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第一章 忌まわしき世界
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◆天崎真琴/城ヶ崎市、バー〈アルデバラン〉
地下へと続く階段を下り、地味だがよく手入れされた木製の扉を押し開く。
心地よいジャズの流れる店内には、しかし、客の姿はまばらだった。
わたしはカウンターの隅に座るハンチング帽の男に近づく。
わたしに気づいた男は、静かに隣のスツールを指さした。
「そちらから呼び出しとは珍しいな」
「来たか、忌狩人」
「その名は止してくれ。今時流行らない」
苦笑しつつマスターに「酒」と告げる。
マスターはカウンター内にある貯蔵庫からビンテージもののウイスキーを取り出して栓を抜き、ボトルごと男の前に置く。グラスはふたつ。遅れて氷の入ったデキャンタも並べられた。
男は壜を傾けて酒を作る。ひとつはストレート、もう一つはロックだ。
男はロックのグラスをわたしの方へ押しやりつつ、ストレートのグラスを持ち上げ、早速唇を湿らせる。
縫い目のほつれたハンチング帽、くたびれたツィードのスーツ、レンズの曇ったべっこう縁の眼鏡――パッとしない出で立ちの、精気を感じさせない痩せぎすの中年男だが、この業界では知らないもののない有名人だ。
「そうか? 俺はいけてると思うがな。世代の差か?」
「ふたつ名で呼ばれて得意がってるのはおまえくらいなんじゃないか、〈ジン〉」
「そう言われるとくすぐったくなるな」
「おまえの名前など、〈ジン〉でも賽野でもどうでもいい。どうせ本名でもないんだから」
「違いない」
そう言って笑う男には、くたびれた外見には似合わない不思議な愛嬌がある。
賽野良仁。〈酒精〉の呼び名で知られた情報屋だ。
もとはしがないサラリーマンだったという賽野は、遭遇した忌門を前にして「酒だけ飲んで生きていたい」と願ったことで、他に類を見ない独特の忌能を獲得することになった。
賽野は、文字通り、酒を飲むだけで生命活動に必要な栄養をすべて賄うことができるという、特殊な体質を手に入れたのだ。
賽野の忌能は、常識の通じない忌能者たちのなかでも極めて異色のものであり、それを「忌能」と呼んでいいのかどうかについてすら意見が分かれている。万能の願望実現装置である忌門を前にそんな願いを抱いた賽野を、愚者と嘲ることもできれば、世に埋もれた賢人であると評することもできるだろう。
なればこそ――彼を知るものは、多分の嘲りと一匙の畏敬とを込めて、彼を〈酒精〉と呼ぶのである。
賽野は酒浸りの毎日をすごしながら、酒場廻りから得た独自の人脈を利用して情報屋のような仕事をして糊口を凌いでいた。
といっても、酒さえあれば生きていける男だ。賽野が情報の見返りに金を要求することは基本的にない。賽野が根城とするこのバー〈アルデバラン〉に彼好みの酒を提供すること――それが賽野の要求する情報料だった。
「それで、今日は何の用だ?」
グラスには手をつけず、わたしは聞いた。
「例の調査を覚えているか?」
「例の……? ああ、城ヶ崎における忌門の出現頻度が目に見えて高まっているという?」
美奈恵も言っていた。最近、城ヶ崎市の「匂い」が違う、と。〈忌累〉(忌門・忌獣・忌能者の総称である「忌累三種」の略)に対する鋭敏な感覚を持つ美奈恵の言うことだけに、わたしも気になってはいたのだ。
「そうだ。それに関して、ひとつの噂が浮上していてな。顧客の一人に頼まれて、俺も調べていた」
黙って続きを促すと、賽野はわたしのグラスを指さした。
わたしはグラスを持ち上げ、琥珀色の液体をわずかに啜る。
「その結果がどうにもきなくさいものでな」
言って、賽野はグラスを煽る。
「……ずいぶんとまわりくどいな」
「そりゃあ、慎重になりもするさ――忌界の変化に、あの久瀬倉が絡んでるらしいとなっちゃ、な」
わたしは思わず賽野の顔を覗きこんだ。賽野が苦笑する。
「おまえさんが疑うのもわからなくはない。久瀬倉はあくまで俗世の権力。忌門だのなんだの、いわゆる忌累には何の関わりもないし、興味もないし、したがって利害関係なんざ存在しようもねえ。それがこれまでの俺らの常識だ。が、結果からして見りゃ、奴らはおそろしく周到だったってわけだ」
「……確かなのか、久瀬倉家が忌累に関わっているというのは」
「確かだ。俺のつかんだ情報からすりゃあ、もはや疑問の余地はない。疑惑、なんてレベルじゃなく、事実と思ってかかったほうがいい。なにせ、〈諱忌ネットワーク〉の深層住人からのタレコミなんだからな」
「待て。たしかに驚くべき情報ではあるが、それならばなおのこと、わたしは奴らと関わろうとは思わないぞ。この世界で避けて通るべき筋がまたひとつ増えたというだけのことだ」
わたしが忌累に関わるのは、生活のためでもあるし、わたしたちの平和な暮らしを破壊した忌累が許せないからでもあるが、忌能を得た人間の中には、その力を悪用したり、果てはその力でもって裏の世界に覇をとなえようなどと考える輩もいる。
今賽野の触れた諱忌ネットワークは、そういう連中の相互連絡、相互監視の連絡網であり、そのセンサーに引っかかったということは、久瀬倉家はたんに忌累に関わっているのみならず、忌累にまつわるアンダーグラウンドにまでなんらかの関わりを有しているということになる。
表世界の権力者である久瀬倉家がそれほどまでに深く忌累に関わっているというのは、事実であれば確かに驚きではある。
が、わたしには関わりのない話でもある。自分から危険なことに首を突っ込むことになるとわかっていながら、久瀬倉家絡みの情報を得たり、ましてや依頼を受けたりしようとは思わない。
「ま、それが賢明だわな」
賽野はひとつうなずいた。
「が、俺の得たその情報源こそが、おまえさんを呼び出した理由さ。その情報源は、腕こきの忌能者を探してる。頼みたいことがあるんだと。そして、その情報源の提示した報酬というのがまた、特殊でな。おそらく、大多数の〈衛視〉連中には――いや、ひょっとしたら忌累機関ですらもてあますかもしれん。だが、おまえさんらにとっては是が非にも得たい報酬なんじゃないかと、俺は思うね」
賽野はその「報酬」とやらについて説明した。
「……なるほどな」
話を聞き終えたわたしは席を立った。
「マスター、のんべの妖精さんに望みの酒をやってくれ」
そう言ってわたしはマスターに茶封筒を渡す。マスターは封筒を撫でて厚さを確かめると、貯蔵庫からブランデーの壜を取り出した。
賽野はラベルを確かめ、「結構だ」とつぶやく。
カウンターに背を向けたわたしに、賽野が聞いてくる。
「いいんだな?」
「……ああ」
短く答え、わたしは〈アルデバラン〉を後にした。
地下へと続く階段を下り、地味だがよく手入れされた木製の扉を押し開く。
心地よいジャズの流れる店内には、しかし、客の姿はまばらだった。
わたしはカウンターの隅に座るハンチング帽の男に近づく。
わたしに気づいた男は、静かに隣のスツールを指さした。
「そちらから呼び出しとは珍しいな」
「来たか、忌狩人」
「その名は止してくれ。今時流行らない」
苦笑しつつマスターに「酒」と告げる。
マスターはカウンター内にある貯蔵庫からビンテージもののウイスキーを取り出して栓を抜き、ボトルごと男の前に置く。グラスはふたつ。遅れて氷の入ったデキャンタも並べられた。
男は壜を傾けて酒を作る。ひとつはストレート、もう一つはロックだ。
男はロックのグラスをわたしの方へ押しやりつつ、ストレートのグラスを持ち上げ、早速唇を湿らせる。
縫い目のほつれたハンチング帽、くたびれたツィードのスーツ、レンズの曇ったべっこう縁の眼鏡――パッとしない出で立ちの、精気を感じさせない痩せぎすの中年男だが、この業界では知らないもののない有名人だ。
「そうか? 俺はいけてると思うがな。世代の差か?」
「ふたつ名で呼ばれて得意がってるのはおまえくらいなんじゃないか、〈ジン〉」
「そう言われるとくすぐったくなるな」
「おまえの名前など、〈ジン〉でも賽野でもどうでもいい。どうせ本名でもないんだから」
「違いない」
そう言って笑う男には、くたびれた外見には似合わない不思議な愛嬌がある。
賽野良仁。〈酒精〉の呼び名で知られた情報屋だ。
もとはしがないサラリーマンだったという賽野は、遭遇した忌門を前にして「酒だけ飲んで生きていたい」と願ったことで、他に類を見ない独特の忌能を獲得することになった。
賽野は、文字通り、酒を飲むだけで生命活動に必要な栄養をすべて賄うことができるという、特殊な体質を手に入れたのだ。
賽野の忌能は、常識の通じない忌能者たちのなかでも極めて異色のものであり、それを「忌能」と呼んでいいのかどうかについてすら意見が分かれている。万能の願望実現装置である忌門を前にそんな願いを抱いた賽野を、愚者と嘲ることもできれば、世に埋もれた賢人であると評することもできるだろう。
なればこそ――彼を知るものは、多分の嘲りと一匙の畏敬とを込めて、彼を〈酒精〉と呼ぶのである。
賽野は酒浸りの毎日をすごしながら、酒場廻りから得た独自の人脈を利用して情報屋のような仕事をして糊口を凌いでいた。
といっても、酒さえあれば生きていける男だ。賽野が情報の見返りに金を要求することは基本的にない。賽野が根城とするこのバー〈アルデバラン〉に彼好みの酒を提供すること――それが賽野の要求する情報料だった。
「それで、今日は何の用だ?」
グラスには手をつけず、わたしは聞いた。
「例の調査を覚えているか?」
「例の……? ああ、城ヶ崎における忌門の出現頻度が目に見えて高まっているという?」
美奈恵も言っていた。最近、城ヶ崎市の「匂い」が違う、と。〈忌累〉(忌門・忌獣・忌能者の総称である「忌累三種」の略)に対する鋭敏な感覚を持つ美奈恵の言うことだけに、わたしも気になってはいたのだ。
「そうだ。それに関して、ひとつの噂が浮上していてな。顧客の一人に頼まれて、俺も調べていた」
黙って続きを促すと、賽野はわたしのグラスを指さした。
わたしはグラスを持ち上げ、琥珀色の液体をわずかに啜る。
「その結果がどうにもきなくさいものでな」
言って、賽野はグラスを煽る。
「……ずいぶんとまわりくどいな」
「そりゃあ、慎重になりもするさ――忌界の変化に、あの久瀬倉が絡んでるらしいとなっちゃ、な」
わたしは思わず賽野の顔を覗きこんだ。賽野が苦笑する。
「おまえさんが疑うのもわからなくはない。久瀬倉はあくまで俗世の権力。忌門だのなんだの、いわゆる忌累には何の関わりもないし、興味もないし、したがって利害関係なんざ存在しようもねえ。それがこれまでの俺らの常識だ。が、結果からして見りゃ、奴らはおそろしく周到だったってわけだ」
「……確かなのか、久瀬倉家が忌累に関わっているというのは」
「確かだ。俺のつかんだ情報からすりゃあ、もはや疑問の余地はない。疑惑、なんてレベルじゃなく、事実と思ってかかったほうがいい。なにせ、〈諱忌ネットワーク〉の深層住人からのタレコミなんだからな」
「待て。たしかに驚くべき情報ではあるが、それならばなおのこと、わたしは奴らと関わろうとは思わないぞ。この世界で避けて通るべき筋がまたひとつ増えたというだけのことだ」
わたしが忌累に関わるのは、生活のためでもあるし、わたしたちの平和な暮らしを破壊した忌累が許せないからでもあるが、忌能を得た人間の中には、その力を悪用したり、果てはその力でもって裏の世界に覇をとなえようなどと考える輩もいる。
今賽野の触れた諱忌ネットワークは、そういう連中の相互連絡、相互監視の連絡網であり、そのセンサーに引っかかったということは、久瀬倉家はたんに忌累に関わっているのみならず、忌累にまつわるアンダーグラウンドにまでなんらかの関わりを有しているということになる。
表世界の権力者である久瀬倉家がそれほどまでに深く忌累に関わっているというのは、事実であれば確かに驚きではある。
が、わたしには関わりのない話でもある。自分から危険なことに首を突っ込むことになるとわかっていながら、久瀬倉家絡みの情報を得たり、ましてや依頼を受けたりしようとは思わない。
「ま、それが賢明だわな」
賽野はひとつうなずいた。
「が、俺の得たその情報源こそが、おまえさんを呼び出した理由さ。その情報源は、腕こきの忌能者を探してる。頼みたいことがあるんだと。そして、その情報源の提示した報酬というのがまた、特殊でな。おそらく、大多数の〈衛視〉連中には――いや、ひょっとしたら忌累機関ですらもてあますかもしれん。だが、おまえさんらにとっては是が非にも得たい報酬なんじゃないかと、俺は思うね」
賽野はその「報酬」とやらについて説明した。
「……なるほどな」
話を聞き終えたわたしは席を立った。
「マスター、のんべの妖精さんに望みの酒をやってくれ」
そう言ってわたしはマスターに茶封筒を渡す。マスターは封筒を撫でて厚さを確かめると、貯蔵庫からブランデーの壜を取り出した。
賽野はラベルを確かめ、「結構だ」とつぶやく。
カウンターに背を向けたわたしに、賽野が聞いてくる。
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