9 / 23
2章 那須静香
03.
しおりを挟む
それは、合唱部の顧問が声をかけてきた日の夜のことだった。
「那須――静香さん? 今夜、ご自宅に伺ってもいいかしら?」
そして今――居間には、顧問と両親、そしてノートパソコンの画面。
モニターの中の男は、古い映画の俳優を思わせる艶のある笑みを浮かべていた。
その笑みは甘く、
声色は艶めかしい。
誰もが息を呑み、視線を奪われるだろう。
見てはいけないとわかっていても、目が離せない。
那須家の者も、教師も、同じように――ボンヤリと画面を見つめ、男の声に耳を傾けていた。
「お嬢さんの声は……本当に素晴らしい」
溜息すら甘く、声は上質な布のように心を撫でてくる。
柔らかな響きに、父と母は息を呑んだ。
「農園を支えておられるのも存じています。
だからこそ、ひとつだけお願いがあります。
この声を、導かせていただけませんか?」
父が警戒の色を見せ、男の魅力をはじいた。
「馬鹿なことを言うな!」
怒鳴る父の横で、母はうっとりと笑う。
「話だけは……聞いてみましょうよ」
父が何か言うより先に、男が静かに言葉を継ぐ。
「これは私の私欲です。
ですが、そのためにお嬢さんの夢も叶えるつもりです」
画面に送金の通知が浮かぶ。
金額は――一月分の農園の収入。
両親の表情に揺らぎが走る。
男はその隙を逃さず、甘い声で言葉を置く。
「このお金は……お話を聞いてくださったお礼です」
農園、娘、生活、未来。
そのすべてが父母の脳裏をかすめた。
「娘さんの声は、医師を目指すように――多くの人を救うことができる」
「やめて!!」
静香の叫びが部屋を震わせた。
それは秘密の夢だった。知られれば、全てが壊れる。
父が振り返る。怒りで顔を赤く染め、手を振り上げた――。
その瞬間、再び入金音が響く。
「私の……宝に、手を出さないでいただけますか?」
父は金額を見て、息を詰まらせた。半年分の農園の収入だった。
母は笑おうとして、笑えず、目を泳がせた。
男はその一瞬を見逃さず、声に微かな熱を宿した。
「話を、もう少し聞こう」
静香の中で、父への嫌悪がふくらんだ。
「彼女の夢……とても高潔で素晴らしい」
男は一拍置き、低く囁く。
「――ですが、お願いがあります」
再び入金音。
父がそっと画面を覗く。
「ははっ、素晴らしい方じゃないか……こんな方に認められるなんて、私も自慢の娘を持ったものだ。歌を続けなさい」
「でも!! 私は!!」
あなたたちのようにはなりたくない――そう叫びたかった。
「静香!」
母の怒声が響く。それを止めたのは男だった。
「否定するのも、愛です。
けれど、その愛は鎖にもなります。……あなたの娘さんの未来、まだ信じていますか?」
「私たちは、あなたの頼みを聞いているんですよ!!」
「彼女の歌は、彼女の心があってこそのものです」
「ですが……この子は頑固で」
母が、奇妙な色気を帯びた声で訴える。
「その声をもっと遠くへ響かせるために、私はいるのです。
少し、話す時間をください。
私は彼女の声を育てたい。農園も、娘さんの未来も守りたい――そう思っています」
入金音。
「わ、わかった」
「……家族と戦うあなたも、美しいですね」
私は視線を背けた。
その瞬間、男の笑い声がやわらかく響いた。
「ここは、私を利用し、私に利用され、家族から逃れる――そんな手段もあるのでは?
そう、まずは私を試してみませんか?
お互いを理解し合いましょう。
あなたの“人を救いたい”という夢も、捨てる必要などありません」
翌日、教師を通じて一台のスマホが渡された。
「那須――静香さん? 今夜、ご自宅に伺ってもいいかしら?」
そして今――居間には、顧問と両親、そしてノートパソコンの画面。
モニターの中の男は、古い映画の俳優を思わせる艶のある笑みを浮かべていた。
その笑みは甘く、
声色は艶めかしい。
誰もが息を呑み、視線を奪われるだろう。
見てはいけないとわかっていても、目が離せない。
那須家の者も、教師も、同じように――ボンヤリと画面を見つめ、男の声に耳を傾けていた。
「お嬢さんの声は……本当に素晴らしい」
溜息すら甘く、声は上質な布のように心を撫でてくる。
柔らかな響きに、父と母は息を呑んだ。
「農園を支えておられるのも存じています。
だからこそ、ひとつだけお願いがあります。
この声を、導かせていただけませんか?」
父が警戒の色を見せ、男の魅力をはじいた。
「馬鹿なことを言うな!」
怒鳴る父の横で、母はうっとりと笑う。
「話だけは……聞いてみましょうよ」
父が何か言うより先に、男が静かに言葉を継ぐ。
「これは私の私欲です。
ですが、そのためにお嬢さんの夢も叶えるつもりです」
画面に送金の通知が浮かぶ。
金額は――一月分の農園の収入。
両親の表情に揺らぎが走る。
男はその隙を逃さず、甘い声で言葉を置く。
「このお金は……お話を聞いてくださったお礼です」
農園、娘、生活、未来。
そのすべてが父母の脳裏をかすめた。
「娘さんの声は、医師を目指すように――多くの人を救うことができる」
「やめて!!」
静香の叫びが部屋を震わせた。
それは秘密の夢だった。知られれば、全てが壊れる。
父が振り返る。怒りで顔を赤く染め、手を振り上げた――。
その瞬間、再び入金音が響く。
「私の……宝に、手を出さないでいただけますか?」
父は金額を見て、息を詰まらせた。半年分の農園の収入だった。
母は笑おうとして、笑えず、目を泳がせた。
男はその一瞬を見逃さず、声に微かな熱を宿した。
「話を、もう少し聞こう」
静香の中で、父への嫌悪がふくらんだ。
「彼女の夢……とても高潔で素晴らしい」
男は一拍置き、低く囁く。
「――ですが、お願いがあります」
再び入金音。
父がそっと画面を覗く。
「ははっ、素晴らしい方じゃないか……こんな方に認められるなんて、私も自慢の娘を持ったものだ。歌を続けなさい」
「でも!! 私は!!」
あなたたちのようにはなりたくない――そう叫びたかった。
「静香!」
母の怒声が響く。それを止めたのは男だった。
「否定するのも、愛です。
けれど、その愛は鎖にもなります。……あなたの娘さんの未来、まだ信じていますか?」
「私たちは、あなたの頼みを聞いているんですよ!!」
「彼女の歌は、彼女の心があってこそのものです」
「ですが……この子は頑固で」
母が、奇妙な色気を帯びた声で訴える。
「その声をもっと遠くへ響かせるために、私はいるのです。
少し、話す時間をください。
私は彼女の声を育てたい。農園も、娘さんの未来も守りたい――そう思っています」
入金音。
「わ、わかった」
「……家族と戦うあなたも、美しいですね」
私は視線を背けた。
その瞬間、男の笑い声がやわらかく響いた。
「ここは、私を利用し、私に利用され、家族から逃れる――そんな手段もあるのでは?
そう、まずは私を試してみませんか?
お互いを理解し合いましょう。
あなたの“人を救いたい”という夢も、捨てる必要などありません」
翌日、教師を通じて一台のスマホが渡された。
0
あなたにおすすめの小説
踏み台(王女)にも事情はある
mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。
聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。
王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。
[完結]優しすぎた選択
青空一夏
恋愛
恋人の玲奈とコンサートへ向かう途中、海斗は思いがけない出来事に遭遇する。
たいしたことはないはずだったその出来事とその後の選択は、順風満帆だった彼の人生を狂わせた。
十年後、理由の分からない別れを抱えたまま生きる海斗の前に、忘れていた過去と向き合うための期限が訪れる。
これは、優しさから選んだはずの決断が、取り返しのつかない後悔へと変わった物語。
これは、すべてを手に入れてきたはずの人生を歩んできた男が、たった一度の選択で、一生後悔することになったお話。
※本作は他サイトにも掲載しています。
旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます
おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。
if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります)
※こちらの作品カクヨムにも掲載します
嘘コクのゆくえ
キムラましゅろう
恋愛
アニーは奨学金とバイトで稼いだお金で魔法学校に通う苦学生。
生活は困窮、他の学生みたいに愛だの恋だのに現を抜かしている暇などない生活を送っていた。
そんな中、とある教授の研究室で何らかの罰としてアニー=メイスンに告白して来いと教授が学生に命じているのを偶然耳にしてしまう。
アニーとは自分のこと、そして告白するように言われていた学生は密かに思いを寄せる同級生のロンド=ハミルトンで……
次の日、さっそくその命令に従ってアニーに嘘の告白、嘘コクをしてきたロンドにアニーは……
完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。
誤字脱字が罠のように点在するお話です。菩薩の如き広いお心でお読みいただけますと幸いです。
作者は元サヤハピエン主義を掲げております。
アンチ元サヤの方は回れ右をお勧めいたします。
小説家になろうさんにも時差投稿します。
王妃は涙を流さない〜ただあなたを守りたかっただけでした〜
矢野りと
恋愛
理不尽な理由を掲げて大国に攻め入った母国は、数カ月後には敗戦国となった。
王政を廃するか、それとも王妃を人質として差し出すかと大国は選択を迫ってくる。
『…本当にすまない、ジュンリヤ』
『謝らないで、覚悟はできています』
敗戦後、王位を継いだばかりの夫には私を守るだけの力はなかった。
――たった三年間の別れ…。
三年後に帰国した私を待っていたのは国王である夫の変わらない眼差し。……とその隣で微笑む側妃だった。
『王妃様、シャンナアンナと申します』
もう私の居場所はなくなっていた…。
※設定はゆるいです。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜
南 鈴紀
キャラ文芸
妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。
しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。
掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。
五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。
妖×家族の心温まる和風ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる