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二人の商人

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「できた! 防水マッチ!」

 防水マッチ。
 それは、少女が行き倒れた老人から貰った本に作り方が載っていた品の一つで、幸運なことに少女が目を通した数ページのなかにそれは書かれていました。
 
 偶然にも書かれていたことを思いだした少女はわらにもすがる思いで防水マッチの作成を決心します。
 幸い、必要な材料は教会にありました。

 神父からロウソクを分けてもらった少女は、ロウソクとマッチで『防水マッチ』を作成したのです。
 
 少女が教会の前で売り出した防水マッチは、少女の巧みな話術と実演販売の効果もあって、飛ぶように売れました。
 バスケットのなかの防水マッチは瞬く間に減っていきます。

 大勢の野次馬を前に実演販売を続ける少女に一人の男が声をかけました。

「お嬢ちゃん、そのマッチの作り方を教えてくれたら全部買うよ」

(掛かった! だが、本命はお前じゃない。)

 少女がロックオンしたのは人込みに紛れた小太りの若旦那でした。
 少女の知る限り誰よりも世間体を気にし、且つ、とても敬虔な信徒です。少女の捜すビジネスパートナーとして、欠かせない条件を満たしていました。

「おじさんは商人なの?」

「ああ、そうだ。商人だよ」

「作り方を教えたら、これを全部買ってくれるの?」

「そうだとも」

「いくらで?」

「大丈夫だよ。心配しなくてもちゃんと代金ははらうよ。一箱銀貨一枚だろ?」

 男の滑らかな口からは耳に心地よい言葉が紡がれ、

「いや、もう残り少ないんだし、倍だそう。一箱銀貨二枚だ」

 野次馬たちの間からも男の気前の良さに感嘆の声が上がり始めました。
 ですが、少女はすぐには首を縦には振りません。
 
「買ったこのマッチはおじさんのお店で売るんでしょ?」

「そうだな、全部を使うことはないから、あまったのは店で売るつもりだ」

「それって、普通に仕入れじゃないの?」

「何の話をしているんだい」

 男の表情が固くなり、滑らかだった口は急に鈍ります。

「防水マッチの作り方を教える対価は別に貰わないと割に合わないわ」

「お嬢ちゃん、大人の言う事は素直に聞くもんだよ」

「おじさんこそ、子どもをだますようなことをしちゃだめよ」

「素直に言うことをきかないと痛めを見ることになるぞ」

(本性を現したわね)

「ねえ、おじさん。金の卵を産む鳥の話をしっている?」

「何を訳の分からないことを言っているんだ?」

「金の卵を産む鳥がいたんだけど、愚かな男は鳥のおなかのなかに、金の卵が詰まっていると思って鳥のおなかを割いちゃうの」

「だから何の話をしているんだ?」

 男が苛立ったように言いました。

「結局、愚かな男は金の卵を産む鳥を殺しただけで何も得るものはなかった、というお話」

「訳の分からないことを言ってごまかそうってのか?」

 男がさらに苛立ちをつのらせます。 

「おじさん、あたしの頭のなかにはこの防水マッチのように、売り物になる知識がたくさん詰まっているかもしれないとは思わない?」

「だったら、お前さんを閉じ込めてその知識を吐き出させるさ。俺は愚かな男とは違う」

「ここは教会の前、大通りよ。後ろを見てごらんなさい」

「な……!」

 振り向いた男の目には大勢の人々が飛び込んできました。

「この悪徳商人!」

「てめぇの店じゃ、何も買わないからな!」

 小太りの若旦那が人込みに紛れて声を上げます。

「そいつは二丁目のアクロイドだ」

(やるじゃないの、若旦那。これは、ちょっと警戒した方がいいかもね)

 少女が若旦那の警戒レベルを引き上げました。

「二丁目のアクロイドだな、憶えたぞ!」

 周囲の大人たちが一斉に男を非難し始めました。
 そのときです、少女がロックオンしていた男が人込みをかき分けるように進みでます。

「お嬢ちゃん、おじさんも商人だ。その製造方法を教えてくれないか? 十分な対価は払う」

 天使は少女にほほ笑んだのです。

「きちんとした契約書にまとめて頂けますか?」

 少女はすぐに反応しました。

「もちろんだ! 皆、証人になってくれ! 私は向こうの大通りで店を構えている。知っているだろ」

「知っているぞ、モーガン商会の若旦那だ」

「私はこの少女から正当な値段で防水マッチを買わせてもらう」

 やり手の若旦那はここぞとばかりに、集まった人たちに自分自身と、少女がもたらすであろう将来の商品を売り込みます。

「防水マッチをあんたの店で買うよ」

「そうだ、アクロイドの店でなんか買うもんか!」

「バカ野郎、モーガン商会でしか買えねえぇよ」

 野次馬たちの間から歓声と笑い声が上がります。
 その歓声のなか、アクロイドが逃げるようにしてその場を走り去りました。

 こうして少女はずる賢い商人の魔の手を逃れ、頭の回転の速い善良な商人の取引相手として幸せを掴みましたとさ。
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