裏腹なリアリスト

篠原皐月

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21.破綻の序章

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「佐久間さん、お世話になりました。事務所運営、頑張って下さい」
「おう、小早川。お前は覚えは良いし、万事そつが無いし、あまり世話した覚えも無いがな。ほら、お前も飲め」
「頂きます」
 自身が所属している榊総合弁護士事務所から、この度独立する事になった佐久間の送別会で、淳はかつて世話になった先輩にビール瓶とグラスを手に酌をしに行ったが、二人で機嫌良く飲んで喋っている所に森口がやって来て、控え目に声をかけた。

「佐久間さん、その辺で。こいつ明日は、朝から一仕事控えてるんで」
 それを聞いた佐久間が、不思議そうな顔付きになる。
「あ? 事務所の各人のスケジュール板では、こいつは明日の午前中、有休取って無かったか?」
「それが……、恋人の父親に会いに行く為に、有休を入れたんですよ。それなのに酒臭い姿で、出向くわけに行きませんから」
 この間、色々相談を受けて事情を把握していた森口が小声で囁くと、何となく大っぴらに言えない空気を察した佐久間が、声を潜めて淳を軽く睨んだ。

「何だ、そうだったのか? そういう事なら早く言わないか。何を遠慮してるんだ、この馬鹿が」
「すみません。まだ大丈夫なので、もう少ししたら遠慮させて貰おうかとは思っていたのですが……」
「甘い。お前は変な所で詰めが甘いからな。それで今回の騒ぎになってるんだろうが。自覚しろ」
 苦笑いした淳を、今度は森口が軽く睨むと、流石に佐久間が怪訝な顔になる。

「うん? 騒ぎって何だ? まさか恋人の父親に会いに行くって、別れ話で揉めてるわけじゃ無いよな?」
「いえ、どちらかと言うと、正式な結婚の申し入れと、説得をお願いしようかと思いまして」
「それはめでたい話だが……、父親が『誰』を『どうして』説得するんだ?」
「…………」
 今一つ要領を得ない顔付きで佐久間が首を捻ったが、淳と森口は困った様に顔を見合わせる。それだけで年長者の佐久間は、あまり触れてはいけない内容らしいと察し、明るく笑って淳の肩を叩いた。

「まあいい。頑張れ、小早川。面倒な案件程、最後まで闘志を燃やしてきっちり捌いてきたお前だったら、何とかなるだろう。何かの折りにでも、朗報を聞かせてくれ」
「上手く纏まったら、披露宴の招待状を送ります」
「おう、楽しみにしている」
 そして他の者が寄って来たのと入れ違いに淳と森口はその場を離れ、座敷の隅でこそこそと会話を交わした。

「おい、本当に、今日はほどほどにしておけよ?」
「はい、勿論です。藤宮氏の所に出向いた後は、そのまま高裁に行く予定ですし。事務所に顔を出さない分、朝は余裕はありますが」
「そうだな」
 互いに真剣な顔でそんな事を言ってから、森口は腹部を軽く手で押さえながら訴えた。

「何か不安だ。俺は最近、胃の調子が悪くなってきたぞ」
「これ以上先輩の胃を荒らさない様に、藤宮氏とは上手く話し合ってきます」
「マジでそうしてくれ。周りに詳細を言えない分、余計にストレスが溜まってしょうがない」
「余計な心労をおかけして、本当に申し訳ありません」
 淳は森口に心底申し訳無く思いながら、羽目を外さない程度に飲んで帰宅したのだが、滞り無く翌日の服装や持ち物を揃えたりしているうちに、自身の携帯の着信履歴のチェックをすっかり怠って、眠りに就いてしまった。
 そして淳は全く知らなかった事ながら、送別会に参加している時間帯に、藤宮家の固定電話に一本の電話がかかってきた。

(あら? この番号は見覚えが無いけど、どこからかかってきたのかしら?)
 居間で鳴り響いた電話に歩み寄った美子は、ディスプレイに浮かび上がった番号を確認し、幾分警戒しながら受話器を取り上げた。

「はい、どちら様でしょうか?」
 取り敢えず名乗らずに、慎重に応じてみると、電話越しに女性の声が伝わってくる。
「夜分恐れ入ります。小早川と申しますが、ご主人はご在宅でしょうか?」
 そう言われた途端、美子の顔がピクッと引き攣った。しかし先程と変わらない落ち着いた口調で、さり気なく問い返す。

「……失礼ですが、どちらの小早川でしょうか?」
「小早川淳の母です。淳がそちらのお嬢様とお付き合いしているそうで、このたび」
「申し訳ありませんが、その様な小早川様に思い当たる節はございません。どちらかとお間違えでは無いでしょうか?」
「え? でも、あの」
「お手元の番号を良くお確かめの上、かけ直される事をお勧めします。それでは失礼します」
 淡々と相手の台詞を遮り、戸惑った声を無視して美子は静かに受話器を戻した。そして即行で今かかってきた番号を着信拒否にする操作を済ませてから、苛立たしげに呟く。

「全く。どうしていきなり、親が電話をかけてくるわけ? 不愉快にも程があるわ。あの男が親に頭を下げてくれと、泣きついたのかしら? 見かけによらず根性無しね」
 そのままブツブツと淳に対する悪態を吐いていると、夕食の後部屋に戻り、私服に着替えてきた秀明が、居間に顔を出した。

「美子、さっきの電話はどこからだったんだ?」
 どこかで子機が鳴っているのを聞いたのか、秀明が尋ねてきたが、美子はあっさり答えた。

「単なる間違い電話よ。まだ深夜では無いけど、いい迷惑ね」
「そうか」
「それより、今日も寝るまでに少し仕事をするんでしょう? 珈琲でも淹れましょうか」
「そうだな。頼む」
 そこで簡単に引き下がってしまった事を、秀明は後々悔やむ事になった。

 そんな事があった翌日。
 淳の心境とは裏腹に東京の空は晴れ渡っていたが、その天気に感謝するでもなく、腹立たしさと困惑を隠そうともせず、淳の両親は東京駅に降り立った。

「全く! 淳は全然掴まらないし、留守電にメッセージを入れたのに音沙汰も無し。出向く前に、一応先方に連絡したいと思ったのに、違う電話番号を教えてくるとは何事よ!」
「淳も色々忙しいんだろう。暇を持て余しているより良いじゃないか」
「それはそうでしょうけど」
 憤然としながら改札に向かって歩き始めた良子と並んで歩きながら、潔は迷う素振りを見せつつ、控え目に妻の翻意を促してみた。

「それより、良子。やはり、いきなり先方の家に出向くのは拙いんじゃないのか?」
 しかしそれに、語気強く言い返される。

「ここまで来て、何を言ってるのよ! 電話をかけても繋がらないし、仕方が無いでしょう? 相手は実家暮らしの執筆業で、お姉さんは専業主婦だって聞いているから、いきなり出向いても誰かは居るわよ」
「そうは言ってもだな」
「万が一、留守だったとしても、私達がわざわざ東京まで出向いて、誠意を見せたって事実が重要なのよ。留守ならポストにこの手紙を入れて帰れば証拠になるし、十分お詫びになるでしょうが」
「ああ、うん。まあ、確かにな……」
 予め準備しておいた封書をハンドバッグから軽く取り出しつつ良子が訴えた為、潔はそれ以上言えずに黙り込んだ。すると良子は溜め息を吐いて、呆れ気味に愚痴を零す。

「本当に……、何をどんな風に揉めたのかは知らないけど、三十過ぎの子供の尻拭いをする羽目になるなんて、これきりにしたいわね」
「確かに淳らしく無いがな」
「今日だったらオフシーズンの平日で、宿泊客も少ないし、日帰りすれば殆ど影響は無いしね。久々に東京まで出て来たんだから、まず美味しいものを食べて先方にご挨拶してから、銀座で買い物をして帰りましょう。さあ、行くわよ!」
「だがなぁ、やはり連絡は入れておいた方が……。淳とも一応、事前に話しておきたいし」
「さあ、鰻にしようかしら? お寿司でも良いわね」
 そして未だに迷う素振りを見せている夫を引き連れ、第三者が耳にしたら一体どちらがついでなのかと困惑する様な台詞を口にしながら、良子は意気揚々と足を進めた。
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