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変化6
しおりを挟むジュストは口を引き結んだまま、正論を突き付けてくるルネから目を逸らした。
個人的感情を抜きにすれば、アダンはルネに害をなす人物でない。
防犯という尤もらしい言い訳が使えない以上、ジュストは口を噤むほかなかった。
「ジュスト。お前は俺とマッサージしなくたって、困ることは何もないはずだ。それでも約束にこだわる理由があるのなら、ちゃんと話してほしい」
ルネらしい気遣いに満ちた言葉も、今ばかりはジュストを追い詰めるものでしかない。
話せるものならとっくに話していると一人胸中で毒づいてから、ジュストは必死に思考を巡らせた。
今必要なのは冷静さだ。怒りに身を任せている状況ではない。
とにかく何かしらの返答しなければ、沈黙を同意と受け取られかねない。
「……じゃあ、お前はどうするんだよ」
咄嗟に思い付いたのは論点を変えることだった。
ルネの交友範囲を見るに、ジュストやアダンの他にマッサージを頼める第三者がいる可能性は低い。
つまり、この件で一番困るのは、一人で自慰ができないルネ自身に他ならない。
考えなしに発言している訳ではないだろうが、今はそこに付け入る隙があることを祈るしかない。
ジュストの問いかけに、ルネは少し俯いて自嘲めいた笑みを浮かべた。
「最初から俺が間違っていたんだ。夢精した時の恥ずかしさや不安が大きくて、回避しなければならないものだと思い込んでいた。でも、誰かに迷惑をかけるくらいなら、下着を汚すほうがずっといい。最初からそうすべきだったんだ」
別の者に身を委ねるつもりはないことに胸が僅かばかり軽くなったが、決して喜べるような状況ではない。
ルネの意思は想像よりも強固だ。説得は不可能と見るべきだろう。
ならば、ルネの主張を受け入れた時、考えうる最悪の事態は何か。
それを避けるためどうすべきかを考えるのが、今できる最善の一手だろう。
ルネの意を汲めば、今後ジュストはルネと性行為ができなくなる。
だが、それはアダンも同じだ。
未練がないと言えば嘘になるが、そもそもの始まりを思えば潔く諦めるべきなのだろう。
余計なことをしでかしたアダンへの怒りは消えることはないが、ルネの状況を利用し甘い蜜を吸っていた己にも非はある。
元の状態に戻るだけだと思えば、欲を抑えるのはさほど難しいことではない。
問題はルネを狙う第三者の存在だ。
誰ともマッサージをする気はないと言っているが、貞操観念がずれているルネを完全に信用することはできない。
言葉巧みに情に訴えかければ、ルネを懐柔するのはそう難しくはないだろう。
意識がなくてもいいなら、手っ取り早く泥酔させてしまえばいい。
やはりこの約束だけは、何があっても死守しなければならない。
「誰ともマッサージをする気がないなら、約束は有効のままで問題ないだろ」
胸にうずまく不安や怒りを抑え、どうにか平静を装ってルネを睨みつけると、ルネはジュストの問いかけを予測していたかのように頷いてみせた。
「うん。誰かに頼むつもりはないよ。でも、そもそもの話だけど、俺の個人的な問題をジュストと約束すること自体が間違ってると思うんだ」
反論の余地のない、見事な正論だった。
ルネは知る由もないだろうが、妊娠などのトラブルを避けるため、高位貴族であればあるほど同性同士の性行為は容認されている。
婚約者のいないルネが誰と寝ようと大きな問題はない。
ジュストに咎める権利はなく、できることと言えばせいぜい苦言を呈す程度だろう。
いよいよ打つ手がなくなり、ジュストはただ唇を強く噛みしめることしかできなかった。
それにしても、普段は何も言わずともジュストの感情を優先してくれているルネが、ここまで意見を主張するのは珍しい。
その原因がアダンだということに、どうしようもなく焦燥が駆り立てられる。
ルネは十数年の付き合いのあるジュストと同等の扱いをするほど、アダンのことを気に入っているとでもいうのだろうか。
いや、既にアダンの存在が自分を越えているのだとしたら――嫌な考えがジュストの脳裏を過ぎった。
行動を制限し否定ばかり繰り返すジュストと、無邪気に慕ってくれるアダンと、どちらが居心地良いかなど考えるまでもない。
思い当る節は他にもある。
以前、アダンの部屋から出てきたルネに何を話していたか尋ねたところ、言葉を濁されたことがあった。
これまで聞けば何でも話してくれたルネが、アダンとの会話を語ろうとしなかったことにずっと引っ掛かりはあった。
ジュストの不安を煽るように心臓は早鐘を打つように収縮を早め、額には脂汗が滲み始めた。
(いや、さすがに杞憂だろう――)
ジュストは恐ろしい考えを、強制的に脳内から追い出した。
ルネの普段の言動にアダンを優先するような素振りは見られないし、それこそ出会って半年ほどの男に負けているとは思えない。
アダンの言葉をきっかけに、これまでおざなりにしていた自身を顧みて、正しく整理すべきだと決意しただけのことだろう。
ジュストは細く息を吐き出してから、シャツの袖で額の汗を拭った。
「ジュスト」
ルネの声に、ジュストはいつの間にか床に落ちていた視線を上げた。
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