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62.無意味

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 江崎波留と言う青年は、精神科医である藤原法一を前に異常なほどに怯えていた。 藤原法一が相談に乗ると言う控えめな言葉を使っていたにも関わらず。 江崎波留は逃げると言う選択肢を選ばなかった。

 先生は……彼を真面目に診るつもりなどないのに……。
 江崎青年も、きっと診療等期待していないのに……。

 それでも2人は外に向かって歩いていて、私と晃、親良が後に続く。

「外のベンチにいるので、何か飲み物を買って来てくれますか?」

「分かりました。 希望は?」

「親良のセンスに任せるよ」

 先生に言われ空笑う親良、そして視線は江崎青年に。

「要らない」

 拗ねたような声。

 私達は何も気づかないふりをして飲み物を買いに行く。



 百貨店から出ると建物が密集する中庭にあるベンチに先生と江崎青年はいた。

「日差しが暑い……」

 ポソリと呟けば、晃は建物の影へと誘導する。

 建物の隙間をぬって吹く風は冷たいのに、日差しを浴びた空気は熱を持ち、日のあたる場所で修繕作業をしている人達はなんだか暑そうだった。

 日差しの中、親良が2人に飲み物を届けに行くのを、壁際に立ち見ていた。 江崎青年には覚えるのも面倒な長い名前のコーヒーベースにミルクとチョコをタップリ使った甘い奴。 後は、果物フレーバーのアイスティ。

「黒い恰好、暑くない?」

「暑さは苦にならないらしい」

 感情の起伏の無い晃の声。

「雫は、暑そうだな」

 ジワリと滲む汗に、髪が濡れ頬に張り付くのを晃が指先で退ける。

「日陰は涼しいよ」

「だな」

 他愛ない会話と共にベンチの2人を見守った。



 中庭に出る前……先生は先を歩きながら江崎青年にこう言った。

『君は特別になりたくて雫に好意を寄せるふりをしているのか……』

 と……。

 当然、彼は違う!! と、声に出そうとしていたのだけど、声の出し方を忘れたように叫ぶような体勢のままで停止した。

『特別になりたいなら、勝手に特別な存在を目指せばいい。 例え、君が一緒に居る者が特別だったとしても、ソレは君が特別な意味にはならない』

 そんな先生の言葉に、江崎青年は馬鹿にしたような視線を向けた。

『人脈を持つって言うのは、人が集まるって言うのは特別なことだって知らないのか?』



 藤原は黙りながら、ベンチの横に座る江崎青年を私達は見ていた。

 会話は聞こえない……。

 僅かに青色が乗った黒髪。
 シンプルな青い石のピアス。
 滲む汗で化粧は落ちず。
 煙草の匂いを誤魔化す香水。

 ソレが江崎波留。

 風が吹いているのに、江崎青年だけに集中してみていたせいか……時間が止まったかのように思えた。

「君は、誰の特別になりたかった?」

 藤原の静かな声は、小さな子供の喧噪の中でも江崎青年の耳にシッカリと聞こえた。

「ぁ……」



 子供達の足音、甲高い声、飛び立つ鳩。

「まちなさい、あぶないわよ」

 注意しているのに、女性の声は優しい。

「母さん……うわっあ!!」

 意識が飛んでいたらしい。



「どうかしたかね?」

「ぇ、いや、今……」

「君は、ソレで特別になれたかね?」

 藤原の手の甲が江崎青年の首筋に触れ、指先が耳旅を撫で、髪に触れた。 きっと……彼は、藤原先生の冷たい体温に驚くだろうと思ったのに、その顔は日の光にさらされてもいないのに赤く染まっていた。

「な、なんですか……」

「浅いな」

 藤原先生が視線を伏せ、口元だけで笑う。

「何が!!」

 怒りの言葉は、静かな藤原の言葉に消された。

「君の言葉には、行動は、味が無い。 匂いが無い。 とても空虚だ」

 藤原は彼に触れていた手を離す。

 瞬間……

 江崎青年は傷ついた顔をした。

「意味がわからないんだけど!!」

 雫たちが側にいたなら、先生の言葉の意味を理解するのは難しいよねと同意したかもしれない。 いや、怒り出す江崎青年が理解できずに困惑の表情を見せただろうか?

 ただ、遠くから彼が立ちあがり先生に向かって叫ぶ様子だけはしっかり見えた。

 彼の中で何があったのか?

 私達は江崎波留と言う存在をつい少し前まで認識すらしていなかったのだから。

 怒鳴る江崎青年は立ち上がり藤原先生の前に立つ。
 それが妙に子供のようだった。

 藤原は、両手を組んで江崎青年を見上げ微笑む。

「私も、雫も、君の親ではないよ」

 そう語った所で、江崎青年はベンチに蹴りを入れ去って行った。

「くそったれ!!」



 歩み寄った私に、藤原先生は両手を広げるが……1m手前で立ち止まり、先生の顔を覗き込むようにしながら私は聞く。

「治療だったの?」

「違う。 診療の依頼は受けていないからね」

 広げられた手は、親良へと向けられ……親良は、あ~~ とでもいうような顔をしながら先生から視線を背け、ベンチから立たせるように先生の手を取り親良は聞いた。

「彼が?」

「いや、違うようだ……。 彼は愛されたいだけの、子供だ。 彼は……幾つだ?」

「う~ん、大学生?」

 それぐらいに興味が無い。

「中学生くらいで彼の時は止まっているようだ。 その頃、晃はどうしていた?」

 会話は、突然に世間話へと持っていかれた。 どうせ、ろくでもない事を考えているのでしょう。

「中学? 普通に学校へ行ってた。 コレでも真面目な優等生だったんだが?」

 その言葉に、私が、ぇっ? と、振り返り首を傾げる。

「少し前まで、人間だったんだけど?」

「ぇえええええ!!」




 江崎波留は、スマホを取り出し一緒していた友達に連絡をとり合流を果たした。


「波留!!」

 明るい声に江崎は安堵した。

「で、何の話だったの?」

「さぁ? 頭がおかしいんじゃないの? 訳の分からない事を言われた」

 肩をすくめて見せる。



 が、内心は苛立ちを覚えていた。



 江崎波留の一族は材木の卸売りを行っている。 彼の両親を除いて……。

 江崎の父は市議会議員をしている。

 近隣住民、商売人、材木組合の支援を受けて市議会議員の席に収まっており、支援者にとって都合の良い状況を作るのが彼の仕事だった。 いずれ江崎波留もソレを引き継ぐはずだ。

 その利益のため、江崎波留の両親の周囲には人が集まってくる。

 何時だって彼の周囲には、声が溢れていた。

『坊ちゃん、今日もお洒落ですな』
『良い男に育って、将来は安泰ですねぇ~』
『地盤を引き継ぐためには、嫁さんをもらわんと』
『彼女はいるのかい? 娘を紹介するよぉ~』

 昼も、夜も、誰かがいる。
 誰も彼もが波留に話しかけた。

 何時も何時も話しかけてくる。



 でも、彼は何時だって一人。

 今、回りにいる友達だって……父親の周囲に集まる者達の子供だ。



 だからだろうか?

 あの日、地図の前で一人立つ雫が気になった。
 雑音の無い世界を見た気がしたから。





「だから、訴えた方がいいって言ったのに、で、何言われたの」

 そう問われた江崎波留は、苦々しい笑みを浮かべる。

「マザコンだって」

「うけるんだけど~~」

 親子の会話等殆ど無い事をしっている彼等は笑った。

「マザコンっていっておけば、ドキッとするって? くそ雑魚じゃん」

「講義は受ける価値なしだよな」

「あんな訳の分からない奴、大学から追い出してやろう~」

「ロリコンのやばい奴だって」

「ソレいい、姪っ子を着せ替え人形替わりにして遊んでいるってのはどう?」

「若い男を侍らせてるってのもありでしょう」

「でも……俺、波留の母さんっていいなって思う」

「はぁ? 何、突然」

「中学、高校とすっげぇ弁当毎日作っていただろう。 日頃忙しいけど、なんか、波留の事大事にしているなぁ~って。 別に、マザコンでもよくね?」

 そう……語った青年は……3日後、死体として発見された。
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