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自動人形編
第7話 魔窟の塔
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カシミアを連れ戻す為、東十条から日本橋まで電車で向かうことにしたレティは、雑踏を掻き分け、蹴られながらも満員電車に乗り込む。
会社勤めではないレティが、こんな思いをしながらも通勤時間帯を外さなかったのは、乗ってさえしまえば何時でも座れる特等席があるからだ。
彼女は荷物置きの網棚にちょこんと座り、高見から企業戦士達の勇士を眺める。当然注目に晒されるが、レティが小粋に話出すと不思議と場が和んだ。
老若男女様々な人間と世間話をしていると、青さが抜け切らない可愛らしい女性が、レティに行く先を尋ねる。レティは微笑みながら日本橋に就職活動と冗談めかして言った。多くは笑い、そうではない者もやや口角を上げた。
冗談はさておき。レティは乗客達にとあるビルの「薔薇の貴族」と言う組織に就いて心当たりがないか聞いてみた。当然、そんな珍妙な名前の企業など誰も知らないと思われたが、首を傾げる中に心当たりがありそうな人間がいた。レティの動向を伺った女性だ。
噂好きの女性は、「もしかして人喰いビルのことかな?」と言った。恐らくそれだろうと思いレティは詳細を聞いてみることにした。
何でも常に施錠がしており、解かれた日には人が一人また一人と神隠しに遭うらしい。所詮都市伝説、その女性もそれ以上の情報は持ち合わせていなかったが、折角人がこれだけいるのだから、知っている者が他にもいるかも知れない。
枕木に揺れる車内。中年の男性が答えをくれた。頼もしいと小さな拍手を送るが、その男性曰く未だに判然としない案件だったそうだ。
場所は日本橋中央通りにある高層のオフィスビル。彼はそのビルの建設作業員だったそうで、作業中に急な仕様変更があったそうだ。施工は始まったばかりで対応には困らなかったそうだが、ダクト及び非常口も水道もない作りに変わったと、若干顔色が悪い様子で物語った。納涼には少し早いかも知れないが、噂のネタに拍車が掛かると汗が引く者もいた。
レティは情報をくれた乗客達に感謝を表す。しかし、先ほどの女性はやはりレティ行動の真意が気になるようだ。マントを羽織って就活も無理があったかなぁと思い、レティは本当の目的を言う。
「···その化け物から友達を返してもらうのさ。」
レティはマントの中の武器を見せるとニヤリと笑う。
親切な人達の情報のお陰で、目的のビルは直ぐに見つかった。とは言っても自動人形が近くに居れば、魔晶石が発する特殊な磁波で、ある程度の居場所は解る。
目的のビルは階層にして30階ぐらいで、明かに放置していいような物件でもない。誰もいないって言って置きながら、ガラス張りの側面は定期的に手入れをしているようだ。こんな往来の好立地に自動人形の住処があるだなんて、迷惑だから県境の山にでも引っ越してはくれないものだろか。
人間用の自動ドアでは子供以下のレティに反応するのか心配だったが、バッチリ反応した。普段施錠がしてあると言う所を考えると、歓迎されているのかもしれない。
自動ドアの先には高さ6メートルの広いエントランスがあり、扇状にエレベーターが五つある。内一つ、中央のエレベーターだけが最上階に繋がっていると表示されている。静かなエントランスの大理石に踵を鳴らし、エレベーターまで向かう。目指すは最上階の32階。
敵か客であろうとこの静けさ、警備は万全ではないのだろうか。受付も無ければ、案内板も無いエントランスに人間味を感じない。薔薇の貴族と名乗るのなら、花の一つでも飾れば良いのに、エレベーター意外に階段も無ければ非常口も無い。信じ難いが、本当に人の為に建てられたビルではないようだ。
一体どうやってこんな意味の無いビルを建てられるだけの財力を手に入れられたのかは謎であるだが、カシミアさえ返してもらえれば、文句は言うまい。
レティは中央に差し掛かったところで、違和感を抱き天井を見上げた。目を細めると何か文章が書いてあるのが解る。
「薔薇の貴族へようこそ」。そう血で書かれていた。
刹那。危険を察知したレティが後方に高く跳ぶと、それまでいた床から大きな手がすり抜ける様に現れる。回避行動を取らなければ、そのまま握り潰されていただろう。
「危ないなぁ。守衛さんですか?」
手だけの自動人形、耳が無いのかジョークが通じない。
全長2メートルのタイプ·ナイトメア。五本の指を足にしてレティの前に現れた自動人形は、手のひらの中心に口があり、歯ぎしりをしている。
目も無く耳も無いソイツはどうやってレティの場所を把握したのだろう。バロメのような空間を認識するスキルあるいはギミックがあるに違い無いが、厄介なのは大理石をすり抜けレティに強襲を仕掛けられることだ。
スキル·潜伏。
ナイトメアに多いスキルで、地面や壁を盾にできるだけでなく、気配を消し強襲を仕掛けるのに最適だ。
更なる歓迎か、中央を除いて全てのエレベーターが開く。四つのエレベーターから自動人形が一体ずつ、合わせて四体。
2メートルのピエロ。戦闘能力の低そうな少年の小型。槍を構える西洋甲冑の中型。斧を持つ剣闘士風の大型。手だけの自動人形を入れれば五対一と言う絶望的戦力差。レティはこの状況下でも刀を抜く素振りを見せなかった。
彼女の目的はカシミアを連れ戻しに来ただけであり、話し合いで済ませればそれに越したことはない。そう思うレティは、カテーシーの挨拶から自己紹介を始める。
訳を話し案内を求めると、答え代わりにナイフが頬を掠めた。投げたのは少年の自動人形。レティは依然笑顔を保っているつもりでいたが、その目は笑っていなかった。
リーダー格と思われる剣闘士の自動人形が、侵入者は誰であろうが排除すると宣告する。レティはかなり短気である。一秒前までの考えなど消え失せ、今この場で全員叩き斬ることしか頭にない。それでもまだ、冷静でいるつもりのレティは彼らに質問した。
「例えば、手違いで入って来る者だっているだろう。物珍しさで子供が遊びに来ることもあるだろう。そういう者達はどうするのだ。」
問い掛けに沈黙する自動人形達を疑わしい表情で見つめるレティに、ピエロが口を開く。
「もういい。今日は俺に殺らせてくれよと。」
更に甲冑の自動人形が口を挟む。
「一昨日は刑事で昨日はクソガキ。入る理由は様々でも、行く先は一緒だ。」
レティが最も聞きたくなかった台詞を吐き、敵自動人形共は一斉に襲い掛かった。
「最初からこうすれば良かった。」
柳眉を逆立てるどころではない。レティは眼だけで人を殺せるほどの形相で柄に手を掛けた。
学業のカリキュラム1限と2限の合間の小休憩。恵美は教室を抜け出し、屋上にいるオレガノに会いに行く。
雲が太陽を隠し、青空がより映える。
オレガノは心地好い風に髪を靡かせた。
「よう恵美。随分暇そうだな。」
「オレガノくん。レティは本当に大丈夫かなぁ。」
「なるほど。不安で勉強に身が入らないってか。なぁ恵美。初めてレティの戦い方を見た時、お前は何か感じたか?」
何故今その話になるのか、恵美は質問を質問で返すと、オレガノが「お前の不安と取り除いてやる為だ」と答え、その為に自動人形の設計理念について語り出した。その概要は自動人形の在り方であり、プログラムされた本能とも言った。レティのそれは人間の害になる兵器と自動人形を対象に殲滅することである。裏を返せば、その条件下でなければ本領を発揮できない自動人形なのだ。
カシミアやバロメに苦戦を強いられたのも、この二体がレティの尺度ではなく、設計理念によって人に害のない自動人形と判定したのだ。
遊園地で八雲一家を襲った自動人形は三体の大型。本来のレティのスペックでは到底敵う相手ではないが、人間に危害を与えた鎧騎士に対して、彼女のプログラムが発動した。
人を殺す為に作られた自動人形と、自動人形を破壊する能力に長けたレティはパラメーターの配分上、有利を勝ち取れる。レティは人の為に強くなれる、唯一の自動人形なのだ。
「確かにあの時のレティはあっという間に敵をやっつけちゃった。でも···」
でも···。その言葉に対してオレガノが聞き返すと、恵美はレティに恐怖心を抱いたことを告白する。その時の姿は狂暴かつ享楽的で、終いには虚しそうであった。
オレガノが語る。
かつてレティが人目を避け、閉じ籠っていた時期がある。自動人形タイプ·パニッシャーの戦闘能力とその戦闘スタイルに人々は恐怖し、彼女を化物と罵った。
人に愛されたいと願っているレティにはこの上なく堪えただろう。
オレガノは恵美がレティに対して恐怖し拒絶することを懸念しているが、恵美はにこやかに否定した。
それどころかレティに対しては献身的なオレガノに興味が沸き、二人の関係を掘り下げた。恵美が睨むにオレガノの片想いと断定。
苦い顔になるオレガノが自動人形は恋愛感情を持たないと言うが、それは本人が気付いていないだけと「迷探偵」は推理する。
普段大人しいと思えば、何事も色恋沙汰に結び付けようとする当たり年相応の女の子なんだなぁ、とオレガノは思った。
「ところでレティの心配は何処に行ったのだろうか。」
恵美の頭の中ではどうしたら二人が仲良くなれるかシミュレーションが行われ、カシミアの案件すら二の次になっている。
この手の話はレティが嫌がると忠告してもまったく話を聞いてくれない。オレガノは頬杖をつき、「この、ませガキ」と呆れて笑った。
こいつらとは解り合えない。激怒したレティは、迫り来る敵を迎え討つ。
「貴様ら全員覚悟しろ。死なない程度に地獄を見せてやる。」
レティの背後に回り込んだピエロは、その腕を通常の何倍にも伸ばし、鋭く変形させた指先を勢い良く突き出した。
レティはグリムリーパーが入ったケースを手放すと、納刀したままの姫鶴で攻撃を防ぐ。重量及び腕力の勝るピエロが攻撃の手を強める。押され気味のレティの背後から更に甲冑の自動人形が槍を放つ。
居合い鉋
刃を抜ききらず、鉋の様に敵の装備を剥ぎ落とす技はピエロの腕を二枚に下ろした。
続けて甲冑の自動人形の槍の攻撃をくるりと躱し、縮地で間合いを詰める。刀は抜かず槍の様に構えるスコップ突きで首を穿ち、一度持ち上げてから地面に叩きつけた。鞘で首の神経を砕き、甲冑の自動人形は動かなくなった。
抜刀したレティは怯むピエロの両足を何の型もなく斬り落とし、前蹴りでうつ伏せにすると、仙骨の位置から首まで切り込みを入れ、更に粗暴に蹴り飛ばした。自動人形に痛みの上限は無い。
五体不満足のピエロは悪魔が悦びそうな悲鳴を上げると、レティも鮫のような歯を露にして笑い出した。彼女の趣味の悪さに敵陣の士気がこれでもかと下がる。
レティは姫鶴を腰に納めると、足元のケースを蹴り上げて、グリムリーパーを素早く取り出す。
剣闘士の自動人形が自前の斧を勢いよく振り下ろす。レティは二刀に分解したグリムリーパーで剣闘士の腕を切り落とし、続け様に胸を十字に斬り付けた。
更に踏む込み、両足の伝達繊維を断ち切った。倒れるように膝を着いたところに首元まで駆け上り、鋏の形態で首を切り落とした。
それは、斧が振り下ろされてから瞬く間に行われていた。
レティはその背中を踏み台に高く飛び上がる。
残り二体。
地面に逃げようとする手だけのナイトメアに必殺の一撃。
「大切断!」
大剣の型。レティの最大火力の攻撃により大理石諸共叩き割られる。
残り一体。
小型の自動人形はそばかすの少年。しかし攻撃してくる様子がない。グリムリーパーをケースに戻し、レティは近づく。少年の自動人形は戦意を失っており、降参を申し出てきた。
戦闘に不向きであるのに、無理やりここに配属させられたのだと命乞いをする。
「戦う意思のない者は斬れない。」そう言ったレティの一言に安堵したのか、少年の自動人形は胸を撫で下ろした。
折角だからロッテの元に案内してもらうことにしたが、先ほど自分の頬に掠めたナイフのことを思い出す。ふと気付くと少年の頭蓋は砕け地面に埋まっていた。レティの手がそうさせていた。彼女の設計理念が彼を許さなかったのだ。
ため息が出る。レティは頭を掻きながら自分の性を自嘲気味に笑った。
エレベーターから降りたその先は、劇場程の広さの薄暗いフロアが広がっていた。床には青白く輝く結晶が生えており、フロアの光源となっている。
レッドカーペットは玉座に繋がる階段まで伸びており、その一番上ではレティと同じ60センチの少女の自動人形が偉そうに座している。
ウェーブのかかった明るい金髪に深紅の瞳。ドレスまでもが赤を主調しており、まるでレティの対極にいるような人形だ。薔薇の貴族団長。深紅の薔薇·ロッテのプレッシャーは見る者を凍らした。
そして取り巻きであろうか。雑兵とは桁違いの殺気を纏った自動人形が八体。内二体はレティの旧知であった。
西洋の喪服、しかも真っ赤な。それを纏う3メートルを超える女。タイプ·スレイヤー巨塔のレッドベリル。
90センチ中型。礼装にベネチアンマスクの男。タイプ·スレイヤー鉄腕のシャルノス。
そのどちらも過去にレティが惨敗した相手だ。レティは怖じ気付くことなく、かつ礼節にカシミアの所在を訪ねた。ロッテは威圧的な笑みをレティに向ける。
レティはカシミアの引き渡しを求めたが、受け入れてはもらえなかった。
ロッテは団員が不殺であれ、5体も戦闘不能にされたことに不機嫌である。彼女は自身が創立した薔薇の貴族が、今日までどれだけの苦労を重ねて来たのか語りだすと、側近のシャルノスが驚き口を挟んだ。
「ロッテ様が・・・苦労?」
ふんぞり返っているぐらいだから、大した苦労もしていないのだろう。しかし更に気を悪くした彼女がシャルノスの横腹を小突く。そして、不始末など無かったかの様にレティに問い掛ける。
「何故、危険を冒してまでカシミアを連れ戻そうとするの?」
「恵美があいつの帰りを待っている。」
「えみ?・・・あぁ、現在の読み手ね。でも気に入らないわ。カシミアは本来ここの団員。誰の許しもなく引き抜こうなんて、随分勝手な用件ね。」
「だから、話し合いに来たんじゃないか。」
「確かに平和的に事を進めるのもたまにはいいものね。でもやっぱり貴方の覚悟と実力が見てみたいわ。」
ロッテが手を叩くと、レティの背後に大きな影が立った。巨塔のレッドベリルだ。
「久しぶり死神さん。今はレティって名前なのね。」
「よう。でくの坊。相変わらず辛気臭い成りをしているな。」
カシミアの情報ではタイプ·スレイヤーは8体。だが、この場には2体しか見当たらないことを問うと、レッドベリルはカシミアの口の軽さに舌打ちをする。しかし、彼女はとても律儀に薔薇の貴族の企業理念に就いて説明した。
薔薇の貴族とは、自動人形の派遣業者である。高額な依頼費の見返りに、要人警護、またはその人の暗殺、または傭兵として世界中に自動人形を送り出している。幸い組織には、見てくれの良い物からそうではない物まで自動人形の品揃えは豊富だ。この場に見当たらない強豪達は皆、ロッテの指示で資金の調達をしている訳だ。
しかし、団員の報酬に関する内容は伏せられた。
組織名にそぐわぬ働きっぷりに、優美さの欠片もないとレティが笑う。対して煽られたことに対してロッテの頬が膨れると、取り巻き達は戦慄した表情でレティを睨む。
上司が命令しなければ攻撃も出来ないのか、本来凶悪な自動人形がここまで手懐けられている様は滑稽だと更に嘲り笑う。
そんなレティに、ロッテはカシミア解放の条件を言い渡す。
目の前にいる、と言うより聳えるレッドベリルとの対決だ。3分間生き残れたらレティの勝ち。カシミアは自由にしていいと言う。
願ったり叶ったり。古き宿敵にリベンジしたいと思っていたレティからすれば巨塔を崩す良い機会だ。
レギュレーションからするに「負けなければ勝ち」と格下に視られていることに不満を感じたレティは、煽る様に「まさか、倒しちゃダメとか言わないよな?」と冗談を言うと、その言葉が口火となって全長3メートルの巨塔が猛威を振るう。
大型自動人形タイプ·クラッシャーでさえ2メートル。60センチのレティが相手にするには大き過ぎる。比率で考えれば160センチの人間対8メートルの巨人。または、3階建ての建築物。しかも機動力も高く、クラッシャーよりも豪腕ときた。
レティはケースを放り投げ、絶影を放つ。斬擊を伴う衝撃波がレッドベリルに直撃するが、手のひらで防がれる。
驚くレティを鷲掴みにして宙に投げたレッドベリルは、5メートル近くの跳躍からバレーボールのスパイクの如く強烈なビンタでレティを地面に叩き落とした。開始5秒。レティはその衝撃でノックバックを起こす。このまま、鋼鉄の巨体にその高さから踏みつけられたのなら、レティの躯体など一溜まりもない。
それでは面白くないと思ったロッテは、止めを刺そうとするレッドベリルに「床に穴を空けるな」と警告する。レッドベリルは急遽体勢を変えふわりと着地した。
床を傷つけないでレティを倒すとなると、仕方なく攻撃は横凪ぎに変わる。この時、レティの意識が戻る。
彼女は水切りのように跳ねて飛ぶも空中で体制を整えた。腰に巻いた鎖分銅で床に落ちたケースを拾い上げる。中からグリムリーパーを取り出し、双頭刃の型に変える。
レティは床から生える水晶を足場に高く跳ぶと、縦に高速回転を掛け、レッドベリルに突進する。
大車輪
飛来する丸鋸は大型自動人形でさえも切り刻む。しかし、これもまたレッドベリルの手のひらで防がれ、軽く弾かれてしまう。空中で体制を整えグリムリーパーを大剣の型にすると、レティは最大の威力を誇る、大切断を放つ。
これもまた遇われる。レッドベリルは床が傷付かないよう、自身をサスペンション代わりにして、レティの全力を受け止めた。そしてレティを地面に押し付け動きを封じた。
「レティ。私は今までに50人以上の人間を殺してきたわ。他のスレイヤーと違って、なるべく外に出ないようにしているけど、それでも貴女と同じ破壊衝動が人間に向くのよ。どうする?私を殺さなければ、貴女の身近にいる人間もいずれ手に掛けてしまうわよ。」
滾ったレティは拘束を力技で解き、その腕に見えぬ速さで斬り込みを入れる。風のように駆け抜けるレティに右肩を切り落とされると、レッドベリルは高らかに笑う。
巨塔は落とされた右腕でレティを打ち飛ばすと、そのパーツの断面とを肩に押し付ける。するとものの数秒で腕は元通りになった。
スキル·スクラップ&ビルド
構造を理解することと材料さえあれば、自分または対象の兵器を解体、組立、更に修理と改造ができる、強化のスキル。
つまり消耗戦になればレティの勝ち目が無くなる。
レッドベリルが空中にいるレティを捕らえようとすると、その手を足場にレティが駆け抜ける。レッドベリルのとある設計上、魔晶石を覆う胸の部分は比較的薄い。旧知の仲でありその事実を知っているレティが、万が一レッドベリルに勝てるとすれば、始めからそこを突く以外になかった。
不意を突かれると、レッドベリルにも戦慄が走るが、突き立てられた鋏は切れ味が低く、その装甲を貫くことはなかった。いくら薄いとは言え大型の装甲、付け焼き刃で押し通せるものではなかった。だがこれでレティは最初で最後のチャンスを失う。
レッドベリルはレティを払いのけ、弱点である胸骨の上部を二本の指で小突く。レティは動けなくなる。力なく仰向けになるレティを5秒置きに小突いては、その状態を継続させ痛め付けた。
一瞬。意識を取り戻した時にやって来る、胸に走る激痛に声も出せない。そんな地獄のような時間が続く。レッドベリルが小突く度、レティの中の空気が漏れ、気絶しながらも鈍い声が出る。嬲ること2分が経過した。
レティに許される行動は意識が覚めた瞬間、現状を理解することぐらいである。元々成す術のない相手に反撃するだけの時間はない。しかし、レティは予想外の行動にでた。意識が戻るや否や自身の胸を強く叩き始めた。加えてレッドベリルの攻撃が重なる。意識が戻るなりその行為を続けた。一見、理解ができない行動にロッテが不思議そうに眺める。だが、解くより先に答えが出た。レティは体制を変え、レッドベリルの攻撃から脱出したのだ。
ロッテは驚きの余り、知らずの内にニヤリとした。
理解するにレティは、自分でノックバックを起こしてレッドベリルの攻撃タイミングを少しずつずらしていた。
自動人形は衝撃に弱く、魔晶石を叩かれると5秒間動けなくなる。しかし、重ねて叩いた場合、5秒が上乗せされる訳ではない。コンマ何秒と少しずつずれていく。
通常なら勝敗が決する状態。この様な無駄知識を持っているのは常に実験台にされたレティとマチルダぐらいなものだ。
「面白い対処方法ね。」と談笑するロッテを他所目にレティは構え直すが、受けたダメージで活動の限界は近い。
その現実に追い打ちをかけるように、レッドベリルの猛攻はレティに手番を回すことはなかった。槌のような手刀にピンボールのように跳ねるレティは遂にグリムリーパーを手放してしまう。
レッドベリルはそのままボレーでレティを空中に打ち上げ、スパイクを決めようとするが、レティは空中で体を捻り寸前で躱す。そして二丁の鎌「双子の鉤」をホルスターから取り出した。
何度も同じ手を食らえば、カウンターのタイミングも見える。レティはレッドベリルの眼を狙い一丁の鎌を放つが、巨塔にも狙いがあった。
レティの反撃を予測していた巨塔は彼女の投擲を空中で一回転し躱し、その勢いで踵落としを決める。突き落とされたレティは、着地に試みるが、両足の伝達繊維を断裂させてしまった。
太股に走る激痛に歯を食い縛るが、性能、技量、策略に置いて完敗したレティは、その痛みより己の無力さが何より堪え難かった。
後方でため息を吐くロッテが「終わりね」と催しの終わりを惜しむ。空中から落ちて来るレッドベリルの攻撃を受ければ、間違いなく戦闘不能になるだろう。回避も迎撃もできない。詰みの状態であった。
レティは戦いを諦め、瞳を閉じた。
「やはり半端ではここが限界か。」
しかし攻撃はいくら待っても行われない。死を前に穏やかであったレティの微笑は崩れ、片眼を開いた。
恐る恐る頭上に視線を向けると不思議なことに総重量1トンを超える巨体が空中で上下に揺れている。何故レッドベリルの攻撃は止められたのか。目を凝らしたレティは気付く。
「間に合いましたわ」
カシミアの縛糸。スキル結界で瞬時に張り巡らせたのだ。彼女の使う糸は二種類。対象を切り裂く「絶糸」と対象を捕縛する「縛糸」。
もし絶糸での結界ならレッドベリルを寸断できていただろうが、恐らくその結果フロア全員と対峙せねばならぬことを考えれば、咄嗟にして英断であっただろう。
しかし、レッドベリルはそうは思わない。横槍を入れられ、かつての部下に手心までかけられたことに憤慨しカシミアの予想を上回る。巨塔が激昂し糸を引きちぎると、レティを庇うカシミアに手刀を振り下ろす。
「そこまで」
今度こそ終わりと思われたが、カシミアの眼前でレッドベリルの攻撃が止まる。その巨体の動きを完全に抑え込むのは、タイルを割って這い出た無数の蔓薔薇だった。
「もう3分よ」
ロッテが戦闘の終了を命じるとレッドベリルへの拘束が解かれる。巨塔は子猫を扱うかのようにカシミアをそっと避け、レティを持ち上げる。
どうするかは知らぬが、カシミアがレッドベリルにやめるようにと縋り付く。巨塔は彼女を撫で優しく微笑んだ。
「心配しないでカシミア。」
それからレッドベリルの腹部が裂け、その中から複数の腕が這い出てレティを捕らえる。
レッドベリルはレティを体内に入ると、調子の悪い洗濯機のように暴れ、それが治まるとダイヤル式の電子レンジのように終了を知らせるベルが鳴る
レティはコミカルな擬音と共に腹部から追い出されると、服を除き自身の体が直っていることに驚いた。
ロッテが手を叩きレティの注意を引く。約束のカシミア解放を許可した。惨敗したレティ本人は納得がいかない。このような戯れだけでロッテに何のメリットがあるのかと問うが、彼女としてはそれなりの収穫は有ったようだ。
レティの力量を計り得たことと、禁固刑の途中だと言うのに錠を破ってまで仲間を助けようとするカシミアの美徳に感心できたとのこと。
話す限りロッテはかなりの変人だが、悪い奴だとは思えない。レティは思いの丈を率直に伝えるが、彼女は少し困惑した表情で答えた。自分は人類悪ではあるが、自動人形の敵ではないと。そしてその寵愛はレティにも向いていると。
人類の敵は、レティの敵。当然人類滅亡を企む輩とは手は組めないと言うと、その見解には語弊があると訂正を挟む。「間引き」彼女は確かにそう言った。世界征服の方がまだ穏便に聞こえる。
苦い顔で聞き返すレティにロッテは語り出した。
「レティ。いくら貴女が人間を愛しても、貴女を裏切る人間は限りなくいるわ。罪を重ねる者、学ばない者、容姿の醜い者。この世界には美とは掛け離れたような人間があまりに多い。でも中には残すべき人間もいるわ。私達や美術品を創る者。繁栄を先導する者。他者を思いやる心を持つ者。洗礼された美を持つ者。それらだけを残し、理想の人間だけを存続させる。それが私の思想。その足掛けとして、幻影帝國に汚染された政治家や国家機関の排斥を3年以内には決行する予定よ。その大掃除に貴女も加えようと思ったのだけれど、流石に今は力不足ね。」
ちょっと質問しただけなのに国家転覆罪の一員にされるのも困るが、まずロッテの思想が破綻している。彼女の尺度だけで残された人類も、いずれ理想から離れた人が生まれるだろう。その都度殺戮を行い、人類が生物的にロッテの好みになる日を待つのだろうか。
不可能とまでは言えないが、何千年、何億年かかるか想像も出来ない。だがそんな無謀を叶えるのに良い道具がある。八雲の帳簿だ。
ロッテはその書物を使い武力で人類を淘汰するつもりなのか。レティが問うと彼女は否定し言った。
「八雲の帳簿は只の兵器カタログではないわ。そしてまだ書物の全貌が見えてないのなら、これ以上の話も無駄ね。」
レティが知り得ない情報を、ロッテは隠し持っているようだ。言及はさておき、恵美にとって弊害となる自動人形を野放しには出来ないとレティが刀を構える。
するとロッテは禁じ得なかったかのように苦笑した。如何様なハンデが有ったとしても、万に一つも勝ちはあり得ないとレティを宥めた。
「特に今はね。」
その言葉に嘘は無かった。
レッドベリルのスキルで、全快で在るのにも関わらず、その漏れ出る気迫に足が竦んでしまう。勝つ想像すら思い浮かべない。
それでも引くに引けないレティをカシミアが引き止める。
「やめましょうお姉様。ロッテ様はこの中で誰よりも実力をお持ちになる御方。拾ったお命。捨てる必要はありませんわ。」
何故カシミアがレティへの呼び方を変えたのかは解らないが、今日の目的はカシミアの奪還。これ以上長居するのは危険だ。
それでもレティは捨て台詞まがいに宣戦布告をした。
「いつか殺す。」
「楽しみしているわ。でも、残り2つのスキルもちゃんと使わないと、ここにいる団員は崩せないわよ。それは貴女が一番よく知っている筈よ。」
嘲笑の中、カシミアが深くお辞儀をし、舌打ちをするレティと共にエレベーターに乗り込むと、ロッテに呼び止められる。
まだ何かあるのかと睨むが。内容は銀の教団の団員バロメの件であった。彼女と一悶着有ったことを切り出されるが、仕掛けて来たのはソイツからだと、レティは言い返す。
何を思ってか、銀の教団の団長、白銀のシルビィーなる自動人形の名が出る。ロッテ曰くかなりの曲者らしい。何を意味する言葉なのかレティは詳細を仰ごうとするが、その意思とは関係無くエレベーターのドアが閉まった。
一難去って夕暮れ。一雨降ったのか、路面が湿っている。
レティとカシミアは電車で東十条まで戻り、恵美の家まで徒歩で帰る。その帰路。沈黙を破ったのは、カシミアであった。
まるで保護者に引き取られた悪ガキの如く、レティのご機嫌をこれ以上逆撫でしないような物言いで話し掛ける。
実際そこまで怒ってもいないし、強いて言うなら何も出来なかった自分に不甲斐なさを感じていたところだ。カシミアが迎えに来て貰えた理由を問うと、レティは恵美の所望であったと伝える。
それを聞いた彼女は少し嬉しそうにしているが、それとは別に違和感がある。レティへの二人称がお姉様になっていることだ。
迎えに行ったことが相当嬉しかった様で、親愛を込めて呼び方を変えたらしいが、レティの年齢は400歳を超えており、受け入れるにはとてもではないがキツい。
拒否しようにも可愛い顔で上目遣いを使うものだから仕方なく許容するが、先日殺し合った仲だと言うのに随分好かれたものだ。
「ところでお姉様。一つお伺いしたいことがありますの。」
「なんだ?」
「先程、ロッテ様が仰ったお姉様の残りのスキルのことなのですが、お姉様は未来予知の他に2つもお持ちですの?」
「まぁお前にだから言うが、一つは特異系即死回避だ。次は属性系。最後は強化系のスキルだ。」
「属性系と強化系は何故お使いになられないのですの?」
「属性系とは名ばかりで、魔力を無駄に浪費し体や武器に魔力を纏わせることぐらいで、相手が属性系でないと割に合わない。強化系に関しては詮索してくれるな。だが、発動の為には美観を損なうとだけ言っておこう。」
「性能はどうあれ、スキルを3つもお持ちとなると、ロッテ様を除いて見たことがありませんわ。」
「それはさておき、そのロッテのことだ。今まで出会ってきた自動人形の中でも、あそこまで力量差を感じた敵は初めてだ。戦う前から敗北を確信せざるを得ないあの気迫。一体何百年前のオートマトンだ?」
そんなレティの疑問に対してカシミアも首を傾げる。知らないのではなく、何故自分より年上と思っているのに対してであった。
カシミアはロッテの年齢を3歳と言うと、冗談を言う場面ぐらい弁えろ、とレティは彼女を睨んだ。
カシミアは首を横に振り、真実であると誓う。もしそれが本当だと思うと、レティの表情が険しくなる。
そんな若造に屈したことにではなく、ここ最近も自動人形が作られ続けていることを知ってしまったからだ。カシミアも生まれてまだ10年、現在も製造されている可能性は十分にあると言った。
レティが製造元を聞くとカシミアはあっさり答えた。幻影帝國と。
話を聞くに、手駒を増やそうとして反乱されてしまった様だが、そもそも作った本人は自動人形を真名で縛りその余地など与えないはず。
カシミアが言うに、ロッテのスキルの一つに自動人形を引き寄せる能力がある。最初に集まったのが、あのフロアにいた猛者達で、製作所は真名のデータ諸共破壊されてしまったようだ。
魔晶石のスキルは自動人形を起動するまで解らない。彼らは知らず知らずのうちに爆弾を作ってしまったことになる。その考察にカシミアは爆弾の方がまだましと笑い、ロッテの災害級スキル、「狂気のカリスマ」に就いて話し出す。
ロッテがいる限り、闘争心の高い自動人形が本人の意識とは関係なく世界中から集まってくる。実力者でなければ、敵に狙われ安くなるだけの厄介なスキルだが、殆んどの自動人形は彼女の気迫を前に戦意喪失するだろう。
3年で高層ビルを築き上げる程の労力が湯水の様に湧き出るという事実は、どの敵対勢力よりも恐ろしい。
強力な8体のスレイヤーと集まり続けるナイトメア。カシミアのように行き場を失った自動人形も、寄るもの拒まずと言う。いずれあのビルでは収まらず、より巨大な組織に変わっていくだろう。
「先程ご覧の通り、ロッテ様は植物を操れます。加えてお姉様を圧倒するカリスマ。最後は言う者によって違いますし、わたくし自信見たことがありませんわ。」
「へぇ例えば?」
「執拗に苦しめたり、凍らしたり、後睨み付けるだけで相手を爆発させたとか。でも、ロッテ様が戦うところは団員の誰も見たことがないと聞きますわ。」
「ロッテによる制裁が独り歩きしたんじゃない?」
「否定はできませんわ。」
「いや。そうであって欲しい。」
しかし、まだ他に確認をしたいことがある。カシミア本人の気持ちに就いてだ。そこまで脅威である組織のトップであり続けていれば、自由な生き方を今後も続けていられていたのではないか。無理やり仲間にしたレティが言うのもなんだが、本拠地に戻れたんだから、裏切る選択肢も有った筈だ。
始めはカシミアも逃げるつもりでいたが、気が変わったと言った。人間が嫌いな彼女はそもそも、人間をろくに知らない。そこで出会ったのが、恵美でありその家族だった。
レティと恵美との出会いがカシミアの考え方を少し変えた様だが、恵美は普通の女の子であり何か特別彼女にしてやった訳でもない。
だが、カシミアが薔薇の貴族に一度戻りたいと言った時に、疑わずに送り出してくれたことや、普段の振る舞いも強い影響を及ぼしたようだ。恵美が特別でないと言うなら尚更。カシミア自身知らなければならないことが沢山あるということに気付けたのだ。
「実を言いますと。わたくしの実力は、あの中ではかなり下の方でありまして、彼らの殺気が嫌で毎日理由を見つけては、外に逃げていましたわ。皆までは言いませんが、今の方が気楽と思いましたの。」
一番納得の行く答えが出るとレティは笑いながら、未だに身震いが治まらないことを打ち明け二人で肩を擦り合った。
会社勤めではないレティが、こんな思いをしながらも通勤時間帯を外さなかったのは、乗ってさえしまえば何時でも座れる特等席があるからだ。
彼女は荷物置きの網棚にちょこんと座り、高見から企業戦士達の勇士を眺める。当然注目に晒されるが、レティが小粋に話出すと不思議と場が和んだ。
老若男女様々な人間と世間話をしていると、青さが抜け切らない可愛らしい女性が、レティに行く先を尋ねる。レティは微笑みながら日本橋に就職活動と冗談めかして言った。多くは笑い、そうではない者もやや口角を上げた。
冗談はさておき。レティは乗客達にとあるビルの「薔薇の貴族」と言う組織に就いて心当たりがないか聞いてみた。当然、そんな珍妙な名前の企業など誰も知らないと思われたが、首を傾げる中に心当たりがありそうな人間がいた。レティの動向を伺った女性だ。
噂好きの女性は、「もしかして人喰いビルのことかな?」と言った。恐らくそれだろうと思いレティは詳細を聞いてみることにした。
何でも常に施錠がしており、解かれた日には人が一人また一人と神隠しに遭うらしい。所詮都市伝説、その女性もそれ以上の情報は持ち合わせていなかったが、折角人がこれだけいるのだから、知っている者が他にもいるかも知れない。
枕木に揺れる車内。中年の男性が答えをくれた。頼もしいと小さな拍手を送るが、その男性曰く未だに判然としない案件だったそうだ。
場所は日本橋中央通りにある高層のオフィスビル。彼はそのビルの建設作業員だったそうで、作業中に急な仕様変更があったそうだ。施工は始まったばかりで対応には困らなかったそうだが、ダクト及び非常口も水道もない作りに変わったと、若干顔色が悪い様子で物語った。納涼には少し早いかも知れないが、噂のネタに拍車が掛かると汗が引く者もいた。
レティは情報をくれた乗客達に感謝を表す。しかし、先ほどの女性はやはりレティ行動の真意が気になるようだ。マントを羽織って就活も無理があったかなぁと思い、レティは本当の目的を言う。
「···その化け物から友達を返してもらうのさ。」
レティはマントの中の武器を見せるとニヤリと笑う。
親切な人達の情報のお陰で、目的のビルは直ぐに見つかった。とは言っても自動人形が近くに居れば、魔晶石が発する特殊な磁波で、ある程度の居場所は解る。
目的のビルは階層にして30階ぐらいで、明かに放置していいような物件でもない。誰もいないって言って置きながら、ガラス張りの側面は定期的に手入れをしているようだ。こんな往来の好立地に自動人形の住処があるだなんて、迷惑だから県境の山にでも引っ越してはくれないものだろか。
人間用の自動ドアでは子供以下のレティに反応するのか心配だったが、バッチリ反応した。普段施錠がしてあると言う所を考えると、歓迎されているのかもしれない。
自動ドアの先には高さ6メートルの広いエントランスがあり、扇状にエレベーターが五つある。内一つ、中央のエレベーターだけが最上階に繋がっていると表示されている。静かなエントランスの大理石に踵を鳴らし、エレベーターまで向かう。目指すは最上階の32階。
敵か客であろうとこの静けさ、警備は万全ではないのだろうか。受付も無ければ、案内板も無いエントランスに人間味を感じない。薔薇の貴族と名乗るのなら、花の一つでも飾れば良いのに、エレベーター意外に階段も無ければ非常口も無い。信じ難いが、本当に人の為に建てられたビルではないようだ。
一体どうやってこんな意味の無いビルを建てられるだけの財力を手に入れられたのかは謎であるだが、カシミアさえ返してもらえれば、文句は言うまい。
レティは中央に差し掛かったところで、違和感を抱き天井を見上げた。目を細めると何か文章が書いてあるのが解る。
「薔薇の貴族へようこそ」。そう血で書かれていた。
刹那。危険を察知したレティが後方に高く跳ぶと、それまでいた床から大きな手がすり抜ける様に現れる。回避行動を取らなければ、そのまま握り潰されていただろう。
「危ないなぁ。守衛さんですか?」
手だけの自動人形、耳が無いのかジョークが通じない。
全長2メートルのタイプ·ナイトメア。五本の指を足にしてレティの前に現れた自動人形は、手のひらの中心に口があり、歯ぎしりをしている。
目も無く耳も無いソイツはどうやってレティの場所を把握したのだろう。バロメのような空間を認識するスキルあるいはギミックがあるに違い無いが、厄介なのは大理石をすり抜けレティに強襲を仕掛けられることだ。
スキル·潜伏。
ナイトメアに多いスキルで、地面や壁を盾にできるだけでなく、気配を消し強襲を仕掛けるのに最適だ。
更なる歓迎か、中央を除いて全てのエレベーターが開く。四つのエレベーターから自動人形が一体ずつ、合わせて四体。
2メートルのピエロ。戦闘能力の低そうな少年の小型。槍を構える西洋甲冑の中型。斧を持つ剣闘士風の大型。手だけの自動人形を入れれば五対一と言う絶望的戦力差。レティはこの状況下でも刀を抜く素振りを見せなかった。
彼女の目的はカシミアを連れ戻しに来ただけであり、話し合いで済ませればそれに越したことはない。そう思うレティは、カテーシーの挨拶から自己紹介を始める。
訳を話し案内を求めると、答え代わりにナイフが頬を掠めた。投げたのは少年の自動人形。レティは依然笑顔を保っているつもりでいたが、その目は笑っていなかった。
リーダー格と思われる剣闘士の自動人形が、侵入者は誰であろうが排除すると宣告する。レティはかなり短気である。一秒前までの考えなど消え失せ、今この場で全員叩き斬ることしか頭にない。それでもまだ、冷静でいるつもりのレティは彼らに質問した。
「例えば、手違いで入って来る者だっているだろう。物珍しさで子供が遊びに来ることもあるだろう。そういう者達はどうするのだ。」
問い掛けに沈黙する自動人形達を疑わしい表情で見つめるレティに、ピエロが口を開く。
「もういい。今日は俺に殺らせてくれよと。」
更に甲冑の自動人形が口を挟む。
「一昨日は刑事で昨日はクソガキ。入る理由は様々でも、行く先は一緒だ。」
レティが最も聞きたくなかった台詞を吐き、敵自動人形共は一斉に襲い掛かった。
「最初からこうすれば良かった。」
柳眉を逆立てるどころではない。レティは眼だけで人を殺せるほどの形相で柄に手を掛けた。
学業のカリキュラム1限と2限の合間の小休憩。恵美は教室を抜け出し、屋上にいるオレガノに会いに行く。
雲が太陽を隠し、青空がより映える。
オレガノは心地好い風に髪を靡かせた。
「よう恵美。随分暇そうだな。」
「オレガノくん。レティは本当に大丈夫かなぁ。」
「なるほど。不安で勉強に身が入らないってか。なぁ恵美。初めてレティの戦い方を見た時、お前は何か感じたか?」
何故今その話になるのか、恵美は質問を質問で返すと、オレガノが「お前の不安と取り除いてやる為だ」と答え、その為に自動人形の設計理念について語り出した。その概要は自動人形の在り方であり、プログラムされた本能とも言った。レティのそれは人間の害になる兵器と自動人形を対象に殲滅することである。裏を返せば、その条件下でなければ本領を発揮できない自動人形なのだ。
カシミアやバロメに苦戦を強いられたのも、この二体がレティの尺度ではなく、設計理念によって人に害のない自動人形と判定したのだ。
遊園地で八雲一家を襲った自動人形は三体の大型。本来のレティのスペックでは到底敵う相手ではないが、人間に危害を与えた鎧騎士に対して、彼女のプログラムが発動した。
人を殺す為に作られた自動人形と、自動人形を破壊する能力に長けたレティはパラメーターの配分上、有利を勝ち取れる。レティは人の為に強くなれる、唯一の自動人形なのだ。
「確かにあの時のレティはあっという間に敵をやっつけちゃった。でも···」
でも···。その言葉に対してオレガノが聞き返すと、恵美はレティに恐怖心を抱いたことを告白する。その時の姿は狂暴かつ享楽的で、終いには虚しそうであった。
オレガノが語る。
かつてレティが人目を避け、閉じ籠っていた時期がある。自動人形タイプ·パニッシャーの戦闘能力とその戦闘スタイルに人々は恐怖し、彼女を化物と罵った。
人に愛されたいと願っているレティにはこの上なく堪えただろう。
オレガノは恵美がレティに対して恐怖し拒絶することを懸念しているが、恵美はにこやかに否定した。
それどころかレティに対しては献身的なオレガノに興味が沸き、二人の関係を掘り下げた。恵美が睨むにオレガノの片想いと断定。
苦い顔になるオレガノが自動人形は恋愛感情を持たないと言うが、それは本人が気付いていないだけと「迷探偵」は推理する。
普段大人しいと思えば、何事も色恋沙汰に結び付けようとする当たり年相応の女の子なんだなぁ、とオレガノは思った。
「ところでレティの心配は何処に行ったのだろうか。」
恵美の頭の中ではどうしたら二人が仲良くなれるかシミュレーションが行われ、カシミアの案件すら二の次になっている。
この手の話はレティが嫌がると忠告してもまったく話を聞いてくれない。オレガノは頬杖をつき、「この、ませガキ」と呆れて笑った。
こいつらとは解り合えない。激怒したレティは、迫り来る敵を迎え討つ。
「貴様ら全員覚悟しろ。死なない程度に地獄を見せてやる。」
レティの背後に回り込んだピエロは、その腕を通常の何倍にも伸ばし、鋭く変形させた指先を勢い良く突き出した。
レティはグリムリーパーが入ったケースを手放すと、納刀したままの姫鶴で攻撃を防ぐ。重量及び腕力の勝るピエロが攻撃の手を強める。押され気味のレティの背後から更に甲冑の自動人形が槍を放つ。
居合い鉋
刃を抜ききらず、鉋の様に敵の装備を剥ぎ落とす技はピエロの腕を二枚に下ろした。
続けて甲冑の自動人形の槍の攻撃をくるりと躱し、縮地で間合いを詰める。刀は抜かず槍の様に構えるスコップ突きで首を穿ち、一度持ち上げてから地面に叩きつけた。鞘で首の神経を砕き、甲冑の自動人形は動かなくなった。
抜刀したレティは怯むピエロの両足を何の型もなく斬り落とし、前蹴りでうつ伏せにすると、仙骨の位置から首まで切り込みを入れ、更に粗暴に蹴り飛ばした。自動人形に痛みの上限は無い。
五体不満足のピエロは悪魔が悦びそうな悲鳴を上げると、レティも鮫のような歯を露にして笑い出した。彼女の趣味の悪さに敵陣の士気がこれでもかと下がる。
レティは姫鶴を腰に納めると、足元のケースを蹴り上げて、グリムリーパーを素早く取り出す。
剣闘士の自動人形が自前の斧を勢いよく振り下ろす。レティは二刀に分解したグリムリーパーで剣闘士の腕を切り落とし、続け様に胸を十字に斬り付けた。
更に踏む込み、両足の伝達繊維を断ち切った。倒れるように膝を着いたところに首元まで駆け上り、鋏の形態で首を切り落とした。
それは、斧が振り下ろされてから瞬く間に行われていた。
レティはその背中を踏み台に高く飛び上がる。
残り二体。
地面に逃げようとする手だけのナイトメアに必殺の一撃。
「大切断!」
大剣の型。レティの最大火力の攻撃により大理石諸共叩き割られる。
残り一体。
小型の自動人形はそばかすの少年。しかし攻撃してくる様子がない。グリムリーパーをケースに戻し、レティは近づく。少年の自動人形は戦意を失っており、降参を申し出てきた。
戦闘に不向きであるのに、無理やりここに配属させられたのだと命乞いをする。
「戦う意思のない者は斬れない。」そう言ったレティの一言に安堵したのか、少年の自動人形は胸を撫で下ろした。
折角だからロッテの元に案内してもらうことにしたが、先ほど自分の頬に掠めたナイフのことを思い出す。ふと気付くと少年の頭蓋は砕け地面に埋まっていた。レティの手がそうさせていた。彼女の設計理念が彼を許さなかったのだ。
ため息が出る。レティは頭を掻きながら自分の性を自嘲気味に笑った。
エレベーターから降りたその先は、劇場程の広さの薄暗いフロアが広がっていた。床には青白く輝く結晶が生えており、フロアの光源となっている。
レッドカーペットは玉座に繋がる階段まで伸びており、その一番上ではレティと同じ60センチの少女の自動人形が偉そうに座している。
ウェーブのかかった明るい金髪に深紅の瞳。ドレスまでもが赤を主調しており、まるでレティの対極にいるような人形だ。薔薇の貴族団長。深紅の薔薇·ロッテのプレッシャーは見る者を凍らした。
そして取り巻きであろうか。雑兵とは桁違いの殺気を纏った自動人形が八体。内二体はレティの旧知であった。
西洋の喪服、しかも真っ赤な。それを纏う3メートルを超える女。タイプ·スレイヤー巨塔のレッドベリル。
90センチ中型。礼装にベネチアンマスクの男。タイプ·スレイヤー鉄腕のシャルノス。
そのどちらも過去にレティが惨敗した相手だ。レティは怖じ気付くことなく、かつ礼節にカシミアの所在を訪ねた。ロッテは威圧的な笑みをレティに向ける。
レティはカシミアの引き渡しを求めたが、受け入れてはもらえなかった。
ロッテは団員が不殺であれ、5体も戦闘不能にされたことに不機嫌である。彼女は自身が創立した薔薇の貴族が、今日までどれだけの苦労を重ねて来たのか語りだすと、側近のシャルノスが驚き口を挟んだ。
「ロッテ様が・・・苦労?」
ふんぞり返っているぐらいだから、大した苦労もしていないのだろう。しかし更に気を悪くした彼女がシャルノスの横腹を小突く。そして、不始末など無かったかの様にレティに問い掛ける。
「何故、危険を冒してまでカシミアを連れ戻そうとするの?」
「恵美があいつの帰りを待っている。」
「えみ?・・・あぁ、現在の読み手ね。でも気に入らないわ。カシミアは本来ここの団員。誰の許しもなく引き抜こうなんて、随分勝手な用件ね。」
「だから、話し合いに来たんじゃないか。」
「確かに平和的に事を進めるのもたまにはいいものね。でもやっぱり貴方の覚悟と実力が見てみたいわ。」
ロッテが手を叩くと、レティの背後に大きな影が立った。巨塔のレッドベリルだ。
「久しぶり死神さん。今はレティって名前なのね。」
「よう。でくの坊。相変わらず辛気臭い成りをしているな。」
カシミアの情報ではタイプ·スレイヤーは8体。だが、この場には2体しか見当たらないことを問うと、レッドベリルはカシミアの口の軽さに舌打ちをする。しかし、彼女はとても律儀に薔薇の貴族の企業理念に就いて説明した。
薔薇の貴族とは、自動人形の派遣業者である。高額な依頼費の見返りに、要人警護、またはその人の暗殺、または傭兵として世界中に自動人形を送り出している。幸い組織には、見てくれの良い物からそうではない物まで自動人形の品揃えは豊富だ。この場に見当たらない強豪達は皆、ロッテの指示で資金の調達をしている訳だ。
しかし、団員の報酬に関する内容は伏せられた。
組織名にそぐわぬ働きっぷりに、優美さの欠片もないとレティが笑う。対して煽られたことに対してロッテの頬が膨れると、取り巻き達は戦慄した表情でレティを睨む。
上司が命令しなければ攻撃も出来ないのか、本来凶悪な自動人形がここまで手懐けられている様は滑稽だと更に嘲り笑う。
そんなレティに、ロッテはカシミア解放の条件を言い渡す。
目の前にいる、と言うより聳えるレッドベリルとの対決だ。3分間生き残れたらレティの勝ち。カシミアは自由にしていいと言う。
願ったり叶ったり。古き宿敵にリベンジしたいと思っていたレティからすれば巨塔を崩す良い機会だ。
レギュレーションからするに「負けなければ勝ち」と格下に視られていることに不満を感じたレティは、煽る様に「まさか、倒しちゃダメとか言わないよな?」と冗談を言うと、その言葉が口火となって全長3メートルの巨塔が猛威を振るう。
大型自動人形タイプ·クラッシャーでさえ2メートル。60センチのレティが相手にするには大き過ぎる。比率で考えれば160センチの人間対8メートルの巨人。または、3階建ての建築物。しかも機動力も高く、クラッシャーよりも豪腕ときた。
レティはケースを放り投げ、絶影を放つ。斬擊を伴う衝撃波がレッドベリルに直撃するが、手のひらで防がれる。
驚くレティを鷲掴みにして宙に投げたレッドベリルは、5メートル近くの跳躍からバレーボールのスパイクの如く強烈なビンタでレティを地面に叩き落とした。開始5秒。レティはその衝撃でノックバックを起こす。このまま、鋼鉄の巨体にその高さから踏みつけられたのなら、レティの躯体など一溜まりもない。
それでは面白くないと思ったロッテは、止めを刺そうとするレッドベリルに「床に穴を空けるな」と警告する。レッドベリルは急遽体勢を変えふわりと着地した。
床を傷つけないでレティを倒すとなると、仕方なく攻撃は横凪ぎに変わる。この時、レティの意識が戻る。
彼女は水切りのように跳ねて飛ぶも空中で体制を整えた。腰に巻いた鎖分銅で床に落ちたケースを拾い上げる。中からグリムリーパーを取り出し、双頭刃の型に変える。
レティは床から生える水晶を足場に高く跳ぶと、縦に高速回転を掛け、レッドベリルに突進する。
大車輪
飛来する丸鋸は大型自動人形でさえも切り刻む。しかし、これもまたレッドベリルの手のひらで防がれ、軽く弾かれてしまう。空中で体制を整えグリムリーパーを大剣の型にすると、レティは最大の威力を誇る、大切断を放つ。
これもまた遇われる。レッドベリルは床が傷付かないよう、自身をサスペンション代わりにして、レティの全力を受け止めた。そしてレティを地面に押し付け動きを封じた。
「レティ。私は今までに50人以上の人間を殺してきたわ。他のスレイヤーと違って、なるべく外に出ないようにしているけど、それでも貴女と同じ破壊衝動が人間に向くのよ。どうする?私を殺さなければ、貴女の身近にいる人間もいずれ手に掛けてしまうわよ。」
滾ったレティは拘束を力技で解き、その腕に見えぬ速さで斬り込みを入れる。風のように駆け抜けるレティに右肩を切り落とされると、レッドベリルは高らかに笑う。
巨塔は落とされた右腕でレティを打ち飛ばすと、そのパーツの断面とを肩に押し付ける。するとものの数秒で腕は元通りになった。
スキル·スクラップ&ビルド
構造を理解することと材料さえあれば、自分または対象の兵器を解体、組立、更に修理と改造ができる、強化のスキル。
つまり消耗戦になればレティの勝ち目が無くなる。
レッドベリルが空中にいるレティを捕らえようとすると、その手を足場にレティが駆け抜ける。レッドベリルのとある設計上、魔晶石を覆う胸の部分は比較的薄い。旧知の仲でありその事実を知っているレティが、万が一レッドベリルに勝てるとすれば、始めからそこを突く以外になかった。
不意を突かれると、レッドベリルにも戦慄が走るが、突き立てられた鋏は切れ味が低く、その装甲を貫くことはなかった。いくら薄いとは言え大型の装甲、付け焼き刃で押し通せるものではなかった。だがこれでレティは最初で最後のチャンスを失う。
レッドベリルはレティを払いのけ、弱点である胸骨の上部を二本の指で小突く。レティは動けなくなる。力なく仰向けになるレティを5秒置きに小突いては、その状態を継続させ痛め付けた。
一瞬。意識を取り戻した時にやって来る、胸に走る激痛に声も出せない。そんな地獄のような時間が続く。レッドベリルが小突く度、レティの中の空気が漏れ、気絶しながらも鈍い声が出る。嬲ること2分が経過した。
レティに許される行動は意識が覚めた瞬間、現状を理解することぐらいである。元々成す術のない相手に反撃するだけの時間はない。しかし、レティは予想外の行動にでた。意識が戻るや否や自身の胸を強く叩き始めた。加えてレッドベリルの攻撃が重なる。意識が戻るなりその行為を続けた。一見、理解ができない行動にロッテが不思議そうに眺める。だが、解くより先に答えが出た。レティは体制を変え、レッドベリルの攻撃から脱出したのだ。
ロッテは驚きの余り、知らずの内にニヤリとした。
理解するにレティは、自分でノックバックを起こしてレッドベリルの攻撃タイミングを少しずつずらしていた。
自動人形は衝撃に弱く、魔晶石を叩かれると5秒間動けなくなる。しかし、重ねて叩いた場合、5秒が上乗せされる訳ではない。コンマ何秒と少しずつずれていく。
通常なら勝敗が決する状態。この様な無駄知識を持っているのは常に実験台にされたレティとマチルダぐらいなものだ。
「面白い対処方法ね。」と談笑するロッテを他所目にレティは構え直すが、受けたダメージで活動の限界は近い。
その現実に追い打ちをかけるように、レッドベリルの猛攻はレティに手番を回すことはなかった。槌のような手刀にピンボールのように跳ねるレティは遂にグリムリーパーを手放してしまう。
レッドベリルはそのままボレーでレティを空中に打ち上げ、スパイクを決めようとするが、レティは空中で体を捻り寸前で躱す。そして二丁の鎌「双子の鉤」をホルスターから取り出した。
何度も同じ手を食らえば、カウンターのタイミングも見える。レティはレッドベリルの眼を狙い一丁の鎌を放つが、巨塔にも狙いがあった。
レティの反撃を予測していた巨塔は彼女の投擲を空中で一回転し躱し、その勢いで踵落としを決める。突き落とされたレティは、着地に試みるが、両足の伝達繊維を断裂させてしまった。
太股に走る激痛に歯を食い縛るが、性能、技量、策略に置いて完敗したレティは、その痛みより己の無力さが何より堪え難かった。
後方でため息を吐くロッテが「終わりね」と催しの終わりを惜しむ。空中から落ちて来るレッドベリルの攻撃を受ければ、間違いなく戦闘不能になるだろう。回避も迎撃もできない。詰みの状態であった。
レティは戦いを諦め、瞳を閉じた。
「やはり半端ではここが限界か。」
しかし攻撃はいくら待っても行われない。死を前に穏やかであったレティの微笑は崩れ、片眼を開いた。
恐る恐る頭上に視線を向けると不思議なことに総重量1トンを超える巨体が空中で上下に揺れている。何故レッドベリルの攻撃は止められたのか。目を凝らしたレティは気付く。
「間に合いましたわ」
カシミアの縛糸。スキル結界で瞬時に張り巡らせたのだ。彼女の使う糸は二種類。対象を切り裂く「絶糸」と対象を捕縛する「縛糸」。
もし絶糸での結界ならレッドベリルを寸断できていただろうが、恐らくその結果フロア全員と対峙せねばならぬことを考えれば、咄嗟にして英断であっただろう。
しかし、レッドベリルはそうは思わない。横槍を入れられ、かつての部下に手心までかけられたことに憤慨しカシミアの予想を上回る。巨塔が激昂し糸を引きちぎると、レティを庇うカシミアに手刀を振り下ろす。
「そこまで」
今度こそ終わりと思われたが、カシミアの眼前でレッドベリルの攻撃が止まる。その巨体の動きを完全に抑え込むのは、タイルを割って這い出た無数の蔓薔薇だった。
「もう3分よ」
ロッテが戦闘の終了を命じるとレッドベリルへの拘束が解かれる。巨塔は子猫を扱うかのようにカシミアをそっと避け、レティを持ち上げる。
どうするかは知らぬが、カシミアがレッドベリルにやめるようにと縋り付く。巨塔は彼女を撫で優しく微笑んだ。
「心配しないでカシミア。」
それからレッドベリルの腹部が裂け、その中から複数の腕が這い出てレティを捕らえる。
レッドベリルはレティを体内に入ると、調子の悪い洗濯機のように暴れ、それが治まるとダイヤル式の電子レンジのように終了を知らせるベルが鳴る
レティはコミカルな擬音と共に腹部から追い出されると、服を除き自身の体が直っていることに驚いた。
ロッテが手を叩きレティの注意を引く。約束のカシミア解放を許可した。惨敗したレティ本人は納得がいかない。このような戯れだけでロッテに何のメリットがあるのかと問うが、彼女としてはそれなりの収穫は有ったようだ。
レティの力量を計り得たことと、禁固刑の途中だと言うのに錠を破ってまで仲間を助けようとするカシミアの美徳に感心できたとのこと。
話す限りロッテはかなりの変人だが、悪い奴だとは思えない。レティは思いの丈を率直に伝えるが、彼女は少し困惑した表情で答えた。自分は人類悪ではあるが、自動人形の敵ではないと。そしてその寵愛はレティにも向いていると。
人類の敵は、レティの敵。当然人類滅亡を企む輩とは手は組めないと言うと、その見解には語弊があると訂正を挟む。「間引き」彼女は確かにそう言った。世界征服の方がまだ穏便に聞こえる。
苦い顔で聞き返すレティにロッテは語り出した。
「レティ。いくら貴女が人間を愛しても、貴女を裏切る人間は限りなくいるわ。罪を重ねる者、学ばない者、容姿の醜い者。この世界には美とは掛け離れたような人間があまりに多い。でも中には残すべき人間もいるわ。私達や美術品を創る者。繁栄を先導する者。他者を思いやる心を持つ者。洗礼された美を持つ者。それらだけを残し、理想の人間だけを存続させる。それが私の思想。その足掛けとして、幻影帝國に汚染された政治家や国家機関の排斥を3年以内には決行する予定よ。その大掃除に貴女も加えようと思ったのだけれど、流石に今は力不足ね。」
ちょっと質問しただけなのに国家転覆罪の一員にされるのも困るが、まずロッテの思想が破綻している。彼女の尺度だけで残された人類も、いずれ理想から離れた人が生まれるだろう。その都度殺戮を行い、人類が生物的にロッテの好みになる日を待つのだろうか。
不可能とまでは言えないが、何千年、何億年かかるか想像も出来ない。だがそんな無謀を叶えるのに良い道具がある。八雲の帳簿だ。
ロッテはその書物を使い武力で人類を淘汰するつもりなのか。レティが問うと彼女は否定し言った。
「八雲の帳簿は只の兵器カタログではないわ。そしてまだ書物の全貌が見えてないのなら、これ以上の話も無駄ね。」
レティが知り得ない情報を、ロッテは隠し持っているようだ。言及はさておき、恵美にとって弊害となる自動人形を野放しには出来ないとレティが刀を構える。
するとロッテは禁じ得なかったかのように苦笑した。如何様なハンデが有ったとしても、万に一つも勝ちはあり得ないとレティを宥めた。
「特に今はね。」
その言葉に嘘は無かった。
レッドベリルのスキルで、全快で在るのにも関わらず、その漏れ出る気迫に足が竦んでしまう。勝つ想像すら思い浮かべない。
それでも引くに引けないレティをカシミアが引き止める。
「やめましょうお姉様。ロッテ様はこの中で誰よりも実力をお持ちになる御方。拾ったお命。捨てる必要はありませんわ。」
何故カシミアがレティへの呼び方を変えたのかは解らないが、今日の目的はカシミアの奪還。これ以上長居するのは危険だ。
それでもレティは捨て台詞まがいに宣戦布告をした。
「いつか殺す。」
「楽しみしているわ。でも、残り2つのスキルもちゃんと使わないと、ここにいる団員は崩せないわよ。それは貴女が一番よく知っている筈よ。」
嘲笑の中、カシミアが深くお辞儀をし、舌打ちをするレティと共にエレベーターに乗り込むと、ロッテに呼び止められる。
まだ何かあるのかと睨むが。内容は銀の教団の団員バロメの件であった。彼女と一悶着有ったことを切り出されるが、仕掛けて来たのはソイツからだと、レティは言い返す。
何を思ってか、銀の教団の団長、白銀のシルビィーなる自動人形の名が出る。ロッテ曰くかなりの曲者らしい。何を意味する言葉なのかレティは詳細を仰ごうとするが、その意思とは関係無くエレベーターのドアが閉まった。
一難去って夕暮れ。一雨降ったのか、路面が湿っている。
レティとカシミアは電車で東十条まで戻り、恵美の家まで徒歩で帰る。その帰路。沈黙を破ったのは、カシミアであった。
まるで保護者に引き取られた悪ガキの如く、レティのご機嫌をこれ以上逆撫でしないような物言いで話し掛ける。
実際そこまで怒ってもいないし、強いて言うなら何も出来なかった自分に不甲斐なさを感じていたところだ。カシミアが迎えに来て貰えた理由を問うと、レティは恵美の所望であったと伝える。
それを聞いた彼女は少し嬉しそうにしているが、それとは別に違和感がある。レティへの二人称がお姉様になっていることだ。
迎えに行ったことが相当嬉しかった様で、親愛を込めて呼び方を変えたらしいが、レティの年齢は400歳を超えており、受け入れるにはとてもではないがキツい。
拒否しようにも可愛い顔で上目遣いを使うものだから仕方なく許容するが、先日殺し合った仲だと言うのに随分好かれたものだ。
「ところでお姉様。一つお伺いしたいことがありますの。」
「なんだ?」
「先程、ロッテ様が仰ったお姉様の残りのスキルのことなのですが、お姉様は未来予知の他に2つもお持ちですの?」
「まぁお前にだから言うが、一つは特異系即死回避だ。次は属性系。最後は強化系のスキルだ。」
「属性系と強化系は何故お使いになられないのですの?」
「属性系とは名ばかりで、魔力を無駄に浪費し体や武器に魔力を纏わせることぐらいで、相手が属性系でないと割に合わない。強化系に関しては詮索してくれるな。だが、発動の為には美観を損なうとだけ言っておこう。」
「性能はどうあれ、スキルを3つもお持ちとなると、ロッテ様を除いて見たことがありませんわ。」
「それはさておき、そのロッテのことだ。今まで出会ってきた自動人形の中でも、あそこまで力量差を感じた敵は初めてだ。戦う前から敗北を確信せざるを得ないあの気迫。一体何百年前のオートマトンだ?」
そんなレティの疑問に対してカシミアも首を傾げる。知らないのではなく、何故自分より年上と思っているのに対してであった。
カシミアはロッテの年齢を3歳と言うと、冗談を言う場面ぐらい弁えろ、とレティは彼女を睨んだ。
カシミアは首を横に振り、真実であると誓う。もしそれが本当だと思うと、レティの表情が険しくなる。
そんな若造に屈したことにではなく、ここ最近も自動人形が作られ続けていることを知ってしまったからだ。カシミアも生まれてまだ10年、現在も製造されている可能性は十分にあると言った。
レティが製造元を聞くとカシミアはあっさり答えた。幻影帝國と。
話を聞くに、手駒を増やそうとして反乱されてしまった様だが、そもそも作った本人は自動人形を真名で縛りその余地など与えないはず。
カシミアが言うに、ロッテのスキルの一つに自動人形を引き寄せる能力がある。最初に集まったのが、あのフロアにいた猛者達で、製作所は真名のデータ諸共破壊されてしまったようだ。
魔晶石のスキルは自動人形を起動するまで解らない。彼らは知らず知らずのうちに爆弾を作ってしまったことになる。その考察にカシミアは爆弾の方がまだましと笑い、ロッテの災害級スキル、「狂気のカリスマ」に就いて話し出す。
ロッテがいる限り、闘争心の高い自動人形が本人の意識とは関係なく世界中から集まってくる。実力者でなければ、敵に狙われ安くなるだけの厄介なスキルだが、殆んどの自動人形は彼女の気迫を前に戦意喪失するだろう。
3年で高層ビルを築き上げる程の労力が湯水の様に湧き出るという事実は、どの敵対勢力よりも恐ろしい。
強力な8体のスレイヤーと集まり続けるナイトメア。カシミアのように行き場を失った自動人形も、寄るもの拒まずと言う。いずれあのビルでは収まらず、より巨大な組織に変わっていくだろう。
「先程ご覧の通り、ロッテ様は植物を操れます。加えてお姉様を圧倒するカリスマ。最後は言う者によって違いますし、わたくし自信見たことがありませんわ。」
「へぇ例えば?」
「執拗に苦しめたり、凍らしたり、後睨み付けるだけで相手を爆発させたとか。でも、ロッテ様が戦うところは団員の誰も見たことがないと聞きますわ。」
「ロッテによる制裁が独り歩きしたんじゃない?」
「否定はできませんわ。」
「いや。そうであって欲しい。」
しかし、まだ他に確認をしたいことがある。カシミア本人の気持ちに就いてだ。そこまで脅威である組織のトップであり続けていれば、自由な生き方を今後も続けていられていたのではないか。無理やり仲間にしたレティが言うのもなんだが、本拠地に戻れたんだから、裏切る選択肢も有った筈だ。
始めはカシミアも逃げるつもりでいたが、気が変わったと言った。人間が嫌いな彼女はそもそも、人間をろくに知らない。そこで出会ったのが、恵美でありその家族だった。
レティと恵美との出会いがカシミアの考え方を少し変えた様だが、恵美は普通の女の子であり何か特別彼女にしてやった訳でもない。
だが、カシミアが薔薇の貴族に一度戻りたいと言った時に、疑わずに送り出してくれたことや、普段の振る舞いも強い影響を及ぼしたようだ。恵美が特別でないと言うなら尚更。カシミア自身知らなければならないことが沢山あるということに気付けたのだ。
「実を言いますと。わたくしの実力は、あの中ではかなり下の方でありまして、彼らの殺気が嫌で毎日理由を見つけては、外に逃げていましたわ。皆までは言いませんが、今の方が気楽と思いましたの。」
一番納得の行く答えが出るとレティは笑いながら、未だに身震いが治まらないことを打ち明け二人で肩を擦り合った。
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