雪降る季節が似合う人

美夜

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第六章

彼女の演技の力

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 会場の入り口を通るときに手渡されたチラシには、これから上演される公演の内容が書かれていた。
 そして、出演キャスト一覧。
 真っ先に彼女の名前を探す。
 あった。
 彼女としては珍しく女性役を演じるようだ。兵隊として戦地に駆り出される男の主人公の妻の役か。
 ざっとあらあすじを読んだところでは、舞台設定は戦前の日本で、戦争がかなり激化した終戦間近の時代の物語らしい。戦争に赴く夫とそれを見送る妻の、二人の若い夫婦の愛が中心となるようだ。
 これまで男役を演じる彼女しか見たことがなかったので、単純に彼女が一体どういう演技するのかという興味と、それにも増してこの女性役を演じた時にどんな一面が垣間見えるのかという彼女の人間そのものへの興味が俄然湧いてきた。
 それまで眺めていたチラシを照らしていたオレンジ色のライトが消えた。
 いよいよ始まる。
 ――彼女が現れた。
 その時、僕は稲妻が脳内に走ったようだった。
彼女が戦前の女性を演じると知った時点で、当時の一般女性が普段着ていたような着物の姿で出て来ることは端(はな)から分かっていたはずだが、それでも僕にとってはっきりとした驚きを感じるものだった。それは単に僕の和風趣味から来るのか。それとも、彼女の穏やかな色合いの着物の襟元から見える、普段は見せるはずのない秘めた部分をすっと差し出すかのような、鮮やかさと艶やかのために光沢を放った彼女のうなじや首筋などから来るのかは分からない。ただ一瞬の内に、覚悟を決めたような強かさを感じさせる表情や凛とした立ち姿から滲み出る「色気」、それを見たときに僕の胸の内では熱くて重い何かが生まれるような、とある確信があった。
 物語の場面は、主人公である兵隊の男が出征前に妻と別れの挨拶をするシーンである。さすがにこの夫婦の間には緊張感が漂っている。
 妻である彼女は、彼の口から語られる別れの言葉を黙って聞いていた。
 その間、僕の目は彼女の存在全体に奪われていた。この場面によって形作られた美の極致を目の当たりにしていた。
 それは彼女と彼女が今演じている役との贅沢な融和のように感じられた。
 後ろで結い上げられて品よく引き締まった黒髪と、薄いおしろいでさらに清い感じを与える肌。それ自体で何かの芸術作品として完成しているのではないかと思われる、なよやかだが完璧に礼儀にかなった正座の形で折り曲げられた脚、後頭部を糸で釣り上げられたように凛と伸びている背中、気品の型にはめ込んでいるかのような手の置き方。そして、流し目のように下へ視線を落とす時の、匂いやかな言外の情緒。
 これこそが日本人女性の美しさの最も崇高な表し方なのではないかという考えが僕の頭をさっと通り抜けた。彼女は待っている。そしてこれからも待つだろう。夫が背中を向けて彼女の元を去っていく、その未来を透かし見ていながらも気丈に振る舞う。
 そして彼女は戦地に持っていくお守りとして、彼女が写っている写真を手拭いに包んで畳み始めた。その時の所作の洗練された様は、もはや僕を震わせるまでに至った。確かに戦争の渦中では家の安全は彼ら男たちによって守られている。女性たちは弱いかもしれない。しかし、その弱さこそが強さなのだった。優美、慎ましさ、たおやかさ、そして、奥ゆかしさ。それらは紛れもなく彼女たち女性の強さそのものだった。結婚して間もないこの若い夫婦は、これからお互い心の門を開き愛の深さを確かめ合うはずだったものを、こうして戦争によってその絆を絶たれようとしていた。それでも、彼女は、女性たちは、それに抵抗した。生まれながらの強さをもって。彼女たちの武器を持ち、平和のための銃撃を行ったのだ。そうすることによって夫を想い続けること、家に居てもその絆を保ち続けることを死守したのであった。
 ふとした拍子に僕は我に返った。気づけば戦時中の一人の女性の背中を眺めて、その生に浸っていた。潜り込んでいた。紛れもなくこれは彼女の演じる力によるものだろう。改めて僕は彼女の実力に畏れ(おそれ)を抱いた。
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