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自動人形編
第6話 奇跡の石
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6月を前に蒸し暑さを感じる今日この頃。
午後3時。本日の学業を終えた恵美と二体の自動人形は家路の途中、レティの修理のため麗子のいる日下部探偵事務所に立ち寄る事にした。銀の教団バロメとの戦闘で大破寸前まで追い込まれたレティは恵美の腕の中で項垂れている。
彼女がお気に入りにしていた青いドレスは修復不可能なまでに裂かれ、哀愁漂う表情には皹の入った頬が目立つ。また、伝達繊維が焼けた両腕も今しがた機能が停止した。
そんなレティを見てから恵美の機嫌は相当悪くなっている。彼女は、「私のレティをボコボコにした奴を絶対に許さない」と言い頬を膨らませるが、「そもそもお前の物になった覚えはない」、とレティは思った。
恵美が抱えるに当たって、邪魔になるレティの荷物は、結局オレガノが持つ。腕が使えないのであれば、致し方がないと協力してくれた。そんな大荷物を担ぐオレガノに恵美は先ほどから違和感が残っており、頻りに横目で見ていた。
見掛けはおしとやかな女性で、一人称で俺を使う、不思議な人形。
恵美の学校では、自分のことを僕と言う友人が異性の男子に揶揄われている。恵美自身もその子の使う一人称には不思議と異物感を頭の隅に残してしまっている。それと同じく好奇の眼差しで見られるオレガノは、「俺の顔に何かついているか?」、と恵美に問いかけると、歯に衣着せぬ物言いで彼女の思いは率直に告げられた。
「オレガノちゃんはどうして自分の事を俺って言うの?」
それが何を意味するのか、いち早く理解したレティは吹き出すように笑った。
オレガノは言う。「別に誰が自分を何と呼ぼうが問題ないだろう。それに俺は男だ。」
恵美は数秒間沈黙すると、嫌悪的な表情を浮かべた。「何故、女の格好をしているのだ。この変態は」、と一層疑問を深めた。見て取れる程の疑問符が溢れる恵美の思考はこんがらり、表情も微妙な物を見る様な目になる。
オレガノの言い分だと、男が長髪でスカートを履いても良いことになる。恵美が彼に対する扱いは差別以外の何物でもない。恵美は自分の考えを振り返ってみる。そして思う。なんとなくであるが差別はいけないことだと。しかし、そうは思ってもこの気持ちは自然と沸いてきてしまう。
6才の恵美には、その気持ち悪さを言葉にする術がなく、ただ気分が悪くなるだけであった。
もう聞くのは止そうと、恵美は視線を逸らすと脈絡もなく話題を変えた。 二人の関係に就いてだ。
「別に俺は気にしねぇが、自分で広げた話は自分で始末付けろよ。後これは、15年前にレティとの賭けで負けた代償で、俺の趣味じゃあねぇからな。」
オレガノは頭を掻きながら、語り手をレティに預けた。話好きの彼女は、わざとらしくため息を吐くと、麗子の店に付くまでの場持ちとして、ノリノリで語りだした。
「あれは、町に街灯など無く、月明かりが頼りだった時代。」
1750年イギリス、ロンドン。
その更に昔、大火に包まれたこの町は、木造から煉瓦作りの町並みに変わり、技術、芸術、娯楽、商業において、世界の中心と呼ばれていた。しかし、治安が良いわけでもない。貴族が夜道を幌馬車で駆けようものなら、悪漢の餌食になることも珍しくない。煌びやかな表世界と、未来永劫目を背けたくなるような事件や戦争が、恥ずかし気もなく混在していた時代。
後にオレガノと名乗る自動人形は、邪悪な仲間を連れてとある幌馬車を追っていた。その馬車の乗客には、貴族の婦人とその一人息子が乗っていて、人形達の目的はその人達の誘拐だ。犯行動機は同国内の政治によるものだった。
妻子を人質に取って、穏健派の伯爵から、軍事支援を得ることを狙った、誘拐による脅迫だ。何が何でも戦争を起こしたい奴らは何処にだっている。
オレガノは思った。この卑劣な行為もさることながら、特に気に食わないのが、その面子である。
異形種、タイプ·ナイトメア
13世紀に尋問や拷問、人を恐怖に陥れることだけを目的に創られた自動人形。10センチ超小型。ネズミの頭と人の体を持つ赤子。180センチ大型。礼装で着飾ったカラス。150センチ大型。首の無い貴婦人。
計三体の化け物は、見るものを狂わせる共通スキル、「狂気」を持ち合わせている。端的に言えば、そのビジュアルに恐怖する者を発狂させる効果だ。
そんな危険物を取り扱うのに、手っ取り早い方法が真名を支配することである。知性を奪う代わりに、命令に忠実な操り人形にできるのだ。
オレガノは、コミュニケーションの取れない彼らを、二重の意味で気持ち悪いと思い毛嫌いした。彼がそれ程嫌な仕事を請け負う理由は金以外にない。物事の解決策としてそれ程便利な物は金をおいて他にないと思っている。
実行班にナイトメアが3体、後衛にタイプ·クラウンの彼が狙撃兵として現れた敵を狙い撃つ。一番槍として四つん這いでゴキブリの様に走る異形の鼠が、馬車の荷台に乗り移ると、長く突き出された前歯で幌を突き破り麻痺毒を噴出する。そうして乗客は仮死状態になり、後に幌馬車を奪えば作戦は終了。単純かつ簡単な仕事。
そのはずだった。
幌を劈くのは、毒の前歯ではなく鋼鉄の刃。鋏の先端である。片刃ではない。諸刃の鋏だ。それが鼠の自動人形の腹を貫いている。
諸刃の鋏は元来の用途ではなく、開くことによって鼠の自動人形を内側から引き裂いていく。見せしめでやっているのか、ゆっくりと開かれていく間、遠吠えにも似た悲鳴が、夜のロンドンに響き渡る
残りの二体は馬車まで猛スピードで近づいていく。
カラスの公爵は低空を滑空し、首なし婦人は大きく手を振りながら全力で走る。あと10秒もあれば追いつくだろう。カラスや斬首にトラウマがある人間じゃなくても、この状況には戦慄を隠せないだろう。そう感じただけで人をパニック状態に陥れるスキルをこの二体は持ち合わせている。
荷台では落ち着いた口調で「今は外を見ない方がいい」と声が聞えた。石畳を轢く車輪の音の中、人形の少女が幕から顔を出した。少女は二体の化け物を確認すると、その悍ましさにため息を漏らした。
上体を乗り出した少女は、自分を隠せるほど大きい諸刃の裁ち鋏をちらつかせた。決して裁縫用なのではなく、「生かしては帰さない」、と言わんばかりの出で立ち。諸刃故に閉じた状態では大剣として使える。それを片手で扱い石畳に引きずりカラカラと鳴らしている。
身長60センチ、月光を吸い込む金糸の髪、夜空に揺らめく蒼玉の瞳を持つ人形の少女。
彼女はこの時まだ、「レティ」と言う名前は持っていない。そして、その少女の身なりは妙に整っていた。
身に纏うロココ調ドレスは、当時は高価であった「青」が生地のベースとして使われおり、見る者に感動を与える。しかしその反面。鎖骨から胸元まで大きく開かれたデザインを、胸が大きくない彼女は、少しばかり嫌味に感じている。
更に、薔薇に見立てたフリルのスカートは、パニエで盛り上がり動き難く、極め付けに装飾の多すぎる幅広キャペリンの鍔は視界を塞ぎ鬱陶しい。機能性と美の両立は難しいとしても、責めてハイヒールの踵は折りたいところ。
相手の力量も測らず、戦いの火蓋を切って落としたのはレティだった。
走る幌馬車から彼女が高く飛び上がる。満月を背に鋏を二刀に分解する。更上下に差し込み、プロペラのような形状、双頭刃の型に変える。レティが空中で縦方向に回転すると、そのスピードは機械的な程までに加速する。
高速回転する丸鋸が、敵の一体である首の無い貴婦人を目掛けて猛突進するが、相手は大型自動人形。耐久も出力も桁違いな相手に、レティの高速回転は右手の甲で軽く弾かれてしまう。大型自動人形が軽く打てば、小型自動人形など面白いように飛ぶ。
しかし、かつて「鉄腕のシャルノス」が命名したこの技「大車輪」は、それらの認識を覆した。
確かな重量と高速回転による突進は、軽い気持ちで出した右腕を肘まで粉砕し、斬撃の爪痕を肩にまで走らせた。更に、幌馬車に打ち返そうとしたにも関わらず、その重量に加減を誤った結果。彼女を上空に打ち上げてしまった。
もしここまでが、レティの計算通りなら、狙いに気付けた時はもう遅い。
レティが、まず厄介に感じたのは、空を飛ぶ自動人形、カラスの公爵だ。彼女は再び鋏を大剣に戻すと、飛行する自動人形を鋏の平面で叩き落とした。フライパンで叩いたようなコミカルな効果音とは裏腹に、カラスの嘴は真っ平らに潰れ、そのまま首無し婦人に衝突する。
二つの大きな的が動きを止めた。レティは落下の勢いを大剣に乗せた。
オレガノは、マスケット銃で、標的より大きく外れた位置を狙い撃つ。弾丸の軌道は弧を描き、レティの魔晶石を正確に捉えた。当たれば即死だが、故に感付かれた。スキルによる先読みで、彼女は暗闇に溶けたはずの鉛玉を切り裂いた。
閃光に散った弾丸が稼いだ時間は1秒もなく、レティは再び構えた。ノックバックを起こした、カラスの公爵の下敷きになった、首なし婦人に抜け出す時間はなく、「それ」を盾にして大剣の攻撃を受ける他になかった。大型2体を遊撃する小型自動人形は未だ存在しない。しかし、レティに取っては難しいことでもなかった。
「お前達に知性があれば、もう少し苦戦したかもな。」
真名を縛られた「それら」の代償は大きく、スキルの使用幅も狭くなる。「狂気」が効かないレティに取ってはでくの坊同然であった。
大切断
煌びやかな衣装の瀟洒な少女が放つ剣筋は、二体の大型を石畳諸とも豪快に叩き切った。
自動人形三体を瞬く間に撃破させる相手に勝てる見込みなど無い。そう悟ったオレガノはマスケット銃をその場に捨て逃亡した。
レティは、貴族の母子が騒ぎを聞き付けた自警団に保護されたのを確認すると、敵戦犯の追撃を始めた。
オレガノの移動速度は人並みで速くはない。対してレティは狼よりも早い。青い瞳から残光を引き、風を切り屋根伝いを駆ける。
オレガノは体を半回転させ懐に差してある6丁のピストルの内1丁を抜いた。
距離100メートル。一射目。
弾丸は直線には跳ばず、変化球の様に深く下がる。足場となる屋根に跳弾した弾丸は、レティの手元で爆ぜた。だが、彼女は鋏の縁で防いでいた。
オレガノはかなり焦りを感じている。彫刻の入ったピストルを惜しむことなく投げ捨てると、次は二丁同時に放つ。直ぐ様それも捨て、新しいピストル二丁を早抜きすると直ぐ様放つ。
距離80メートル。
2発の弾丸は空気抵抗で急激に失速しレティの前で互いに打ち爆ぜる。遅れて放たれたもう2発の弾丸は火薬量が多く、失速し打ち爆ぜた弾丸に着弾する。弾き合った弾丸4発は、レティの周りの煙突や屋根で角度を変えると跳弾を二度三度繰り返す。すると4発の弾丸の軌道はレティに向けられた。
レティは洋瓦の屋根に強く踏み込み魔力を流す。衝撃で瓦が捲り上がり、4発の弾丸から身を守った。追う側のレティは楽しそうに歪んだ笑みを浮かべている。
追われる側のオレガノも最後のピストルに視線を送ると、ニヤリと笑った。
「お前にだったら使ってもいいだろう」
距離60メートル。
最後の一発は直線に狙いを定める。しかしそれでは、球体の弾丸は空気抵抗で軌道を見失い、決して命中することはない。
スキル·魔弾
自動人形の生命力。魔晶石の魔力を消費し、飛び道具の火力を底上げする。
その弾丸は何かに当るまで標的を追尾し、失速することなく必ず貫く。
紅を纏う弾丸が撃ち出された。
「魔弾」
空間が歪むほどの衝撃波に、洋瓦が紙吹雪の如く舞い上がる。しかし、レティは一切怯むことなく、鋏を二刀に分解しプロペラ機の様に回転すると、自ら魔弾が起こす嵐に突入した。
オレガノは堪らず驚きの声を出した。レティが魔弾を潜り抜けたからだ。そして魔弾が生み出す回転力を推進力に相乗させ一直線に向かってくる。
レティに衝突し、空中に放り出されたオレガノ。彼が屋根に叩きつけられると、直ぐ様レティは鋏でその首を落としにいく。洋瓦ごと切り裂き彼が両手を小さく上げ降参する頃には鋏は首に2ミリ程度食い込んでいた。
つい手を止めてしまったレティは、目を見開き不思議そうな表情で凝っと見つめると、次に問を投げた。
「死が怖いのか?」
「まぁな。死ぬ前に教えてくれ。どうして俺のスキルを攻略できたんだ。」
オレガノは解らなかった。何故「魔弾」はこの少女の魔晶石を貫かなかったのか。それもそうだが、何故弾丸は悉く防がれたのか。
レティは自分の手の平を見せると、種明かしをした。そこには綺麗な穴が開いていて、その銃創は肩を貫いていた。
「避けた場合。あの弾丸はどこまでも私を追いかけて来た。それもスピードを増してな。初めて見るスキルだったが、私に即死を狙った攻撃は通らないぞ。」
レティには未来予知のスキルがあると知ると、オレガノは自分の敗因を理解した。
一方。少女は疑問であった。何故、命乞いの機会など与えてしまったのだろうか。何故、丁寧に自分のスキルを説明しているのか。先ほど切り捨てたものたちとは違い、少しでも解り合える機会があるかもしれないと、何故か期待してしまった。
少女は不可解な感情のまま、再度彼に問う。
「では答えろ。何故死を恐れる。誇りはないのか?」
彼は言った。「誇りの為に死ねるほど、俺は馬鹿じゃない。生きていれば必ず次がある。ならば、どのような選択肢にも自分の命を勘定に入れてはいけない。」
レティは腕を組み納得しそうになるが、首を横に振る。そういう発言は、まともな生き方をした者だけが吐いて良い台詞だ。彼女はその言葉を口に出して言うつもりだったが、思い留まった。「では私は、まともなのか。」何も残らない戦禍の日々に身を置く自分がまともなはずがない。
レティは不覚にも、気ままに生きている様に見えた彼が羨ましいと思った。次に思う。自分の様に生き方を縛りつけたいと。
レティはオレガノに見逃す条件として、人類への貢献を約束させる。人間を下位に見ている彼ならば、その身を捧げることなど出来るとは思えない。
だが以外にも彼は数秒沈黙したあと、具体的な内容を求めてきた。
この時だった。感じたことのない感情がレティに芽生えた。ただ「破壊する」から、「気分次第では破壊」するといった、立場的興奮をレティは覚えてしまった。この男をどうしても困らせたいと、彼女は目を泳がせながらも、自分でも到底叶えられそうにない難題を与えた。
「では··5人の人間を救え」
これで、彼は回答に渋る。そして、時間切れを理由にして、首を落としてやるつもりでいた。
しかし、オレガノは安易に承諾してしまう。人の悩みなど金で簡単に解決できると思ったからだ。
求めていた反応と違いレティは不服の表情を浮かべた。人間を守ることがどれだけの苦難であるか必死に説明するが、為せば成ると一言で済まされ更に苦い表情になる。
「なんだか知らんが、約束は必ず守るから、このハサミを引いてもらえないか?」
「あ・・あぁ」
レティは言われるがまま鋏を引いた。何故かそうしなければと思ったからだ。
起き上がった彼は歩き出す。
「待て。どこに行く?」
「もうこの国にはいられない。まぁどこに行こうが、お前には関係無いだろうけど。」
レティの欲求を満たすことなく、オレガノは闇夜に消えていく。
呼び止める理由を最後まで見つけられなかった彼女は、釈然としない感情を表に出し月を眺めた。
八雲一行は日下部事務所にたどり着くと、人形技師でもある麗子にレティの修理を依頼する。作業場を選ばない麗子は、デスクの上にある資料や何かしらのパーツを払い除ける。恵美がこの者と出会ってから元より雑然としていたこの一室が、日を増すごとに一層汚れていく。
がさつな麗子は、作業に入るとレティの服を軽快に脱がす。
「しかし随分とまぁ、こっ酷くやったね」
レティの損傷は見掛けより酷い状態で、両腕の伝達繊維は炭化し腕の内部には煤が張り付いていた。顔面の左半分は、痛々しくも皹だらけで見るも恐ろしい。
「そもそも人並みに痛覚はあるだろうに、どうして平気そうな顔をしていられるのかね?」
「まぁ痛いよ。でもこれくらいじゃあオートマトンは死なない。だったら痛がるだけ無駄だってことさ。」
麗子はレティに、あらかじめ用意しておいた予備のパーツを取り付ける。
「一切ギミックは付いてないが、無いよりはましだろう。君のパーツは作るより直す方が早いから、一週間は待ってくれ。」
次に背部を上下に引き抜き、一部縦に割れた脊椎も引き抜く。その作りは簡単で、中に伝達繊維が入っているだけだ。作り置きの部品を差し込めば、その作業も直ぐに終わった。
「後は顔の修繕なんだが、この作業は時間がかかるよ。」
皹割れている部分を全て剥がすと、顔面の左側の骨格と眼球が露になる。剝き出しの歯は、鮫の様に鋭く何でも噛み砕いてしまいそうだ。
レティはそれを見られたくない様子で顔を背ける。麗子は気を利かせ、白いハンカチをレティの頭に被せてやった。
欠損している部分を型取り、はめ込むためのパーツを作る。
まず、木材から削り出し整形した物を粘土に押し付け型を作り、特殊な樹脂をそこに流し込んで成形する。それが固まるまでこの時期だと2時間ほどかかる。
麗子は恵美にレティの帰宅を待つことを薦めるが、彼女は待っていると言い、作業を眺めた。
「オレガノくんとレティの話もまだ全部聞いていないし。」
レティは頬が無いせいで呂律が回らず、代わりにオレガノが話し手を務める。
「前回の話しから俺とレティが再開したのは、150年後の第一次世界大戦末期。」
1918年。第一世界対戦は史実上終結を迎えようとしていたが、それを知るものは戦場にはいない。誰もが醜悪な環境下で臓物と硝煙にまみれながらも自国の勝利より戦いの終わりを願っていた。
当時、既に弱りを見せているドイツはイギリス・フランスと、ベルギー南部の戦線で熾烈を極めていた。
ドイツは、ベルギーを経由してイギリス領土へ侵略する計画だったが、それとは別に目的があった。とある本を略奪するために、ベルギーのアントワープに在った、名の知れない教会に自動人形を多数投入していた。
オレガノは、その歴史的書物をどの国よりも先に奪還するため、隠密行動をしていた。何故ドイツ軍が戦争よりもその書物を優先するのか、理解できなかった。しかし、アメリカから報酬200万ドル、前金として5万ドルを貰った以上やることはやるつもりでいた。
だがそれも、100体編成の自動人形群体をみるまではの話であった。小さなカトリック教会の周辺を囲う自動人形タイプ·クラッシャーと言われる大型の鎧騎士役100体が、整列しているわけでもなく、点々と立ち尽くしている。軍というより群。
しかし何故これ程の戦力を前線に投入しないのか、不思議ではある。今の戦況をひっくり返す程度には、これら一体の戦力は高い。前線に送らないとなると、人間達の戦いが囮にさえ思えてくる。人が何人死んでもその本が欲しい。そう言っているようだ。
始めはおとぎ話と決めつけていたが、ここまでの情景を見せられた今、何かしら重要な物であることは解った。
命令に忠実な自動人形をこれほど投入してまで手に入れたいだなんて、一体その本にどれだけの価値があるのだろうか。そもそも本当に書物であるのかすら疑わしい。その価値に興味は絶えないが、作戦継続は不可能と悟ったオレガノは、既に本は奪われていたことにして、戦場から頓挫することにした。
たかが本の為に、戦車に匹敵する大型自動人形100体に突撃できる奴はいない。オレガノはその場を後にしようとしたが目にした。レティの姿を。見窄らしいローブを羽織り当初の煌びやかさなど見る影もない。
そんな彼女は敵の足元から軽やかに駆け上ると、大型自動人形の首を落とした。更に首元の隙間から鋏がねじ込まれ心臓部の魔晶石を砕いた。戦車に匹敵とか言ったが、こうもあっさり倒されてしまうと信憑性がなくなる。
好き勝手に振る舞うレティを大型達は、四方から囲んだのは良いものの、互いの図体の大きさに剣を振るには環境が悪い。ただ考えもない、命令に従うだけの烏合の衆。彼女を踏みつけようと不用意に出した足は、鋏によってアキレス腱に値する伝達繊維を断ち切られる。体制を崩した鎧騎士は、彼女の視線まで落ちるとその間合いに引きずり込まれる。まるで獲物を食い散らかすピラニアのようだ。
十数体の大型自動人形が押切られ、教会への突撃突入を許すも、命令範囲外だったのか、自動人形達はレティを追うことはしなかった。
教会に入って行く少女を追うべく、オレガノは草影から様子を窺う。「連れ人がいるので通して欲しい」と言ったところで、話の通じる相手ではない。しかし正面突破などオレガノの機動力では成しえない。何か策はないものだろうかと考えも、特に良い案は出てこない。そこに良くも悪くも、思わぬ事態が舞い込んだ。
イギリス軍がこの教会に攻め込んで来たのだ。
包囲網を潜り抜け、遂に兵器全書のある建物に辿り着く。
教会の内装は決して豪華ではないが、それなりに大きなパイプオルガンがあり、その前には慎ましやかな祭壇がある。しかし、その祭壇は西へ60センチ程引きずられており、地下へと通じているのだろうか、大人が横になってやっと通れる程度の幅の階段があった。
レティは気掛かりでならなかった。この先に、罠があるのは間違いないとして、敵国の自動人形がこうもあっさり地下への通路を見つけられたのか。
何故、自動人形と断定したのか。理由は単純。祭壇をずらし際、踏ん張ったであろう痕跡に、猫の足跡程の靴跡が無数にある。恐らく小型自動人形が20体以上はいるだろう。
教会内には特に、荒らされた痕跡はなく、パイプオルガンの椅子だけが引き出されたままになっている。埃を被っていたが、その長椅子にも痕跡があった。座った跡。その上で移動した跡。鍵盤にも小さな足跡があり、一曲演奏したのかと物語っている。
その他を荒らさず、ここに真っ先に来たのだ。まるで、知っていたかのような行動に疑念が溢れる。地元住民の筈はない。外の自動人形はドイツ製だ。
何故オルガンが鍵だと知っていたかは解らないが、複数の自動人形が仲良く演奏していたのなら、是非拝んでも見たかった。
浅い考えの彼女では解くことが出来なかったであろう仕掛けを、他国の誰かが解いてくれたのだ。そこだけは素直に感謝して、解かれた通路を使わせてもらうことにした。
長く続く階段は深くにつれて、明らかに新しいものへと変わっていった。初めは苔が生えるくらい年期が入った石積みの壁も、深部は昨日削り出したかの様な新しい石が使われている。階段を降りると、一本道になっている。その先に光が見えた。レティは警戒しながらもその明かりを目指した。
抜けた先は白く近代的な部屋であった。そこは教会の雰囲気を微塵にも感じさせない、清潔な病院と美術館を掛け合わせたような部屋だ。広い円形の屋内に対してガラス張りの縦長のショーケースがひとつ。見上げると回廊があるが登る為の梯子は無い。特徴的なのは五体の石膏像が等間隔に並べられている。正面に見える女の像に膝をつく4人のローブの男の像。
女の石像は何かを握っていたのであろう手の形をしていているが、そこに物がない。神聖なものなら十字架なのだろうが、三角帽子を被る辺り魔女なのだろう。
それら5体が五芒星の位置に置かれているのが気味が悪かったが、レティのスキルの危険予知は発動しない。
それでも警戒心が強まる。先程から視界に入るショーケースには見るからに邪悪な本があった。間違いなく兵器全書だ。
外装は焼き印を押された悪魔の様な手が、拝むように組まれた形状で、まるでその閲覧を拒んでいるかのようであった。
慎重に近づくと少女は破壊を試みることにした。
「動くな」
警告と共に銃声が響き、レティから20センチ離れた所に閃光が爆ぜた。彼女は驚く様子もなく、発砲元の回廊を見上げた。
「また、外してしまった。」
自動人形が、この距離を外すはずがない。わざと外したのだろう。その者は回廊から覗く。
命中率が冗談のように低い、レティと同じ60センチの人形の少女。体型は男子に間違えそうな程の貧相な胸だか、骨格や出で立ちで断定できた。不自然なほどに漆黒の髪と目。軍服にコートまでも黒。軍帽で目元が陰る。
長い髪の毛先は所々跳ね返り、赤いグラデーションが掛かっている。
彼女を一言で表すのなら、彼岸花であった。
「申し遅れた。私の名はネビュラ。幻影帝國ドイツ本部、第7師団隊長だ。人は私を軍姫と呼ぶ。今回は兵器全書の回収のため、この地まで隠密で参った。」
軍姫ネビュラは紳士的にお辞儀をした。何故、誰よりも早くこの教会にたどり着けたのに、まだ書物を手にしていないのか。
いきなり発砲とはご挨拶だが、レティもスカートの代わりにローブをつまみ上げ、カーテシーの挨拶をする。
「それはお疲れ様。部下の一人でも連れていないのは不自然だが、お前一人か?」
「見ての通りだが。あなたこそ、どうしてここに魔導書があると解ったのかね?」
「風の噂と言えばそれまでだが、オートマトンが妙に多いこの戦地に何かあると思ったからだ。見るまで眉唾物であったが、本当にこんなものがあるとはな。」
「兵器全書の噂は知っているだろう?こいつのせいで私達は肩身が狭い。」
レティは、兵器全書の処遇を問うと、ネビュラは、然るべき処置を施すとだけ言う。
「その本はここで破壊する。それがどこかの軍に渡れば、世界がひっくり返るぞ。」
軍姫は頷き肯定した。レティは続けざまに言う。
「戦争なんて無駄なことだ。お前の正義のその先に、本当の平和なんてものがあるだなんて、思っているわけではあるまい。」
軍姫はため息を吐く。「その問いに答えるのは難しい。ただ個人的には平穏が欲しいだけだ」と、冷たい目でレティに微笑みかけた。
彼女も微笑み、軍姫に刃を向ける。人殺しの自動人形が、平穏などと戯れ言を言うものだから、ジョークのセンスが高いと皮肉を込めて笑った。
軍姫は怪訝そうに少し沈黙し、レティに問う。
「あなたも人を殺めたことはあるだろう?」
「私は、タイプ·パニッシャー、その設計理念は兵器から人を守り、人に仇なすオートマトンを破壊することだ。」
本能的に人を殺せない自動人形。そうだと知ると、軍姫は少しだけ目を見開くが、直ぐに眉をひそめる。軍姫は銃口を向け「ならこれ以上戦場に立つ資格はない」と言うと、臨戦態勢に入る。
お互い睨み合い、手の内を探り合う。じりじりと間合いを詰め、次に戦闘が始まるかのところで、教会は爆発音を轟かせ多く揺れた。
態勢を崩した二人だが、ネビュラは落ち着いていた。
「どうやらドイツ軍はこの戦場で敗退したみたいだな」
自国の敗北に動揺を見せないところを見るに、狙いは端から兵器全書にあったのだろう。
「大方、暇になったブリテン辺りがこの本を奪還しに来たのだろう。外のガラクタ共では、もって1時間。場所も仕掛けも我々が暴いたと言うのに、本当に燃やしてしまおうか?」
「ほざけ!」。レティがネビュラの隙を見るや地を蹴だり走り出した。鋏を分解し二刀流の形態にする。3秒後には細切れに出来る。
「始めに動くなと忠告はしたぞ。打ち方用意!」
ネビュラは銃ではなく片手を振り上げた。レティの脳裏に言い知れぬ不安が過ったが、もう止まれない。
この地下に存在する自動人形はこの2人以外に誰もいない。では何故地上の教会には、無数の足跡があったのだろう。
そしてこの部屋のあちらこちらから殺気を感じた。
「撃て!」
軍姫が号令と共に手を振り降ろすと、レティの右膝は五時の方向から撃ち抜かれた。
この空間に入った時、ネビュラ以外の気配は無かった。それにトラップを仕掛けておく程暇でもなかったはずだ。もし、この事態を起こすことがネビュラのスキルによるものなら、あまりにも強力。レティは初めからネビュラの攻撃範囲に入っていたことになる。
レティは発砲元を確認することもできず、振り向き様に四方八方から60発以上の弾丸を浴びた。
眉間を打ち抜かれ、両肩は爆散。腹部より下は蜂の巣にされ、何言わぬ残骸となり地面に転がった。
軍姫は転がる残骸に目を落とすと、銃口を向け引き金に指を掛けた。
「相性が悪かったな。」
地下室に銃声が木霊した。
反響が静まりきらぬ中、カラカラと金具が乾いた音を鳴らしてネビュラに近づいていく。彼女の右手は大きく跳ね上がり、拳銃はその手を離れていた。直ぐにそれが地面に落ちると同時に、軍姫は新たな来客へと目を送る。
彼が歩く度ブーツの拍車が鳴る。硝煙を纏う猟銃はネビュラへと向けられている。オレガノはうんざりした。彼の視界では、レティの死角か現れる小銃の先端を捉えていた。
攻撃手段は、無から生み出す召喚系のスキル。その気になれば今ここにいる彼を破壊するのに瞬きする暇も与えないだろう。しかし、彼は敢えてその姿を現した。その能力を見ても尚、姿を表し要求を仕掛けた。
よってネビュラは思った。今、目のあたりにしている自動人形は強力なカードを持っているのかもしれない、と。
思惑通りに進めたオレガノは、始めに兵器全書を差し出すように言った。しかし、ネビュラは何食わぬ顔でそれを断った。
自身のスキルに絶対的自信を誇るネビュラを降ろすには、オレガノの手札がいかに強力であるか思わせる他にない。
だが、自動人形のスキルを公開することは、攻略法を明かしてしまうことと同じだ。
何故ならば自動人形は有効である限り手段を変えられない。そしてスキルが有効でなくなったその時は、今のレティの様に破壊されているだろう。
それでもオレガノは惜しみなく、自身のスキル「魔弾」と「千里眼」を公開した。
千里眼を以てして、ネビュラの魔力量や魔晶石の位置などが視認できる。また、レティとの戦闘もこのスキルで覗いていた。
強力なスキルではあるがネビュラはこの賭けで降りる気配を見せない。前線の兵力を裂き、これだけの軍勢をもってして狙うのだから、兵器全書とは大層な物に違いないのだろう。
だが、オレガノの本当の狙いはレティの救出であった。交渉もまず希望より高く始めれば、理想が近づくと言うものだ。
そこで彼が妥協でレティの身柄を要求すると、ネビュラは眉を顰める。兵器全書と自動人形一体を天秤に掛けて、結論が何故このボロ雑巾なのか、理解できなかった。
しかし、万が一魔弾なるものが自身のスキルを上回る可能性を鑑みると、ここで手打ちにするのが妥当である。
ネビュラは小孝の末、彼の要望に答えた。壊れたレティの髪を掴み上げると彼に投げ渡した。
圧倒的有利な状況にも関わらず何故ネビュラは交渉に応じてしまったのだろうか。その原因はオレガノの設計理念にあった。タイプ・クラウンの設計理念は「交渉で争いを防ぐこと」。その漠然とした設定にエラーが発生し、それらの機体は欠陥品として直ぐに製作を打ち切りになった。しかし、世に放たれた数体のタイプ・クラウンは設計理念に縛られることなく、その交渉術のみを発揮できる。不利益にならない限り対象は承諾を余儀なくされる。その強力なシステムにネビュラでさえ気付いていない。
レティもまた、かつてこのシステムによって彼を見逃してしまった。その時の彼に誤算が有ったとすれば、レティとの契約内容である。「5人の人間を救う」。それは余りにも抽象的過ぎた。オレガノは未だに誰一人として救えていない。レティとの約束には救いの定義がないからだ。達成方法がない契約は無効である。そう主張しようにも当の本人に死なれれば永遠に解決しない。オレガノが持つ契約という呪いの効果は自身を縛る程に大きかった。
その後ネビュラは兵器全書そのものではなく、魔女の石膏を調べ始めた。高さ5メートルの位置にある回廊にロープを引掛けゆっくり登っていく。
ネビュラは、オレガノの透視能力を利用しようと思い「折角だから私の謎解きを観ていってはいかが?」と誘った。
レティの魔晶石が無事である以上、余裕を見せておいた方が良いと考え、オレガノは条件付きで了承した。「では俺達と停戦協定を結ばないか?」
仮に今逃げても地上は激戦区、安全地帯を探すぐらいなら、しばらくここに滞在する方がいい。軍姫は了承した。自分に取って有益な取引であったからだ。
ネビュラがショーケースに近寄らなかったのには訳がある。オレガノが空の薬莢を投げると、ショーケースに触れるより先に、爆散する。スキル·千里眼で確認する通りでは、強力な磁場またはエネルギーの壁が隙間なくあった。
ネビュラは上の教会のギミックは難なく解いたそうだ。
「貧相な外装の割にはパイプオルガンがあるなど不自然な点があった。試しに一曲弾いてみた結果。音のずれを感じその原因を探ったら、そこにここへ通じる仕掛けが有った。」
しかし、この部屋の謎はまだ解けていない。不思議な所を探しようにも、不自然な所しかないのだ。
階段の無い回廊へ無理に登って見たが、その壁や床にも手掛かりはない。魔女の像も怪しいが、その顔立ちに心当たりがあるわけでもなかった。そもそも教会の下に、何故こんな邪悪な書物が置いてあるのかも不明。
ネビュラがオレガノに、「この部屋で不審な点はないか?」と訪ねると、「特にないがそれもまた不自然だ」と彼は答えた。次に、「まるで魔法のような部屋だ」とぼやくと、ネビュラはその感想に強い興味を見せた。
軍姫が何故魔法なのかと問うと、彼は建物の構造を語る。
上の古い教会に対して、地下の部屋のデザインが新しい。古い教会の下に作るには不自然なほど近代的、またはそれ以上。それは未来の建物が、教会の地下に埋まっているようだ。
ネビュラは小孝すると、その構造に異論を唱える。
この教会に、新しく地下室を作るとなると、一度教会を取り壊した方が効率的だ。この部屋を隠すものならば、地上の教会がここより古いのは不自然だ。物理的に不可能とまでは言わないが、魔法と比喩するのも無理はない。
「魔法か」
まさにこの部屋は、兵器全書を隠すためのトリックルーム。
「で?その魔女は何者なんだ?」とオレガノが問うとネビュラは答えた。
「私の親友が残した手記には、兵器全書、つまり戦争の予言書は12世紀の預言者が書いたとされている。つまりこの魔女あるいは、この4人の誰かが、兵器全書の著者の可能性がある。」
魔女の手に4人の注目を集めている。本から連想すれば、ペンなのだろう。何故無いのかはさておき、ネビュラはマントからとても隠しておける大きさではない、人間用の万年筆を取り出すと、魔女の手に添える。
重さによるものではない何かが作動し、魔女の石像の右手が下がった。
「どうだ、障壁は消えたか?」
オレガノが千里眼で確認すると、障壁は消えていたが、同時に怪奇現象も起きた。
魔女の石像から夥しい量の血涙が万年筆を通して滴る。回廊から流れ中央の兵器全書までたどり着くと、今度はショーケースを伝い登っていく。
引きつった表情でネビュラが、「高級品は合わなかったかな」とジョークを言うが、状況的にも面白くない。
ネビュラは回廊から飛び降りショーケースを打ち抜く。そして台に飛び乗り兵器全書を手に取った。するとたちまち部屋は地上の教会と同等まで古びていく。
兵器全書はネビュラの右腕を巻き添えに腐葉土と化した。彼女の判断は早く、腐り始めた右腕を頭上に上げ、自身の能力でその腕を消し飛ばした。
もし魔法なるもので、この空間の保存状況が保たれていたなら、数百年分の老朽化でこの部屋は崩れてしまうだろう。
ネビュラに隙を見出だしたオレガノは動き始めた。頭と胸部のみになったレティの髪を掴み上げ、無駄に重い鋏を担ぎ、出口に向かい走りだした。
ネビュラは彼らなど気にも止めず考え事を始めるとため息を尽く。髪を掻き分ける。
どうします?今なら追撃できますが?
「外は激戦区。抜けきれるとは思えん。」
しかし、本は偽物だったのでしょうか?
「ここまでの異変を起こすのだ。これも兵器全書なんだろう。」
ネビュラは独り言を終えると、崩れ行く部屋を後にする。
教会の外は人間と自動人形の戦闘によって激戦区となっていた。大型自動人形は戦車の砲弾で撃ち抜かれると全身から火を噴いた。一方人間達の戦車は軽々となぎ倒される。銃剣も通用せず、一振りで数人が両断された。
オレガノは全力で戦場を駆け抜けた。軽い躯体のおかげで地雷を気にせず走れる。だが、爆音で耳と平衡感覚が機能しない。
壊れたレティを担ぎながら一心不乱に駆けるその足に、爆散した自動人形の破片が突き刺さった。爆風で吹き飛ばされながらも直ぐに立ち上がり、レティの故郷ロンドンを目指した。
それから、西部戦線を横断し海を越えて、イギリス·ロンドンまで命からがら逃げ果せた。
オレガノの話が終わる頃には、レティの応急措置は済み、恵美達は自宅へ帰る準備に入っていた。
「それよりスキルって何?」
「魔晶石にあるインクルージョンによって得られる恩恵みたいなものなんだけど···なんて説明しようかな?」
スキルは魔晶石の中でも更に希少なものに含まれる異物が基盤の役割を果たし、超常の奇跡を起こす。人為的加える回路は設計理念と人格で自動人形に豊かな感情を与える。戦時中の量産品に関しては元から人格を設定しない物も多かった。または加工次第ではスキルを強化できると言うが、自動人形に取っては脳を弄るようなものであり大抵は魔晶石として機能しなくなる。
また、レティが知る限りスキルは強化系、属性系、操作系、召喚系、特異系の五種類に分類されている。また、区別がつかないスキルは皆特異系に分類されている。
カシミアは魔力を媒介に糸を生成し更には「結界」のスキルで展開し操れる、召喚と操作のスキルを保有している。
オレガノは遠くの敵または建物内の透視、弾丸に特殊性能を付与する、強化と属性のスキル。
レティの「死の直感」に関してはこのどれにも当てはまらないので、特異系と分類される。
恵美はレティにスキルは一つしかないのかと問うと、彼女は「有るには有るが弱いから言いたくない」と答えた。
オレガノが反応する以前にそれは嘘であると恵美は見抜いた。何故ならレティは嘘を吐く時、人の目を見ない。しかもわざとらしく視線だけを上に向ける。しかし言いたくないのであれば聞かない事にする。
鼻でため息を吐き不意に時計を見ると、午後6時半を回っており、恵美は門限が過ぎた場合の連絡を自宅にしていないことを思い出した。
事務所に射し込む夕日の光も乏しく、児童が出歩くには危ない時間帯となる。レティがいれば安心であるが、麗子は気を利かせて恵美の自宅に電話を掛けた。電話を取ったのはダリアのようで、受話器から声が聞こえた。
麗子は淡々とダリアに、恵美の事情を説明し今から帰宅させる事を伝えると、ダリアは嬉しそうに麗子の近況を尋ねた。
麗子は舌打ちして言った。
「私の事はどうでもいい。それよりも自分の娘が門限を破ったんだ。もう少し慌ててもいいんじゃないか?」
ダリアは笑いながら、「もちろん心配はしていたわ」と言うと、麗子の目が冷やかなものになる。要件を済ませると静かに受話器を戻した。
気になったレティが、麗子とダリアの過去に何かあるのかと聞くと、麗子はプライベートな事は聞くなと、不機嫌そうに言った。特に口の軽いレティには言いたくない。
レティが引き籠もっていた間のことなら、オレガノが情報として知っているが、麗子はオレガノに釘を刺した。
午後7時。夏の夜空は月が眩しい。
恵美が帰宅すると、両親は特に言及してこなかったが、門限を過ぎる時は連絡するようにと注意した。
既に夕食の準備は大方済み、恵美の風呂上がりのタイミングで食卓に並べられた。食事を前にオレガノの紹介を軽く済まし、レティもまたダリアに詫びを入れた。
ダリアが直したレティのドレスは、復元不可能なまでにズタボロにされ、レティ自身もマチルダが作ってくれた力作の最後の一着であったことを粛々と語った。
ダリアは涙ながらに、同様のデザインで作り上げると約束しレティを抱きしめた。
大輔からカシミアの所在を訪ねられ、レティは明日迎えに行くとだけ言うと、オレガノが彼女を怪訝そうに見る。
何か言いたげだが、食事前なのでその話は後ですることにした。
夕食が済み、恵美の部屋でレティとオレガノは自分の着替えや武器を広げた。レティの着替えは5着のドレスと3着の普段着。そして2着の寝間着。これらは外注品だ。ドレスは100着以上あったが、店ごと燃えてしまい、マチルダお手製の服もバロメとの戦闘で駄目になった。無事だったのは、当時クリーニングに出していたこれらの衣服と倉庫に管理していた数々の武器。
レティが広げた武器は禍々しい雰囲気を纏っている。殆どの武器が錆びついているが、鋏の武器、鉈のような湾刀、二丁の鎌、分銅の付いた鎖、不意討ちに使う鏡面仕上げの鏢の暗器。
右手に仕込んだ煙幕装置は麗子に修理をしてもらっている。現在、左足内部に直刃刀を仕込んでいるが、スプリングが錆びていて使用する際に暴発する恐れがある。
つまり、現在レティは自動人形の強みであるギミックを一つとして使用できない。錆び付いた武器は今すぐには使えず、刀だけで大勢の自動人形の居る、薔薇の貴族に乗り込むのは無謀。しかし、このような状況でも彼女はカシミアを迎えに行くと決めている。
そこでオレガノはピックアップした武器だけを仕上げることを提案した。レティはその妥協案を受け入れ、鎖分銅と鎌、そして鋏の武器·グリムリーパーを仕上げることにした。
恵美が寝静まった夜。
梅雨入り前には珍しい雲一つ無い夜空。星が霞み人影がくっきりとできるほどの月明かり。レティはそれを満月と言うが、オレガノが満月は明日だと言い、レティの目を疑った。
二人は八雲家の屋根の上で鋏と鎌、そして鎖分銅の錆び落としと磨き作業を行っていた。鑢での作業の中、オレガノが話題を持ち出した。カシミアに就いてだ。
彼もカシミアが所属していた薔薇の貴族に関してある程度の情報を持っていた。レティが躍起になって追っていた自動人形、タイプ·スレイヤーが何体もいると言うと、レティは8体と訂正する。
そこまで詳しいなら、そのキラーマシンと仲良くつるんでいるカシミアは危険物と見て間違いないとオレガノは語気を強めた。
その事に関しては肯定し、レティはカシミアの悪口を並べた。
「カシミアは間違いなくクズだ。気品そうに振る舞い、正々堂々の決闘と抜かし、私をトラップに誘い込んだ。その上人の命を何とも思わない。」
なら何故という疑問に、レティは少しだけ考えて、清んだ瞳で答える。「それでも、カシミアは人殺しではない。何より、恵美のお気に入りだ」と。
「お前を誘い出す罠だぞ。オートマトン殺しのお前に遺恨がある奴らの巣窟にみすみす向かわせる訳には行かない。」
「なら武器のメンテナンスを止めるか?」
「それはない。このグリムリーパーがあれば、お前がそこらのオートマトンに遅れをとるわけがない。しかし、幻影帝國が軍隊なら薔薇の貴族はマフィアだ。組織として脅威であるのは前者だが、なんせ何をしでかすか解らない連中だ。用心に越したことはないぞ。」
「なんだ。心配してくれているのか?」
「それもそうだが、そこのボスが気になる。何でも決して表には出ず、強力なオートマトンを戦場に送り込んでは荒稼ぎしていると言う。タイプ・スレイヤーがそれに従うぐらいだ。相当強いと見て間違いないだろう。」
レティの戦い方は、死の直感に頼り過ぎていて、スキルの為にあえて自分を窮地に追い込んでいる節がある。次第にそれは、死を望んでいるのではないのかと思えてならない。
沈黙したレティにオレガノは打ち明ける。
「なぁレティ。俺はまだ、人間を5人救えていない。列車事故を未然に防ぎ100名以上の乗客を守ったことがある。だがお前との契約に俺の設計理念が認めてくれなかった。」
「私だって、誰も救えない。マチルダだって死なせてしまったし、今まであった人間の人生を導けた事もない。」
そもそも、人ですらない人形が、人を救おうだなんて、おこがましいのかもしれない。
「そんなことはどうでもいい。俺が言いたいのは250年前にした約束を果たしていないのに、それより先に死のうだなんて、あんまりではないか。」
当のレティには生きる目的が無い。
400年間、多くの人間の人生を見てきたが、同じ時を生きられない人間に寄り添うことに限界を感じていた。マチルダを失った今、心が路頭をさ迷っている。
唯一の支えは、遺言を果たすことだが、恵美を守り、魔導書を破壊した先に、何が残るのか。今は考えないようにしている。
レティは微笑み立ち上がった。
「なら交渉だ。道化師。カシミアは連れ戻すが、私も必ず生きて戻ってくる。その変わり明日一日だけエミィの安全を死守してくれ。」
オレガノの瞳に映るレティには、かつての風格があり不思議と信用たりえた。何よりオレガノの設計理念により、レティはカシミアを連れて帰るまで、自ら進んで死の直感を使うような行為ができなくなった。
湿気を帯びた土が香りを放つ、午前6時。
恵美は朝食を早々に済ませ学校に行く準備をする。朝のテレビには目もくれず、授業内容のおさらいをする。
普段勤勉でない恵美がここまで真面目でいるのは、レティに対するちょっとした願掛けだ。たった10分の復習を終え、恵美は自分の部屋を出ると、レティを外まで見送る。
フリルの付いた立ち襟の白いブラウスにナイロン製の青いスカート。本革のホルスターに腕を通し、胸の下当たりでベルトを締める。そこに差し込むのは二丁鎌·双子の鉤。
腰に差した姫鶴と鎖分銅·塔の女が、ベルトアクセサリーの枠を越えて、じゃらじゃらと垂れ下がる。グリムリーパーは専用のケースに入っており、まるで楽器のようだ。
「気をつけろよ。ご自慢のギミックも無ければ、機動力も大幅にダウンしている。」
レティは自分の頬を指差し、「別れのキスは?」と冗談を言うが、笑うオレガノに髪を乱される。
「レティ。ちゃんとカシミアちゃんを連れて帰って来てね。」
「もちろんだ。引きずってでも連れて帰る。」
ブーツを履いたレティは全身の武器を隠すため、腰まである青いマントを羽織ると、電信柱に飛び移り、じゃらじゃらと重量が嵩んだ体で駅に向かう。
電線を走り、景気良く宙返り。すると、そのまま足を滑らして草藪に落ちた。
それを見ていた恵美とオレガノは、とても不安になった。
午後3時。本日の学業を終えた恵美と二体の自動人形は家路の途中、レティの修理のため麗子のいる日下部探偵事務所に立ち寄る事にした。銀の教団バロメとの戦闘で大破寸前まで追い込まれたレティは恵美の腕の中で項垂れている。
彼女がお気に入りにしていた青いドレスは修復不可能なまでに裂かれ、哀愁漂う表情には皹の入った頬が目立つ。また、伝達繊維が焼けた両腕も今しがた機能が停止した。
そんなレティを見てから恵美の機嫌は相当悪くなっている。彼女は、「私のレティをボコボコにした奴を絶対に許さない」と言い頬を膨らませるが、「そもそもお前の物になった覚えはない」、とレティは思った。
恵美が抱えるに当たって、邪魔になるレティの荷物は、結局オレガノが持つ。腕が使えないのであれば、致し方がないと協力してくれた。そんな大荷物を担ぐオレガノに恵美は先ほどから違和感が残っており、頻りに横目で見ていた。
見掛けはおしとやかな女性で、一人称で俺を使う、不思議な人形。
恵美の学校では、自分のことを僕と言う友人が異性の男子に揶揄われている。恵美自身もその子の使う一人称には不思議と異物感を頭の隅に残してしまっている。それと同じく好奇の眼差しで見られるオレガノは、「俺の顔に何かついているか?」、と恵美に問いかけると、歯に衣着せぬ物言いで彼女の思いは率直に告げられた。
「オレガノちゃんはどうして自分の事を俺って言うの?」
それが何を意味するのか、いち早く理解したレティは吹き出すように笑った。
オレガノは言う。「別に誰が自分を何と呼ぼうが問題ないだろう。それに俺は男だ。」
恵美は数秒間沈黙すると、嫌悪的な表情を浮かべた。「何故、女の格好をしているのだ。この変態は」、と一層疑問を深めた。見て取れる程の疑問符が溢れる恵美の思考はこんがらり、表情も微妙な物を見る様な目になる。
オレガノの言い分だと、男が長髪でスカートを履いても良いことになる。恵美が彼に対する扱いは差別以外の何物でもない。恵美は自分の考えを振り返ってみる。そして思う。なんとなくであるが差別はいけないことだと。しかし、そうは思ってもこの気持ちは自然と沸いてきてしまう。
6才の恵美には、その気持ち悪さを言葉にする術がなく、ただ気分が悪くなるだけであった。
もう聞くのは止そうと、恵美は視線を逸らすと脈絡もなく話題を変えた。 二人の関係に就いてだ。
「別に俺は気にしねぇが、自分で広げた話は自分で始末付けろよ。後これは、15年前にレティとの賭けで負けた代償で、俺の趣味じゃあねぇからな。」
オレガノは頭を掻きながら、語り手をレティに預けた。話好きの彼女は、わざとらしくため息を吐くと、麗子の店に付くまでの場持ちとして、ノリノリで語りだした。
「あれは、町に街灯など無く、月明かりが頼りだった時代。」
1750年イギリス、ロンドン。
その更に昔、大火に包まれたこの町は、木造から煉瓦作りの町並みに変わり、技術、芸術、娯楽、商業において、世界の中心と呼ばれていた。しかし、治安が良いわけでもない。貴族が夜道を幌馬車で駆けようものなら、悪漢の餌食になることも珍しくない。煌びやかな表世界と、未来永劫目を背けたくなるような事件や戦争が、恥ずかし気もなく混在していた時代。
後にオレガノと名乗る自動人形は、邪悪な仲間を連れてとある幌馬車を追っていた。その馬車の乗客には、貴族の婦人とその一人息子が乗っていて、人形達の目的はその人達の誘拐だ。犯行動機は同国内の政治によるものだった。
妻子を人質に取って、穏健派の伯爵から、軍事支援を得ることを狙った、誘拐による脅迫だ。何が何でも戦争を起こしたい奴らは何処にだっている。
オレガノは思った。この卑劣な行為もさることながら、特に気に食わないのが、その面子である。
異形種、タイプ·ナイトメア
13世紀に尋問や拷問、人を恐怖に陥れることだけを目的に創られた自動人形。10センチ超小型。ネズミの頭と人の体を持つ赤子。180センチ大型。礼装で着飾ったカラス。150センチ大型。首の無い貴婦人。
計三体の化け物は、見るものを狂わせる共通スキル、「狂気」を持ち合わせている。端的に言えば、そのビジュアルに恐怖する者を発狂させる効果だ。
そんな危険物を取り扱うのに、手っ取り早い方法が真名を支配することである。知性を奪う代わりに、命令に忠実な操り人形にできるのだ。
オレガノは、コミュニケーションの取れない彼らを、二重の意味で気持ち悪いと思い毛嫌いした。彼がそれ程嫌な仕事を請け負う理由は金以外にない。物事の解決策としてそれ程便利な物は金をおいて他にないと思っている。
実行班にナイトメアが3体、後衛にタイプ·クラウンの彼が狙撃兵として現れた敵を狙い撃つ。一番槍として四つん這いでゴキブリの様に走る異形の鼠が、馬車の荷台に乗り移ると、長く突き出された前歯で幌を突き破り麻痺毒を噴出する。そうして乗客は仮死状態になり、後に幌馬車を奪えば作戦は終了。単純かつ簡単な仕事。
そのはずだった。
幌を劈くのは、毒の前歯ではなく鋼鉄の刃。鋏の先端である。片刃ではない。諸刃の鋏だ。それが鼠の自動人形の腹を貫いている。
諸刃の鋏は元来の用途ではなく、開くことによって鼠の自動人形を内側から引き裂いていく。見せしめでやっているのか、ゆっくりと開かれていく間、遠吠えにも似た悲鳴が、夜のロンドンに響き渡る
残りの二体は馬車まで猛スピードで近づいていく。
カラスの公爵は低空を滑空し、首なし婦人は大きく手を振りながら全力で走る。あと10秒もあれば追いつくだろう。カラスや斬首にトラウマがある人間じゃなくても、この状況には戦慄を隠せないだろう。そう感じただけで人をパニック状態に陥れるスキルをこの二体は持ち合わせている。
荷台では落ち着いた口調で「今は外を見ない方がいい」と声が聞えた。石畳を轢く車輪の音の中、人形の少女が幕から顔を出した。少女は二体の化け物を確認すると、その悍ましさにため息を漏らした。
上体を乗り出した少女は、自分を隠せるほど大きい諸刃の裁ち鋏をちらつかせた。決して裁縫用なのではなく、「生かしては帰さない」、と言わんばかりの出で立ち。諸刃故に閉じた状態では大剣として使える。それを片手で扱い石畳に引きずりカラカラと鳴らしている。
身長60センチ、月光を吸い込む金糸の髪、夜空に揺らめく蒼玉の瞳を持つ人形の少女。
彼女はこの時まだ、「レティ」と言う名前は持っていない。そして、その少女の身なりは妙に整っていた。
身に纏うロココ調ドレスは、当時は高価であった「青」が生地のベースとして使われおり、見る者に感動を与える。しかしその反面。鎖骨から胸元まで大きく開かれたデザインを、胸が大きくない彼女は、少しばかり嫌味に感じている。
更に、薔薇に見立てたフリルのスカートは、パニエで盛り上がり動き難く、極め付けに装飾の多すぎる幅広キャペリンの鍔は視界を塞ぎ鬱陶しい。機能性と美の両立は難しいとしても、責めてハイヒールの踵は折りたいところ。
相手の力量も測らず、戦いの火蓋を切って落としたのはレティだった。
走る幌馬車から彼女が高く飛び上がる。満月を背に鋏を二刀に分解する。更上下に差し込み、プロペラのような形状、双頭刃の型に変える。レティが空中で縦方向に回転すると、そのスピードは機械的な程までに加速する。
高速回転する丸鋸が、敵の一体である首の無い貴婦人を目掛けて猛突進するが、相手は大型自動人形。耐久も出力も桁違いな相手に、レティの高速回転は右手の甲で軽く弾かれてしまう。大型自動人形が軽く打てば、小型自動人形など面白いように飛ぶ。
しかし、かつて「鉄腕のシャルノス」が命名したこの技「大車輪」は、それらの認識を覆した。
確かな重量と高速回転による突進は、軽い気持ちで出した右腕を肘まで粉砕し、斬撃の爪痕を肩にまで走らせた。更に、幌馬車に打ち返そうとしたにも関わらず、その重量に加減を誤った結果。彼女を上空に打ち上げてしまった。
もしここまでが、レティの計算通りなら、狙いに気付けた時はもう遅い。
レティが、まず厄介に感じたのは、空を飛ぶ自動人形、カラスの公爵だ。彼女は再び鋏を大剣に戻すと、飛行する自動人形を鋏の平面で叩き落とした。フライパンで叩いたようなコミカルな効果音とは裏腹に、カラスの嘴は真っ平らに潰れ、そのまま首無し婦人に衝突する。
二つの大きな的が動きを止めた。レティは落下の勢いを大剣に乗せた。
オレガノは、マスケット銃で、標的より大きく外れた位置を狙い撃つ。弾丸の軌道は弧を描き、レティの魔晶石を正確に捉えた。当たれば即死だが、故に感付かれた。スキルによる先読みで、彼女は暗闇に溶けたはずの鉛玉を切り裂いた。
閃光に散った弾丸が稼いだ時間は1秒もなく、レティは再び構えた。ノックバックを起こした、カラスの公爵の下敷きになった、首なし婦人に抜け出す時間はなく、「それ」を盾にして大剣の攻撃を受ける他になかった。大型2体を遊撃する小型自動人形は未だ存在しない。しかし、レティに取っては難しいことでもなかった。
「お前達に知性があれば、もう少し苦戦したかもな。」
真名を縛られた「それら」の代償は大きく、スキルの使用幅も狭くなる。「狂気」が効かないレティに取ってはでくの坊同然であった。
大切断
煌びやかな衣装の瀟洒な少女が放つ剣筋は、二体の大型を石畳諸とも豪快に叩き切った。
自動人形三体を瞬く間に撃破させる相手に勝てる見込みなど無い。そう悟ったオレガノはマスケット銃をその場に捨て逃亡した。
レティは、貴族の母子が騒ぎを聞き付けた自警団に保護されたのを確認すると、敵戦犯の追撃を始めた。
オレガノの移動速度は人並みで速くはない。対してレティは狼よりも早い。青い瞳から残光を引き、風を切り屋根伝いを駆ける。
オレガノは体を半回転させ懐に差してある6丁のピストルの内1丁を抜いた。
距離100メートル。一射目。
弾丸は直線には跳ばず、変化球の様に深く下がる。足場となる屋根に跳弾した弾丸は、レティの手元で爆ぜた。だが、彼女は鋏の縁で防いでいた。
オレガノはかなり焦りを感じている。彫刻の入ったピストルを惜しむことなく投げ捨てると、次は二丁同時に放つ。直ぐ様それも捨て、新しいピストル二丁を早抜きすると直ぐ様放つ。
距離80メートル。
2発の弾丸は空気抵抗で急激に失速しレティの前で互いに打ち爆ぜる。遅れて放たれたもう2発の弾丸は火薬量が多く、失速し打ち爆ぜた弾丸に着弾する。弾き合った弾丸4発は、レティの周りの煙突や屋根で角度を変えると跳弾を二度三度繰り返す。すると4発の弾丸の軌道はレティに向けられた。
レティは洋瓦の屋根に強く踏み込み魔力を流す。衝撃で瓦が捲り上がり、4発の弾丸から身を守った。追う側のレティは楽しそうに歪んだ笑みを浮かべている。
追われる側のオレガノも最後のピストルに視線を送ると、ニヤリと笑った。
「お前にだったら使ってもいいだろう」
距離60メートル。
最後の一発は直線に狙いを定める。しかしそれでは、球体の弾丸は空気抵抗で軌道を見失い、決して命中することはない。
スキル·魔弾
自動人形の生命力。魔晶石の魔力を消費し、飛び道具の火力を底上げする。
その弾丸は何かに当るまで標的を追尾し、失速することなく必ず貫く。
紅を纏う弾丸が撃ち出された。
「魔弾」
空間が歪むほどの衝撃波に、洋瓦が紙吹雪の如く舞い上がる。しかし、レティは一切怯むことなく、鋏を二刀に分解しプロペラ機の様に回転すると、自ら魔弾が起こす嵐に突入した。
オレガノは堪らず驚きの声を出した。レティが魔弾を潜り抜けたからだ。そして魔弾が生み出す回転力を推進力に相乗させ一直線に向かってくる。
レティに衝突し、空中に放り出されたオレガノ。彼が屋根に叩きつけられると、直ぐ様レティは鋏でその首を落としにいく。洋瓦ごと切り裂き彼が両手を小さく上げ降参する頃には鋏は首に2ミリ程度食い込んでいた。
つい手を止めてしまったレティは、目を見開き不思議そうな表情で凝っと見つめると、次に問を投げた。
「死が怖いのか?」
「まぁな。死ぬ前に教えてくれ。どうして俺のスキルを攻略できたんだ。」
オレガノは解らなかった。何故「魔弾」はこの少女の魔晶石を貫かなかったのか。それもそうだが、何故弾丸は悉く防がれたのか。
レティは自分の手の平を見せると、種明かしをした。そこには綺麗な穴が開いていて、その銃創は肩を貫いていた。
「避けた場合。あの弾丸はどこまでも私を追いかけて来た。それもスピードを増してな。初めて見るスキルだったが、私に即死を狙った攻撃は通らないぞ。」
レティには未来予知のスキルがあると知ると、オレガノは自分の敗因を理解した。
一方。少女は疑問であった。何故、命乞いの機会など与えてしまったのだろうか。何故、丁寧に自分のスキルを説明しているのか。先ほど切り捨てたものたちとは違い、少しでも解り合える機会があるかもしれないと、何故か期待してしまった。
少女は不可解な感情のまま、再度彼に問う。
「では答えろ。何故死を恐れる。誇りはないのか?」
彼は言った。「誇りの為に死ねるほど、俺は馬鹿じゃない。生きていれば必ず次がある。ならば、どのような選択肢にも自分の命を勘定に入れてはいけない。」
レティは腕を組み納得しそうになるが、首を横に振る。そういう発言は、まともな生き方をした者だけが吐いて良い台詞だ。彼女はその言葉を口に出して言うつもりだったが、思い留まった。「では私は、まともなのか。」何も残らない戦禍の日々に身を置く自分がまともなはずがない。
レティは不覚にも、気ままに生きている様に見えた彼が羨ましいと思った。次に思う。自分の様に生き方を縛りつけたいと。
レティはオレガノに見逃す条件として、人類への貢献を約束させる。人間を下位に見ている彼ならば、その身を捧げることなど出来るとは思えない。
だが以外にも彼は数秒沈黙したあと、具体的な内容を求めてきた。
この時だった。感じたことのない感情がレティに芽生えた。ただ「破壊する」から、「気分次第では破壊」するといった、立場的興奮をレティは覚えてしまった。この男をどうしても困らせたいと、彼女は目を泳がせながらも、自分でも到底叶えられそうにない難題を与えた。
「では··5人の人間を救え」
これで、彼は回答に渋る。そして、時間切れを理由にして、首を落としてやるつもりでいた。
しかし、オレガノは安易に承諾してしまう。人の悩みなど金で簡単に解決できると思ったからだ。
求めていた反応と違いレティは不服の表情を浮かべた。人間を守ることがどれだけの苦難であるか必死に説明するが、為せば成ると一言で済まされ更に苦い表情になる。
「なんだか知らんが、約束は必ず守るから、このハサミを引いてもらえないか?」
「あ・・あぁ」
レティは言われるがまま鋏を引いた。何故かそうしなければと思ったからだ。
起き上がった彼は歩き出す。
「待て。どこに行く?」
「もうこの国にはいられない。まぁどこに行こうが、お前には関係無いだろうけど。」
レティの欲求を満たすことなく、オレガノは闇夜に消えていく。
呼び止める理由を最後まで見つけられなかった彼女は、釈然としない感情を表に出し月を眺めた。
八雲一行は日下部事務所にたどり着くと、人形技師でもある麗子にレティの修理を依頼する。作業場を選ばない麗子は、デスクの上にある資料や何かしらのパーツを払い除ける。恵美がこの者と出会ってから元より雑然としていたこの一室が、日を増すごとに一層汚れていく。
がさつな麗子は、作業に入るとレティの服を軽快に脱がす。
「しかし随分とまぁ、こっ酷くやったね」
レティの損傷は見掛けより酷い状態で、両腕の伝達繊維は炭化し腕の内部には煤が張り付いていた。顔面の左半分は、痛々しくも皹だらけで見るも恐ろしい。
「そもそも人並みに痛覚はあるだろうに、どうして平気そうな顔をしていられるのかね?」
「まぁ痛いよ。でもこれくらいじゃあオートマトンは死なない。だったら痛がるだけ無駄だってことさ。」
麗子はレティに、あらかじめ用意しておいた予備のパーツを取り付ける。
「一切ギミックは付いてないが、無いよりはましだろう。君のパーツは作るより直す方が早いから、一週間は待ってくれ。」
次に背部を上下に引き抜き、一部縦に割れた脊椎も引き抜く。その作りは簡単で、中に伝達繊維が入っているだけだ。作り置きの部品を差し込めば、その作業も直ぐに終わった。
「後は顔の修繕なんだが、この作業は時間がかかるよ。」
皹割れている部分を全て剥がすと、顔面の左側の骨格と眼球が露になる。剝き出しの歯は、鮫の様に鋭く何でも噛み砕いてしまいそうだ。
レティはそれを見られたくない様子で顔を背ける。麗子は気を利かせ、白いハンカチをレティの頭に被せてやった。
欠損している部分を型取り、はめ込むためのパーツを作る。
まず、木材から削り出し整形した物を粘土に押し付け型を作り、特殊な樹脂をそこに流し込んで成形する。それが固まるまでこの時期だと2時間ほどかかる。
麗子は恵美にレティの帰宅を待つことを薦めるが、彼女は待っていると言い、作業を眺めた。
「オレガノくんとレティの話もまだ全部聞いていないし。」
レティは頬が無いせいで呂律が回らず、代わりにオレガノが話し手を務める。
「前回の話しから俺とレティが再開したのは、150年後の第一次世界大戦末期。」
1918年。第一世界対戦は史実上終結を迎えようとしていたが、それを知るものは戦場にはいない。誰もが醜悪な環境下で臓物と硝煙にまみれながらも自国の勝利より戦いの終わりを願っていた。
当時、既に弱りを見せているドイツはイギリス・フランスと、ベルギー南部の戦線で熾烈を極めていた。
ドイツは、ベルギーを経由してイギリス領土へ侵略する計画だったが、それとは別に目的があった。とある本を略奪するために、ベルギーのアントワープに在った、名の知れない教会に自動人形を多数投入していた。
オレガノは、その歴史的書物をどの国よりも先に奪還するため、隠密行動をしていた。何故ドイツ軍が戦争よりもその書物を優先するのか、理解できなかった。しかし、アメリカから報酬200万ドル、前金として5万ドルを貰った以上やることはやるつもりでいた。
だがそれも、100体編成の自動人形群体をみるまではの話であった。小さなカトリック教会の周辺を囲う自動人形タイプ·クラッシャーと言われる大型の鎧騎士役100体が、整列しているわけでもなく、点々と立ち尽くしている。軍というより群。
しかし何故これ程の戦力を前線に投入しないのか、不思議ではある。今の戦況をひっくり返す程度には、これら一体の戦力は高い。前線に送らないとなると、人間達の戦いが囮にさえ思えてくる。人が何人死んでもその本が欲しい。そう言っているようだ。
始めはおとぎ話と決めつけていたが、ここまでの情景を見せられた今、何かしら重要な物であることは解った。
命令に忠実な自動人形をこれほど投入してまで手に入れたいだなんて、一体その本にどれだけの価値があるのだろうか。そもそも本当に書物であるのかすら疑わしい。その価値に興味は絶えないが、作戦継続は不可能と悟ったオレガノは、既に本は奪われていたことにして、戦場から頓挫することにした。
たかが本の為に、戦車に匹敵する大型自動人形100体に突撃できる奴はいない。オレガノはその場を後にしようとしたが目にした。レティの姿を。見窄らしいローブを羽織り当初の煌びやかさなど見る影もない。
そんな彼女は敵の足元から軽やかに駆け上ると、大型自動人形の首を落とした。更に首元の隙間から鋏がねじ込まれ心臓部の魔晶石を砕いた。戦車に匹敵とか言ったが、こうもあっさり倒されてしまうと信憑性がなくなる。
好き勝手に振る舞うレティを大型達は、四方から囲んだのは良いものの、互いの図体の大きさに剣を振るには環境が悪い。ただ考えもない、命令に従うだけの烏合の衆。彼女を踏みつけようと不用意に出した足は、鋏によってアキレス腱に値する伝達繊維を断ち切られる。体制を崩した鎧騎士は、彼女の視線まで落ちるとその間合いに引きずり込まれる。まるで獲物を食い散らかすピラニアのようだ。
十数体の大型自動人形が押切られ、教会への突撃突入を許すも、命令範囲外だったのか、自動人形達はレティを追うことはしなかった。
教会に入って行く少女を追うべく、オレガノは草影から様子を窺う。「連れ人がいるので通して欲しい」と言ったところで、話の通じる相手ではない。しかし正面突破などオレガノの機動力では成しえない。何か策はないものだろうかと考えも、特に良い案は出てこない。そこに良くも悪くも、思わぬ事態が舞い込んだ。
イギリス軍がこの教会に攻め込んで来たのだ。
包囲網を潜り抜け、遂に兵器全書のある建物に辿り着く。
教会の内装は決して豪華ではないが、それなりに大きなパイプオルガンがあり、その前には慎ましやかな祭壇がある。しかし、その祭壇は西へ60センチ程引きずられており、地下へと通じているのだろうか、大人が横になってやっと通れる程度の幅の階段があった。
レティは気掛かりでならなかった。この先に、罠があるのは間違いないとして、敵国の自動人形がこうもあっさり地下への通路を見つけられたのか。
何故、自動人形と断定したのか。理由は単純。祭壇をずらし際、踏ん張ったであろう痕跡に、猫の足跡程の靴跡が無数にある。恐らく小型自動人形が20体以上はいるだろう。
教会内には特に、荒らされた痕跡はなく、パイプオルガンの椅子だけが引き出されたままになっている。埃を被っていたが、その長椅子にも痕跡があった。座った跡。その上で移動した跡。鍵盤にも小さな足跡があり、一曲演奏したのかと物語っている。
その他を荒らさず、ここに真っ先に来たのだ。まるで、知っていたかのような行動に疑念が溢れる。地元住民の筈はない。外の自動人形はドイツ製だ。
何故オルガンが鍵だと知っていたかは解らないが、複数の自動人形が仲良く演奏していたのなら、是非拝んでも見たかった。
浅い考えの彼女では解くことが出来なかったであろう仕掛けを、他国の誰かが解いてくれたのだ。そこだけは素直に感謝して、解かれた通路を使わせてもらうことにした。
長く続く階段は深くにつれて、明らかに新しいものへと変わっていった。初めは苔が生えるくらい年期が入った石積みの壁も、深部は昨日削り出したかの様な新しい石が使われている。階段を降りると、一本道になっている。その先に光が見えた。レティは警戒しながらもその明かりを目指した。
抜けた先は白く近代的な部屋であった。そこは教会の雰囲気を微塵にも感じさせない、清潔な病院と美術館を掛け合わせたような部屋だ。広い円形の屋内に対してガラス張りの縦長のショーケースがひとつ。見上げると回廊があるが登る為の梯子は無い。特徴的なのは五体の石膏像が等間隔に並べられている。正面に見える女の像に膝をつく4人のローブの男の像。
女の石像は何かを握っていたのであろう手の形をしていているが、そこに物がない。神聖なものなら十字架なのだろうが、三角帽子を被る辺り魔女なのだろう。
それら5体が五芒星の位置に置かれているのが気味が悪かったが、レティのスキルの危険予知は発動しない。
それでも警戒心が強まる。先程から視界に入るショーケースには見るからに邪悪な本があった。間違いなく兵器全書だ。
外装は焼き印を押された悪魔の様な手が、拝むように組まれた形状で、まるでその閲覧を拒んでいるかのようであった。
慎重に近づくと少女は破壊を試みることにした。
「動くな」
警告と共に銃声が響き、レティから20センチ離れた所に閃光が爆ぜた。彼女は驚く様子もなく、発砲元の回廊を見上げた。
「また、外してしまった。」
自動人形が、この距離を外すはずがない。わざと外したのだろう。その者は回廊から覗く。
命中率が冗談のように低い、レティと同じ60センチの人形の少女。体型は男子に間違えそうな程の貧相な胸だか、骨格や出で立ちで断定できた。不自然なほどに漆黒の髪と目。軍服にコートまでも黒。軍帽で目元が陰る。
長い髪の毛先は所々跳ね返り、赤いグラデーションが掛かっている。
彼女を一言で表すのなら、彼岸花であった。
「申し遅れた。私の名はネビュラ。幻影帝國ドイツ本部、第7師団隊長だ。人は私を軍姫と呼ぶ。今回は兵器全書の回収のため、この地まで隠密で参った。」
軍姫ネビュラは紳士的にお辞儀をした。何故、誰よりも早くこの教会にたどり着けたのに、まだ書物を手にしていないのか。
いきなり発砲とはご挨拶だが、レティもスカートの代わりにローブをつまみ上げ、カーテシーの挨拶をする。
「それはお疲れ様。部下の一人でも連れていないのは不自然だが、お前一人か?」
「見ての通りだが。あなたこそ、どうしてここに魔導書があると解ったのかね?」
「風の噂と言えばそれまでだが、オートマトンが妙に多いこの戦地に何かあると思ったからだ。見るまで眉唾物であったが、本当にこんなものがあるとはな。」
「兵器全書の噂は知っているだろう?こいつのせいで私達は肩身が狭い。」
レティは、兵器全書の処遇を問うと、ネビュラは、然るべき処置を施すとだけ言う。
「その本はここで破壊する。それがどこかの軍に渡れば、世界がひっくり返るぞ。」
軍姫は頷き肯定した。レティは続けざまに言う。
「戦争なんて無駄なことだ。お前の正義のその先に、本当の平和なんてものがあるだなんて、思っているわけではあるまい。」
軍姫はため息を吐く。「その問いに答えるのは難しい。ただ個人的には平穏が欲しいだけだ」と、冷たい目でレティに微笑みかけた。
彼女も微笑み、軍姫に刃を向ける。人殺しの自動人形が、平穏などと戯れ言を言うものだから、ジョークのセンスが高いと皮肉を込めて笑った。
軍姫は怪訝そうに少し沈黙し、レティに問う。
「あなたも人を殺めたことはあるだろう?」
「私は、タイプ·パニッシャー、その設計理念は兵器から人を守り、人に仇なすオートマトンを破壊することだ。」
本能的に人を殺せない自動人形。そうだと知ると、軍姫は少しだけ目を見開くが、直ぐに眉をひそめる。軍姫は銃口を向け「ならこれ以上戦場に立つ資格はない」と言うと、臨戦態勢に入る。
お互い睨み合い、手の内を探り合う。じりじりと間合いを詰め、次に戦闘が始まるかのところで、教会は爆発音を轟かせ多く揺れた。
態勢を崩した二人だが、ネビュラは落ち着いていた。
「どうやらドイツ軍はこの戦場で敗退したみたいだな」
自国の敗北に動揺を見せないところを見るに、狙いは端から兵器全書にあったのだろう。
「大方、暇になったブリテン辺りがこの本を奪還しに来たのだろう。外のガラクタ共では、もって1時間。場所も仕掛けも我々が暴いたと言うのに、本当に燃やしてしまおうか?」
「ほざけ!」。レティがネビュラの隙を見るや地を蹴だり走り出した。鋏を分解し二刀流の形態にする。3秒後には細切れに出来る。
「始めに動くなと忠告はしたぞ。打ち方用意!」
ネビュラは銃ではなく片手を振り上げた。レティの脳裏に言い知れぬ不安が過ったが、もう止まれない。
この地下に存在する自動人形はこの2人以外に誰もいない。では何故地上の教会には、無数の足跡があったのだろう。
そしてこの部屋のあちらこちらから殺気を感じた。
「撃て!」
軍姫が号令と共に手を振り降ろすと、レティの右膝は五時の方向から撃ち抜かれた。
この空間に入った時、ネビュラ以外の気配は無かった。それにトラップを仕掛けておく程暇でもなかったはずだ。もし、この事態を起こすことがネビュラのスキルによるものなら、あまりにも強力。レティは初めからネビュラの攻撃範囲に入っていたことになる。
レティは発砲元を確認することもできず、振り向き様に四方八方から60発以上の弾丸を浴びた。
眉間を打ち抜かれ、両肩は爆散。腹部より下は蜂の巣にされ、何言わぬ残骸となり地面に転がった。
軍姫は転がる残骸に目を落とすと、銃口を向け引き金に指を掛けた。
「相性が悪かったな。」
地下室に銃声が木霊した。
反響が静まりきらぬ中、カラカラと金具が乾いた音を鳴らしてネビュラに近づいていく。彼女の右手は大きく跳ね上がり、拳銃はその手を離れていた。直ぐにそれが地面に落ちると同時に、軍姫は新たな来客へと目を送る。
彼が歩く度ブーツの拍車が鳴る。硝煙を纏う猟銃はネビュラへと向けられている。オレガノはうんざりした。彼の視界では、レティの死角か現れる小銃の先端を捉えていた。
攻撃手段は、無から生み出す召喚系のスキル。その気になれば今ここにいる彼を破壊するのに瞬きする暇も与えないだろう。しかし、彼は敢えてその姿を現した。その能力を見ても尚、姿を表し要求を仕掛けた。
よってネビュラは思った。今、目のあたりにしている自動人形は強力なカードを持っているのかもしれない、と。
思惑通りに進めたオレガノは、始めに兵器全書を差し出すように言った。しかし、ネビュラは何食わぬ顔でそれを断った。
自身のスキルに絶対的自信を誇るネビュラを降ろすには、オレガノの手札がいかに強力であるか思わせる他にない。
だが、自動人形のスキルを公開することは、攻略法を明かしてしまうことと同じだ。
何故ならば自動人形は有効である限り手段を変えられない。そしてスキルが有効でなくなったその時は、今のレティの様に破壊されているだろう。
それでもオレガノは惜しみなく、自身のスキル「魔弾」と「千里眼」を公開した。
千里眼を以てして、ネビュラの魔力量や魔晶石の位置などが視認できる。また、レティとの戦闘もこのスキルで覗いていた。
強力なスキルではあるがネビュラはこの賭けで降りる気配を見せない。前線の兵力を裂き、これだけの軍勢をもってして狙うのだから、兵器全書とは大層な物に違いないのだろう。
だが、オレガノの本当の狙いはレティの救出であった。交渉もまず希望より高く始めれば、理想が近づくと言うものだ。
そこで彼が妥協でレティの身柄を要求すると、ネビュラは眉を顰める。兵器全書と自動人形一体を天秤に掛けて、結論が何故このボロ雑巾なのか、理解できなかった。
しかし、万が一魔弾なるものが自身のスキルを上回る可能性を鑑みると、ここで手打ちにするのが妥当である。
ネビュラは小孝の末、彼の要望に答えた。壊れたレティの髪を掴み上げると彼に投げ渡した。
圧倒的有利な状況にも関わらず何故ネビュラは交渉に応じてしまったのだろうか。その原因はオレガノの設計理念にあった。タイプ・クラウンの設計理念は「交渉で争いを防ぐこと」。その漠然とした設定にエラーが発生し、それらの機体は欠陥品として直ぐに製作を打ち切りになった。しかし、世に放たれた数体のタイプ・クラウンは設計理念に縛られることなく、その交渉術のみを発揮できる。不利益にならない限り対象は承諾を余儀なくされる。その強力なシステムにネビュラでさえ気付いていない。
レティもまた、かつてこのシステムによって彼を見逃してしまった。その時の彼に誤算が有ったとすれば、レティとの契約内容である。「5人の人間を救う」。それは余りにも抽象的過ぎた。オレガノは未だに誰一人として救えていない。レティとの約束には救いの定義がないからだ。達成方法がない契約は無効である。そう主張しようにも当の本人に死なれれば永遠に解決しない。オレガノが持つ契約という呪いの効果は自身を縛る程に大きかった。
その後ネビュラは兵器全書そのものではなく、魔女の石膏を調べ始めた。高さ5メートルの位置にある回廊にロープを引掛けゆっくり登っていく。
ネビュラは、オレガノの透視能力を利用しようと思い「折角だから私の謎解きを観ていってはいかが?」と誘った。
レティの魔晶石が無事である以上、余裕を見せておいた方が良いと考え、オレガノは条件付きで了承した。「では俺達と停戦協定を結ばないか?」
仮に今逃げても地上は激戦区、安全地帯を探すぐらいなら、しばらくここに滞在する方がいい。軍姫は了承した。自分に取って有益な取引であったからだ。
ネビュラがショーケースに近寄らなかったのには訳がある。オレガノが空の薬莢を投げると、ショーケースに触れるより先に、爆散する。スキル·千里眼で確認する通りでは、強力な磁場またはエネルギーの壁が隙間なくあった。
ネビュラは上の教会のギミックは難なく解いたそうだ。
「貧相な外装の割にはパイプオルガンがあるなど不自然な点があった。試しに一曲弾いてみた結果。音のずれを感じその原因を探ったら、そこにここへ通じる仕掛けが有った。」
しかし、この部屋の謎はまだ解けていない。不思議な所を探しようにも、不自然な所しかないのだ。
階段の無い回廊へ無理に登って見たが、その壁や床にも手掛かりはない。魔女の像も怪しいが、その顔立ちに心当たりがあるわけでもなかった。そもそも教会の下に、何故こんな邪悪な書物が置いてあるのかも不明。
ネビュラがオレガノに、「この部屋で不審な点はないか?」と訪ねると、「特にないがそれもまた不自然だ」と彼は答えた。次に、「まるで魔法のような部屋だ」とぼやくと、ネビュラはその感想に強い興味を見せた。
軍姫が何故魔法なのかと問うと、彼は建物の構造を語る。
上の古い教会に対して、地下の部屋のデザインが新しい。古い教会の下に作るには不自然なほど近代的、またはそれ以上。それは未来の建物が、教会の地下に埋まっているようだ。
ネビュラは小孝すると、その構造に異論を唱える。
この教会に、新しく地下室を作るとなると、一度教会を取り壊した方が効率的だ。この部屋を隠すものならば、地上の教会がここより古いのは不自然だ。物理的に不可能とまでは言わないが、魔法と比喩するのも無理はない。
「魔法か」
まさにこの部屋は、兵器全書を隠すためのトリックルーム。
「で?その魔女は何者なんだ?」とオレガノが問うとネビュラは答えた。
「私の親友が残した手記には、兵器全書、つまり戦争の予言書は12世紀の預言者が書いたとされている。つまりこの魔女あるいは、この4人の誰かが、兵器全書の著者の可能性がある。」
魔女の手に4人の注目を集めている。本から連想すれば、ペンなのだろう。何故無いのかはさておき、ネビュラはマントからとても隠しておける大きさではない、人間用の万年筆を取り出すと、魔女の手に添える。
重さによるものではない何かが作動し、魔女の石像の右手が下がった。
「どうだ、障壁は消えたか?」
オレガノが千里眼で確認すると、障壁は消えていたが、同時に怪奇現象も起きた。
魔女の石像から夥しい量の血涙が万年筆を通して滴る。回廊から流れ中央の兵器全書までたどり着くと、今度はショーケースを伝い登っていく。
引きつった表情でネビュラが、「高級品は合わなかったかな」とジョークを言うが、状況的にも面白くない。
ネビュラは回廊から飛び降りショーケースを打ち抜く。そして台に飛び乗り兵器全書を手に取った。するとたちまち部屋は地上の教会と同等まで古びていく。
兵器全書はネビュラの右腕を巻き添えに腐葉土と化した。彼女の判断は早く、腐り始めた右腕を頭上に上げ、自身の能力でその腕を消し飛ばした。
もし魔法なるもので、この空間の保存状況が保たれていたなら、数百年分の老朽化でこの部屋は崩れてしまうだろう。
ネビュラに隙を見出だしたオレガノは動き始めた。頭と胸部のみになったレティの髪を掴み上げ、無駄に重い鋏を担ぎ、出口に向かい走りだした。
ネビュラは彼らなど気にも止めず考え事を始めるとため息を尽く。髪を掻き分ける。
どうします?今なら追撃できますが?
「外は激戦区。抜けきれるとは思えん。」
しかし、本は偽物だったのでしょうか?
「ここまでの異変を起こすのだ。これも兵器全書なんだろう。」
ネビュラは独り言を終えると、崩れ行く部屋を後にする。
教会の外は人間と自動人形の戦闘によって激戦区となっていた。大型自動人形は戦車の砲弾で撃ち抜かれると全身から火を噴いた。一方人間達の戦車は軽々となぎ倒される。銃剣も通用せず、一振りで数人が両断された。
オレガノは全力で戦場を駆け抜けた。軽い躯体のおかげで地雷を気にせず走れる。だが、爆音で耳と平衡感覚が機能しない。
壊れたレティを担ぎながら一心不乱に駆けるその足に、爆散した自動人形の破片が突き刺さった。爆風で吹き飛ばされながらも直ぐに立ち上がり、レティの故郷ロンドンを目指した。
それから、西部戦線を横断し海を越えて、イギリス·ロンドンまで命からがら逃げ果せた。
オレガノの話が終わる頃には、レティの応急措置は済み、恵美達は自宅へ帰る準備に入っていた。
「それよりスキルって何?」
「魔晶石にあるインクルージョンによって得られる恩恵みたいなものなんだけど···なんて説明しようかな?」
スキルは魔晶石の中でも更に希少なものに含まれる異物が基盤の役割を果たし、超常の奇跡を起こす。人為的加える回路は設計理念と人格で自動人形に豊かな感情を与える。戦時中の量産品に関しては元から人格を設定しない物も多かった。または加工次第ではスキルを強化できると言うが、自動人形に取っては脳を弄るようなものであり大抵は魔晶石として機能しなくなる。
また、レティが知る限りスキルは強化系、属性系、操作系、召喚系、特異系の五種類に分類されている。また、区別がつかないスキルは皆特異系に分類されている。
カシミアは魔力を媒介に糸を生成し更には「結界」のスキルで展開し操れる、召喚と操作のスキルを保有している。
オレガノは遠くの敵または建物内の透視、弾丸に特殊性能を付与する、強化と属性のスキル。
レティの「死の直感」に関してはこのどれにも当てはまらないので、特異系と分類される。
恵美はレティにスキルは一つしかないのかと問うと、彼女は「有るには有るが弱いから言いたくない」と答えた。
オレガノが反応する以前にそれは嘘であると恵美は見抜いた。何故ならレティは嘘を吐く時、人の目を見ない。しかもわざとらしく視線だけを上に向ける。しかし言いたくないのであれば聞かない事にする。
鼻でため息を吐き不意に時計を見ると、午後6時半を回っており、恵美は門限が過ぎた場合の連絡を自宅にしていないことを思い出した。
事務所に射し込む夕日の光も乏しく、児童が出歩くには危ない時間帯となる。レティがいれば安心であるが、麗子は気を利かせて恵美の自宅に電話を掛けた。電話を取ったのはダリアのようで、受話器から声が聞こえた。
麗子は淡々とダリアに、恵美の事情を説明し今から帰宅させる事を伝えると、ダリアは嬉しそうに麗子の近況を尋ねた。
麗子は舌打ちして言った。
「私の事はどうでもいい。それよりも自分の娘が門限を破ったんだ。もう少し慌ててもいいんじゃないか?」
ダリアは笑いながら、「もちろん心配はしていたわ」と言うと、麗子の目が冷やかなものになる。要件を済ませると静かに受話器を戻した。
気になったレティが、麗子とダリアの過去に何かあるのかと聞くと、麗子はプライベートな事は聞くなと、不機嫌そうに言った。特に口の軽いレティには言いたくない。
レティが引き籠もっていた間のことなら、オレガノが情報として知っているが、麗子はオレガノに釘を刺した。
午後7時。夏の夜空は月が眩しい。
恵美が帰宅すると、両親は特に言及してこなかったが、門限を過ぎる時は連絡するようにと注意した。
既に夕食の準備は大方済み、恵美の風呂上がりのタイミングで食卓に並べられた。食事を前にオレガノの紹介を軽く済まし、レティもまたダリアに詫びを入れた。
ダリアが直したレティのドレスは、復元不可能なまでにズタボロにされ、レティ自身もマチルダが作ってくれた力作の最後の一着であったことを粛々と語った。
ダリアは涙ながらに、同様のデザインで作り上げると約束しレティを抱きしめた。
大輔からカシミアの所在を訪ねられ、レティは明日迎えに行くとだけ言うと、オレガノが彼女を怪訝そうに見る。
何か言いたげだが、食事前なのでその話は後ですることにした。
夕食が済み、恵美の部屋でレティとオレガノは自分の着替えや武器を広げた。レティの着替えは5着のドレスと3着の普段着。そして2着の寝間着。これらは外注品だ。ドレスは100着以上あったが、店ごと燃えてしまい、マチルダお手製の服もバロメとの戦闘で駄目になった。無事だったのは、当時クリーニングに出していたこれらの衣服と倉庫に管理していた数々の武器。
レティが広げた武器は禍々しい雰囲気を纏っている。殆どの武器が錆びついているが、鋏の武器、鉈のような湾刀、二丁の鎌、分銅の付いた鎖、不意討ちに使う鏡面仕上げの鏢の暗器。
右手に仕込んだ煙幕装置は麗子に修理をしてもらっている。現在、左足内部に直刃刀を仕込んでいるが、スプリングが錆びていて使用する際に暴発する恐れがある。
つまり、現在レティは自動人形の強みであるギミックを一つとして使用できない。錆び付いた武器は今すぐには使えず、刀だけで大勢の自動人形の居る、薔薇の貴族に乗り込むのは無謀。しかし、このような状況でも彼女はカシミアを迎えに行くと決めている。
そこでオレガノはピックアップした武器だけを仕上げることを提案した。レティはその妥協案を受け入れ、鎖分銅と鎌、そして鋏の武器·グリムリーパーを仕上げることにした。
恵美が寝静まった夜。
梅雨入り前には珍しい雲一つ無い夜空。星が霞み人影がくっきりとできるほどの月明かり。レティはそれを満月と言うが、オレガノが満月は明日だと言い、レティの目を疑った。
二人は八雲家の屋根の上で鋏と鎌、そして鎖分銅の錆び落としと磨き作業を行っていた。鑢での作業の中、オレガノが話題を持ち出した。カシミアに就いてだ。
彼もカシミアが所属していた薔薇の貴族に関してある程度の情報を持っていた。レティが躍起になって追っていた自動人形、タイプ·スレイヤーが何体もいると言うと、レティは8体と訂正する。
そこまで詳しいなら、そのキラーマシンと仲良くつるんでいるカシミアは危険物と見て間違いないとオレガノは語気を強めた。
その事に関しては肯定し、レティはカシミアの悪口を並べた。
「カシミアは間違いなくクズだ。気品そうに振る舞い、正々堂々の決闘と抜かし、私をトラップに誘い込んだ。その上人の命を何とも思わない。」
なら何故という疑問に、レティは少しだけ考えて、清んだ瞳で答える。「それでも、カシミアは人殺しではない。何より、恵美のお気に入りだ」と。
「お前を誘い出す罠だぞ。オートマトン殺しのお前に遺恨がある奴らの巣窟にみすみす向かわせる訳には行かない。」
「なら武器のメンテナンスを止めるか?」
「それはない。このグリムリーパーがあれば、お前がそこらのオートマトンに遅れをとるわけがない。しかし、幻影帝國が軍隊なら薔薇の貴族はマフィアだ。組織として脅威であるのは前者だが、なんせ何をしでかすか解らない連中だ。用心に越したことはないぞ。」
「なんだ。心配してくれているのか?」
「それもそうだが、そこのボスが気になる。何でも決して表には出ず、強力なオートマトンを戦場に送り込んでは荒稼ぎしていると言う。タイプ・スレイヤーがそれに従うぐらいだ。相当強いと見て間違いないだろう。」
レティの戦い方は、死の直感に頼り過ぎていて、スキルの為にあえて自分を窮地に追い込んでいる節がある。次第にそれは、死を望んでいるのではないのかと思えてならない。
沈黙したレティにオレガノは打ち明ける。
「なぁレティ。俺はまだ、人間を5人救えていない。列車事故を未然に防ぎ100名以上の乗客を守ったことがある。だがお前との契約に俺の設計理念が認めてくれなかった。」
「私だって、誰も救えない。マチルダだって死なせてしまったし、今まであった人間の人生を導けた事もない。」
そもそも、人ですらない人形が、人を救おうだなんて、おこがましいのかもしれない。
「そんなことはどうでもいい。俺が言いたいのは250年前にした約束を果たしていないのに、それより先に死のうだなんて、あんまりではないか。」
当のレティには生きる目的が無い。
400年間、多くの人間の人生を見てきたが、同じ時を生きられない人間に寄り添うことに限界を感じていた。マチルダを失った今、心が路頭をさ迷っている。
唯一の支えは、遺言を果たすことだが、恵美を守り、魔導書を破壊した先に、何が残るのか。今は考えないようにしている。
レティは微笑み立ち上がった。
「なら交渉だ。道化師。カシミアは連れ戻すが、私も必ず生きて戻ってくる。その変わり明日一日だけエミィの安全を死守してくれ。」
オレガノの瞳に映るレティには、かつての風格があり不思議と信用たりえた。何よりオレガノの設計理念により、レティはカシミアを連れて帰るまで、自ら進んで死の直感を使うような行為ができなくなった。
湿気を帯びた土が香りを放つ、午前6時。
恵美は朝食を早々に済ませ学校に行く準備をする。朝のテレビには目もくれず、授業内容のおさらいをする。
普段勤勉でない恵美がここまで真面目でいるのは、レティに対するちょっとした願掛けだ。たった10分の復習を終え、恵美は自分の部屋を出ると、レティを外まで見送る。
フリルの付いた立ち襟の白いブラウスにナイロン製の青いスカート。本革のホルスターに腕を通し、胸の下当たりでベルトを締める。そこに差し込むのは二丁鎌·双子の鉤。
腰に差した姫鶴と鎖分銅·塔の女が、ベルトアクセサリーの枠を越えて、じゃらじゃらと垂れ下がる。グリムリーパーは専用のケースに入っており、まるで楽器のようだ。
「気をつけろよ。ご自慢のギミックも無ければ、機動力も大幅にダウンしている。」
レティは自分の頬を指差し、「別れのキスは?」と冗談を言うが、笑うオレガノに髪を乱される。
「レティ。ちゃんとカシミアちゃんを連れて帰って来てね。」
「もちろんだ。引きずってでも連れて帰る。」
ブーツを履いたレティは全身の武器を隠すため、腰まである青いマントを羽織ると、電信柱に飛び移り、じゃらじゃらと重量が嵩んだ体で駅に向かう。
電線を走り、景気良く宙返り。すると、そのまま足を滑らして草藪に落ちた。
それを見ていた恵美とオレガノは、とても不安になった。
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