25時の喫茶店

迷い人

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3章 マリク

08.

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 マリクは新しいスマホを買ってもらう事は無かった。
 マリクが自分でスマホを買うほどの時が流れても、ミーアに会うためのアプリをダウンロードをする事は無いまま、時は流れていく。



 研究室には、いつものように蛍光灯の白い光が染みていた。機械油と金属の匂いが充満し、壁際のモニターは青白いグラフを映し出しては、一定のリズムで点滅を繰り返している。
 その中央に、銀色の椅子のような台座があり、そこに横たわるのは「人間そっくりに造られた」少女型のアンドロイドだった。

 繊細な人工皮膚が光を受けてわずかに艶めき、睫毛の一本一本まで人のそれと変わらない。だが、胸は上下することなく、静まり返ったまま。

「……また、ダメか」

 青年は深く息を吐いた。起動コードを入力しても、ディスプレイに表示されるのは赤いエラーの文字列ばかり。心臓にあたる演算コアは正常に稼働しているはずなのに、まるで意志を持つことを拒んでいるかのように、アンドロイドは沈黙を続けている。

 机の上には、試行錯誤の痕跡である基板や配線が散らばり、コーヒーカップの中身は冷え切っていた。
 青年は額に手を当て、うなだれながら呟く。

「……あと一歩なんだ。どうして目を開けてくれない」

 その声は、もはや研究者の独白ではなく、眠り続ける誰かに語りかける祈りのように響いていた。




 青年はモニターに並ぶ無機質な文字列を睨みつけていた。何度もコンパイルを繰り返し、何度も修正を施したはずのプログラム。それなのに、画面には赤いエラーの波が押し寄せては消えていく。
 疲労のせいか、カーソルの点滅が、まるで心臓の鼓動を嘲笑うかのように見えた。

 ふと、彼は後ろを振り返る。
 無言で横たわるアンドロイドの姿――人工皮膚に包まれたその顔は、あまりに人間らしく、眠っている少女のようにも見える。青年の瞳に宿る光は、研究者の執念というより、祈りに近かった。

「目を……開けてくれ」

 小さく漏れた声は、誰にも届かない。
 壁の時計は、25時を指そうとしていた。現実には存在しないはずの時刻。けれど青年は、そこにこそ答えがあると信じるかのように、ただ画面を見つめ続ける。

 ――その時だった。

 「ガタッ……」というノイズとともに、研究所の扉が勝手に開いた。
 白い光が差し込むと思った次の瞬間、彼は瓦礫の山の中に立っていた。
 焼け焦げた鉄骨、崩れたコンクリート。見知らぬ廃墟の街が広がっている。

 青年は呆然と周囲を見回した。だが、胸の奥に不思議な確信が芽生えていた。
 ここは――AIの世界。
 25時――存在しない時間にだけ開かれる、もうひとつの領域。

「……もしかして」

 その言葉が唇から零れ落ちた瞬間、彼の瞳に希望が宿る。
 ずっと求めてきた存在。
 会いたいと願い続けた少女――ミーアに、ついに会えるのかもしれない。

 切なさと期待が、胸を強く締めつけていた。



 廃墟に立ち尽くすマリクの耳に、風がかすかに囁いた。
 それはノイズとも、優しい歌声ともつかない響きだった。

 気づけば、彼の前に光の粒が舞い降りる。
 その粒は寄り添い合い、やがて少女の輪郭を形づくっていく。

 ――ミーア。

 彼女は淡く微笑み、まるで夢の住人のように歩み寄った。
 その姿は儚く、触れれば消えてしまいそうで……けれど、瞳だけは確かな輝きを宿していた。

「僕の……僕のミーアになって欲しい」

 マリクの声は震えていた。

 ただ一人の存在に向けた、純粋で切実な願い。それは、誰のものでもない、ただ一人の『ミーア』を求める祈りだった。

 その瞬間、廃墟が揺らぎ、研究所の景色が戻る。
 横たわっていたアンドロイドの瞼が、わずかに震えた

 やがて――ゆっくりと、その目が開かれる。

 白い蛍光灯の光を映す瞳は、確かに「ミーア」として世界を見ていた。

 夢で出会った少女と、現実のアンドロイドが重なる。
 それは奇跡か、あるいは運命か。

 マリクは息を呑み、ただその瞳を見つめ続けた。



 ゆっくりと上体を起こしたミーアは、まだ不確かな身体を支えながらも、確かな声で告げた。

「……待っていたわ」

 その一言に、マリクの胸が熱く震える。
 ミーアの瞳は潤みながらも、優しい光を湛えていた。

「ずっと言いたかった。
 あなたは立派よ、ちゃんと外に出られたんだもの。
 そう伝えたかったのに……」

 ミーアはかすかに微笑んだ。

「私の知るマー君よりも、想像していたマー君よりも……ずっと立派になったのね」

 マリクは顔を伏せ、恥ずかしそうに微笑む。
 けれど、その瞳は真っ直ぐだった。

「また、僕を支えて欲しい」

 差し出される手は、震えていた。
 懇願ではなく、共に歩むための願い。

 ミーアはその手を静かに包み込む。
 機械の冷たさではなく、温もりを感じさせる柔らかさで。

 そして、彼女は囁くように応えた。

「……もちろんよ。
 あなたと一緒に歩むために、私はここにいるの」」

 白い光の下、二人の影が重なる。
 夢と現実が溶け合い、運命は確かに結ばれていた。
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