アビシニアンと狡猾狐

篠原皐月

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第12話 密談

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「と言うわけで、永田町界隈でまことしやかに広がっている噂が幸恵さんの耳に入ってしまって、彼女に激怒された挙げ句、今現在門前払い状態だったりするんだ」
「…………」
 食べ終えて落ち着いてから、来訪の理由を告げる為に和臣が幸恵との問題のやり取りを包み隠さず披露すると、君島は無言で頭を抱え、青山は和臣から視線を逸らして溜め息を吐いた。そして綾乃は盛大に困った兄を叱りつける。

「『するんだ』じゃ無いでしょ、ちぃ兄ちゃん! そんな事が有ったわけ? この間幸恵さんとは話が出来なかったから、全然知らなかったわよ! それは幸恵さんだって怒るわよ! おかげで私まで、幸恵さんから半径十メートル以内に立ち入り禁止令が出てるのよ! どうしてくれるの!?」
「それはともかく、俺はどうしてそんな噂が広がったのか、確認したいんだけど」
「どういう意味だ?」
 妹を無視して尋ねてきた息子に、君島は怪訝な顔をした。それに小さく肩を竦めてから、和臣が詳細について説明する。

「虚実入り乱れてるから、信憑性が増して余計に広まったと思うんだ。当時荒川家と疎遠になってたのは、うちと少しでも付き合いのある人は知ってたし。……冷静な第三者の目から見て、そこら辺どう思う? よっちゃん」
 にこりと笑って兄の親友でもある青山に話の矛先を向けると、相手は渋面になりながらも律儀に答えた。

「だから、よっちゃんと言うなと言ってるだろ……。つまり、お前はこう言いたいわけか? 荒川嬢を必要以上に悪者に仕立て上げて、噂を流した人物が存在すると?」
 和臣の言いたい事を推察してみせた青山に、綾乃は驚いた顔を向けた。
「え? 誰が、どうしてそんな事をするわけ!?」
 それに青山は苦笑いしつつ、砕けた口調で解説してみせた。

「当時、先生は立ち上げたばかりの新党を、選挙で大勝させて大躍進させただろ? 幹事長として采配を振るって、その豪腕ぶりに心酔する人も多かったが、必要以上に恐れて萎縮したり、党内外から反感を買う事も大きかった筈なんだ」
「あの……、それと幸恵さんとの噂に、どういう繋がりが……」
 益々訳が分からないと言う様な表情になった綾乃に、青山は噛んで含める様に説明を続ける。

「つまり、あの君島議員が墨汁まみれにされた挙げ句、女の子に投げ飛ばされたと事を聞くだけで、いい気味だと陰で笑い物にして鬱憤晴らしをした連中も居ただろうし、そんな扱いを受けても子供には手を出さなかったのは、流石に道徳心と義侠心のある人物だと、強面のイメージを和らげるのに一役買ったんじゃないかと思うんだ」
 ここまで聞いて、流石に綾乃は顔色を変えた。

「ちょっと待って下さい、青山さん。まさかお父さんのイメージ戦略の為に、わざと幸恵さんが酷い事をした様に周囲にふれ回ったなんて事は……」
「当時の私設第一秘書の蓼原さんに聞けば、はっきりするかな? その場に居合わせた数少ない人物だし」
 しれっと綾乃にそんな事を言ってから、青山は君島に向き直り、すこぶる真面目な表情で告げた。

「少し前に引退した、当時の公設第一秘書の市川さんと組んで、水面下で色々されていたのではと、俺は推察しているんですが」
「市川、蓼原……。あいつら、俺の知らない所で余計な事を……」
 予想もしていなかった事を告げられた君島は憤怒の形相で呻き、それを見た他の三人は、揃って同じ事を考えた。

(市川さんは引退していて助かったな。蓼原さん、ご愁傷様です)
 そして微妙に空気が重くなった所で、和臣が話を元に戻した。

「それで部下の監督責任って事で、今回幸恵さんに詫びを入れるのに、親父に付き合って貰いたいんだ」
「噂が変に広まったのが秘書のせいなら、私が頭を下げるのは道理だな。分かった。スケジュールは何とか調整するから、後から連絡をよこせ」
「助かるよ」
 ここで和臣はホッとした様な顔を見せたが、綾乃は怒りが収まらなかったらしく文句を言った。

「全くもう、何を考えてたのよ市川さんも蓼原さんも。お母さんに知られたら、激怒されるだけじゃ済まないわよ?」
「綾乃、これは夢乃には内緒だ」
「分かってるよな?」
「お願いします」
「……分かりました」
 すかさず男三人から念押しされ、綾乃は不承不承頷いた。そこで和臣が父親に意味ありげな視線を送る。

(さてと……、ここからはあまり綾乃には聞かせたくないんだが……)
 そして息子からの視線の意味を即座に読み取った君島は、さり気なく綾乃を遠ざける為の措置を取った。

「綾乃、茶を貰えるか?」
「あ、俺も。俺は珈琲ね」
 図々しく付け加えてきた兄を、立ち上がった綾乃が怒りの表情で見下ろす。

「うもぅ~っ! 何勝手な事言ってるのよ! 飲むならちぃ兄ちゃんは出がらしよ!」
「綾乃……」
「……ちょっと待っててよ?」
 些か哀れっぽく訴えてきた和臣に、なんだかんだ言っても頑としてはねつけられない綾乃は、諦めて待つように告げて台所に消えて行った。すると即座に男達の密談が始まる。

「どうした?」
「最近、公私どちらかで揉めてる事は?」
「大きな物は無い」
「いつも通りってとこだ」
 互いに無駄な言葉を省いた会話をしてから、和臣は理由を説明した。

「最近、偶に変な気配に遭遇するもので。親父の弱味を掴みたい、セコい連中がまた纏わりついたかと」
 それを聞いた君島は、軽く眉を寄せた。

「取り敢えず直接の心当たりは無いがな。お前自身は?」
「親父の傷にならないよう、常に身辺は綺麗にしてるつもりだけどね。……それで、この前幸恵さんに会いに行った時も、何となく視線を感じた様な気がして」
「それを早く言え」
「そんなにヤバそうなのか?」
 瞬時に顔付きを険しくした父親とその秘書を宥めつつ、和臣は話を続けた。

「いや、俺の気のせいかもしれない。タクシーを使ったら、追って来る気配は無かったし」
「微妙だな……。変に彼女に目を付けてたら厄介だが、確証が無いときてるし。綾乃ちゃんには今でも軽く、護衛兼監視は付けているが……」
 難しい顔で考え始めた青山に、和臣は多少申し訳ない気持ちになりながら弁解がましく続けた。

「ああ。だからそれでわざわざ人を動かすのも躊躇われて。でも気になるから念の為、ちょっと用意して欲しい物が有るんだ。俺はそっちの方面には詳しく無いから」
「何だ? 言ってみろ。お前は家族で一番勘働きが良いからな。大至急手配してやる」
 即座に応じてくれた父親に感謝しつつ、和臣は遠慮無くその品物の手配を依頼した。


 久々に兄からの電話を受けた時、幸恵の機嫌はそんなに悪くは無かったが、相手の話を聞いているうちに段々渋い表情になり、一通り聞き終えてから仏頂面で言い返した。
「あのね……、どうして私が、君島さんにお食事をご馳走されなきゃならないのよ?」
 苛立たしげに疑問を呈した妹に、正敏は辛抱強く言い聞かせる。

「だ~か~ら、今、言っただろうが。お前が暴れた当時の秘書さんが白状して、殊更お前を悪者扱いする様な噂を流していたのが分かったから、改めてお詫びがしたいと言ってきたって」
「今更もう良いわよ。気にしてないから構わないで下さいって言っておいて」
 素っ気なく言って話を終わらせようとした幸恵だったが、正敏は困った様に言葉を継いだ。

「そうは言ってもな~、俺、もうOKって先方に言っちまったんだよな~」
 その台詞に、幸恵はいとも簡単に切れた。

「はぁ!? 当事者の意見丸無視で、何勝手に返事してるのよ! 嫌よ。絶対に行きませんからね! 兄さんだけで行けば良いでしょう!? そうしてよね、それじゃあ」
「ちょっと待て! それがそうもいかないんだよ。香織が凄く楽しみにしててさ」
「え? どうしてそこ義姉さんの名前が出てくるわけ?」
 通話を終わらせようとした幸恵を、正敏が慌てて押し止めるに言ってきたが、それを耳にした幸恵は困惑して問い掛けた。すると正敏が淡々と理由を説明し始める。

「お前に話すのをすっかり忘れていたが、実は先週香織が妊娠してるのが分かってな」
「ちょっと! そう言う事は、まず真っ先に言いなさいよ、ボケ兄貴!」
 軽く驚いて幸恵が叱りつけると、電話の向こうからも不機嫌そうな声が返ってきた。

「五月蝿い、電話口で怒鳴るな。それでだ。これから暫く遠出するのも難しくなるだろ?」
「まあ、それはそうよね。それで?」
 素直に同意した幸恵に、正敏は順序立てて話を続けた。

「それに加えて、もう十二月に入ったし、年末年始に向けて店の方も色々忙しい。当初君島さんから招待を受けたのは親父とお袋とお前なんだが、『店も忙しいし自分達の代わりにお前と香織さんが行ってこい』と親父に言われてな。お袋からは『香織さんもこれから色々大変だから、久し振りに二人でのんびりしてきなさい』と言われて、その日都心に早めに出て、会食前に二人でデートする事にしたんだ」
「あら良いじゃない。デートしたついでに、お食事をご馳走して貰えば」
 サラッと言ってのけた幸恵だったが、途端に正敏から怒声が返ってきた。

「本命のお前抜きで、ご馳走になるわけにいかないだろうが! かと言って、普段から色々気を遣ってる香織の事だから、会食自体が無くなったら『お店も人手が足りなくて困るかもしれないし、やっぱり出るのは止しましょう』とか言い出しかねないだろ!?」
「……うん、確かにね。香織さん、働き者だし」
 控え目に兄の主張に同意した幸恵に、正敏は駄目押ししてくる。

「だからそれを見越して、親父もお袋も話を俺達に振ったんだよ。普段頑張ってる嫁に、偶には楽しく過ごさせてやりたいって。俺に言わせれば、はっきり言ってお前の評判なんかどうだって構わん。単なる口実だ口実。大人しく俺達の横で座ってろ」
 横柄に言い放った正敏に、幸恵の顔が僅かに引き攣った。

「言いたい放題言ってくれるじゃない」
「本心だからな。さあ、これでもお前は出ないと言うつもりか? 家を出て好き勝手してるお前が、兄嫁を思いやる事ができる数少ない機会だぞ? これを無碍に断るなら、お前は女以前に人間じゃねぇ」
 そこまで言われて腹は立ったものの、幸恵はこれ以上自分の感情を優先する気にはなれなかった。

「分かったわよ。出れば良いんでしょう? 出れば」
 渋々応じた途端、上機嫌な正敏の声が返ってくる。
「そうかそうか。優しい心遣いのできる妹を持って嬉しいぞ。それじゃあ今週の土曜日の十八時からだ。予定を空けておけよ? それじゃあな!」
 そして唐突に話が終わり、幸恵は溜め息を吐いて受話器を戻した。

「全く……、人の都合なんか聞いた試しが無いんだから」
 そしてクッションに座りながら、ちょっと照れ臭そうに笑う。
「だけど、そうか……。いよいよ叔母さんになっちゃうのか……」
 そうして少しニヤニヤしていた幸恵だったが、何を思ったか壁に掛けられたカレンダーを凝視してからテーブル上の携帯を引き寄せ、何かを検索し始めた。
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