鉄の女と銀の犬。貧乏令嬢はドSメイドに飼われる。

山本条太郎

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第47話「社長と秘書。マイナスからの産業革命」

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【早朝:アシュトン公爵邸・仮設テント事務所】

爽やかな朝の光が、軍用テントの隙間から差し込んでいた。  

でも、テントの中の空気は、どぶ川の底みたいに重く淀んでいた。

「……借金総額、金貨8億5千万枚。……利子だけで、毎日、家が一軒建つ金額が消えていきます」

カミーラさんが、死神みたいな顔で黒板に数字を書き込む。  

ゼロが多すぎて、私にはもう記号にしか見えない。  

その前で、ローズマリーさんは腕を組み、眉間に深い皺を寄せていた。

「改めて数字で見ると、吐き気がしますね」 

「ですね。……ところでご主人様、この服、きついんですけど」

私はスカートの裾を引っ張りながら訴えた。  

今日の私は、いつもの動きやすいドレスじゃない。  

身体のラインがこれでもかと強調される、黒いタイトスカートのスーツ。  

足には、薄くてすぐに破れそうな黒ストッキング。  

そして鼻の上には、視力抜群の私には無用の長物である伊達メガネ。  

ローズマリーさんの趣味全開の「社長秘書コーデ」だ。

「我慢しなさい。今日から私は『株式会社アシュトン』の社長、貴女は私の秘書兼ボディーガードです。……ナメられない格好が必要なのです」 

「動きにくいし、ストッキングが伝線しそうです……。これじゃ、いざという時蹴り技が出せませんよ?」

私がもじもじすると、ローズマリーさんはそれを横目で見て、口元を少しだけ歪めた。  

あ、今の顔。

「どういじめようか」って考えてる顔だ。

ゾクゾクする。

なら、私も腹を括ろう。

ローズマリーさんはパンと手を叩き、空気を切り替えた。

「さて。感傷に浸っている暇はありません。今日から倍返しの始まりです」

彼女は、机の上に一枚の設計図を広げた。  

それは、先日ベアトリスが乗ってきた「車」に似ているけれど、もっとシンプルで、どこか愛嬌のある形をしていた。

「ベアトリスの『レッド・スコーピオン』は、高性能ですが職人の手作り品。一台の価格は城一つ分。……あんなもの、一部の富裕層のオモチャに過ぎません」

ローズマリーさんは設計図を指で叩いた。

その指先には、確信という名の力が宿っている。

「私たちが作るのは、これです。……『大衆車Aアリア』」 

「えっ……アリア? 私の名前?」

心臓が跳ねた。  

車に私の名前?

世界を変える発明に、私の名前をつけてくれるの?  

「誰でも買えて、誰でも運転できて、荷物も運べる魔法の車です。これをライン生産方式で大量に作り、世界中にばら撒きます」

ローズマリーさんのルージュの瞳が、野心に燃えてギラギラと輝きだした。  

この目だ。

私が大好きな、世界を喰らい尽くすような捕食者の目。  

「移動の自由を、特権階級から民衆の手に取り戻す。……これが私たちの『ビジネス』です」 

「おおっ! よく分かりませんが、凄そうです! やっちゃいましょう!」

私は目を輝かせて拍手した。  

難しい理屈はいらない。

ご主人様が「やる」と言えば、それが世界のルールになるんだから。

だが、カミーラさんが冷静な声で冷水を浴びせた。

「素晴らしい構想ですが、お嬢様。……工場も、職人も、材料費もありません。あるのは借金だけです」 

「……分かっています。ですから、まずは『試作車』を作り、それを投資家に見せつけて金を集めるのです」

ローズマリーさんは立ち上がった。

「行きますよ、アリア。……王都の職人街へ『スカウト』に行きます」

                   ◇

【王都職人街】

しかし、現実は甘くなかった。  

王都の職人街。

鍛冶ギルド、馬車ギルド、魔道具ギルド。  

どこへ行っても、反応は氷のように冷たかった。

「お断りだ。アシュトン家に関わると、ベアトリス商会から睨まれるんでね」 

「それに『馬のいない馬車』だと? そんな気味の悪いモン、御者ギルドが許すもんか!」

バタン!

目の前で扉が閉ざされる。  

ことごとく門前払い。  

ベアトリスの根回しは完璧だった。

彼女はアシュトン家が立ち上がれないよう、裏から手を回していたのだ。  

悔しい。  

歯痒い。

見ているだけしかできない自分の無力さが憎い。

                 ◇

夕暮れ時。  

歩き疲れたローズマリーさんは、路地裏のベンチで小さくため息をついた。  

慣れないヒールで一日中歩き回った足。

きっと豆ができている。

痛いはずだ。

「……小癪ですね。どいつもこいつも、ベアトリスの犬ですか」

悪態をつく声にも、覇気がない。  

世界中が敵に回ったような孤独感。

ご主人様の背中が、押しつぶされそうに見える。  

……ほっとけない。  

私はローズマリーさんの前に跪き、靴を脱がせて、その細い足をそっとマッサージし始める。

「ご主人様、大丈夫ですか? 痛いですよね……私が背負いましょうか?」 

「……秘書に背負われる社長はいません。……でも、少しだけ」

ローズマリーさんは弱気になりかけていた。  

その弱さが、愛おしくてたまらない。  

大丈夫。

世界中が敵でも、私だけは絶対にご主人様の味方です。  

「あの、ご主人様。……綺麗な店ばかり回ってましたけど、もっと『奥』に行ってみませんか?」 

「奥?」 

「スラム街の外れに、昔馴染みの職人がいるんです。お金がなかった頃、よくツケで武器を直してくれた恩人が……」

                ◇

【職人街外れ・廃材置き場】

私の案内で向かったのは、職人街の外れ。

廃材置き場の奥にある、今にも崩れそうなボロボロのガレージだった。  

中からは、リズミカルで重厚なハンマーの音が響いている。

カンッ! カンッ! カンッ!

懐かしい音。

鉄と油の匂い。

「ごめんくださーい! ガンテツ姉さん、いますかー?」

私が声をかけると、奥から溶接マスクを取った小柄な影が現れた。  

ドワーフ族の女性だ。  

身長は私の胸ほどしかないけれど、タンクトップから伸びる腕は丸太のように太く、赤銅色の髪をバンダナで縛り上げている。

「あぁん? ……って、アリアじゃないか!」

ガンテツ姉さんは、私を見るなり豪快に笑い、その煤けた手で私の背中をバシバシ叩いた。

「生きてたのかい! 最近顔見せないから、どっかのダンジョンで野垂れ死んだかと思ってたよ!」 

「痛い痛い! 姉さん、力強いって!」

ガンテツ姉さんは私のスーツ姿を見て、ニヤニヤと口笛を吹いた。

「へぇ、見違えたねぇ。薄汚い鎧着てた野良犬が、随分と小奇麗な格好してるじゃないか」 

「えっへん! 似合うでしょ?」 

「冒険者をやめて、どっかの店でオンナでも売り始めたのかい?」 

「違うよ! 今の私は社長の秘書なんだから!」 

「そうかそうか! 出世したねえ!」

ガンテツ姉さんは私の頭をガシガシと撫で回し、無事を確認して笑った。  

変わらない。この乱暴な優しさが好きだ。  

だが、その視線が背後のローズマリーさんに及んだ瞬間、鋭く細められた。

「……で? そっちの貴族のお嬢ちゃんは何だい? 冷やかしなら帰んな。アタシは貴族の道楽に付き合う気はないよ」

空気が凍る。  

でも、ローズマリーさんは一歩も引かなかった。

「ローズマリーです。……単刀直入に言います。私と一緒に、世界を変える車を作りませんか?」

ローズマリーさんは設計図を広げた。  

ガンテツ姉さんは鼻で笑おうとしたが、図面を見た瞬間、その目が職人のものに変わった。

「……ほう。燃焼効率の理論値が異常だ。今の魔導工学じゃ、こんなの動きゃしないよ」 

「私の『新理論』なら可能です」 

「口だけなら何とでも言えるさ」

ガンテツ姉さんは、作業台に放置されていた、黒焦げの鉄の塊――失敗した魔導エンジンを指差した。

「これはアタシが半年かけて作って、昨日爆発した失敗作だ。……アンタが天才なら、こいつが動かなかった理由、即座に当ててみな」

試練だ。  

私は息を呑んで見守る。  

ローズマリーさんは鉄塊に触れ、わずか数秒で口を開いた。

「……魔力伝導率の計算ミスです。ドワーフの伝統的な製法では、ミスリルと鉄の配合比率が7対3ですが、この出力なら6対4に変えて、点火タイミングを0.05秒遅らせるべきでしたね」 

「……ッ!?」

ガンテツ姉さんが目を見開く。  

「……へぇ。ただのお飾りお嬢様じゃないようだね」

ガンテツ姉さんは感心したように唸った。  

だが、まだ首を縦には振らない。

「腕は認める。……だがね、アタシは貴族や商人って人種が嫌いなんだ。口では綺麗事を言っても、結局はアタシら職人を道具としか見てない」

ガンテツ姉さんは、ローズマリーさんを射抜くように睨みつけた。

「アンタもそうだろ? 金がなくなれば、アリアを路頭に迷わせるんじゃないのかい?」

ピリついた空気。  

違う。

この人はそんな人じゃない。  

ローズマリーさんが口を開くより先に、身体が動いていた。  

私は懐からハンカチを取り出すと、ガレージの油で汚れたローズマリーさんの頬を、丁寧に、優しく拭った。

「……汚れてますよ、社長」 

「……余計なお世話です」

ローズマリーさんは憎まれ口を叩きながらも、されるがままになっている。  

この不器用さが、ご主人様の本質なのだ。  

私はガンテツ姉さんに向き直り、真剣な瞳で言った。

「姉さん。この人は、私を道具扱いなんてしない」

私は、自分の首元――目には見えないけれど、確かにそこにある「絆の首輪」がある場所に手を当てた。

「ご主人様は、自分の命を削ってまで私をつなぎとめてくれた。……孤独だった私に、『居場所』をくれた。口は悪いし、人使いは荒いし、性格も性癖もねじ曲がってるけど……」 

「一言多いですよ、アリア」 

「……でも、こんな私を心から愛してくれるご主人様のためなら、地獄の底までついて行くって決めたの」

嘘じゃない。  

お金がなくても、屋敷がなくても、この人がいれば私は幸せだ。  

だから姉さん、私たちが選んだ道を信じて。

私の言葉に、ガンテツ姉さんは目を丸くし、それからやれやれと頭を掻いた。

「……まいったね。あの狂犬だったアリアが、こんなに懐くなんてさ」

ガンテツ姉さんはローズマリーさんの前に歩み寄り、ニカっと笑った。

「分かったよ。アリアがそこまで惚れ込んでる『ご主人様』なら、信じてやるよ」

ガンテツ姉さんは油まみれの手を差し出した。

「いいぜ。その『世界を変える車』とやら、アタシの腕を貸してやる。……ただし、アリアを泣かせたら、このレンチで頭かち割るからね!」 

「……肝に銘じておきます。よろしくお願いしますよ、工場長」

ローズマリーさんは、その汚れた手を、躊躇なく両手で握り返した。  

「感謝します、ガンテツ工場長。……給料は出世払いですが」 

「ケッ、アリアの防具代のツケだと思って働いてやるよ!」

こうして、株式会社アシュトンの最初の「工場」は、スラムの廃ガレージに決まった。  

社員は3名。  

社長のローズマリーさん。

秘書の私。

そして、頼れる工場長、ガンテツ姉さん。  

資金はマイナス。

場所はスラム。  

でも、ここが私たちの新しいスタートラインだ。

                    ◇

帰り道。  

星空の下、私は破れたストッキングを脱ぎ捨てながら笑った。  

「よかったぁ! 姉さんなら絶対すごい車作ってくれますよ!」 

「ええ。……ここからが本当の戦いです」

ローズマリーさんは、王都の中心で輝くベアトリスの高層ビルを見上げた。  

そのルージュの瞳は、夜空の星よりも強く光っていた。

「見ていなさい、ベアトリス。……貴女が売りさばく『破壊の兵器』よりも、私が作る『創造の翼』の方が、遥かに高く売れることを証明してみせます」

瓦礫の中から始まった、マイナスからのスタート。  

私はローズマリーさんの隣に並び、その冷たい手をぎゅっと握った。  

「どこまでもついて行きますよ。……ご主人様!」

私たちは歩き出した。  

道なき道を切り拓く、長い長い旅の始まりだ。
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