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第51話 「王都グランプリ。公道最速の秘書」
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【王都中央広場・特設サーキット】
王都の熱気は、沸点に達していた。
建国記念日すら凌駕する数万の大観衆が沿道を埋め尽くし、バルコニーというバルコニーから貴族たちが身を乗り出している。
瓦礫の中から立ち上がったアシュトン・モーターズの「大衆車」と、隣国の女帝が操る「スーパーカー」。
この世紀の対決を一目見ようと、市民だけでなく、復興中の貴族たちも興奮を隠せない様子だ。
パパパパパッ!
空に五色の魔法花火が打ち上がり、王宮騎士団によるファンファーレが高らかに鳴り響く。
広場を見下ろす貴賓席に現れたのは、アルベルト王子。
「市民よ! 今日、我々は歴史の目撃者となる!」
アルベルト王子の声が拡声魔法で広場に響く。
「剣ではなく、技術で! 魔法ではなく、エンジンで! 誰が一番速いのかを決める、平和で野蛮な戦いだ! ……アシュトン・モーターズ、そしてアリア! 私に『新しい時代の風』を見せてくれ!」
「「「うぉぉぉぉぉぉッ!!」」」
地鳴りのような歓声。
私は、小さく武者震いをした。
◇
【王都中央広場・アシュトンチーム・ピット】
スタートラインの脇、簡易テントの下で、ドワーフのガンテツ姉さんが最後の調整を行っていた。
ガチンッ! ギュルッ!
巨大なスパナでボルトを締め上げ、油まみれの顔を拭い、ガンテツ姉さんが私を見上げる。
「よし。足回りはガチガチに固めておいたよ。……これならどんな衝撃でも耐えられる」
「ありがとう、ガンテツ姉さん! ……でも、相手はあのスーパーカーだよ。勝てるかな?」
私が不安げに、隣のテントで輝く流線型の「レッド・スコーピオン」を見る。
流線型の美しいボディ。
最新鋭の魔導技術の結晶。
対してこっちは、鼻骨なメタルボディだ。
ガンテツ姉さんはニカっと笑い、私の頭をバシッと叩いた。
「ビビってんじゃないよ。……いいか、アリア。攻略法を教えてやる」
「攻略法?」
「あっちの車は『サラブレッド』だ。速いが、足元が脆い。……対してこっちは『猪』だ」
姉さんは、無骨なボディを愛おしそうに撫でた。
「アタシが組んだエンジンとボディだ。絶対に壊れねえ。……だから、減速なんて考えるな。コーナーだろうが段差だろうが、この重さと頑丈さを信じて突っ込め。……道がなけりゃ、お前がこじ開けるんだよ!」
「……!」
そうだ。かつて冒険者時代、ボロボロの剣でも姉御が直してくれれば、どんな魔物も切れた。
姉御が「壊れない」と言えば、隕石が落ちても壊れないのだ。
「分かった! ……行ってくる!」
◇
【スタート:熱狂の渦】
スタートラインには、対照的な二台のマシンが並んでいた。
エンジン始動前。
張り詰めた空気の中、ベアトリスが優雅にスコーピオンから降り立ち、こちらの運転席へ歩み寄ってきた。
彼女はサングラスを指で少し下げ、窓越しに私とローズマリーさんを見下ろした。
「あらあら。……そんな鉄屑で、本当に完走できるの? 途中で分解しても知らないわよ?」
甘く、毒を含んだ声。
私はカッとなった。
私のことはいい。
でも、姉御の魂とご主人様を侮辱するのは許さない。
助手席のローズマリーさんは、膝の上のコース図から目を離さず、冷ややかに返した。
「ご心配なく。……頑丈さだけは保証します。貴女のその華奢なオモチャと違ってね」
「フフッ、強がりを。……ねえ、アリアちゃん?」
ベアトリスは視線を私に移し、ねっとりと微笑んだ。
「私が勝ったら、アリアちゃんは、私のペット。 ふふふ。ローズマリーちゃんより『いい首輪』を用意して待ってるわ」
「……ッ! 誰がアンタなんかのペットになるか!」
ふざけるな。私の首輪を握れるのは、世界でただ一人、ローズマリーさんだけだ。
「ベアトリスこそ、アシュトン・モーターズへの出資の用意をしておいてください」
ローズマリーさんは冷たくつぶやいた。その声には絶対的な王者の響きがある。
「ふふふ。負け犬の遠吠えね」
ベアトリスは満足げに笑い、スコーピオンへと戻っていった。
「……言ってくれますね、あの商売女」
ローズマリーさんが眼鏡の位置を直す。
そのルージュの瞳の奥で、冷たい怒りの炎が燃え上がっていた。
ああ、ご主人様が本気だ。
ゾクゾクする。
「アリア。……あの女の鼻っ柱、へし折って差し上げなさい」
「イエス、マム! ……ぶっちぎってやります!」
私の闘志が最高潮に達する。
エンジン始動。
キュルルル……ズドォォォォォンッ!!
モデルAの重低音が、猛獣の咆哮のように轟く。
キィィィィィン……ヴォォォォンッ!!
スコーピオンの甲高い音が鼓膜を刺す。
運転席の私は、ガチガチにハンドルを握りしめた。
負けられない。絶対に。
「し、社長……緊張してきました……」
助手席のローズマリーさんが、震える私の手の上に、自分の手を重ねた。
冷たくて、でも芯の通った手のひら。
その感触が、私の熱すぎる血を鎮めてくれる。
「大丈夫です。……駄犬はただ、その野生の勘で『一番速い道』を選びなさい。責任は全て私が取ります」
「一番速い道……」
迷いが消え、獣の光が宿る。
そうだ。
私は走るだけだ。
ご主人様が引いたルートの上を、最速で!
イザベラさんが、広場の中央に進み出た。
彼女が振り上げた旗が、風にはためく。
「王都一周公道レース! レディ……」
ヴォォォォンッ!!
ズドズドズドッ!!
エンジンの回転数が上がる。
「王都グランプリ、スタート!!」
フラッグが振り下ろされた。
キキィィィィィッ!!
タイヤが白煙を上げ、二台が同時に飛び出した。
しかし、性能差は残酷だ。
スコーピオンは矢のように加速し、みるみる小さくなっていく。
対するモデルAは、車重が災いし、牛のような出足だ。
「遅い! 遅いです社長! 置いていかれます!」
「想定内です。ストレートでのスペック勝負で勝てるわけがありません」
ローズマリーさんは前を見据えたまま言った。
「勝負はここから。……第2セクション、貴族街の丘陵地帯へ入ります。ここからは『ダウンヒル』です」
◇
【第2セクション:ダウンヒル】
コースは王都を見下ろす丘の上へ。
そして、そこから一気に駆け下りる急勾配のワインディングロード。
先行するベアトリスは、優雅にハンドルを切っている。
「アリア! ヘアピンカーブです! 減速!」
ローズマリーさんの指示。
でも、私の本能が違うと叫んでいる。
重い……重いな、こいつ。
私は思い出していた。
ガンテツ姉さんの言葉を。
『重さを信じて突っ込め』。
そうだ……昔狩った『鉄喰い熊』と同じだ。
かつて山で戦った『鉄喰い熊』。
奴らは全身筋肉と鋼の鎧で覆われた重量級だ。
でも、下り坂ではその体重を全て加速に変え、雪崩のように突っ込んでくる。
重さを殺すんじゃない、利用するんだ!
「いいえ、踏みます!」
私はコーナーの入り口で、あえてブレーキを一瞬遅らせた。
前輪に荷重を移動させ、一気にハンドルを切る。
リアタイヤが滑り出し、車体が斜めになる。
ギャギャギャギャギャッ!!
重たい車体を遠心力で振り回し、滑るようにコーナーをクリアしていく。
景色が流れる。
重力が横から襲う。
でも、怖いどころか楽しい!
「なっ!?慣性ドリフト!?」
ベアトリスがバックミラーを見て息を呑むのが見えた。
ガオンッ!
私はスコーピオンのリアバンパーに、モデルAのフロントを軽くキスさせた。
愛の挨拶(煽り運転)だ。
「こんにちはベアトリスさん! 道、譲ってくれませんかぁ!?」
「や、やってくれるわね! ワンちゃん!!」
◇
【第3セクション:スラム街】
二台は団子状態で、王都の下町――スラム街エリアへと突入した。
道幅は馬車一台分。
直角コーナーの連続。
でも、ここは私の庭だ。
どの路地がどこに繋がっているか、全部知っている。
「右、左、次、右!」
私はナビより早く反応し、路地を駆け抜ける。
だが、スコーピオンの性能が牙を剥く。最新のサスペンションが路面を捉え、鋭いコーナリングで私を突き放す。
「くっ、曲がる性能が違いすぎる! 外に膨らんで追いつけない!」
その時、私の視界に道路の端にある「排水溝」が入った。
あれだ……!
「社長! しっかり掴まっててください! 舌噛みますよ!」
「アリア!? そこは道ではありません、溝です!」
私はハンドルを限界まで切り込み、イン側のタイヤを排水溝に叩き落とした。
ガガガガッ!!
タイヤが溝に引っかかる。
私はそれをレール代わりにして、遠心力を無理やり殺し、鋭角にターンを決めた。
「うぉぉぉぉぉぉッ!!」
火花を散らしながら、モデルAがスコーピオンの内側をえぐる。
「嘘でしょ!? サスペンションが壊れるわよ!?」
ベアトリスが驚愕する。
普通の車なら車軸が折れる荒技だが、ガンテツ姉さんが鍛え上げた足回りは悲鳴一つ上げない。
「ガンテツ姉さんの技術は世界一だぁぁぁッ!!」
姉御の作った車をナメるな!
火花を散らしながら、モデルAが再びスコーピオンに食らいつく。
◇
【第4セクション:最終コーナー前】
レースは終盤。
再び大通りへ出る手前の狭い路地。
ベアトリスは焦っていた。
彼女は車体を左右に振り、私の進路を塞ぐブロック走行に出た。
道幅が狭い。
抜けない。
「汚い! 右も左も塞がれてる!」
「このままではゴールまで抑え込まれます!」
ローズマリーさんが叫ぶ。
目の前には、ゴールのある中央広場へと続く最終コーナー。
そこを抜ければホームストレートだ。
ベアトリスはインコースをガッチリと締めている。
私は歯噛みした。
負ける?
嫌だ。
絶対に嫌だ。
その時、ふと沿道の観衆の割れ目が目に入った。
そこは道ではない。
広場へと歩いて降りるための、急勾配の長い「石階段」だ。
『……道がなけりゃ、お前がこじ開けるんだよ!」
『……駄犬はただ、その野生の勘で『一番速い道』を選びなさい』
ガンテツ姉さんとローズマリーさんの声が脳内に響いた。
道がないなら……作ればいい!
この車なら行ける!
ご主人様となら飛べる!
「ローズマリーさん! 飛びますよ!」
「は!? アリア、まさか!?」
モデルAは最終コーナーを無視し、柵の切れ目から石階段へとダイブした。
インベタのさらにイン。
空中を描くラインだ。
ズガガガガガガッ!!
銀色の車体が、階段をジャンプしながら駆け下りる。
内臓が浮き上がる感覚。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ローズマリーさんの可愛い悲鳴。
ごめんなさい、あとでいくらでもお仕置きされますから!
「ひゃっはぁぁぁぁぁぁッ!! これが王国走りだ!!」
コーナーを曲がっていたベアトリスは、頭上から降ってくる私たちを見て絶句した。
「なっ……!?」
ズドォォォォォンッ!!
モデルAが着地したのは、ホームストレートのど真ん中。
スコーピオンの、わずか一車身前方だった。
「抜かれた!? この私が!」
焦ったベアトリスが、赤いスイッチを押した。
「魔導ニトロブースト」。
スコーピオンのマフラーから紅蓮の炎が噴き出し、爆発的な加速で並びかける。
残り200メートル。
二台のマシンが並走し、互いのボディを擦り合わせるドッグファイト。
「パワーが違いすぎます! 抜かれます!」
「……いいえ。負けません」
助手席で、ローズマリーさんが眼鏡を光らせた。
ご主人様は自分の両手をダッシュボードに突き立てた。
「リミッター解除。……私の全魔力を、アリアの闘気ごと喰らいなさい!!」
「うぉぉぉぉぉッ!!」
カッ!!
モデルAの全身から、銀色のオーラが噴き出した。
ローズマリーさんの魔力が車体を伝って私に流れ込み、私の闘気と混ざり合う。
熱い。
身体中が燃えるようだ。
二人で一つになったみたいだ。
これなら、負ける気がしない!
ズドォォォォォォンッ!!
銀狼が吠えた。
ゴールライン直前、モデルAの鼻先が、スコーピオンよりわずかに前に出る。
バッ!!
イザベラさんの振るチェッカーフラッグが、風を切った。
「勝ったぁぁぁぁぁッ!!」
王都を揺るがす大歓声。
私はハンドルに顔を埋めた。
全身汗だくだ。
隣のローズマリーさんは、髪も服も誇りまみれで、眼鏡がずり落ちていたが、その表情は今まで見た中で一番晴れやかだった。
◇
ベアトリスが、スコーピオンから降りてくる。
彼女は悔しそうにヒールで地面を蹴ったが、すぐに私たちの元へ歩み寄り、拍手を送った。
「……完敗よ。あんな無茶苦茶なショートカット、予想できるわけないわ」
「ルールブックには『階段禁止』とは書いてありませんでしたから」
ローズマリーさんが不敵に返す。
ベアトリスはふっと笑い、意味深な視線を投げかけた。
「まあいいわ。今回の勝負は、あなたたちの勝利。約束通り、融資してあげる。」
彼女は真紅の車に乗り込みながら、背越しに告げた。
「でも次は、もっと大きなゲームで勝負を楽しみましょう。ローズマリーちゃん、アリアちゃん」
そう言い残し、ベアトリスは走り去っていった。
勝った。
私たちは勝ったんだ!
「私たちの勝利だあああ!」
「ええ、よくやりましたね! 最高の駄犬です!」
私が車から降りると同時、ピットから二つの影が飛び出してきた。
「アリアーッ!!」
「社長ーーッ!!」
ガンテツ姉さんとイザベラさんだ。
ガンテツ姉さんは私を運転席から引きずり出すと、力任せに抱きしめた。
「よくやった! 本当によくやった! アタシの車を信じてよく突っ込んだな!」
「姉御、苦しい! あばら折れる!」
イザベラさんは、ローズマリーさんに駆け寄り、手を取り合って跳ね回っている。
「凄いです! 歴史が変わりましたわよ!」
「ええ……。本当に、無茶苦茶な社員たちですね……」
ローズマリーさんは髪を直しながら、それでも満面の笑みを浮かべた。
ああ、この場所だ。
私が求めていたのは、この温かさだ。
ベアトリスが悔しそうに去っていく背中を見送った後、ガンテツ姉さんがニヤリと笑って、隠し持っていた巨大な酒瓶を取り出した。
「祝いだ! アシュトン・モーターズの船出にな!」
ポンッ!!
コルクが弾け飛ぶ。
姉さんは瓶を振り回し、泡立つ酒を三人に向かってぶちまけた。
「うわっ!? 冷たっ!」
「ちょ、ガンテツ! このレーシングスーツ高いんですから!」
「きゃあ! ベタベタしますわ!」
頭から酒を浴びて、びしょ濡れになる四人。
でも、誰も怒らない。
みんな笑っている。
私は酒の滴る顔を拭い、太陽のような笑顔で叫んだ。
「最高だぁぁぁッ! みんな大好きだぁぁぁッ!!」
王都の広場に、四人の笑い声と、甘い酒の匂いが広がっていく。
それは、アシュトン家の反撃の狼煙であり、世界最強のチーム結成の証だった。
王都の熱気は、沸点に達していた。
建国記念日すら凌駕する数万の大観衆が沿道を埋め尽くし、バルコニーというバルコニーから貴族たちが身を乗り出している。
瓦礫の中から立ち上がったアシュトン・モーターズの「大衆車」と、隣国の女帝が操る「スーパーカー」。
この世紀の対決を一目見ようと、市民だけでなく、復興中の貴族たちも興奮を隠せない様子だ。
パパパパパッ!
空に五色の魔法花火が打ち上がり、王宮騎士団によるファンファーレが高らかに鳴り響く。
広場を見下ろす貴賓席に現れたのは、アルベルト王子。
「市民よ! 今日、我々は歴史の目撃者となる!」
アルベルト王子の声が拡声魔法で広場に響く。
「剣ではなく、技術で! 魔法ではなく、エンジンで! 誰が一番速いのかを決める、平和で野蛮な戦いだ! ……アシュトン・モーターズ、そしてアリア! 私に『新しい時代の風』を見せてくれ!」
「「「うぉぉぉぉぉぉッ!!」」」
地鳴りのような歓声。
私は、小さく武者震いをした。
◇
【王都中央広場・アシュトンチーム・ピット】
スタートラインの脇、簡易テントの下で、ドワーフのガンテツ姉さんが最後の調整を行っていた。
ガチンッ! ギュルッ!
巨大なスパナでボルトを締め上げ、油まみれの顔を拭い、ガンテツ姉さんが私を見上げる。
「よし。足回りはガチガチに固めておいたよ。……これならどんな衝撃でも耐えられる」
「ありがとう、ガンテツ姉さん! ……でも、相手はあのスーパーカーだよ。勝てるかな?」
私が不安げに、隣のテントで輝く流線型の「レッド・スコーピオン」を見る。
流線型の美しいボディ。
最新鋭の魔導技術の結晶。
対してこっちは、鼻骨なメタルボディだ。
ガンテツ姉さんはニカっと笑い、私の頭をバシッと叩いた。
「ビビってんじゃないよ。……いいか、アリア。攻略法を教えてやる」
「攻略法?」
「あっちの車は『サラブレッド』だ。速いが、足元が脆い。……対してこっちは『猪』だ」
姉さんは、無骨なボディを愛おしそうに撫でた。
「アタシが組んだエンジンとボディだ。絶対に壊れねえ。……だから、減速なんて考えるな。コーナーだろうが段差だろうが、この重さと頑丈さを信じて突っ込め。……道がなけりゃ、お前がこじ開けるんだよ!」
「……!」
そうだ。かつて冒険者時代、ボロボロの剣でも姉御が直してくれれば、どんな魔物も切れた。
姉御が「壊れない」と言えば、隕石が落ちても壊れないのだ。
「分かった! ……行ってくる!」
◇
【スタート:熱狂の渦】
スタートラインには、対照的な二台のマシンが並んでいた。
エンジン始動前。
張り詰めた空気の中、ベアトリスが優雅にスコーピオンから降り立ち、こちらの運転席へ歩み寄ってきた。
彼女はサングラスを指で少し下げ、窓越しに私とローズマリーさんを見下ろした。
「あらあら。……そんな鉄屑で、本当に完走できるの? 途中で分解しても知らないわよ?」
甘く、毒を含んだ声。
私はカッとなった。
私のことはいい。
でも、姉御の魂とご主人様を侮辱するのは許さない。
助手席のローズマリーさんは、膝の上のコース図から目を離さず、冷ややかに返した。
「ご心配なく。……頑丈さだけは保証します。貴女のその華奢なオモチャと違ってね」
「フフッ、強がりを。……ねえ、アリアちゃん?」
ベアトリスは視線を私に移し、ねっとりと微笑んだ。
「私が勝ったら、アリアちゃんは、私のペット。 ふふふ。ローズマリーちゃんより『いい首輪』を用意して待ってるわ」
「……ッ! 誰がアンタなんかのペットになるか!」
ふざけるな。私の首輪を握れるのは、世界でただ一人、ローズマリーさんだけだ。
「ベアトリスこそ、アシュトン・モーターズへの出資の用意をしておいてください」
ローズマリーさんは冷たくつぶやいた。その声には絶対的な王者の響きがある。
「ふふふ。負け犬の遠吠えね」
ベアトリスは満足げに笑い、スコーピオンへと戻っていった。
「……言ってくれますね、あの商売女」
ローズマリーさんが眼鏡の位置を直す。
そのルージュの瞳の奥で、冷たい怒りの炎が燃え上がっていた。
ああ、ご主人様が本気だ。
ゾクゾクする。
「アリア。……あの女の鼻っ柱、へし折って差し上げなさい」
「イエス、マム! ……ぶっちぎってやります!」
私の闘志が最高潮に達する。
エンジン始動。
キュルルル……ズドォォォォォンッ!!
モデルAの重低音が、猛獣の咆哮のように轟く。
キィィィィィン……ヴォォォォンッ!!
スコーピオンの甲高い音が鼓膜を刺す。
運転席の私は、ガチガチにハンドルを握りしめた。
負けられない。絶対に。
「し、社長……緊張してきました……」
助手席のローズマリーさんが、震える私の手の上に、自分の手を重ねた。
冷たくて、でも芯の通った手のひら。
その感触が、私の熱すぎる血を鎮めてくれる。
「大丈夫です。……駄犬はただ、その野生の勘で『一番速い道』を選びなさい。責任は全て私が取ります」
「一番速い道……」
迷いが消え、獣の光が宿る。
そうだ。
私は走るだけだ。
ご主人様が引いたルートの上を、最速で!
イザベラさんが、広場の中央に進み出た。
彼女が振り上げた旗が、風にはためく。
「王都一周公道レース! レディ……」
ヴォォォォンッ!!
ズドズドズドッ!!
エンジンの回転数が上がる。
「王都グランプリ、スタート!!」
フラッグが振り下ろされた。
キキィィィィィッ!!
タイヤが白煙を上げ、二台が同時に飛び出した。
しかし、性能差は残酷だ。
スコーピオンは矢のように加速し、みるみる小さくなっていく。
対するモデルAは、車重が災いし、牛のような出足だ。
「遅い! 遅いです社長! 置いていかれます!」
「想定内です。ストレートでのスペック勝負で勝てるわけがありません」
ローズマリーさんは前を見据えたまま言った。
「勝負はここから。……第2セクション、貴族街の丘陵地帯へ入ります。ここからは『ダウンヒル』です」
◇
【第2セクション:ダウンヒル】
コースは王都を見下ろす丘の上へ。
そして、そこから一気に駆け下りる急勾配のワインディングロード。
先行するベアトリスは、優雅にハンドルを切っている。
「アリア! ヘアピンカーブです! 減速!」
ローズマリーさんの指示。
でも、私の本能が違うと叫んでいる。
重い……重いな、こいつ。
私は思い出していた。
ガンテツ姉さんの言葉を。
『重さを信じて突っ込め』。
そうだ……昔狩った『鉄喰い熊』と同じだ。
かつて山で戦った『鉄喰い熊』。
奴らは全身筋肉と鋼の鎧で覆われた重量級だ。
でも、下り坂ではその体重を全て加速に変え、雪崩のように突っ込んでくる。
重さを殺すんじゃない、利用するんだ!
「いいえ、踏みます!」
私はコーナーの入り口で、あえてブレーキを一瞬遅らせた。
前輪に荷重を移動させ、一気にハンドルを切る。
リアタイヤが滑り出し、車体が斜めになる。
ギャギャギャギャギャッ!!
重たい車体を遠心力で振り回し、滑るようにコーナーをクリアしていく。
景色が流れる。
重力が横から襲う。
でも、怖いどころか楽しい!
「なっ!?慣性ドリフト!?」
ベアトリスがバックミラーを見て息を呑むのが見えた。
ガオンッ!
私はスコーピオンのリアバンパーに、モデルAのフロントを軽くキスさせた。
愛の挨拶(煽り運転)だ。
「こんにちはベアトリスさん! 道、譲ってくれませんかぁ!?」
「や、やってくれるわね! ワンちゃん!!」
◇
【第3セクション:スラム街】
二台は団子状態で、王都の下町――スラム街エリアへと突入した。
道幅は馬車一台分。
直角コーナーの連続。
でも、ここは私の庭だ。
どの路地がどこに繋がっているか、全部知っている。
「右、左、次、右!」
私はナビより早く反応し、路地を駆け抜ける。
だが、スコーピオンの性能が牙を剥く。最新のサスペンションが路面を捉え、鋭いコーナリングで私を突き放す。
「くっ、曲がる性能が違いすぎる! 外に膨らんで追いつけない!」
その時、私の視界に道路の端にある「排水溝」が入った。
あれだ……!
「社長! しっかり掴まっててください! 舌噛みますよ!」
「アリア!? そこは道ではありません、溝です!」
私はハンドルを限界まで切り込み、イン側のタイヤを排水溝に叩き落とした。
ガガガガッ!!
タイヤが溝に引っかかる。
私はそれをレール代わりにして、遠心力を無理やり殺し、鋭角にターンを決めた。
「うぉぉぉぉぉぉッ!!」
火花を散らしながら、モデルAがスコーピオンの内側をえぐる。
「嘘でしょ!? サスペンションが壊れるわよ!?」
ベアトリスが驚愕する。
普通の車なら車軸が折れる荒技だが、ガンテツ姉さんが鍛え上げた足回りは悲鳴一つ上げない。
「ガンテツ姉さんの技術は世界一だぁぁぁッ!!」
姉御の作った車をナメるな!
火花を散らしながら、モデルAが再びスコーピオンに食らいつく。
◇
【第4セクション:最終コーナー前】
レースは終盤。
再び大通りへ出る手前の狭い路地。
ベアトリスは焦っていた。
彼女は車体を左右に振り、私の進路を塞ぐブロック走行に出た。
道幅が狭い。
抜けない。
「汚い! 右も左も塞がれてる!」
「このままではゴールまで抑え込まれます!」
ローズマリーさんが叫ぶ。
目の前には、ゴールのある中央広場へと続く最終コーナー。
そこを抜ければホームストレートだ。
ベアトリスはインコースをガッチリと締めている。
私は歯噛みした。
負ける?
嫌だ。
絶対に嫌だ。
その時、ふと沿道の観衆の割れ目が目に入った。
そこは道ではない。
広場へと歩いて降りるための、急勾配の長い「石階段」だ。
『……道がなけりゃ、お前がこじ開けるんだよ!」
『……駄犬はただ、その野生の勘で『一番速い道』を選びなさい』
ガンテツ姉さんとローズマリーさんの声が脳内に響いた。
道がないなら……作ればいい!
この車なら行ける!
ご主人様となら飛べる!
「ローズマリーさん! 飛びますよ!」
「は!? アリア、まさか!?」
モデルAは最終コーナーを無視し、柵の切れ目から石階段へとダイブした。
インベタのさらにイン。
空中を描くラインだ。
ズガガガガガガッ!!
銀色の車体が、階段をジャンプしながら駆け下りる。
内臓が浮き上がる感覚。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ローズマリーさんの可愛い悲鳴。
ごめんなさい、あとでいくらでもお仕置きされますから!
「ひゃっはぁぁぁぁぁぁッ!! これが王国走りだ!!」
コーナーを曲がっていたベアトリスは、頭上から降ってくる私たちを見て絶句した。
「なっ……!?」
ズドォォォォォンッ!!
モデルAが着地したのは、ホームストレートのど真ん中。
スコーピオンの、わずか一車身前方だった。
「抜かれた!? この私が!」
焦ったベアトリスが、赤いスイッチを押した。
「魔導ニトロブースト」。
スコーピオンのマフラーから紅蓮の炎が噴き出し、爆発的な加速で並びかける。
残り200メートル。
二台のマシンが並走し、互いのボディを擦り合わせるドッグファイト。
「パワーが違いすぎます! 抜かれます!」
「……いいえ。負けません」
助手席で、ローズマリーさんが眼鏡を光らせた。
ご主人様は自分の両手をダッシュボードに突き立てた。
「リミッター解除。……私の全魔力を、アリアの闘気ごと喰らいなさい!!」
「うぉぉぉぉぉッ!!」
カッ!!
モデルAの全身から、銀色のオーラが噴き出した。
ローズマリーさんの魔力が車体を伝って私に流れ込み、私の闘気と混ざり合う。
熱い。
身体中が燃えるようだ。
二人で一つになったみたいだ。
これなら、負ける気がしない!
ズドォォォォォォンッ!!
銀狼が吠えた。
ゴールライン直前、モデルAの鼻先が、スコーピオンよりわずかに前に出る。
バッ!!
イザベラさんの振るチェッカーフラッグが、風を切った。
「勝ったぁぁぁぁぁッ!!」
王都を揺るがす大歓声。
私はハンドルに顔を埋めた。
全身汗だくだ。
隣のローズマリーさんは、髪も服も誇りまみれで、眼鏡がずり落ちていたが、その表情は今まで見た中で一番晴れやかだった。
◇
ベアトリスが、スコーピオンから降りてくる。
彼女は悔しそうにヒールで地面を蹴ったが、すぐに私たちの元へ歩み寄り、拍手を送った。
「……完敗よ。あんな無茶苦茶なショートカット、予想できるわけないわ」
「ルールブックには『階段禁止』とは書いてありませんでしたから」
ローズマリーさんが不敵に返す。
ベアトリスはふっと笑い、意味深な視線を投げかけた。
「まあいいわ。今回の勝負は、あなたたちの勝利。約束通り、融資してあげる。」
彼女は真紅の車に乗り込みながら、背越しに告げた。
「でも次は、もっと大きなゲームで勝負を楽しみましょう。ローズマリーちゃん、アリアちゃん」
そう言い残し、ベアトリスは走り去っていった。
勝った。
私たちは勝ったんだ!
「私たちの勝利だあああ!」
「ええ、よくやりましたね! 最高の駄犬です!」
私が車から降りると同時、ピットから二つの影が飛び出してきた。
「アリアーッ!!」
「社長ーーッ!!」
ガンテツ姉さんとイザベラさんだ。
ガンテツ姉さんは私を運転席から引きずり出すと、力任せに抱きしめた。
「よくやった! 本当によくやった! アタシの車を信じてよく突っ込んだな!」
「姉御、苦しい! あばら折れる!」
イザベラさんは、ローズマリーさんに駆け寄り、手を取り合って跳ね回っている。
「凄いです! 歴史が変わりましたわよ!」
「ええ……。本当に、無茶苦茶な社員たちですね……」
ローズマリーさんは髪を直しながら、それでも満面の笑みを浮かべた。
ああ、この場所だ。
私が求めていたのは、この温かさだ。
ベアトリスが悔しそうに去っていく背中を見送った後、ガンテツ姉さんがニヤリと笑って、隠し持っていた巨大な酒瓶を取り出した。
「祝いだ! アシュトン・モーターズの船出にな!」
ポンッ!!
コルクが弾け飛ぶ。
姉さんは瓶を振り回し、泡立つ酒を三人に向かってぶちまけた。
「うわっ!? 冷たっ!」
「ちょ、ガンテツ! このレーシングスーツ高いんですから!」
「きゃあ! ベタベタしますわ!」
頭から酒を浴びて、びしょ濡れになる四人。
でも、誰も怒らない。
みんな笑っている。
私は酒の滴る顔を拭い、太陽のような笑顔で叫んだ。
「最高だぁぁぁッ! みんな大好きだぁぁぁッ!!」
王都の広場に、四人の笑い声と、甘い酒の匂いが広がっていく。
それは、アシュトン家の反撃の狼煙であり、世界最強のチーム結成の証だった。
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