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第五章
演劇をはじめてよかった
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それからというもの、DMの返信が来るまで、果てしない時間が経った。
僕の時間に対する焦燥感を帯びた感覚がそう思わせるのか、それとも本当に長い時間が経っているのか……。ただ一つ確かなのは、僕の日常は突然、一面の真っ白な砂漠と化し、のどの渇きに必死に耐えながらただひたすら前を歩いていく日々がやってきたということだけだ。
人は何か一つのことに意識を集中させていると、ふと肉体の辛苦を忘れてしまう瞬間があるものだ。
僕は目の前のことに追われる毎日が続く毎に、彼女に対する渇望が薄まっていきつつあった。
しかし、そんな時に、幸福は天からの啓示のように僕に降り注いだ。
ついに彼女から返信が来たのだ。
スマホに表示されているDMの通知ボタンを、なぜか自分でもゾッとするほどの平静さで押した。
「DMが来てるのに気が付きませんでした!
遅くなってすみません。
先日の『ロミオとヴィーナス』、お疲れ様でした。
ミュージカルという業界はなかなか特殊な場所なので、
困ったこととかあったと思います。
ご迷惑をたくさんおかけしたかと……!
なんとか無事に終わってよかったですね。
出演していただいて、本当にありがとうございました!!!」
彼女は僕のDMを無視したわけではなく、かといってTwitterの送信ミスだったわけでもなく、確かに僕の一意専心した文章は届いていたのだと、この瞬間分かった。そしてすぐさま、送った僕の文章を気持ち悪がったわけでもなく、普通に大人の会話として快く言葉を返してくれたという事実に安堵した。
僕はその時初めて彼女と「会話」したという感じがした。
一か月ぶりくらいにまた僕はあのスタジオに舞い戻った。「ロミオとヴィーナス」の稽古で毎日のように汗水たらして使っていた、あのスタジオだ。お客さんとして入るのは二か月ぶり。その二か月間で、なんとこのスタジオに対して抱くものが変わったことか。どこかの知らない誰かが、時には声を張り上げたり、時には笑ったりして親しんでいる、どこかの知らない街角に佇むビルの一角にあるような、ただの一室ではない。周りの空間や置かれている物のそこかしこに思い出が漂い、付着している。それらは二か月前の時のように、僕から遥か遠くにあるのではなく、かなりの距離の近さをもってそこに現前していた。緊張しながらスタジオの門を叩いたあの時とは打って変わって、今はむしろ安心していた。ただミュージカルを観れるという素朴かつぼんやりとした期待感のみで高揚しながら席に座っていたあの時とは違って、今では、
「冬さんに会える」
というかなり明確な喜びの感情が僕の心を支配していた。
そしてすぐに僕の感情には具体性が付与された。
「今度こそ、冬さんを誰の目も気にすることなく、この世で考えうる限り最高の権限を、誰にも不審がられない最も当然かつ安全な権限を公的に得た上で、彼女を二時間近くも思う存分『見る』ことができる」
この時ほど、自分が見る方にしても見せる方にしてもとにかく「この演劇の世界で自分を試したい」と思った、半年前の熱い決心を間違ってなかったと思った瞬間はあっただろうか。
僕の時間に対する焦燥感を帯びた感覚がそう思わせるのか、それとも本当に長い時間が経っているのか……。ただ一つ確かなのは、僕の日常は突然、一面の真っ白な砂漠と化し、のどの渇きに必死に耐えながらただひたすら前を歩いていく日々がやってきたということだけだ。
人は何か一つのことに意識を集中させていると、ふと肉体の辛苦を忘れてしまう瞬間があるものだ。
僕は目の前のことに追われる毎日が続く毎に、彼女に対する渇望が薄まっていきつつあった。
しかし、そんな時に、幸福は天からの啓示のように僕に降り注いだ。
ついに彼女から返信が来たのだ。
スマホに表示されているDMの通知ボタンを、なぜか自分でもゾッとするほどの平静さで押した。
「DMが来てるのに気が付きませんでした!
遅くなってすみません。
先日の『ロミオとヴィーナス』、お疲れ様でした。
ミュージカルという業界はなかなか特殊な場所なので、
困ったこととかあったと思います。
ご迷惑をたくさんおかけしたかと……!
なんとか無事に終わってよかったですね。
出演していただいて、本当にありがとうございました!!!」
彼女は僕のDMを無視したわけではなく、かといってTwitterの送信ミスだったわけでもなく、確かに僕の一意専心した文章は届いていたのだと、この瞬間分かった。そしてすぐさま、送った僕の文章を気持ち悪がったわけでもなく、普通に大人の会話として快く言葉を返してくれたという事実に安堵した。
僕はその時初めて彼女と「会話」したという感じがした。
一か月ぶりくらいにまた僕はあのスタジオに舞い戻った。「ロミオとヴィーナス」の稽古で毎日のように汗水たらして使っていた、あのスタジオだ。お客さんとして入るのは二か月ぶり。その二か月間で、なんとこのスタジオに対して抱くものが変わったことか。どこかの知らない誰かが、時には声を張り上げたり、時には笑ったりして親しんでいる、どこかの知らない街角に佇むビルの一角にあるような、ただの一室ではない。周りの空間や置かれている物のそこかしこに思い出が漂い、付着している。それらは二か月前の時のように、僕から遥か遠くにあるのではなく、かなりの距離の近さをもってそこに現前していた。緊張しながらスタジオの門を叩いたあの時とは打って変わって、今はむしろ安心していた。ただミュージカルを観れるという素朴かつぼんやりとした期待感のみで高揚しながら席に座っていたあの時とは違って、今では、
「冬さんに会える」
というかなり明確な喜びの感情が僕の心を支配していた。
そしてすぐに僕の感情には具体性が付与された。
「今度こそ、冬さんを誰の目も気にすることなく、この世で考えうる限り最高の権限を、誰にも不審がられない最も当然かつ安全な権限を公的に得た上で、彼女を二時間近くも思う存分『見る』ことができる」
この時ほど、自分が見る方にしても見せる方にしてもとにかく「この演劇の世界で自分を試したい」と思った、半年前の熱い決心を間違ってなかったと思った瞬間はあっただろうか。
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