ハリネズミのジレンマ

篠原 皐月

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第12話 深まる謎

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「さあ、遠慮しないで入って」
 自宅マンションのドアを開けながら貴子が口にした台詞に、両手で段ボール箱を抱えた隆也は、心底呆れた目を向けた。

「人に荷物を持たせておいて、遠慮するなも何もないだろうが」
「そう言わないで。助かったわ。車は持ってないからそれを抱えて電車に乗るのは骨が折れるし、荷物を折りたたんだりできないから、コンパクトに纏められなくて」
 悪びれずに貴子が言った所で、隆也はふと覚えた疑問を口にしてみた。

「それは分かるが……、それなら行きはどうしたんだ?」
「都合がついた友達の一人に、送って貰ったのよ」
「……当然、男だろうな」
 思わず溜め息を吐いた隆也に苦笑いしてから、貴子は思い出した様にシューズボックスの中からある物を取り出しつつ、隆也に声をかけた。

「ちょっとお願いがあるんだけど。私が良いと言うまで、黙って付いてきてね?」
「いきなり何を言い出す」
「取り敢えず、ちょっと黙ってて」
 真顔で指示された隆也は大いに不満そうな顔をしながらも、箱を抱えたまま靴を脱いで上がり込み、黙って貴子の後に続いた。その貴子はアンテナらしき物が伸びている、携帯用ラジオ程度の大きさの物を室内のあちこちに向けながら進み、リビングに入ってからも同様の行為を繰り返す。
 そして壁際を一回りしてから手の中の機器の電源を切ったらしい貴子は、笑顔でソファーを指し示した。

「じゃあ下拵えは済ませてあるから、お茶を飲みながらちょっと待ってて。珈琲? 煎茶? 紅茶?」
「玉露」
「承りました」
 端的に告げた隆也から恭しく箱を受け取った貴子は、そのままキッチンへ向かった。そして隆也は先ほどチラリと眺めた、やけに設備の整ったキッチンに感心しながら、貴子の行動の意味を察して呆れる。

(どう見ても、さっきのは盗聴器の探知機。一体何をやっているんだ。料理研究家を名乗るなら、黙って料理だけしていろ)
 ますます人物像が分からなくなってきた隆也が、ソファーに座って考え込み始めると、お茶を淹れた貴子が目の前のテーブルに茶托に乗せた湯飲み茶碗を持って来た。そして「どうぞ」と一言勧めて再びキッチンに戻る背中を眺めてから、ゆっくりと茶碗の中身を口に含んでみる。

(良い茶葉を使っているじゃないか……、侮れないな。職業柄か?)
 密かに感心した隆也だったが、ここで茶を飲みながら落ち着いて室内を見回してみた結果、妙な違和感を覚えた。

(しかし、何と言うか……、必要最低限の家具は揃っているが、独り暮らしの女の部屋にしてはシンプル過ぎないか? なんと言うか……、自分の趣味で飾り立てる様な物が無い? 観葉植物や熱帯魚とかは好き嫌いがあるだろうが、家族写真の一枚でも置いていてもおかしくないと思うが)
 そんな事を考えながら茶を飲み終えた隆也は、立ち上がって壁際の本棚に歩み寄った。

(この本棚の中身もな。何なんだ、レシピ本かと思いきや、法令集や医学書や心理学関係とは。何か色々、精神的に歪んでいないか?)
 いっそ魚ではなくあいつを捌いてみたい、などと半ば本気で考えながらカオスな本棚から一冊を取り出してソファーで読み始めると、一時間もしないうちにダイニングテーブルに着々と料理が揃えられた。
 呼びかけられてテーブルに向かうと、そこに用意されたしじみの炊き込みご飯、豚汁、ミートローフ、さわらの香草蒸し、海老と野菜のかき揚げ、オクラと山芋の梅肉和えに感心し、促されるまま席に着いた。そして律儀に手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始めた貴子に、また別な印象を抱く。

(まあそれなりに、料理は美味いだろうと思ってはいたが……)
「……意外だな」
「何が?」
 無意識に呟いた言葉に貴子が反応した為、隆也は苦笑いしながら説明した。

「きちんと挨拶してから、食べる所がだ。箸の使い方もちゃんとしているし」
「そう? 自分ではあまり意識してないけど」
「子供の頃、よほど厳しく躾られたらしいな。親に感謝しろよ? 料理も教えて貰ったんだろうし」
 隆也としては軽口を叩いたつもりだったのだが、貴子は手の動きを止めて顔を顰めた。

「言っておくけど……、親に躾られた覚えなんて、微塵も無いわ」
「え?」
「私の所作が問題ない様に見えているなら、それは茶道と華道と日舞の先生のおかげよ。それに、あの手タレ崩れが、料理はおろか掃除や洗濯家事一般をする筈無いわ」
 貴子が吐き捨てる様に口にした内容に、隆也は本気で首を捻った。

「何だ、その『手タレ』って」
「広告やCMに、手だけ出すパーツモデルの事よ。常に片時も手袋を手放さない、白魚の様な手だけが自慢のババァからは、虚栄心が見苦しいって事だけは教わったわね。食事が不味くなる話題を、振らないで貰えるかしら?」
「……悪かった」
(何なんだ? リビングに家族写真の一枚も無いのは、納得したが)
 嫌悪感を露わにしたその物言いに、隆也は素直に謝罪してから、場を取り繕う為に話題を変えた。

「親とはともかく、兄弟仲は良いらしいな。弟の彼女をこっそり見に行く位だし」
「……まあね」
 その微妙な表情と声音に、隆也は(そう言えば初めて会った時に、色々事情があって弟とは名字が違うとか言ってたか。ひょっとしてこれもNGワードっぽいか?)と推察したものの、そのまま押し切ってみる事にした。

「その後、どうなんだ? あの二人。まさか綾乃ちゃんに変な事をしてないだろうな」
 意識的に茶化す様に言ってみると、貴子は思わずと言った感じに表情を緩める。

「変な事って、どんな事なのか聞いてみたいけど、彼女の背後には随分と恐い父親とお兄さんが居るみたいですからね。……寧ろ変な事ができたなら、姉として誉めてあげるわ」
「何だそれは」
 そこで二人揃って笑い出し、再び空気が和んだ所で、隆也はふと思い出した事を尋ねてみた。
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