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ホーリーブルー
喫茶店から見える景色
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7月16日午前10時
5年前に起きた妹の誘拐事件の真相を探るべく、東堂千歳は探偵薬師寺美鶴の説得に成功した。そして二人は現在、南房総の山中にある東堂家の旧家にいた。
風に靡く雑木林とひぐらしの鳴き声を聞くと春日部育ちの美鶴でも不思議と郷愁に駆られる。
美鶴は当初、百華ちゃんが家の前、またはその周りで何故誘拐されなかったのかを考えていたが、その荘厳な屋敷門を前にその可能性がないことを理解した。
敷地の広さは公園ぐらいありそうだ。
洋風の屋敷が中央にあって、ガレージや倉庫も当然のようにある。庭は芝生となっていて子供が駆け回るには充分な広さだ。
現在、防犯も兼ねて清掃業者が出入りしている。てっきり雑草や蔦が生い茂っているんじゃないかと思ったが、実際は今でも人が住んでいるんじゃないかと思えるほど景観が良い。
「今日はここに泊まるとして、まず行きたい場所がある」
「喫茶店かがりですね?」
「そうだ。あと祭り会場になった神社にも」
二人は土産袋以外の荷物を置いて各所を回ることにした。
喫茶店『かがり』
屋敷から徒歩15分。美鶴的には結構疲れる距離だった。
美鶴はテーブルに置いてあるうちわを片手に、窓際の席で外の景色を見た。山の中腹にあるこの喫茶店からは麓にある小さな市場と海が見える。
そんな景色を眺めながら美鶴は少し思考を巡らした。
ここは祭り会場から近い。何故犯行現場から近いここを身代金の受け渡し場に指定したのか。心理的にもそこはリスクを恐れ、被害者の家からもっと離れた場所にしないだろうか。事件の記録をみる限り、犯人は性格こそ破綻しているが知能が異様に高く臆病な程に慎重だ。しかし、同時にリスクの高い行動も取っている。ここが気掛かりでならない。証拠となる物は残さないくせに、遺族に遺骨を送りつける奴だ。警察に対して知恵比べを仕掛けているのかもしれないが・・・どうにも矛盾している。実際、理由もなし考えなしの滅茶苦茶な犯罪者がいることは知識にはあるが、確か知能指数は低いはず。・・・・・・じゃあ解離性障害・・・いや、そんな欠点を抱えた人間がここまで上手くやれるはずがない。
テーブルに置かれたアイスコーヒーの氷が崩れる音によって現実に戻される。振り向くと美鶴好みの店主が丁寧にミルクやガムシロップを並べてくれている。
店主は千歳の前にアイスティー置くと彼の顔を見る。すると何かに気付き、嬉しそうに話しかけた。
「おやおや?もしかして千歳くんじゃないか?ずいぶん大きくなっちゃって今まで判らなかったよ」
千歳自身5年で随分成長した。「僕のこと覚えてますか?」なんて聞いて、そうでなかったことを考えるとなかなか言い出せなかった。だから、地元で自分のことを覚えていてくれる人がいるのを知って嬉しく思った。
千歳は挨拶すると共に店主に美鶴を紹介した。探偵と聞き店主は千歳が地元に戻ってきた理由を大方察した。
「・・・なるほど、あの時の事件を追っているんだね?」
「はい。当時のことを改めて調査しています」
美鶴が加えて話した。
「マスター。私の推測では、犯人は下見に何度かこの店に来ていると思う。背格好は170センチ前後。40代男性。事件の1週間前から公衆電話を使い東堂家に無言電話を7件ほどしている。そこで聞きたいのは、この店の電話を使って不審な動きをしていた奴はいないだろうか?」
店主は少し考えた。
「当時警察にも聞かれたが、不審な奴なんていなかったよ。受話器を取って無言でいらた流石に忘れないよ」
美鶴はアイスコーヒーに口を付けた。宛が外れたかと思ったが、店主が耳寄りな情報をよこす。
「そういえば明智さんのことは知っているかい?」
美鶴は一瞬だけ考えたが、誰だと言わんばかりに千歳の顔を見る。
「昔、僕の家で家政婦をしていてくれた人ですね。里穂さんがどうしたんですか?」
「行方不明になっているんだよ1週間前からね」
「・・・マスター。その話は誰から聞いたんだ?」
「明智さんが住んでいたアパートの大家さんだよ」
美鶴は店主から明智里穂の住んでいたアパートの住所を聞き出した。お礼に東京のお土産『東京ばな奈』を渡した。
美鶴は店内の公衆電話から佐々木警部に『明智美穂』に関する情報を共有した。
警部は美鶴の直感を信じて、今回の事件と関わりがある人物として捜査を始めた。
美鶴たちは店を後にすると、七夕祭りの会場になった『蛭子神社』に立ち寄った。
千歳の証言では事件当時それほど混んでいなかったそうだ。
境内で千歳の父明夫が神主と話している最中、百華ちゃんがいなくなった。
千歳はすぐに父親に報告し、二人で捜索。
警察や大人達も捜索に加わったが、遂に見つかることはなかった。
「一応来てはみたが、ここにはあまり情報がないと思う。軽く見て回ったら明智里穂が住んでいたアパートに向かおう」
その時千歳の名前が呼ばれた。
「千歳くんかい?」
この神社の神主だ。
「あ、お久しぶりです高木さん」
美鶴はお土産を渡し、神主に当時の状況を聞いた。
神主の高木曰く、町内の行事や祭りの費用など東堂家から毎年行事に必要な経費を寄付してもらっていた。そんな人物に会ったら挨拶ぐらいするだろう。
この町では有名な資産家。狙われた理由もそれに尽きる。
「では高木さん。事件当日、不可解なことはなかったか?例えば怪しい人物を見たとか」
「5年前だからね。流石に細かくは覚えてないよ・・・準備の途中、里穂さんが差し入れを持ってきてくれたあと、私は境内で短冊の準備をしてたからね」
「そうか。因みに明智里穂はその時何か言っていただろうか?」
「いや特に。普通に大きな笹と宴会用の酒を持ってきたこと意外は・・・たしか・・笹をどこに飾るかは聞いてきたが・・・」
「ん?大きな笹?どのくらいでかいんだ?」
「あぁ。立派な笹だったよ。4メートル以上はあったね」
「それと宴会用の酒だろ?ちょっといっぺんに運ぶには重すぎないか?」
「里穂さんは力持ちなんだよ。酒だけでも20キロ近くはあった」
「千歳。君の家の家政婦は何者なんだ?」
「確かに里穂さんは力持ちでしたね。なんでもできましたし。でも事件当日は家に居たみたいですし何か関係があるんですか?」
千歳にとってはそれが普通のことなんだろう。
竹が4メートルともあれば20キロ近くになる。つまり両手で40キロ。持てないとはいいきれないが、それで移動するとなるとかなりの重労働だ。美鶴のイメージしていた家政婦と大分かけ離れている。エプロンを着けたゴリラを想起した。
「そう言えば、里穂さん、行方不明なんだってね。それとなにか関係あるのかい?」
「いや気にしないでくれ。個人的に興味が出ただけさ」
美鶴は明智里穂が住んでいたアパート『ひだまり荘』にやってきた。
徒歩なら1時間はかかる距離だったが、神主の高木が車で送ってくれた。
町内に明智里穂の噂が流れているところを鑑みるに、大家の口は軽い。千歳の姿を見せると余計なことを吹聴されかねない。
なので千歳には市場で今夜食べたいものを選んでもらっている。もちろん、誘拐されないように20分かけて変装させた。千歳のあの嫌そうな顔は暫く忘れないだろう。
美鶴は早速アパートの大家に話を伺った。
美鶴は明智里穂失踪の件で調査している探偵ってことになっている。実際、嘘ではない。
始めは美鶴のことを訝しんでいたが『東京ばな奈』を受け取ると聞いてもいないことまでペラペラ喋るようになった。
大家の話ではある日、明智の部屋がもぬけの殻になっていたそうだ。
比喩表現ではなく、いやそれ以上に痕跡一つ残っていないらしい。
大家は快く明智の住んでいた部屋を美鶴に見せてくれた。
美鶴はその部屋を見て驚愕した。
「大家さん。この部屋はもう内装工事が終わっているのかい?」
「いやまだだよ。でもこれだけ綺麗に使ってくれると、次の人にそのまま貸したくなるよ」
「そうですね。中を拝見しても?」
「どうぞ」
美鶴は部屋の中を調べた。やはり違和感がある。
冷蔵庫やエアコンなど設置した形跡がない。まるでこの部屋に誰も住んでいなかったようだ。家政婦だからその生活の殆んどを東堂家で済ましていたにしてもかなり異質だ。
「探偵さん何か解りました?」
「いえ。謎は多いですが、今はなんとも」
美鶴はアパートを後にし、千歳と合流をした。
千歳はレジ袋の中に立派な金目鯛とその他食材を入れていた。
考え事で難しい顔をしていた美鶴は愁眉を開き吹き出すように笑った。
「おい千歳!それ誰が捌くんだよ」
「え?捌けないんですか?」
「おめぇ。世の女がみんな魚捌けると思っていたら、いつか後悔するぞ」
「そうなんですか・・・じゃあこの魚どうしましょう?」
「多分買った所に頼めば切ってくれるぜ」
「では頼んでみます」
「ていうか、こんなでかい魚、食い切れるのか?」
「多分余裕です。それより、この格好をなんとかしたいんですけど」
「そうか。とても似合ってるぜ。羨ましいぐらいだ」
千歳はフリルのワンピースを着ている。メイクは美鶴がした。どこから見てもお嬢様だ。
千歳の困った顔が尚良い。美鶴に新しい趣味ができた。
美鶴と千歳は屋敷に戻り夕食の仕度をする。美鶴は普段は外食ばっかりだが、一応料理はできる。美鶴は金目鯛で煮付けと味噌汁を作る。
そもそも千歳は何故金目鯛を買ったのか。その理由は高い方が美味しいからだという、なんとも世間に対する疎さを感じさせる物言いなのだろう。
1時間後
千歳は美鶴の横でその味の濃さに感動して、美味しそうに白米を食べている。
華奢な割に米も料理も通常の3倍の量だ。
「なあ千歳。君は普段なに食ってんだ?」
「普通のものですけど?」
「多分君の普通は世間とズレていると思うぞ」
「本当ですか?・・・えーと焼き魚に野菜、あとごはん。お肉は匂いが嫌いですがたまに食べます。やっぱり何か変ですか?」
「ごめん。思ったより普通だったわ」
美鶴は煙草に火を点け、煮付けをつまみにビールを呑む。
「先生はそれだけでいいんですか?」
「あぁ、まぁ。普段から酒しか飲んでないからな。あ、わりぃここは禁煙だよな」
立派な灰皿が座卓に置いてあったので、無意識に吸ってしまった。
「大丈夫です。もう慣れました。それよりビールってそんなにおいしいんですか?」
「あぁ美味いよ。特に今日は暑い中歩き回ったからな、労働のあとに吸う煙草と空きっ腹に流し込むビールは格別よ」窓から流れてくる風。ひぐらしの鳴き声と木々の葉擦れも相まって一層美味く感じる。
千歳は思う。ビールは百歩譲って、煙草は常に吸っているじゃないかと。
だが実際、結露した缶ビールは彼の飲酒欲求を強く刺激した。
「君が大人になったら、きっと解るよ」
「そうですか。でもこの家で煙草の臭いを嗅ぐとあの頃を思い出します」
「この立派な灰皿は君の父上のものかな?」
「はい。今は吸ってないですけど」
「そうか・・・昔を思い出すか。嫌な記憶だっただろう」
「それだけでもないですよ。東京に比べれば何もないですけど、ここには海と緑、そして星があります。毎日楽しかったですよ」
「そうか。でも私には君のことがよく判らん。心中穏やかじゃないだろうにどうしてそこまで平静でいられる?何もかもが憎くないのか?」
「最近までそうだったんですけどね。・・・多分、先生に会えたからだと思います。最初にした先生への依頼内容、覚えていますか?」
「もちろんだ。『警察より先に事件を解決して欲しい』だろ?」
千歳は暫く黙った。何か大事なことを言おうとしているのだろう。
美鶴はその言葉を待った。虫の音だけが聞こえる。
煙草を1本吸い終わる。冷蔵庫に次のビールを取りに行く。
また煙草に火を点けた。
「じつは・・犯人さえ特定できればそれで良かったです。・・・この手で妹の無念を晴らしたかった。・・・でも先生に会って少し考えが変わりました。と言うより後悔しました」
美鶴は黙ったまま彼の目を見ていた。
「今回の被害者のことなんてどうでもよかったんです。僕はあの殺人鬼を同じやり方で殺したかった。でも先生は、この事件を解決するのは僕だと言いました。それから1日考えました。僕は結局なにがしたいんだろうって。僕ができることと僕がしたいこと。多分あの日をなかったことにしたかったんです。でもそんなことはできません。何をしたって百華は帰ってきません」
千歳は僅かに声を震わせ、瞳に微かな涙を浮かべていた。
「痛かっただろう・・・怖かっただろう。こんなの人がやることじゃない。そう思った時に今回の被害者は今どんなに心細いか。そう考えた時に僕は何をやっているんだって思いました。僕がやるべきことはこれ以上被害者を出させないことです。その思いを母に伝えたら、母もそうするべきだと言ってくれました。僕たちの時間はここで止まっています。だから必ず犯人を捕まえてあの日から一歩でも前に進みたいんです」
美鶴は千歳の肩に手を回した。
「・・・多分君が犯人に立ち向かっても返り討ちに合うだろう。だから今からでも依頼を変えて私がその糞野郎を半殺しにしてやってもいい。・・でもそうじゃないんだろう?だったら君と私でこの事件を解決しようじゃないか」
千歳は頬を叩き、弱気な自分に喝を入れた。
「先生。やはり犯人は里穂さんなんでしょうか?」
「分からん。今、警部に明智里穂に関して調べてもらっている」
「ですが、里穂さんは事件当日も家にいたそうです。なにかおかしい気がします」
「そこは私も引っかかっている。君のお母さんの目を盗んでどうやって祭り会場まで行ったのか。検討も付かん。しかし本人を見つければ、どうとでもできる。私にはこの目があるからな」
不安を蹴散らす美鶴の不敵な笑みに、千歳の表情に少しだけ笑顔が戻った。
第四話「刑事佐々木百春」に続く。
5年前に起きた妹の誘拐事件の真相を探るべく、東堂千歳は探偵薬師寺美鶴の説得に成功した。そして二人は現在、南房総の山中にある東堂家の旧家にいた。
風に靡く雑木林とひぐらしの鳴き声を聞くと春日部育ちの美鶴でも不思議と郷愁に駆られる。
美鶴は当初、百華ちゃんが家の前、またはその周りで何故誘拐されなかったのかを考えていたが、その荘厳な屋敷門を前にその可能性がないことを理解した。
敷地の広さは公園ぐらいありそうだ。
洋風の屋敷が中央にあって、ガレージや倉庫も当然のようにある。庭は芝生となっていて子供が駆け回るには充分な広さだ。
現在、防犯も兼ねて清掃業者が出入りしている。てっきり雑草や蔦が生い茂っているんじゃないかと思ったが、実際は今でも人が住んでいるんじゃないかと思えるほど景観が良い。
「今日はここに泊まるとして、まず行きたい場所がある」
「喫茶店かがりですね?」
「そうだ。あと祭り会場になった神社にも」
二人は土産袋以外の荷物を置いて各所を回ることにした。
喫茶店『かがり』
屋敷から徒歩15分。美鶴的には結構疲れる距離だった。
美鶴はテーブルに置いてあるうちわを片手に、窓際の席で外の景色を見た。山の中腹にあるこの喫茶店からは麓にある小さな市場と海が見える。
そんな景色を眺めながら美鶴は少し思考を巡らした。
ここは祭り会場から近い。何故犯行現場から近いここを身代金の受け渡し場に指定したのか。心理的にもそこはリスクを恐れ、被害者の家からもっと離れた場所にしないだろうか。事件の記録をみる限り、犯人は性格こそ破綻しているが知能が異様に高く臆病な程に慎重だ。しかし、同時にリスクの高い行動も取っている。ここが気掛かりでならない。証拠となる物は残さないくせに、遺族に遺骨を送りつける奴だ。警察に対して知恵比べを仕掛けているのかもしれないが・・・どうにも矛盾している。実際、理由もなし考えなしの滅茶苦茶な犯罪者がいることは知識にはあるが、確か知能指数は低いはず。・・・・・・じゃあ解離性障害・・・いや、そんな欠点を抱えた人間がここまで上手くやれるはずがない。
テーブルに置かれたアイスコーヒーの氷が崩れる音によって現実に戻される。振り向くと美鶴好みの店主が丁寧にミルクやガムシロップを並べてくれている。
店主は千歳の前にアイスティー置くと彼の顔を見る。すると何かに気付き、嬉しそうに話しかけた。
「おやおや?もしかして千歳くんじゃないか?ずいぶん大きくなっちゃって今まで判らなかったよ」
千歳自身5年で随分成長した。「僕のこと覚えてますか?」なんて聞いて、そうでなかったことを考えるとなかなか言い出せなかった。だから、地元で自分のことを覚えていてくれる人がいるのを知って嬉しく思った。
千歳は挨拶すると共に店主に美鶴を紹介した。探偵と聞き店主は千歳が地元に戻ってきた理由を大方察した。
「・・・なるほど、あの時の事件を追っているんだね?」
「はい。当時のことを改めて調査しています」
美鶴が加えて話した。
「マスター。私の推測では、犯人は下見に何度かこの店に来ていると思う。背格好は170センチ前後。40代男性。事件の1週間前から公衆電話を使い東堂家に無言電話を7件ほどしている。そこで聞きたいのは、この店の電話を使って不審な動きをしていた奴はいないだろうか?」
店主は少し考えた。
「当時警察にも聞かれたが、不審な奴なんていなかったよ。受話器を取って無言でいらた流石に忘れないよ」
美鶴はアイスコーヒーに口を付けた。宛が外れたかと思ったが、店主が耳寄りな情報をよこす。
「そういえば明智さんのことは知っているかい?」
美鶴は一瞬だけ考えたが、誰だと言わんばかりに千歳の顔を見る。
「昔、僕の家で家政婦をしていてくれた人ですね。里穂さんがどうしたんですか?」
「行方不明になっているんだよ1週間前からね」
「・・・マスター。その話は誰から聞いたんだ?」
「明智さんが住んでいたアパートの大家さんだよ」
美鶴は店主から明智里穂の住んでいたアパートの住所を聞き出した。お礼に東京のお土産『東京ばな奈』を渡した。
美鶴は店内の公衆電話から佐々木警部に『明智美穂』に関する情報を共有した。
警部は美鶴の直感を信じて、今回の事件と関わりがある人物として捜査を始めた。
美鶴たちは店を後にすると、七夕祭りの会場になった『蛭子神社』に立ち寄った。
千歳の証言では事件当時それほど混んでいなかったそうだ。
境内で千歳の父明夫が神主と話している最中、百華ちゃんがいなくなった。
千歳はすぐに父親に報告し、二人で捜索。
警察や大人達も捜索に加わったが、遂に見つかることはなかった。
「一応来てはみたが、ここにはあまり情報がないと思う。軽く見て回ったら明智里穂が住んでいたアパートに向かおう」
その時千歳の名前が呼ばれた。
「千歳くんかい?」
この神社の神主だ。
「あ、お久しぶりです高木さん」
美鶴はお土産を渡し、神主に当時の状況を聞いた。
神主の高木曰く、町内の行事や祭りの費用など東堂家から毎年行事に必要な経費を寄付してもらっていた。そんな人物に会ったら挨拶ぐらいするだろう。
この町では有名な資産家。狙われた理由もそれに尽きる。
「では高木さん。事件当日、不可解なことはなかったか?例えば怪しい人物を見たとか」
「5年前だからね。流石に細かくは覚えてないよ・・・準備の途中、里穂さんが差し入れを持ってきてくれたあと、私は境内で短冊の準備をしてたからね」
「そうか。因みに明智里穂はその時何か言っていただろうか?」
「いや特に。普通に大きな笹と宴会用の酒を持ってきたこと意外は・・・たしか・・笹をどこに飾るかは聞いてきたが・・・」
「ん?大きな笹?どのくらいでかいんだ?」
「あぁ。立派な笹だったよ。4メートル以上はあったね」
「それと宴会用の酒だろ?ちょっといっぺんに運ぶには重すぎないか?」
「里穂さんは力持ちなんだよ。酒だけでも20キロ近くはあった」
「千歳。君の家の家政婦は何者なんだ?」
「確かに里穂さんは力持ちでしたね。なんでもできましたし。でも事件当日は家に居たみたいですし何か関係があるんですか?」
千歳にとってはそれが普通のことなんだろう。
竹が4メートルともあれば20キロ近くになる。つまり両手で40キロ。持てないとはいいきれないが、それで移動するとなるとかなりの重労働だ。美鶴のイメージしていた家政婦と大分かけ離れている。エプロンを着けたゴリラを想起した。
「そう言えば、里穂さん、行方不明なんだってね。それとなにか関係あるのかい?」
「いや気にしないでくれ。個人的に興味が出ただけさ」
美鶴は明智里穂が住んでいたアパート『ひだまり荘』にやってきた。
徒歩なら1時間はかかる距離だったが、神主の高木が車で送ってくれた。
町内に明智里穂の噂が流れているところを鑑みるに、大家の口は軽い。千歳の姿を見せると余計なことを吹聴されかねない。
なので千歳には市場で今夜食べたいものを選んでもらっている。もちろん、誘拐されないように20分かけて変装させた。千歳のあの嫌そうな顔は暫く忘れないだろう。
美鶴は早速アパートの大家に話を伺った。
美鶴は明智里穂失踪の件で調査している探偵ってことになっている。実際、嘘ではない。
始めは美鶴のことを訝しんでいたが『東京ばな奈』を受け取ると聞いてもいないことまでペラペラ喋るようになった。
大家の話ではある日、明智の部屋がもぬけの殻になっていたそうだ。
比喩表現ではなく、いやそれ以上に痕跡一つ残っていないらしい。
大家は快く明智の住んでいた部屋を美鶴に見せてくれた。
美鶴はその部屋を見て驚愕した。
「大家さん。この部屋はもう内装工事が終わっているのかい?」
「いやまだだよ。でもこれだけ綺麗に使ってくれると、次の人にそのまま貸したくなるよ」
「そうですね。中を拝見しても?」
「どうぞ」
美鶴は部屋の中を調べた。やはり違和感がある。
冷蔵庫やエアコンなど設置した形跡がない。まるでこの部屋に誰も住んでいなかったようだ。家政婦だからその生活の殆んどを東堂家で済ましていたにしてもかなり異質だ。
「探偵さん何か解りました?」
「いえ。謎は多いですが、今はなんとも」
美鶴はアパートを後にし、千歳と合流をした。
千歳はレジ袋の中に立派な金目鯛とその他食材を入れていた。
考え事で難しい顔をしていた美鶴は愁眉を開き吹き出すように笑った。
「おい千歳!それ誰が捌くんだよ」
「え?捌けないんですか?」
「おめぇ。世の女がみんな魚捌けると思っていたら、いつか後悔するぞ」
「そうなんですか・・・じゃあこの魚どうしましょう?」
「多分買った所に頼めば切ってくれるぜ」
「では頼んでみます」
「ていうか、こんなでかい魚、食い切れるのか?」
「多分余裕です。それより、この格好をなんとかしたいんですけど」
「そうか。とても似合ってるぜ。羨ましいぐらいだ」
千歳はフリルのワンピースを着ている。メイクは美鶴がした。どこから見てもお嬢様だ。
千歳の困った顔が尚良い。美鶴に新しい趣味ができた。
美鶴と千歳は屋敷に戻り夕食の仕度をする。美鶴は普段は外食ばっかりだが、一応料理はできる。美鶴は金目鯛で煮付けと味噌汁を作る。
そもそも千歳は何故金目鯛を買ったのか。その理由は高い方が美味しいからだという、なんとも世間に対する疎さを感じさせる物言いなのだろう。
1時間後
千歳は美鶴の横でその味の濃さに感動して、美味しそうに白米を食べている。
華奢な割に米も料理も通常の3倍の量だ。
「なあ千歳。君は普段なに食ってんだ?」
「普通のものですけど?」
「多分君の普通は世間とズレていると思うぞ」
「本当ですか?・・・えーと焼き魚に野菜、あとごはん。お肉は匂いが嫌いですがたまに食べます。やっぱり何か変ですか?」
「ごめん。思ったより普通だったわ」
美鶴は煙草に火を点け、煮付けをつまみにビールを呑む。
「先生はそれだけでいいんですか?」
「あぁ、まぁ。普段から酒しか飲んでないからな。あ、わりぃここは禁煙だよな」
立派な灰皿が座卓に置いてあったので、無意識に吸ってしまった。
「大丈夫です。もう慣れました。それよりビールってそんなにおいしいんですか?」
「あぁ美味いよ。特に今日は暑い中歩き回ったからな、労働のあとに吸う煙草と空きっ腹に流し込むビールは格別よ」窓から流れてくる風。ひぐらしの鳴き声と木々の葉擦れも相まって一層美味く感じる。
千歳は思う。ビールは百歩譲って、煙草は常に吸っているじゃないかと。
だが実際、結露した缶ビールは彼の飲酒欲求を強く刺激した。
「君が大人になったら、きっと解るよ」
「そうですか。でもこの家で煙草の臭いを嗅ぐとあの頃を思い出します」
「この立派な灰皿は君の父上のものかな?」
「はい。今は吸ってないですけど」
「そうか・・・昔を思い出すか。嫌な記憶だっただろう」
「それだけでもないですよ。東京に比べれば何もないですけど、ここには海と緑、そして星があります。毎日楽しかったですよ」
「そうか。でも私には君のことがよく判らん。心中穏やかじゃないだろうにどうしてそこまで平静でいられる?何もかもが憎くないのか?」
「最近までそうだったんですけどね。・・・多分、先生に会えたからだと思います。最初にした先生への依頼内容、覚えていますか?」
「もちろんだ。『警察より先に事件を解決して欲しい』だろ?」
千歳は暫く黙った。何か大事なことを言おうとしているのだろう。
美鶴はその言葉を待った。虫の音だけが聞こえる。
煙草を1本吸い終わる。冷蔵庫に次のビールを取りに行く。
また煙草に火を点けた。
「じつは・・犯人さえ特定できればそれで良かったです。・・・この手で妹の無念を晴らしたかった。・・・でも先生に会って少し考えが変わりました。と言うより後悔しました」
美鶴は黙ったまま彼の目を見ていた。
「今回の被害者のことなんてどうでもよかったんです。僕はあの殺人鬼を同じやり方で殺したかった。でも先生は、この事件を解決するのは僕だと言いました。それから1日考えました。僕は結局なにがしたいんだろうって。僕ができることと僕がしたいこと。多分あの日をなかったことにしたかったんです。でもそんなことはできません。何をしたって百華は帰ってきません」
千歳は僅かに声を震わせ、瞳に微かな涙を浮かべていた。
「痛かっただろう・・・怖かっただろう。こんなの人がやることじゃない。そう思った時に今回の被害者は今どんなに心細いか。そう考えた時に僕は何をやっているんだって思いました。僕がやるべきことはこれ以上被害者を出させないことです。その思いを母に伝えたら、母もそうするべきだと言ってくれました。僕たちの時間はここで止まっています。だから必ず犯人を捕まえてあの日から一歩でも前に進みたいんです」
美鶴は千歳の肩に手を回した。
「・・・多分君が犯人に立ち向かっても返り討ちに合うだろう。だから今からでも依頼を変えて私がその糞野郎を半殺しにしてやってもいい。・・でもそうじゃないんだろう?だったら君と私でこの事件を解決しようじゃないか」
千歳は頬を叩き、弱気な自分に喝を入れた。
「先生。やはり犯人は里穂さんなんでしょうか?」
「分からん。今、警部に明智里穂に関して調べてもらっている」
「ですが、里穂さんは事件当日も家にいたそうです。なにかおかしい気がします」
「そこは私も引っかかっている。君のお母さんの目を盗んでどうやって祭り会場まで行ったのか。検討も付かん。しかし本人を見つければ、どうとでもできる。私にはこの目があるからな」
不安を蹴散らす美鶴の不敵な笑みに、千歳の表情に少しだけ笑顔が戻った。
第四話「刑事佐々木百春」に続く。
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