられ、予約した席へと案内される。ドレスコードの指定はないはずだが、周りを見ればその実ラフな格好をした客はいない。まともな服を着てきてよかったと明人は心底思いながら、案内された席に着き、メニューに目を通す。
「……上品なお店だね」
 見慣れないワインの名称が並ぶメニューをじっと眺める明人に、凪が小声で囁いた。凪でもそう思うのかと明人はどこかほっとして、二人は口元を伏せながら笑い合った。結局明人も凪も本日のおすすめ品を注文した。
 互いに最近の自分の仕事の話などをしながら、明人は日に日に美しくなる幼馴染を見つめていた。手を込められて造られた人形のような隙のない美しさは変わらず、手入れされた癖のない髪は出会った頃よりも艶っぽく、グラスに触れる唇がいつもより色付いて見えるのは、薄暗い店内に灯る暖色の照明の所為だろうか。同じ部屋で暮らしているというのに、外で会う方が意識してしまうというのもおかしな話だ。
「次の連休、何か予定はある?」
「え? ああ……、合コン……」
 肉汁溢れるハンバーグの旨味が今日の日を最高なものにする。頬が落ちてしまいそうな幸福感に舌鼓を打ちつつ、自らその幸福を打ち破るような事を言う。明人の返答に凪が驚いたように顔を上げる。
「合コン!?」
「いや、先輩に数合わせで入れられて仕方なくだな……」
 慌てて事情を説明する明人だが、数合わせというのは本当だ。明人の意志で行くのではない。
「楽しそうだね。参加した事がないから想像しか出来ないけど」
 事実を伝えればもしかして、凪はヤキモチでも焼いてくれるのではないかと心の隅で期待していた明人だが、予想通りというか当然というか、明人の恋人でもない凪が気にする素振りはない。それ所か、長い睫毛を付けた大きな目を輝かせて興味津々だ。
「彼女作るの?」
「まさか。先輩のヨイショだよ」
「いい出会いがあるかもしれないね。そういえば、これまでそういう話はした事がなかったけど……」
「モテないから話す事がないだけだ。作る気もないし」
 居心地悪そうに明人が言えば、凪は不思議そうに明人を見つめた。
「……今は仕事が忙しいから」
 恋人を作らない理由として言い訳に使ってきた言葉を凪に言う。お前の事しか見ていないから、などとは冗談でも言えず、明人はグラスのワインを飲み干した。「分かるよ」と凪は言った。
 明人はまともな恋愛経験のない、札幌生まれの純朴な青年だった。幼い頃に偶然出会った凪に一目で惚れ、それから凪だけに想いを注いできたのだが、いい加減この叶わぬ恋に終止符を打たねばとも考える。
「恋愛って楽しいのかな」
 ワインを一口含み、凪がどこか自嘲気味に笑った。凪は昔から男女関係なく好かれ、いつも誰かに求められていた。きっと自分とは恋愛に対する経験も感情も何もかもが違うのだろうと思うと、明人は曖昧に笑うだけで、その質問に答える事は出来なかった。

 大通りの人の交通はまだまだ落ち着かない。店を後にした明人は、凪をもう一軒、お酒を楽しめるバーに誘おうと隣を歩く彼を見る。
「明人。この辺に気になっていたバーがあるんだ。もう一軒、どうかな」
「あ、向こうのだろ。俺も言おうと思ってたんだ」
 考えていた事を先に凪に提案され、明人は表情を明るくする。凪も同じく微笑んだのだが、次の瞬間、その表情が一点を見つめて固まった。凪の視線の先を追うと、車道を挟んだ向かいの通りから、黒い服に身を包んだ男がこちらをじっと見つめている事に気が付いた。
「……知り合いか?」
 男を視界の端に捉えたまま、明人は凪の方を向いた。暗くて表情は窺えないが、観察するようにじっとこちらを見据える視線は男の不気味さを伝えるのに十分だった。
 信号の色が赤から青に変わる。明人の目の前の車道では次々に車が通り過ぎていく。通りの向こうの男の姿は、いつの間にか幻だったかのように消えていた。
「こっちを見てた。気分悪いな」
「気付かれたかな? 街を歩くとたまに声を掛けてもらえるんだ」
 気に留めない様子で明るく振舞う凪。しかし姿を消した男の視線が、どこか行き交う人々とは違うものだと、心の中で不気味に影が閊えているのは明人も凪も同じはずだった。
「……うげ」
 ふと鳴り始めた着信音に、明人はがっかりした表情でスマートフォンの画面を見つめた。
「こんな時に鳴らすなっての。こっちは退勤してんだぞ……」
 どうやら職場からの連絡のようで、明人は小声でぶつくさ言いながら沈んだ顔で電話を取った。はい、と少し余所行きで丁寧に話す明人は、ぶっきら棒な面ばかり見ている凪にとって新鮮である。凪は会話を聞いてはいけないと少し距離を取り、遠巻きに明人の事を見守った。
 幼い頃に出会った二人はいつの間にか大人になっていた。凪は少年の頃の少し意地悪な明人を思い出して、それからすっかり広くなった背中を見つめた。背が高く、筋肉があり、ひ弱な自分と違い逞しい体型に成長した明人を、凪は羨ましく思った。頼もしい背中を見つめる凪の視線に熱が籠っている事は、明人が知る由もない。
「……凪」
 通話を終えて凪の方を向いた明人は、何故か怖い顔をしてこちらを睨み付けていた。何か仕事を押し付けられてしまったのかと首を傾げた凪だったが、隣に人の気配を感じてはっと横を向く。先程の黒い服を着た男が、じっと凪の顔を覗いていた。
「誰だ!」
 明人が声を上げる。男は凪が一人だと思って近付いたのか、明人の存在に驚いたように路地の方へと逃げていった。
「逃がすか……!」
「明人! 追わないで!」
 暗い路地の中へ明人は男の姿を追って消えていく。凪は止めようと後ろから追うが、自分の脚が明人に追いつく自信は無い。加えて辺りは暗く視界が悪く、凪は広がる闇を前に怖気付いてしまう。
 明人は男の姿を追うものの、男は道に慣れているのか、煙に巻かれて見失ってしまった。凪の身が心配になって元の場所に戻ると、自分を捜しているであろう凪が目に入ってそちらに歩み寄る。
「駄目だ。見失っちまった」
「どうして追い掛けたりしたんだ! 相手が何者かも分からないのに……」
 頭を掻きながら言う明人に、凪はまるで子供に言い聞かせるようにじっと明人の目を見つめて言った。
「お説教かよ。不審者を見て見ぬ振りしろってのか」
「何もされてないよ。声を掛けようとしただけかもしれない」
「そんな雰囲気の男に見えたか?」
 世間に顔の知れた凪を好奇の目で見るならまだ分かる。人目を惹く凪の幼馴染である明人にとっても、それは慣れた事だ。だが、先程の男の視線はそれには当てはまらない。
「過敏になりすぎだよ。何かあったらすぐ事務所に相談するし……」
「何かあってからじゃ遅いだろ」
 危機意識の薄い凪に、明人は苛ついた様子で低い声が出る。自分は凪の為に行動したというのに、この言われようだ。しかし凪は、一切声色を変えずに続ける。
「何かあってからじゃ遅い。その通りだ。もしも、男がナイフでも持って暗闇で待ち構えていたらどうする気だったんだ」
「……、それは……」
 凪の言葉に明人の語尾が小さくなる。考えなしの行動に反論が出来ない。視線を落とせば凪の握り締めた拳が目に入った。その拳で胸を押さえた凪が、明人の身を案じている事は痛い程に伝わった。
「これ以上明人に迷惑を掛けたくないんだ」
「迷惑……? そういう話じゃねえよ! 凪に何かあったら俺は……」
「え……?」
 過去を思い返せば、人気者の凪に変な虫が寄らないよう、明人は出来るだけ目を光らせていた記憶がある。それは凪に危ない目に遭ってほしくなかったり、自分が傍に居たいからであり、人から好かれる凪に嫉妬をした事はあっても、それを負担に感じた事はない。咄嗟に出た言葉に凪が驚いたように明人の方を向いた。明人はしまったと口を閉ざし、続きを待つようにこちらを見つめる凪から目を逸らした。
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