八雲の帳簿

椎名菖蒲

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自動人形編

 第5話 フライクーゲル

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 九日月の夜。窓辺に鎮座するレティは月の光を浴びる。月光は自動人形のエネルギー源。魔晶石の魔力を補充してくれる。
 カシミアの帰りを待つ恵美は、寝ないと言っていたが、「ほけんだより4月」で推奨する就寝時刻には夢の中にいた。レティも今か今かと夜空を眺めながら、カシミアへの不満を募らせていた。
 人を待ちながらの夜は長い。特に暇を感じるこの時間帯。レティは懐中時計を取り出し暇潰しに分解することにした。その時計は壊れている訳ではないが、マチルダの教えに、この作業が修行の一環とされている。
「時計を知ることは、自分を知ること。即ち敵を知ることである。」
 レティ用の懐中時計はマチルダから贈られた物であり、全てハンドメイドであった。トゥールビヨンと呼ばれる時計内部の一部機構(脱進調速機)その物が1分間に1回転し、姿勢による時間のズレを抑えると言った、通常の時計とは別次元の複雑機構である。毎秒10回振動するハイビートモデル。当時それを作れる者は世界に10人しかいないと言われたほどだ。
 分解すると300以上のパーツに分けられるミクロコスモスの最高峰。それを元に戻すのも至難であり、作り手が変態であると、この作業を通して解る。レティの腕を持ってしても分解に2時間、組立に4時間掛かる。因みにマチルダの最高傑作のパーツ数は1100であり、世界3第複雑機構盛り合わせとなっている。
 しかし、レティの懐中時計がシンプルで取っ付き易いと言う意味にはならない。その時計は分解と組み上げを旨とした作りになっており、性格が捻くれているマチルダは装飾に細工を施す秘密箱の様に敢えて手間の掛かる仕様にした。50パーツほど余計な部品を加え、通常手段では決して達成出来ないよう見えない仕掛けになっている。
 意地悪と言うか思いやりがない。時計機構を学ぶ数え切れない程の弟子志願者は、麗子を除き長くて3年で辞めた。


 それはさておき、レティは大輔に買い揃えて貰った道具一式を用意すると、まず始めに外装の掃除をする。次に裏蓋を専用の器具で外し、内部全体を観察する。しばらく手入れを加えていなかったが、機構の動きに問題は見受けられなかった。
 作業を進める。最大の注意を払って、ムーブメントを支える極小のネジを決まった順番で少し閉める。すると仕掛けが動き、後々外すべきパーツが開く。ここで初めて機構の分解が始まる。「性格が悪い」とレティの口から零れる。細かすぎるネジやパーツを先端が毛先程しかないピンセットで外す。それらを仕切りの付いたトレイに入れる。用意したメモ帳にトレイの絵を描き番号を付ける。また、使用した区分にはパーツ名と状態を記す。
 通常の腕時計も同様であるが、パーツは薄くて軽い。所詮人形のレティには関係ないが、鼻息をかけようものならその都度部品が消える程だ。それを更に小さくした物がこれだ。完璧な角度と力加減でなければ、確実に変形してしまう。
 猫背で瞬きもせず窓辺の灯りだけで、長時間極小のパーツと向き合うのは最早苦行だ。これを作ったマチルダは天才で鬼畜だと、彼女を思う度レティの心は穏やかになった。



 戦争終結と共に軍人を辞めたマチルダとレティ、そして未だ所在不明の自動人形「オレガノ」の3人は職を失った。
 軍人になる前は、機械全般の修理を生業にしていたマチルダだったが、戦争で同じく軍人だった夫を亡くし、工房や家は大規模な空襲により焼けてしまった。傷心の彼女は毎日仮宿で、彼に上げるはずだった時計を分解しては組み立て、ギリシャ神話のペーネロペーの様にそれを繰り返していた。
 兵器全書と時計と金。それだけが手元に残った。
 5年後。親戚に預けていた一人息子が結婚した。十八歳の息子から一緒に住むことを提案するも、大戦以前から預けっきりにしていたことを引け目に感じたのだろうか、彼女は申し出を断ってしまう。
 それからしばらく。彼女は碌に食事も睡眠も取らない生活を続けていた。見かねたレティは依頼を取って来ては、暇を持て余した彼女に仕事をさせた。
 マチルダは機械が好きだ。物を通して使い手の職業や人柄が解る程。そのせいか他人の時計や車は彼女に時折笑顔をもたらしてくれた。
 どうせなら店を持とうと目標を立て、個人を相手にしながら15年間商売を続け、念願の修理屋を手に入れた。その時のマチルダは53歳であった。彼女は戦場で得た報酬をこの結果の近道には使わなかった。完全合理的主義の彼女はその時だけ過程を楽しんだ。
 


 掛け時計に耳を澄ませる。時計が刻む音は、超感覚になるレティの頼るべき基準になる。超感覚での作業をしながら過去を思い出し、人間の三倍の体感時間で秒針の音を数える。それが21600回(6時間)ピッタリでそっとピンセットを置いた。
 体感18時間。精神は極限状態。懐中時計は元通りになり、空の色は随分明るくなっていた。虚ろな眼で部屋を見渡しても、カシミアの姿はない。もうじき恵美も起きる時間になる。
 本当にカシミアは帰って来ないのだろうかと、レティは掠れた声で呟いた。


 5時間後。
 定位置の大樹から、恵美の授業風景を眺めるレティは微睡みと現実を行き交っている。
 月の光で、エネルギー源となる魔力を補給する彼らには睡眠が必要ない。しかし、普段のレティは人より寝ている時間が多い。彼女はこれも自身の欠陥の一つだと思っている。
 瞼に重く伸し掛かる睡魔に堪えるも敵わず夢の中。胡蝶に誘われるがまま、彼女の体は樹木の太枝に沈んでいった。
 1分、2分なら許されると思っていても現実は加速し続け、彼女だけを置き去りにしていく。木陰に爽涼な風が流れ前髪を揺らした。

 うたた寝を始めて僅か30分。レティは何者かの気配で目を覚ました。
 上体を起こし振り向くと、そこには自身より二回り大きい白い修道服を身に着けた中型自動人形がいた。ここまでなら親しみ安いかも知れないが、取って付けたのか、クワガタのような長い金の角と顔を覆い隠す布。白い手袋を着け、肌の見える所はない。その角も合わせれば丁度1メートルになるだろう。そして胸が異様に大きい。
 レティは胸の大きい奴が嫌いだ。妬ましく思っている。彼女は舌打ちを鳴らし、また横になると「誰だよ」と吐き捨てた。
 修道服の人形は何も言わず、恵美の授業風景を寝そべりながら眺めるレティを観察して、数分経ってから再度声をかけた。明らかに不機嫌なレティがカシミアの関係者かと問うが違うらしく、念のため要件を聞くと修道服の人形は自己紹介から始めた。
 彼女は「銀の教団」所属のバロメと申し、要件を伝えようとしたが、「教団」と言うワードにレティは眉間に皺を寄せては、手を払いながら話を遮った。角の生えた宗教団体とは関わり合いたくないレティ。今現在、赤とか黒とかでうんざりしている。彼女は英語で帰れと連呼し、バロメを追い返そうとした。
 任務で来ている身の上、バロメはレティの勢いに押されながらも腰の低い物言いで要件を言った。
 遊園地の一件及び都内数件で行われたレティのパフォーマンスが教団の間で騒がれた。彼女が人前に出たことによって、彼らが秘密裏に行っていた作戦に悪影響を出した。
 結果。万全な準備も整えられずに銀の教団は、強行に出た幻影帝國と正面から交戦。死にはしなかったももの、数名の団員が大破した。
 つまり、レティに温和しくしていろと言いに来たのだ。
 レティは善処すると言い、また横になろうとした。しかし、要件は一つではなかった。もうそれだけで、レティの顔には嫌ってくらい皺が集まった。
「八雲恵美と帳簿から手を引いてください。」
「なにそれ?」
 バロメは兵器全書を八雲の帳簿と呼んだ。所有者が変わる度、本の名前も変えているようだが、何かしらの含みを残した物言いだった。しかし、レティには検討も付かなかった。
 それよりも、先ほどからバロメの手には武器と思える鈍器が握られている。打撃武器の鈍槌だ。断れば殺し合いになりそうだ。
 どうにも気に食わなかった。口調は穏やかだが、武器を握っているあたり、強制的なニュアンスだろう。
 自動人形は元より好戦的。レティは重い腰を上げ言った。
「スクラップになりたくなければ今すぐ帰れ。」
 その言葉に呼応しバロメが鈍槌を構えると、レティは抜刀し八相の構えから一閃を放った。


 国語の授業を受ける恵美は、ざわつく生徒達につられて外を眺める。グランドには不自然に土煙が舞い上がり、うねりながら大きく移動していた。
 授業妨害もいいところ。教師がつむじ風と断定し、砂が入る前に窓とカーテンを閉めるようにと指示する。
 不穏な雲行きにレティを心配したのか、恵美の口からその名が漏れた。


 立ち込める土煙の中。その視界の悪さにレティは苦戦を強いられていた。
 バロメの武器は一辺が5センチの正六面体の鉄塊に長い棒がついた鈍槌だ。
 戦闘プロセスは槍の様に突き、大鎌の様に払い、槌として振り下ろす。鈍槌でありながら重量を下げるためにキューブ状にしているのだろう。
 中型以下の自動人形を破壊することを限定とした、はっきり言って優秀な武器とは言えない代物だ。重量を下げても槍や剣よりスピードが劣る上、本来の破壊性能も落ちてしまう。いっそのことメイスやウォーピックの方が殺傷能力は高いだろう。
 だが、異質だ。そんな武器を相手にレティは一方的に押されている。一撃の重さではバロメに軍配が上がるにしても、俊敏さで勝るレティを相手に一向に隙を見せない。まるでレティの動きを熟知し無駄のない牽制でスピードを補っているようだ。さらに、レティが使う対槌の戦法も彼女には通用しない。
 鈍槌の弱点は攻撃の後に必ず隙が生じること。レティならこれを往なした後、標的を三枚おろしにするのも容易い。しかしバロメの攻撃は軌道が変化する上、隙がない。まるで猫じゃらしを扱っているようだ。
 突きだろうと、払いだろうと、全力の攻撃が途中で軌道を変え、慣性を無視した鉄塊がレティを襲う。まさか、軽いのではと思うことはなかった。まともに受けた場合、折れやすい関節からメキメキと音を立て崩れスクラップになる未来が、死の直感を通して視えた。
 斬擊より、当たればそれだけで致命傷になる鈍槌は質が悪い。恐らくバロメの動きに合う武器がこれしかなかったのだろう。槍、鎌、棍、槌、斧、メイス。どれも性に合わず、棒の先端にキューブ状の鉄塊が付いた名状し難い鈍槌のような物が今に至るわけだ。
 隙でもあれば斬り込めるが、自動人形には呼吸と疲れが無い。レティが息をしないで時計を分解できるように、バロメにも後隙の呼吸がない。人間の肺を持たない自動人形は、喋ること以外に空気が必要無いのだ。
 優位に立つバロメはわざと攻撃を大振りにし、継続的に土煙を巻き上げる。配慮のつもりか、この二人の戦闘は周りから見ればつむじ風であるが、当人達も視界を奪われてしまっている。それなのにレティだけが防戦を強いられ、バロメの猛攻が増す。
 凶悪な一撃を正確に放ち、更に軌道を変え追尾してくるバロメの攻撃に受け流す意外の戦法が取れない。
 だが何故バロメだけがこうも煙の中で自由に戦えるのだろう。顔に覆い被さる布は薄いとしても視界を悪くするだろうに。
 レティはわずかに見える敵影に左手首に仕込んだ暗器を放ったが軽く払われ、仕返しに直線的な突きを放たれた。間一髪で躱すがバロメも甘くはない。突きから払いに切り替え、レティを場外に叩き出した。
 土煙を纏い転がるレティは体制を整えると、暗器を回収するなり逃げ出した。同じ条件にしても、視界を封じられた状態を不利に感じた。
 背を向けるレティを罵ると、バロメは一時撤退を言い訳にする彼女を追跡する。レティの逃げ足は早く、中型重量級との機動力の差を見せつけた。
 レティは挑発的な捨て台詞を吐きながら、フェンスに一歩、そして木に一歩と足掛け、4階建ての校舎の屋上を目指し高く跳んだ。一度のジャンプで3階まで届き、僅かな凹凸を利用して外壁を駆け登った。
 中型の自動人形は殲滅力に長けているが、設計上小型の様なアクロバティックな動きは出来ない。バロメは舌打ちをしながら屋上まで校舎の階段を利用した。


 ここでなら人目の心配はいらない。屋上で向かい合う二人は改めて戦闘態勢に入る。充分に視界を確保したレティは合図を待たずバロメに斬り掛かった。
 袈裟から刃を返し斬り上げ、更に返して間合いを詰める。対するバロメも繰り出される一閃を軽やかに躱し、鈍槌を振り上げる。中距離ならバロメ、近距離ならレティに分があった。
 バロメの一撃こそは重いが、スピードが勝るレティが状況的に有利。バロメは鈍槌をあらゆる角度で振り回し旋風を巻き起こす。鈍く風を切る鈍槌がレティに振り下ろされた。持ち手を変え攻撃範囲が広くなる。更に自在に軌道が変わる横払いと振り下ろし。スピードも手数も多いその攻撃は避ける以外の選択肢を許さない。
 3秒も待たず避け続けるレティの態勢に無理が生じた時、縦横の攻撃は連続突きへと切り替わった。バロメの鈍槌による連続突きは機械的な速度にまで達し、毎秒10発を打ち出す。槌の先端は100グラム程度だが、レティの躯体を破壊するには充分である。
 対してレティは、半身に構え自身の被弾面積を最小にすると、その空気を叩く猛攻を超感覚と身の軽さで皮膚を削られながらも躱し続けた。
 レティのスキルを知らないバロメの攻撃は殺傷能力が高すぎた。それはレティに取って好都合であるが、なんせ手数が多かった。鉄塊が硬い皮膚を掠める度に火花が散り、確実に追い詰められていく。
 風切り音だけが耳に残る嵐の中、レティはバロメの特異性を感じ取った。
 突きとは本来、点で貫くことであるが故に、距離感が掴めない。その対処として相手の視線や初動で予知する。
 しかし、面積のある鈍槌は距離感が掴み安い。更に攻撃で生じる風圧は、身を任せるだけで避けられる程である。
 それらがこの気付きを遅らせた。
 バロメは鈍槌を片手、しかも肩先だけで扱っている。異様または異形である。布で解らなかったが顔も向いているだけで見ている気配がない。土煙の中でも正確な攻撃を放てた理由も何となく理解できた。
 恐らくバロメは元々目を使っていない。しかし、自動人形が盲目とは考え難い。目より信頼できるものがあるとするなら、恐らくスキルかギミックによるものだろう。

 状況はバロメが優勢。しかし、レティの設計上の欠点と死の直感は、バロメの算段を大きく狂わせていた。
「ハッキリ言って強いとは思えない。しかし、何故攻撃は一向に当たらないのだ。」と思わせた。初動の無い連続突きを何故レティは避け続けられているのだろうか。
 未だかつて、接近での戦闘で敗北はなく、数々の自動人形を打ち砕いてきたこの技。20秒間放って一度も手応えを得られなかったのは、このレティが初めてであった。

 それまでは、レティが負けるのは時間の問題かに思えたが、先に音を上げたのはバロメの方であった。肩の根本から白煙が上がり攻撃も鈍る。決め手となる場面であったが、レティの脱出を許してしまった。
 一度距離を取ったレティは勝ち気に微笑むが、既にボロボロ。服は所々破れ、体はもちろん頬にも罅が入り少し崩れている。
「学校では使いたくなかったけど仕方がない。」
そう言うとレティは刀を鞘に納め居合いの構えを取る。彼女が作る間合いは、全方位に見える程の殺気を漂わせ安易な接近を封じる。この状態を制空圏と呼ぶ。

 本来居合いとは後の先を旨とした抜刀術だ。当然、敵を前に刀を鞘に納めておく理由はない。しかし、レティの居合いは自身に課した呪いの一種であった。
 人の成りをしたものには憑き物が宿る。自動人形も例外ではない。しかし、一つ二つ憑こうが、影響が出るものでもない。
 しかし、400年を生きるレティに憑いている霊の数は人と獣も合わせて三百にも達していた。正に呪いの人形。レティはそれら憑き物を居合いと云う形で怪異へと昇華させていた。
 抜いた刀が敵を斬らずに鞘に納まることはない。その道理に呪いをかけ、結果と過程を入れ替える。
 レティは小型が本来持つ機動力を、この居合いの怪異で補っていた。

 200年前。日本で出会った、からくり技師田中源十郎。
 元は侍であった彼に剣術を学び、レティは代わりに自動人形の仕組みを教えた。怪異現象や命の在り方なども研究していた彼は、人の思考や感情は霊的エネルギーとなって空気中に漂っていると考えていた。魔術的用語でこれをアストラル体と呼ぶ。
 このアストラル体を器に集め、人々に噂を根付かせれば、認識としては存在を確立させられる。その結果。人工的な怪異を作れると信じていた。
 その研究途中、試験的に出来上がったものが、レティの使う剣技、居合いである。
 使用に伴う欠点もある。空間の磁場を歪めてしまうのだ。中でも「居合い・絶影」は恵美の通う学校に霊障を残してしまう。

 バロメは鈍槌を上空に投げ、タイルが捲れるほどの脚力でレティの間合いに突入した。彼女に取って殺気とは抑止力になりえない。
 レティは空中の鈍槌に視線は送らず、制空圏に入ったバロメに最高速の居合いを放った。前置きを無視したバロメの選択は愚行かと思われたが、彼女はレティの居合いを寸前で仰け反り躱したのだ。超感覚を持つカシミアでさえ回避が難しいこの技を破壊重視の中型自動人形が「そう来るかと解っていない限り」避けられる筈がない。
 バロメの拳はレティの腹部に打ち込まれ、粉々にせんとばかりの勢いで上空へと打ち上げた。声帯が潰され声が汚く漏れる。軋み上がった躯体はノックバックを起こし無防備になる。
 屋上から7メートルの上空。レティの手から姫鶴が離れた。居合いの怪異は鞘に納まって発動する。 奥の手として放ったにも関わらず不発に終わった。
 バロメは鈍槌の落下位置を把握していた。それをタイミング良く回収すると、次はこれから落ちて来るレティに向かい大きく構えた。
 ノックバック中、スキルは使えない。死の直感を頼りにするレティに取って思考が巡る分、恐怖である。
 懐中時計が一秒間に刻む10回の振動が魔晶石に直接届き、時間を正確に伝える。静寂の世界で今か今かと、長い5秒を待つ。
 風の音が聞こえた。次に光が見えた。真っ白な世界に輪郭が付き、色が戻る。眼下には、バロメが構え、打ち放つ寸前であった。
 思いの外高く飛んでいたことにより、僅かであったが回避する猶予が残っていた。
 反対方向4メートル先の貯水槽に向けてレティは両手を突き出した。内部のギミックが発動し手首から先が弾丸の様に射出され貯水槽の梯子部分を掴む。巻き取り式の機構が高速回転し、ワイヤーの様に細い伝達繊維を絡め取ると、レティはコンマ3秒で貯水槽にたどり着いた。
 バロメの攻撃は大きな空振りで終わったかに思えたが、レティの靴底を掠めていた。立て直しの機会を得たが、刹那でも遅れていたならば、こうはいかなかった。
 規格を無視した高速回転によるものか、レティの両腕から発火寸前を思わせる白煙が上がる。神経と筋肉を同時に担う伝達繊維が焦げる。通常はゴム紐、それを更に細く研ぎ澄ませたワイヤーのようなものが、このギミックに使われている。レティは内側から突き破る様な痛みに、憐れむ程の叫び声を上げた。どうにも歯を焼きながら削る位痛いらしい。
 それでもレティの思考は安定していて、白煙と痛みが治まるまで己の技が破られたことに就いて考えていた。

 何故、盲目の敵は居合いを躱せたのか。聴覚が優れていたにしても、攻撃や回避が不自然なほどに正確である。
 レティの居合いは音よりも早く耳では追えない。
 自分と同じ先読みのスキルの可能性もあるが、断定するには早い。考察する材料はまだある。

 レティに与えた致命打は確実に魔晶石を狙っていた。しかし、彼女の装甲が小型の中では固く頑丈であった為、即死とはならなかった。
 バロメはあの時、「打ち上げる」のではなく、「貫く」つもりで拳を打ち込んできた。
 自動人形の構造は観察無しでは解き明かせない。しかし、盲目であるにも拘らず魔晶石の位置を正確に捕らえていた。
 バロメには目には見えない世界が見え、音よりも早いものを感じ取れるスキルがあるのかもしれない。
 目の見えない、或いは光のない世界で生きる動物は何を頼りにしているのか。
 エコーロケーション(反響定位)、またはピット器官のような赤外線感知なら知覚範囲は広い。しかし、どちらも音速を超える居合いを避けるには役不足である。
 振動ならどうだろうか。超感覚がない中型自動人形でも、小型の世界観に介入できる。レティから発せられる振動を感知出来れば、随一その先の行動を予測できる。
 来ると解っていたのなら、居合いでも銃弾でも容易に躱せるだろう。
 だとしたなら接近戦で勝利することは難しい。カシミアほどの機動力があれば、先手を読まれても敵の反応を確認した後、刹那の世界で行動を変えられる。しかしレティは、居合いを除きそこまで機動力の高い自動人形ではない。
 下手に手を出せば、強烈なカウンターを貰ってしまう。次はない。
 居合いは後の先である。つまり先手。加えて一見無防備に見えたバロメの行動はレティの攻撃を誘っていたのであった。随時読まれていたのなら、無防備であったのはレティの方だ。
 レティは貯水槽に運良く刺さっていた姫鶴を抜き、もう一度バロメの待つ土俵に降り立った。焼けた手から伝わる感覚はなく、指も何本か動かない。刀を上手く握れず、得意の居合いはもう放てない。
 対峙する敵を前に、拙い握りで上段を構えた。
 バロメは右手の手袋を外すと鈍槌に爪を立てた。鋭い爪先で正六面体の鉄塊に不快な高音を刻んだ。手に持つ鈍槌は小刻みに振動し危険な雰囲気を醸し出す。レティの憶測が確信へ近づく。
「共振鳴神」
技の名だけ言ったバロメは、両手を使い突きの構えを取った。
 レティがバロメのスキルを暴いた一方、バロメもまたレティのスキルをある程度予測していた。
 単純な小技は通るが、殺傷能力の高い妙手は見事に躱す。バロメは思う。土煙の中でさえそれをやってのけるのだから、致命傷を避けるスキルではなかろうか。ならば、殺傷能力の無いこの共振鳴神は必ず通る。
 互いに確信を持った一戦。数秒と間を待たず、先にバロメが仕掛けると、レティは上段から中段の構えに切り替え、突きを放つ。しかし、身長も加わりリーチはレティが劣っている。
 刹那、レティは超感覚を以て、手首を返し刃先を地に向けた。鈍槌による突きを往なし懐に飛び込む。
 刃を振り抜こうとした。しかし、一閃を放ったレティの表情は曇った。口元をしまったと言わんばかりに歪めた。

 真っ向勝負を挑めばレティは必ず乗ってくるとバロメは読んでいた。力が込められていない刃は腹部に届く寸前で、二本の指で受け止められている。
鈍槌を短く持ち変えたバロメの攻撃がレティに入った。
「はい···タッチ」
レティの胸に振動する鉄塊が押し当てられた。その攻撃は痛みを与えるものではなかったが、あまりに不可解なことに、一瞬だけ思考が止まる。
 兎に角、次に移行しなければと思った瞬間。レティはその身に起きた事態を把握した。
 動けないのだ。指一本、視線さえ操作を受け付けてくれない。

 バロメが使ったこの技は魔晶石の伝達信号を一定時間無効にするものだった。個体によって違う魔晶石の振動を理解し、同じ波長の振動で相殺する。半径5メートル以内の振動や波長を読み取る能力。それがバロメのスキル「波動感知」。そして、そこから生み出されたのがこの技。
 元は鎧の自動人形の内部を破壊する技であるが、応用によりこの様な状態にもできる。

 風が強い。雲が日を隠し、陰るバロメがより一層絶望に見えた。振り下ろされる鉄塊を前にレティは戦いを諦め、長い命の終わりと、親友との約束を守れなかったことに悔いを残して、心の中で呟いた。「すまない。エミィ」と。



 その時。追い風と共に不思議なことが起きた。バロメの鈍槌はまた振り上げた状態にあった。時間が巻き戻った様に感じた。理解が出来ないレティは、視線も動かせずその光景見せられていた。
 次の瞬間。バロメの角から火花と共に金属音が劈く。角は音叉の様に震え、バロメの方向感覚と判断力を奪った。
 レティの髪に風が抜けると、バロメの角にまた強い衝撃が木霊する。上下感さえ失ったバロメはパニックを起こすと、鈍槌を振り回し原因を探る。半径5メートル以内には自分とレティしかいない。ならどこから攻撃されているのか。
 可能性として遠距離からの攻撃を双方は理解した。だがそれ以上、バロメの思考に状況を理解する機会は訪れなかった。
 先ほどより威力が増す。強烈な一撃はバロメの態勢を崩し、その上体がのけ反ると続け様に彼女の左肩を衝撃が貫いた。銃弾であった。
 激痛に悲鳴を上げ、地を転げ回るバロメ。自身が狙撃されているとは、まだ理解できていない。
 既に体の呪縛が解けていたことに気付いたレティは敵などそっちのけで、フェンス越しに狙撃位置と思わしき校外のマンションの屋上を眺めた。
 細い角を狙い撃つ芸当。心当たりは一つしかない。レティの仲間はスナイパーだ。
「来るのが遅いぞ。オレガノ。」


 距離400メートル。右から風速9メートル。
「振動を感知するオートマトンか。レティにとっては厄介だったな。」
 深い緑の瞳に映える凛々しくも美しい顔立ちは中性的。白過ぎる肌にダークブランの長い髪は腰まである。落ち着いた黒いミニスカートのドレスを身に纏う彼はレティより一回り大きい70センチの中型軽量級自動人形。
 タイプ·クラウン·オレガノ。
 オレガノの視点から見るレティは、恐らく文句を言っているのだろうが、声は届いていない。それより笑顔で手を振っているのが不愉快であった。
「後ろに敵がいるという状況で、お気楽なもんだ。」
 彼はスコープの無いサイレンサー付きのライフルを片手で扱う。銃に添えるべき反対の手は大仰な鞄で塞がれていた。発砲する度、屋根を飛び越えては伝って恵美の学校に近づいて行く。
 藻掻き苦しむバロメにもう戦意は無い。形勢を逆転させたオレガノの圧倒的な蹂躙にレティは興奮した。
 テンションが上がった彼女が両手で精一杯作った拳銃のジェスチャーでバロメを狙うと、「バン」と言う合図で面白い位に左の太股を正確に打ち抜いた。バロメは全力で逃げようとするが、弄ぶ様に更に左膝を撃ち抜かれた。
 殺されそうになったとは言えレティは悪趣味である。羽を一枚ずつ捥いで絶望を与え、生還以外の望みを奪い取る。
 バロメは意識朦朧と重い体を引きずり、やっとの思いでフェンスにしがみつくと、遂に死期を悟る。
 散々痛め付けるとレティは満足気に右手を上げオレガノの狙撃を中止させる。殺せば次の厄介者が来ると思った彼女は、バロメを見逃した。
 バロメはフェンスを引き千切り、高さ4階の校舎から力無く飛び降りた。
 レティが彼女の胸の悪口を言いながら下を覗くと、既に姿はなかった。序に中指を立てようとしたがうまく出来なかった。


 しばらくすると、レティとオレガノは合流した。
 レティは再開を祝して大荷物を抱えるオレガノに抱きつこうとしたが、その荷物で殴られた。酷いじゃないか、とレティは怒りながらオレガノを睨むが、文句を言いたいのは彼の方だった。
「レティ···お前忘れ物しただろう。」
レティは頷く。
「俺は一足早く日本に来て、現地調査をしながらお前を待っていた。」
レティは頷く。
「一週間前ふと思い出したよ。お前が列車に手ぶらで乗ったことを。俺の見ていない所で荷台に載せたと考えたが、お前の性格だ。堪らず不安になった。」
 オレガノはロンドンまでレティの衣服や武器を取りに戻り、また飛行機で日本に戻ってきた様だ。そうとは知らないレティは飛行機が嫌いと言う理由で優雅に船旅を2ヶ月楽しんでいた。
 オレガノが戻ると、既にレティの噂は各地に広まっていた。心配もしたが慎重さに欠ける彼女に怒りを覚えながらも大慌てで捜索した。
 恵美の学校まで割り出し、やっとレティに会えると思った矢先にあの状況。
「お前。隠密行動って知っているか?少なくても俺はここ2ヶ月、目立つような戦闘は行っていない。」
 レティは2体分の荷物は重かろうと労うが、ライフル以外はレティの荷物だ。リュックを背負い片手に鞄。そして肩にライフルをぶら下げると合わせて5キロ。そのうちレティの荷物が4キロ。
 それはさておき。オレガノは先の戦いで自分が間に合わなければレティは死んでいたことを指摘する。
 彼女は過ぎたことは気にしないと笑った。今回、オレガノが介入したことにより死の直感は発動しなかった。この能力はレティが死なないと発動しない。即死攻撃ではなく、それによって即死することが発動の条件であった。
 死んで発動するスキル。試しに使えるものではない。不確定要素を頼りにするなと、オレガノは注意するが、レティは些末事を考えるのは追々でいいと微笑んだ。
 「馬鹿な女だ」と思いながらも、彼女の代わりにオレガノは頭を抱えため息を漏らす。だが、マチルダが亡くなってから彼女の笑顔が少なくなっていたことを思い、彼もひとまず再開を祝した。
「少し明るくなったな。レティ。」








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