藤宮美樹最凶伝説

篠原 皐月

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美樹三歳、爆走人生の始まり

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 美子は密かに社長に就任している、桜査警公社の半月毎の訪問を、美樹が幼稚園入園後はなるべく土日や休園日に行う事にしていた。それは加積邸に美樹を連れて行く事に関して、秀明が未だに良い顔をしていない為に、美樹と会うのを楽しみにしている加積達への配慮として、公社に美樹を同伴していく為だった。

「美子さん、お腹が随分大きくなったわね」
「ご苦労様。そろそろ書類は自宅の方に、随時運ばせる方が良いかな?」
 第二子を妊娠中で、既に後期に入っている美子を気遣って声をかけてきた加積達に、美子は恐縮気味に頭を下げた。

「そうですね。そろそろそうしていただけると、ありがたいです。公社の方には、お手数おかけしますが」
「遠慮する事は無い。美樹ちゃんが生まれる時にもそうしたからな」
「そうよ。無理をしないでね」
「ありがとうございます」
 何故かこの間、いつもなら顔を合わせるなり元気に挨拶してくる美樹は、美子の隣で黙りこくっており、その異常さに加積達は気が付いていたものの、美子がそれに触れない為、話題には出さなかった。

「じゃあ今日も、美樹ちゃんは私達が見ているわね」
「宜しくお願いします」
 しかし美子から美樹を引き取って場所を移動した直後に、加積が美樹に尋ねた。

「どうした、美樹ちゃん。今日は随分、ご機嫌斜めだな」
「よしのちゃん、けっこんしたの」
「ほう? 祝い事なら普通はめでたいが」
 ブスッとしながら答えた美樹に、加積は意外そうな顔になり、桜も早速突っ込みを入れた。

「『よしのちゃん』って誰の事かしら?」
「よしえちゃん、よしみちゃん、よしのちゃん、よしゆきちゃん」
「ああ、なるほど。美実さんのすぐ下の妹さんの事だな。五人姉妹の筈だし」
「可愛がってくれた叔母さんが結婚しちゃって、寂しいのね?」
 美樹が上から順に叔母達の名前を口にした為、加積達は納得したが、美樹は逆に猛烈に怒り出した。

「ちがうの! あいつ、やなやつ! ぜったいわるいひとだよ!? よしのちゃん、だまされてる!」
 その癇癪ぶりに夫婦揃って呆気に取られ、しかし疑問に思いながら美樹に尋ねた。
「あらまあ……」
「美樹ちゃんがそこまで断言する位だから、表を取り繕ってもそれなりに裏がある男だとは思うが……。あの男と美子さんが、そうそう丸め込まれるとは思えんが?」
「パパとおじーちゃん、いまかいしゃたいへん。ママはあかちゃんおなかにいて、ぐあいよくないし」
 少々気落ちした風情で美樹が訴えた内容を聞いて、加積達は顔を見合わせて頷く。

「そう言えば、そうだったわねぇ……」
「旭日食品が直接関わっていたわけではないが、子会社の食品偽装事件が大々的に報道されているからな。あの男は確か取締役の肩書き付きの資材統括本部長だった筈だし、社長の婿の立場としても、内部外部への対応で、未だにきりきり舞いをしているか」
「それに加えて、最近、公社にちょっかいを出してきた馬鹿がいたものね。殆どの対応は金田達がしたにしても、細かい指示はあの男が出していたと思うし」
「義妹の結婚相手にまで、構っている暇は無かったか。タイミングが悪かったな」
「でも他のご家族は、反対しなかったの?」
 納得しかねる顔付きで桜が尋ねると、美樹が渋面になって説明した。

「よしゆきちゃん『なんかうさんくさい。しゅみわるい。やめたほうがいい』っていったら、よしのちゃんおこってけんかして、いえでちゃって、つぎのひ、こんいんとどけ、だしちゃった」
 それを聞いた加積は、彼らしくなく遠い目をしてしまった。

「そうか……。随分思い切りが良いな。さすが美子さんの妹さんだ」
「あなた。しみじみ感心している場合じゃないわ。変な男が美樹ちゃんの親族になったかもしれないのよ?」
「それもそうだな」
 桜が夫を窘めたが、その前で美樹が憤然として叫んだ。

「うもーっ! ほんとうに、よしゆきちゃんったら! あんなふうにいったら、ぜったいよしのちゃん、おこっちゃうよ! よしえちゃんとよしみちゃん、いそがしくて、うちきてくれないし!」
 そして足を踏み鳴らしながら涙目で訴えた美樹に向かって、加積が穏やかに声をかけた。

「美樹ちゃん。その男が、そんなに気に入らないのか?」
「だいっきらい!!」
 その即答っぷりに、加積の表情が苦笑いになる。
「それは単なる、美樹ちゃんの好き嫌いではないのかな?」
「きらいだけど、もっともっとわるいやつ! よしのちゃんわからなくても、よしき、わかるもん!」
「そうか。それならそんな男は、美樹ちゃんの周りから排除しないといけないなぁ……」
 力一杯主張した美樹を見て、加積は穏やかな笑みを消し去り、徐々に凄みを増した表情になる。しかし美樹はそんな彼を、恐れ気も無く見上げて尋ねた。

「かづみさん、どうすればいい?」
「そうだなぁ……。美樹ちゃん、少し自分で考えてごらん?」
「じぶんで? ……うん、わかった」
 素直に頷いた美樹は、腕を組んで一生懸命考え込む。
「うーんと、うーんとね……………。えぇーっと……。うん、わかった! しらべて、しょうこおさえて、わるいひとって、みんなにおしえる!」
 それほど考え込まず、笑顔で元気良く解決策を口にした美樹を、桜は誉めた。

「良くできました。やっぱり美樹ちゃんは、頭が良いわ」
「そうときまれば、ぜんはいそげー!」
「美樹ちゃん、どこに行くの?」
 一声叫ぶなり元気良く部屋を飛び出して行った美樹を、桜は慌てて追いかけようとしたが、そんな彼女を宥めながら、加積がゆっくり立ち上がる。

「慌てるな。美樹ちゃん位頭が良いなら、次に行く所は決まっている。幸いここには、その筋のプロが揃っているしな」
「ああ、そうね。やっぱり美樹ちゃんは頭が良いわ。まだ三歳だなんて、とても思えないわね」
 それを聞いて苦笑した桜が、加積と一緒にそのフロアのエレベーターホールに出向くと、予想通りエレベーターを待っている美樹を見つけて笑みを深くした。

「かずまー! おしごとあげるー!」
 信用調査部門が入っているフロアに加積達に付き添われて入って来るなり、一直線に和真に向かって駆け出した美樹を見やって、室内にいた全員が何事かと戦慄した。何故なら彼女が二歳児の時、一方的に下僕認定されて以来、これまで顔を合わせる機会はそうそうなかったものの、彼女に遭遇した途端、和真は散々理不尽な振り回され方をしていたせいである。その為彼は、あからさまに嫌そうな顔で彼女を出迎えた。

「いきなり何なんですか、美樹さん。現に私は仕事中なんですが」
「わるいやつ、だいしきゅうしらべて!」
 和真の机までやって来て、自分の要求のみ口にした美樹を見下ろした和真は、思わず溜め息を吐いた。

「……人の話を全然聞いていませんね。因みに『悪い奴』とは、一体誰の事ですか?」
「よしのちゃんとけっこんした、わるいやつ!」
「『よしのちゃん』って誰ですか……」
「美子さんの妹さんの一人だ」
 微妙に話が通じない相手にうんざりしていると、美樹に追い付いた加積が苦笑しながら解説を加えた。それを聞いた和真が、皮肉げに顔を歪める。

「それはそれは……。会長と社長の目が、よほど節穴だったらしいですね」
「パパとママ、いまいそがしくてたいへんなの! だから、よしきがてんちゅーするの!」
 両親を責められたと思った美樹が、ムキになって反論すると、和真はそれ以上茶化すような事は言わずに話を進めた。

「はいはい、事情はなんとなく分かりました。そうなると、調査の依頼者は美樹さんになるんですね?」
「うん。パパとママにはないしょだよ? しんぱいかけちゃ、ダメ」
「調査するのは構いませんが、そうなると調査費用はどうやって支払うおつもりですか?」
「ちょうさひよう?」
 キョトンとした顔になった美樹に、和真は真顔で話を続けた。

「ええ。美樹さんがお小遣いを貰っているかどうか知りませんが、貰っていてもそれで払えるとは思えませんが。ここはなかなか高いですよ?」
 そう言って少々馬鹿にするように笑ってみせた和真に、加積達が呆れ気味に声をかける。

「まあ、和真ったら相変わらず性格の悪いこと」
「ここは美樹ちゃんの可愛さに免じて、自分が肩代わりします位の事は言えないのか?」
「ビジネスはビジネスですから」
 加積達の意見を一蹴した和真だったが、大人達のやり取りを黙って聞いていた美樹は、ここで得意満面で胸を張った。

「だいじょーぶ。よしき、ちゃんとはらうよ? いらいにんとのしんらいかんけい、だいじだもんね」
「おや? それならどうやって支払いをするつもりなのか、聞いても宜しいですか?」
「うん、まかせて! よしき、からだではらう!」
 その宣言が室内に響き渡った瞬間、あちこちで複数の物が落ちる音が聞こえた。そして和真が間抜けな顔で聞き返す。

「はぁ? 今、何と言いましたか?」
「よしきのからだ、じゅようあるよね?」
「……ありませんよ、そんな物」
 変わらずにこにこしながら主張してきた美樹に、和真は深い溜め息を吐いた。するとすかさず、加積達がからかってくる。

「本当か? 和真」
「実はロリコンとか言っても、私達驚かないわよ?」
「うるせぇぞ、ババァ」
「まあ、怖い」
 殺気まじりの視線を向けてきた和真に、桜がころころと笑いながら応じると、美樹が少々残念そうに言い出した。

「そうか……。かずま、ようじょがこのみじゃなかったか……。じゃあ、しゅっせばらいで!」
 そんな事を明るく宣言した美樹に、もうこれ以上の議論が無駄だと悟った和真は、諦めながら話を続けた。

「……大きくなるまで待ってろって事ですか? 随分、時間がかかりそうですね。因みに世間では借金をしたら、もれなく利息と言う物が付く事を知ってますか?」
「りそくのかわり、さーびすしてあげる。おたのしみにねっ!」
「意味……、本当に分かって言ってますか?」
「うん。ふつう、ごしゅじんさまは、げぼくにさーびすしないよ? ちょー、れあだよ?」
 真顔で美樹がそう言い聞かせた瞬間、これまでなんとか笑いを堪えていた桜達が盛大に噴き出した。

「ぶ、ぶはははっ!」
「も、もう駄目っ!」
 口とお腹を抱えてしゃがみ込み、くぐもった笑いを零している二人を見やった和真は、疲労感満載の表情になりながら、この場から三人を追い出しにかかった。

「分かりました。それでは詳細を調べて、お知らせします。調査費用は私が立て替えておきますから、ご心配無く」
「うん、よろしく! かづみさん、さくらさん、おまたせ! あそぼう!」
「はいはい、行きましょうね」
「じゃあ和真、頼んだぞ」
 そして満足そうに三人が立ち去ってから、和真の上司である吉川が、少し離れた机から声をかけてきた。

「小野塚、どうする気だ?」
 しかし和真は、その問いに平然と答える。
「どうするもこうするも……。あの色々あなどれない美樹さんが、心底嫌いで怪しいと思っている男なんて、叩けば埃が出るに決まっています。それを美樹さん経由で社長が耳に入れたら、こちらに詳細な調査を依頼してくるでしょうし、どのみち調査費用を取り損ねる心配はありません」
「それはそうだな」
 吉川がすぐに納得した為、和真は早速部下達の実働状況を確認しながら、考えを巡らせ始めた。

「早速、手空きの班に割り振ります。さて、どこにするか……」
 そして美樹が己の勘に従って暴走した結果、予想外の結果と騒動を招く事になった。
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