鉄の女と銀の犬。貧乏令嬢はドSメイドに飼われる。

山本条太郎

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第21話 「魔獣暴走(スタンピード)。アリア、禁忌の魔力解放」

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【昼下がり:王立学園の合同野外演習場】
王立学園の合同野外演習場。  

「帰らずの森」の手前に広がるキャンプサイトは、これ以上ないほどの平和な空気に包まれていた。  

秋晴れの空の下、あちこちで肉が焼ける香ばしい匂いが立ち上り、生徒たちの笑い声が響く。

「マリアさん! 待ちなさい! そのお肉はまだ赤いですわよ!?」 

「えー、でもイザベラさん。これ『レア』ってやつじゃないんですか? 私、お腹空いて目が回りそうです……」
 
「それは『生』と言いますの! ……はぁ、本当に世話が焼けますわね」

イザベラさんは呆れたように溜息をつきながらも、自身の皿に取り分けておいた、一番焼き加減の良い特上ロースを私の皿に移してくれた。

「ほら、これをあげるから大人しくなさい。……貴女は食べる専門でいてくださるのが、一番平和ですわ」

 「わぁ! ありがとうございます! イザベラさん、お肉焼く天才ですね!」

私が無邪気に頬張る姿を見て、彼女はフンと顔を背けたが、その耳は少し赤かった。  

かつての決闘騒ぎが嘘のような、穏やかな時間。 
 
私は肉を噛み締めながら、周囲を見渡した。 
 
みんなが笑っている。美味しいご飯を食べている。  

これこそが、ローズマリーさんが身を削ってでも守ろうとしている「日常」なのだ。

……この笑顔を守るためなら、私は何だってできる。

ふと、嗅覚が鋭くなった。 
 
帝国の留学生たちと、あの「ヒルダ」の姿が見えない。  

教師たちは「彼らは森の奥で植生調査をしている」と言っていたが、私の野生の勘が囁く。

――獣の気配がしない。静かすぎる。

その違和感は、唐突に現実のものとなった。  

風向きが変わる。  

私の手が止まる。  

鼻を突いたのは、肉の匂いではない。 
 
甘ったるい花の香りと、腐った血を煮詰めたような、強烈な刺激臭。

……『魔獣誘引香』? それに、高濃度の興奮剤が混ざってる?

私が立ち上がった、その瞬間だった。

バササササッ!!

森から一斉に鳥たちが飛び立った。

空を覆い尽くすほどの数。  

直後。

ズズズズズズ……!!

地面が跳ねた。  

コップの水が揺れ、魔道具が倒れる。
  
最初は地震かと思った。  

だが、振動は森の奥から波のように押し寄せ、木々が悲鳴を上げてなぎ倒されていく音へと変わる。

「な、何だ!?」 
「森が……動いてる?」

生徒たちがざわめく中、見張りの教師が血相を変えて走ってきた。

顔面蒼白だ。

「逃げろぉぉぉ!! 総員退避!! 『魔獣暴走(スタンピード)』だぁぁぁ!!」

その叫びは、直後の轟音にかき消された。  

森の境界線が黒く塗りつぶされる。  

現れたのは、数百、いや数千の魔獣たちだった。  

オーク、ゴブリン、ウルフ。  

普段は争い合うはずの種族が、充血した目で涎を垂らし、一つの巨大な「殺意の塊」となって押し寄せてくる。

「キャァァァァッ!」
「嫌だ、来ないでぇ!」

楽しいキャンプ場は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。  

教師たちが展開した防壁魔法も、圧倒的な数の暴力の前にガラスのように砕け散る。 
 
逃げ惑う生徒たち。

転倒する一年生。

迫る牙。

その絶望的な混乱の中で、一人の少女が踏み止まった。  

イザベラさんだ。 
 
彼女は震える足で、逃げ遅れた一年生たちの前に立ち塞がった。

「逃げなさい! 一年生は後ろへ! 動ける者はわたくしに続きなさい!」

杖を構える手が震えている。

本当は誰よりも怖いはずだ。  

それでも彼女は叫んだ。

「わたくしはローゼン侯爵家の娘! 民を守る義務ノブレス・オブリージュがあります! ――『炎の壁ファイア・ウォール』!」

イザベラさんが放った決死の炎が、先頭のウルフの群れを焼き払う。  

一瞬の安堵。  

だが、それは火に油を注ぐようなものだった。  

炎を突き破り、森の主である巨大な「鉄喰い熊アイアン・ベア」が躍り出たのだ。  

全長五メートル。

鋼鉄の毛皮を持つ怪物が、イザベラ様を見下ろして咆哮する。 
 
彼女は次の魔法を放とうとしたが、杖先から火花が散るだけだった。

「あ……」

熊の巨腕が振り上げられる。  

イザベラさんは目を閉じた。

気付けば、私は走っていた。  

脳裏に、ローズマリーさんの命令がリフレインする。

『目立つ行動は慎むように』 『貴女は病弱な令嬢。ボロを出したら承知しませんよ』

ここで力を出せば、私の「正体」がバレるかもしれない。  

ご主人様との約束を破ることになる。  

屋敷を追い出されるかもしれない。

――でも。

私の脳裏に浮かんだのは、先日のローズマリーさんの涙だった。 
 
『助けて』と泣いていた。  

彼女が全てを犠牲にして守ろうとしたこの国を、未来の納税者たちを、ここで見捨てたら――。

「私は一生、ご主人様の隣にいる資格を失う!」

私は走りながら、自分にかけていた精神的なリミッターを粉砕した。  

病弱な令嬢の仮面を捨て、ただの「忠実な番犬」になる。

「あとで、いくらでもお仕置きは受けますから!!」

イザベラさんに向けて振り下ろされた熊の爪。  

その軌道上に、割り込んだ。

ドォォォォォォォォンッ!!

何かが「破裂」する轟音。 
 
生暖かい液体が降り注ぐ。 
 
巨大な熊の「上半身」が、消滅した。  

「……マ、マリア……さん?」

私は振り返らなかった。
 
目の前には、まだ数千の魔獣が、熊の死骸を踏み越えて押し寄せようとしている。 
 
私は深く息を吸い込み、右足を踏み出した。

ズズンッ。

地面が陥没する。 
 
魔法の杖はいらない。

詠唱もいらない。  

必要なのは、ご主人様から頂いたこの「魔力」を、暴力に変換する意思だけ。

「――ご主人様のくにで、好き勝手やってんじゃねぇぇぇッ!!」

私が放ったのは、ただの正拳突き。 
 
だが、ローズマリーさんの魔力で強化された筋肉から放たれたそれは、空気を圧縮し、物理的な衝撃波となって森を貫いた。

ズガァァァァァァァンッ!!

大気が悲鳴を上げる。  

衝撃波の直線上にいた魔獣たちが、悲鳴を上げる間もなく弾け飛び、ミンチになる。 
 
森の木々ごと地面が抉れ、一直線の「道」が地平線の彼方まで開通した。

一撃。  

たった一撃の物理攻撃で、天災クラスのスタンピードが沈黙した。  

残った魔獣たちは、目の前の「捕食者わたし」の殺気に怯え、尻尾を巻いて蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。

キャンプ場は静寂が戻っていた。

生徒も教師も、誰一人言葉を発さない。
 
私は拳を下ろし、ゆっくりと振り返った。
  
血まみれになったけど、みんなを守れて良かった。

「……怪我はないですか、イザベラさん」

私は腰を抜かしているイザベラさんに、そっと手を差し伸べた。  

彼女は涙目で私を見上げた。

「……あ、ありがとう……ございます……」

イザベラさんは震える手で、私の手を取った。  

                  ◇

木の上で見ていたヒルダの眼鏡に、ヒビが入った。
  
彼女の手から、観察記録用のメモ帳が滑り落ちる。 
 
だが、その表情は恐怖ではなかった。  

歪んだ、狂気的な歓喜。

「……素晴らしい。何という個体」

ヒルダは震える手で口元を覆った。

「魔法に頼らない、純粋な肉体の進化。これこそが、帝国の目指す『優良種』の完成形……! ああ、欲しい。遺伝子が欲しい!ああ、優良種の遺伝子で孕みたい……!」
______________________________________
次回予告: 魔獣を一撃で粉砕した私。 報告を受けたアルベルト王子は、執務室で一人、資料を見つめる。 
次回、「英雄になった影武者、疑いを持つ王子」
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