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第47話「社長と秘書。マイナスからの産業革命」
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【早朝:アシュトン公爵邸・仮設テント事務所】
爽やかな朝の光が、軍用テントの隙間から差し込んでいた。
でも、テントの中の空気は、どぶ川の底みたいに重く淀んでいた。
「……借金総額、金貨8億5千万枚。……利子だけで、毎日、家が一軒建つ金額が消えていきます」
カミーラさんが、死神みたいな顔で黒板に数字を書き込む。
ゼロが多すぎて、私にはもう記号にしか見えない。
その前で、ローズマリーさんは腕を組み、眉間に深い皺を寄せていた。
「改めて数字で見ると、吐き気がしますね」
「ですね。……ところでご主人様、この服、きついんですけど」
私はスカートの裾を引っ張りながら訴えた。
今日の私は、いつもの動きやすいドレスじゃない。
身体のラインがこれでもかと強調される、黒いタイトスカートのスーツ。
足には、薄くてすぐに破れそうな黒ストッキング。
そして鼻の上には、視力抜群の私には無用の長物である伊達メガネ。
ローズマリーさんの趣味全開の「社長秘書コーデ」だ。
「我慢しなさい。今日から私は『株式会社アシュトン』の社長、貴女は私の秘書兼ボディーガードです。……ナメられない格好が必要なのです」
「動きにくいし、ストッキングが伝線しそうです……。これじゃ、いざという時蹴り技が出せませんよ?」
私がもじもじすると、ローズマリーさんはそれを横目で見て、口元を少しだけ歪めた。
あ、今の顔。
「どういじめようか」って考えてる顔だ。
ゾクゾクする。
なら、私も腹を括ろう。
ローズマリーさんはパンと手を叩き、空気を切り替えた。
「さて。感傷に浸っている暇はありません。今日から倍返しの始まりです」
彼女は、机の上に一枚の設計図を広げた。
それは、先日ベアトリスが乗ってきた「車」に似ているけれど、もっとシンプルで、どこか愛嬌のある形をしていた。
「ベアトリスの『レッド・スコーピオン』は、高性能ですが職人の手作り品。一台の価格は城一つ分。……あんなもの、一部の富裕層のオモチャに過ぎません」
ローズマリーさんは設計図を指で叩いた。
その指先には、確信という名の力が宿っている。
「私たちが作るのは、これです。……『大衆車A』」
「えっ……アリア? 私の名前?」
心臓が跳ねた。
車に私の名前?
世界を変える発明に、私の名前をつけてくれるの?
「誰でも買えて、誰でも運転できて、荷物も運べる魔法の車です。これをライン生産方式で大量に作り、世界中にばら撒きます」
ローズマリーさんのルージュの瞳が、野心に燃えてギラギラと輝きだした。
この目だ。
私が大好きな、世界を喰らい尽くすような捕食者の目。
「移動の自由を、特権階級から民衆の手に取り戻す。……これが私たちの『ビジネス』です」
「おおっ! よく分かりませんが、凄そうです! やっちゃいましょう!」
私は目を輝かせて拍手した。
難しい理屈はいらない。
ご主人様が「やる」と言えば、それが世界のルールになるんだから。
だが、カミーラさんが冷静な声で冷水を浴びせた。
「素晴らしい構想ですが、お嬢様。……工場も、職人も、材料費もありません。あるのは借金だけです」
「……分かっています。ですから、まずは『試作車』を作り、それを投資家に見せつけて金を集めるのです」
ローズマリーさんは立ち上がった。
「行きますよ、アリア。……王都の職人街へ『スカウト』に行きます」
◇
【王都職人街】
しかし、現実は甘くなかった。
王都の職人街。
鍛冶ギルド、馬車ギルド、魔道具ギルド。
どこへ行っても、反応は氷のように冷たかった。
「お断りだ。アシュトン家に関わると、ベアトリス商会から睨まれるんでね」
「それに『馬のいない馬車』だと? そんな気味の悪いモン、御者ギルドが許すもんか!」
バタン!
目の前で扉が閉ざされる。
ことごとく門前払い。
ベアトリスの根回しは完璧だった。
彼女はアシュトン家が立ち上がれないよう、裏から手を回していたのだ。
悔しい。
歯痒い。
見ているだけしかできない自分の無力さが憎い。
◇
夕暮れ時。
歩き疲れたローズマリーさんは、路地裏のベンチで小さくため息をついた。
慣れないヒールで一日中歩き回った足。
きっと豆ができている。
痛いはずだ。
「……小癪ですね。どいつもこいつも、ベアトリスの犬ですか」
悪態をつく声にも、覇気がない。
世界中が敵に回ったような孤独感。
ご主人様の背中が、押しつぶされそうに見える。
……ほっとけない。
私はローズマリーさんの前に跪き、靴を脱がせて、その細い足をそっとマッサージし始める。
「ご主人様、大丈夫ですか? 痛いですよね……私が背負いましょうか?」
「……秘書に背負われる社長はいません。……でも、少しだけ」
ローズマリーさんは弱気になりかけていた。
その弱さが、愛おしくてたまらない。
大丈夫。
世界中が敵でも、私だけは絶対にご主人様の味方です。
「あの、ご主人様。……綺麗な店ばかり回ってましたけど、もっと『奥』に行ってみませんか?」
「奥?」
「スラム街の外れに、昔馴染みの職人がいるんです。お金がなかった頃、よくツケで武器を直してくれた恩人が……」
◇
【職人街外れ・廃材置き場】
私の案内で向かったのは、職人街の外れ。
廃材置き場の奥にある、今にも崩れそうなボロボロのガレージだった。
中からは、リズミカルで重厚なハンマーの音が響いている。
カンッ! カンッ! カンッ!
懐かしい音。
鉄と油の匂い。
「ごめんくださーい! ガンテツ姉さん、いますかー?」
私が声をかけると、奥から溶接マスクを取った小柄な影が現れた。
ドワーフ族の女性だ。
身長は私の胸ほどしかないけれど、タンクトップから伸びる腕は丸太のように太く、赤銅色の髪をバンダナで縛り上げている。
「あぁん? ……って、アリアじゃないか!」
ガンテツ姉さんは、私を見るなり豪快に笑い、その煤けた手で私の背中をバシバシ叩いた。
「生きてたのかい! 最近顔見せないから、どっかのダンジョンで野垂れ死んだかと思ってたよ!」
「痛い痛い! 姉さん、力強いって!」
ガンテツ姉さんは私のスーツ姿を見て、ニヤニヤと口笛を吹いた。
「へぇ、見違えたねぇ。薄汚い鎧着てた野良犬が、随分と小奇麗な格好してるじゃないか」
「えっへん! 似合うでしょ?」
「冒険者をやめて、どっかの店でオンナでも売り始めたのかい?」
「違うよ! 今の私は社長の秘書なんだから!」
「そうかそうか! 出世したねえ!」
ガンテツ姉さんは私の頭をガシガシと撫で回し、無事を確認して笑った。
変わらない。この乱暴な優しさが好きだ。
だが、その視線が背後のローズマリーさんに及んだ瞬間、鋭く細められた。
「……で? そっちの貴族のお嬢ちゃんは何だい? 冷やかしなら帰んな。アタシは貴族の道楽に付き合う気はないよ」
空気が凍る。
でも、ローズマリーさんは一歩も引かなかった。
「ローズマリーです。……単刀直入に言います。私と一緒に、世界を変える車を作りませんか?」
ローズマリーさんは設計図を広げた。
ガンテツ姉さんは鼻で笑おうとしたが、図面を見た瞬間、その目が職人のものに変わった。
「……ほう。燃焼効率の理論値が異常だ。今の魔導工学じゃ、こんなの動きゃしないよ」
「私の『新理論』なら可能です」
「口だけなら何とでも言えるさ」
ガンテツ姉さんは、作業台に放置されていた、黒焦げの鉄の塊――失敗した魔導エンジンを指差した。
「これはアタシが半年かけて作って、昨日爆発した失敗作だ。……アンタが天才なら、こいつが動かなかった理由、即座に当ててみな」
試練だ。
私は息を呑んで見守る。
ローズマリーさんは鉄塊に触れ、わずか数秒で口を開いた。
「……魔力伝導率の計算ミスです。ドワーフの伝統的な製法では、ミスリルと鉄の配合比率が7対3ですが、この出力なら6対4に変えて、点火タイミングを0.05秒遅らせるべきでしたね」
「……ッ!?」
ガンテツ姉さんが目を見開く。
「……へぇ。ただのお飾りお嬢様じゃないようだね」
ガンテツ姉さんは感心したように唸った。
だが、まだ首を縦には振らない。
「腕は認める。……だがね、アタシは貴族や商人って人種が嫌いなんだ。口では綺麗事を言っても、結局はアタシら職人を道具としか見てない」
ガンテツ姉さんは、ローズマリーさんを射抜くように睨みつけた。
「アンタもそうだろ? 金がなくなれば、アリアを路頭に迷わせるんじゃないのかい?」
ピリついた空気。
違う。
この人はそんな人じゃない。
ローズマリーさんが口を開くより先に、身体が動いていた。
私は懐からハンカチを取り出すと、ガレージの油で汚れたローズマリーさんの頬を、丁寧に、優しく拭った。
「……汚れてますよ、社長」
「……余計なお世話です」
ローズマリーさんは憎まれ口を叩きながらも、されるがままになっている。
この不器用さが、ご主人様の本質なのだ。
私はガンテツ姉さんに向き直り、真剣な瞳で言った。
「姉さん。この人は、私を道具扱いなんてしない」
私は、自分の首元――目には見えないけれど、確かにそこにある「絆の首輪」がある場所に手を当てた。
「ご主人様は、自分の命を削ってまで私をつなぎとめてくれた。……孤独だった私に、『居場所』をくれた。口は悪いし、人使いは荒いし、性格も性癖もねじ曲がってるけど……」
「一言多いですよ、アリア」
「……でも、こんな私を心から愛してくれるご主人様のためなら、地獄の底までついて行くって決めたの」
嘘じゃない。
お金がなくても、屋敷がなくても、この人がいれば私は幸せだ。
だから姉さん、私たちが選んだ道を信じて。
私の言葉に、ガンテツ姉さんは目を丸くし、それからやれやれと頭を掻いた。
「……まいったね。あの狂犬だったアリアが、こんなに懐くなんてさ」
ガンテツ姉さんはローズマリーさんの前に歩み寄り、ニカっと笑った。
「分かったよ。アリアがそこまで惚れ込んでる『ご主人様』なら、信じてやるよ」
ガンテツ姉さんは油まみれの手を差し出した。
「いいぜ。その『世界を変える車』とやら、アタシの腕を貸してやる。……ただし、アリアを泣かせたら、このレンチで頭かち割るからね!」
「……肝に銘じておきます。よろしくお願いしますよ、工場長」
ローズマリーさんは、その汚れた手を、躊躇なく両手で握り返した。
「感謝します、ガンテツ工場長。……給料は出世払いですが」
「ケッ、アリアの防具代のツケだと思って働いてやるよ!」
こうして、株式会社アシュトンの最初の「工場」は、スラムの廃ガレージに決まった。
社員は3名。
社長のローズマリーさん。
秘書の私。
そして、頼れる工場長、ガンテツ姉さん。
資金はマイナス。
場所はスラム。
でも、ここが私たちの新しいスタートラインだ。
◇
帰り道。
星空の下、私は破れたストッキングを脱ぎ捨てながら笑った。
「よかったぁ! 姉さんなら絶対すごい車作ってくれますよ!」
「ええ。……ここからが本当の戦いです」
ローズマリーさんは、王都の中心で輝くベアトリスの高層ビルを見上げた。
そのルージュの瞳は、夜空の星よりも強く光っていた。
「見ていなさい、ベアトリス。……貴女が売りさばく『破壊の兵器』よりも、私が作る『創造の翼』の方が、遥かに高く売れることを証明してみせます」
瓦礫の中から始まった、マイナスからのスタート。
私はローズマリーさんの隣に並び、その冷たい手をぎゅっと握った。
「どこまでもついて行きますよ。……ご主人様!」
私たちは歩き出した。
道なき道を切り拓く、長い長い旅の始まりだ。
爽やかな朝の光が、軍用テントの隙間から差し込んでいた。
でも、テントの中の空気は、どぶ川の底みたいに重く淀んでいた。
「……借金総額、金貨8億5千万枚。……利子だけで、毎日、家が一軒建つ金額が消えていきます」
カミーラさんが、死神みたいな顔で黒板に数字を書き込む。
ゼロが多すぎて、私にはもう記号にしか見えない。
その前で、ローズマリーさんは腕を組み、眉間に深い皺を寄せていた。
「改めて数字で見ると、吐き気がしますね」
「ですね。……ところでご主人様、この服、きついんですけど」
私はスカートの裾を引っ張りながら訴えた。
今日の私は、いつもの動きやすいドレスじゃない。
身体のラインがこれでもかと強調される、黒いタイトスカートのスーツ。
足には、薄くてすぐに破れそうな黒ストッキング。
そして鼻の上には、視力抜群の私には無用の長物である伊達メガネ。
ローズマリーさんの趣味全開の「社長秘書コーデ」だ。
「我慢しなさい。今日から私は『株式会社アシュトン』の社長、貴女は私の秘書兼ボディーガードです。……ナメられない格好が必要なのです」
「動きにくいし、ストッキングが伝線しそうです……。これじゃ、いざという時蹴り技が出せませんよ?」
私がもじもじすると、ローズマリーさんはそれを横目で見て、口元を少しだけ歪めた。
あ、今の顔。
「どういじめようか」って考えてる顔だ。
ゾクゾクする。
なら、私も腹を括ろう。
ローズマリーさんはパンと手を叩き、空気を切り替えた。
「さて。感傷に浸っている暇はありません。今日から倍返しの始まりです」
彼女は、机の上に一枚の設計図を広げた。
それは、先日ベアトリスが乗ってきた「車」に似ているけれど、もっとシンプルで、どこか愛嬌のある形をしていた。
「ベアトリスの『レッド・スコーピオン』は、高性能ですが職人の手作り品。一台の価格は城一つ分。……あんなもの、一部の富裕層のオモチャに過ぎません」
ローズマリーさんは設計図を指で叩いた。
その指先には、確信という名の力が宿っている。
「私たちが作るのは、これです。……『大衆車A』」
「えっ……アリア? 私の名前?」
心臓が跳ねた。
車に私の名前?
世界を変える発明に、私の名前をつけてくれるの?
「誰でも買えて、誰でも運転できて、荷物も運べる魔法の車です。これをライン生産方式で大量に作り、世界中にばら撒きます」
ローズマリーさんのルージュの瞳が、野心に燃えてギラギラと輝きだした。
この目だ。
私が大好きな、世界を喰らい尽くすような捕食者の目。
「移動の自由を、特権階級から民衆の手に取り戻す。……これが私たちの『ビジネス』です」
「おおっ! よく分かりませんが、凄そうです! やっちゃいましょう!」
私は目を輝かせて拍手した。
難しい理屈はいらない。
ご主人様が「やる」と言えば、それが世界のルールになるんだから。
だが、カミーラさんが冷静な声で冷水を浴びせた。
「素晴らしい構想ですが、お嬢様。……工場も、職人も、材料費もありません。あるのは借金だけです」
「……分かっています。ですから、まずは『試作車』を作り、それを投資家に見せつけて金を集めるのです」
ローズマリーさんは立ち上がった。
「行きますよ、アリア。……王都の職人街へ『スカウト』に行きます」
◇
【王都職人街】
しかし、現実は甘くなかった。
王都の職人街。
鍛冶ギルド、馬車ギルド、魔道具ギルド。
どこへ行っても、反応は氷のように冷たかった。
「お断りだ。アシュトン家に関わると、ベアトリス商会から睨まれるんでね」
「それに『馬のいない馬車』だと? そんな気味の悪いモン、御者ギルドが許すもんか!」
バタン!
目の前で扉が閉ざされる。
ことごとく門前払い。
ベアトリスの根回しは完璧だった。
彼女はアシュトン家が立ち上がれないよう、裏から手を回していたのだ。
悔しい。
歯痒い。
見ているだけしかできない自分の無力さが憎い。
◇
夕暮れ時。
歩き疲れたローズマリーさんは、路地裏のベンチで小さくため息をついた。
慣れないヒールで一日中歩き回った足。
きっと豆ができている。
痛いはずだ。
「……小癪ですね。どいつもこいつも、ベアトリスの犬ですか」
悪態をつく声にも、覇気がない。
世界中が敵に回ったような孤独感。
ご主人様の背中が、押しつぶされそうに見える。
……ほっとけない。
私はローズマリーさんの前に跪き、靴を脱がせて、その細い足をそっとマッサージし始める。
「ご主人様、大丈夫ですか? 痛いですよね……私が背負いましょうか?」
「……秘書に背負われる社長はいません。……でも、少しだけ」
ローズマリーさんは弱気になりかけていた。
その弱さが、愛おしくてたまらない。
大丈夫。
世界中が敵でも、私だけは絶対にご主人様の味方です。
「あの、ご主人様。……綺麗な店ばかり回ってましたけど、もっと『奥』に行ってみませんか?」
「奥?」
「スラム街の外れに、昔馴染みの職人がいるんです。お金がなかった頃、よくツケで武器を直してくれた恩人が……」
◇
【職人街外れ・廃材置き場】
私の案内で向かったのは、職人街の外れ。
廃材置き場の奥にある、今にも崩れそうなボロボロのガレージだった。
中からは、リズミカルで重厚なハンマーの音が響いている。
カンッ! カンッ! カンッ!
懐かしい音。
鉄と油の匂い。
「ごめんくださーい! ガンテツ姉さん、いますかー?」
私が声をかけると、奥から溶接マスクを取った小柄な影が現れた。
ドワーフ族の女性だ。
身長は私の胸ほどしかないけれど、タンクトップから伸びる腕は丸太のように太く、赤銅色の髪をバンダナで縛り上げている。
「あぁん? ……って、アリアじゃないか!」
ガンテツ姉さんは、私を見るなり豪快に笑い、その煤けた手で私の背中をバシバシ叩いた。
「生きてたのかい! 最近顔見せないから、どっかのダンジョンで野垂れ死んだかと思ってたよ!」
「痛い痛い! 姉さん、力強いって!」
ガンテツ姉さんは私のスーツ姿を見て、ニヤニヤと口笛を吹いた。
「へぇ、見違えたねぇ。薄汚い鎧着てた野良犬が、随分と小奇麗な格好してるじゃないか」
「えっへん! 似合うでしょ?」
「冒険者をやめて、どっかの店でオンナでも売り始めたのかい?」
「違うよ! 今の私は社長の秘書なんだから!」
「そうかそうか! 出世したねえ!」
ガンテツ姉さんは私の頭をガシガシと撫で回し、無事を確認して笑った。
変わらない。この乱暴な優しさが好きだ。
だが、その視線が背後のローズマリーさんに及んだ瞬間、鋭く細められた。
「……で? そっちの貴族のお嬢ちゃんは何だい? 冷やかしなら帰んな。アタシは貴族の道楽に付き合う気はないよ」
空気が凍る。
でも、ローズマリーさんは一歩も引かなかった。
「ローズマリーです。……単刀直入に言います。私と一緒に、世界を変える車を作りませんか?」
ローズマリーさんは設計図を広げた。
ガンテツ姉さんは鼻で笑おうとしたが、図面を見た瞬間、その目が職人のものに変わった。
「……ほう。燃焼効率の理論値が異常だ。今の魔導工学じゃ、こんなの動きゃしないよ」
「私の『新理論』なら可能です」
「口だけなら何とでも言えるさ」
ガンテツ姉さんは、作業台に放置されていた、黒焦げの鉄の塊――失敗した魔導エンジンを指差した。
「これはアタシが半年かけて作って、昨日爆発した失敗作だ。……アンタが天才なら、こいつが動かなかった理由、即座に当ててみな」
試練だ。
私は息を呑んで見守る。
ローズマリーさんは鉄塊に触れ、わずか数秒で口を開いた。
「……魔力伝導率の計算ミスです。ドワーフの伝統的な製法では、ミスリルと鉄の配合比率が7対3ですが、この出力なら6対4に変えて、点火タイミングを0.05秒遅らせるべきでしたね」
「……ッ!?」
ガンテツ姉さんが目を見開く。
「……へぇ。ただのお飾りお嬢様じゃないようだね」
ガンテツ姉さんは感心したように唸った。
だが、まだ首を縦には振らない。
「腕は認める。……だがね、アタシは貴族や商人って人種が嫌いなんだ。口では綺麗事を言っても、結局はアタシら職人を道具としか見てない」
ガンテツ姉さんは、ローズマリーさんを射抜くように睨みつけた。
「アンタもそうだろ? 金がなくなれば、アリアを路頭に迷わせるんじゃないのかい?」
ピリついた空気。
違う。
この人はそんな人じゃない。
ローズマリーさんが口を開くより先に、身体が動いていた。
私は懐からハンカチを取り出すと、ガレージの油で汚れたローズマリーさんの頬を、丁寧に、優しく拭った。
「……汚れてますよ、社長」
「……余計なお世話です」
ローズマリーさんは憎まれ口を叩きながらも、されるがままになっている。
この不器用さが、ご主人様の本質なのだ。
私はガンテツ姉さんに向き直り、真剣な瞳で言った。
「姉さん。この人は、私を道具扱いなんてしない」
私は、自分の首元――目には見えないけれど、確かにそこにある「絆の首輪」がある場所に手を当てた。
「ご主人様は、自分の命を削ってまで私をつなぎとめてくれた。……孤独だった私に、『居場所』をくれた。口は悪いし、人使いは荒いし、性格も性癖もねじ曲がってるけど……」
「一言多いですよ、アリア」
「……でも、こんな私を心から愛してくれるご主人様のためなら、地獄の底までついて行くって決めたの」
嘘じゃない。
お金がなくても、屋敷がなくても、この人がいれば私は幸せだ。
だから姉さん、私たちが選んだ道を信じて。
私の言葉に、ガンテツ姉さんは目を丸くし、それからやれやれと頭を掻いた。
「……まいったね。あの狂犬だったアリアが、こんなに懐くなんてさ」
ガンテツ姉さんはローズマリーさんの前に歩み寄り、ニカっと笑った。
「分かったよ。アリアがそこまで惚れ込んでる『ご主人様』なら、信じてやるよ」
ガンテツ姉さんは油まみれの手を差し出した。
「いいぜ。その『世界を変える車』とやら、アタシの腕を貸してやる。……ただし、アリアを泣かせたら、このレンチで頭かち割るからね!」
「……肝に銘じておきます。よろしくお願いしますよ、工場長」
ローズマリーさんは、その汚れた手を、躊躇なく両手で握り返した。
「感謝します、ガンテツ工場長。……給料は出世払いですが」
「ケッ、アリアの防具代のツケだと思って働いてやるよ!」
こうして、株式会社アシュトンの最初の「工場」は、スラムの廃ガレージに決まった。
社員は3名。
社長のローズマリーさん。
秘書の私。
そして、頼れる工場長、ガンテツ姉さん。
資金はマイナス。
場所はスラム。
でも、ここが私たちの新しいスタートラインだ。
◇
帰り道。
星空の下、私は破れたストッキングを脱ぎ捨てながら笑った。
「よかったぁ! 姉さんなら絶対すごい車作ってくれますよ!」
「ええ。……ここからが本当の戦いです」
ローズマリーさんは、王都の中心で輝くベアトリスの高層ビルを見上げた。
そのルージュの瞳は、夜空の星よりも強く光っていた。
「見ていなさい、ベアトリス。……貴女が売りさばく『破壊の兵器』よりも、私が作る『創造の翼』の方が、遥かに高く売れることを証明してみせます」
瓦礫の中から始まった、マイナスからのスタート。
私はローズマリーさんの隣に並び、その冷たい手をぎゅっと握った。
「どこまでもついて行きますよ。……ご主人様!」
私たちは歩き出した。
道なき道を切り拓く、長い長い旅の始まりだ。
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日本で生活していた前世の記憶を持つ主人公、七瀬達也が日本によく似た貞操逆転世界に転生し、高校生活を楽しみながら婚活を頑張るお話。
この世界の法律では、男性は二十歳までに5人と結婚をしなければならない。(高校卒業時点は3人)
そんな法律があるなら、もういっそのこと高校在学中に5人と結婚しよう!となるのが今作の主人公である達也だ!
この世界の経済は基本的に女性のみで回っており、男性に求められることといえば子種、遺伝子だ。
前世の影響かはわからないが、日本屈指のHENTAIである達也は運よく遺伝子も最高ランクになった。
顔もイケメン!遺伝子も優秀!貴重な男!…と、驕らずに自分と関わった女性には少しでも幸せな気持ちを分かち合えるように努力しようと決意する。
どうせなら、WIN-WINの関係でありたいよね!
そうして、別居婚が主流なこの世界では珍しいみんなと同居することを、いや。ハーレムを目標に個性豊かなヒロイン達と織り成す学園ラブコメディがいま始まる!
主人公の通う学校では、少し貞操逆転の要素薄いかもです。男女比に寄っています。
外はその限りではありません。
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