イヴィル・バスターズ ―STEEL LOVES FLOWER―

天宮暁

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第四章 呪縛

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◆御削美奈恵/忌み島、鍾乳洞最奥、〈万代〉祭壇

 忌み島の最奥、鍾乳洞の突き当たりに、学校の体育館くらいならすっぽりおさまりそうなほど広い地下空間があった。
 位置的に言えば、海底のさらに下になるはずだ。
 広大な海底空洞の向かい側半分は湖になっていて、薄い青色の透き通った水を湛えている。潮の匂いはしない。海の底だというのに淡水らしい。
 地底湖の上、数メートルの地点には、直径五メートルほどの漆黒の円が、不気味な光沢でもって篝火を反射している。滅多に見ないような大型の忌門だが、その表面には焼かれたフィルムのようないびつな虫食いが散らばっていた。
 その地底湖の手前に真新しい木で組まれた祭壇があり――あたしは今、そこに釘付けにされていた。
 下着以外を剥ぎ取られた姿で。
「ねぇ~、寒いんだけど」
「……黙ってろ」
 諸正がぶっきらぼうに答える。
「えー。でもぉ、女の子をこんな格好で磔にするなんて、ちょっとどうかと思うんだぁ。そういうプレイがしたいならぁ、素直にそう言えば、執事さんみたいなイケメンさんなら、考えてあげなくもないよ?」
「やかましい黙れ、この売女が」
「ひっどーい。あたし、身体を売ったことなんてこれまで一度だってないんだよぉ?」
 むくれてみせるが、諸正は反応を見せなかった。
「それにしても、執事さんのこの力……、すっごいねえ」
 あたしは釘付けにされた手足の先をひらひらと動かしてみせた。
 釘付け――そう、あたしの手首と足首には、骨の隙間を貫くようにして諸正の血の槍が突き立てられているのだ。
「あたしの〈魔法〉を封じちゃうなんて、はじめて見たよ~。どういう力なのぉ?」
 しつこく話しかけるあたしに、諸正は舌打ちを漏らした。
 完全に無視すればいいのに、なんらかの反応を返してしまう辺りが、この悪顔イケメン執事の中途半端なところだと思う。
「それなら、あたしが推理してあげる♪ たしかに、変だとは思ってたんだぁ。久瀬倉家が大事な儀式を警護するために配置した忌能者の割には、執事さん、あんまり強くないんだもん」
 さすがに露骨すぎたのか、諸正は挑発に乗ってこない。
「でも、執事さんの忌能が、本来は攻撃系のものじゃなくて、支援系か、特殊系のものだったとしたら、執事さんの中途半端な戦闘力も納得がいくんだなぁ」
「……フン」
「執事さんの〈血鍼衝けっしんしょう〉だっけ? 攻撃系の忌能として評価するなら、忌累機関の基準でB級か、ぎりぎりでA級かな。でも、自らの血を利用した生体操作型の特殊系忌能として評価するなら、文句なしにSがもらえそうだねぇ。真琴にやられたケガをちょっとの時間で埋めちゃうし、なにより、あたしの〈限定解除〉まで封じちゃうんだから」
 特殊系生体操作型S級忌能〈血鍼衝〉――って感じかな。
 ま、真琴にやられたケガに関しては、真琴が手加減してたせいでもあるんだけどね。〈血鍼衝〉は自らの血を利用してるみたいだから、諸正の血液はなかば忌的存在と化しているはずで、もし真琴の〈絶対遮断〉をまともにくらっていたら、あの海鳥型の忌儡みたいに砕け散ってしまっていたかもしれない。
 真琴は、最後の瞬間、〈絶対遮断〉を切り、諸正に「ただの銃撃」を加えたんだと思う。もちろん、米軍が使ってるとかいう戦争用の強力なライフルだから、ふつうの人がくらったらまずまちがいなく死んでたくらいの攻撃なんだけど。
 意味もなく人を殺したくないっていう、真琴らしい優しさだね。
 でも、そんなこととは知らない諸正は、あたしのおべんちゃらに自負心をくすぐられてしまったらしい。
「舐めすぎなんだよ、貴様らは。忌累機関がなんだってんだ。飼い殺しにされた忌能者なんぞ、ものの役に立つか」
 吐き捨てるように言う諸正に、あたしは笑みを返した。
「やっと、話してくれたね?」
「……クソが」
「それにしても、執事さんもなかなかすごいよね?」
「何がだ?」
「ほら、あたしをこんな格好に剥いといて、なにもしないでいられるんだもん」
「たいした自信だな」
「まぁね。あたしはそれで食ってるようなもんだから」
「まごうことなき売女じゃねえか」
「でも、執事さんがあたしに興味がないのは、別の理由でしょ?」
「……何の話だ」
「あたし、わかるんだよねぇ。男が、女に何を求めてるのかってことが」
「ほう」
「あたしの見たところ、執事さんは女に何も求めてない人だねぇ~」
「……言ってろ」
 諸正はあたしに背を向け、地底湖に視線を向ける。
 地底湖の湖水のなかに、小さな人影がある。
 白衣びゃくえを着て水垢離をしている久瀬倉春姫――久瀬倉家の贄姫だ。
 冷え冷えとした青い湖で湖水をかぶる少女の姿は、さながら湖に宿る水の精のようだ。
 が、それを見守る諸正の瞳に映っているのは、水の精と見まごう美しい少女ではなかった。
「だって執事さんは――昔の女のことが忘れられないから」
 諸正が動きを止めた。
「ビンゴ、かなぁ?」
「貴様ぁ――っ!」
 諸正があたしの首に手をかけ、締め上げる。
「これはあたしの勝手な、推理、だけど――そのヒトはたぶん……」
「黙れッ!」
「っ……」
 脳に血が回らない。気管もしめつけられているせいで、声を出すことはおろか、息すらできない。あたしは手足をばたつかせた。といっても、〈血鍼衝〉で磔にされてるから、手の先と足の先をぱたぱたさせるくらいしかできないんだけど。
「――チッ」
 諸正があたしの首から手を離す。
「ケホッ……、そうだよねぇ。殺せないよねぇ。あたしは贄姫の前座として、鬼を呼び込むための生け贄にするんだもんねぇ。あたしが何を口にしても、執事さんはただじっと聞いてるしかないんだよぉ?」
「あまりやかましいようだと声帯をかき切るぞ」
「できないくせに」
「何だと?」
「そんな大きな怪我をさせたら、あたしの生体としてのバランスが崩れて、執事さんの〈血鍼衝〉は効果を失い、張り直しになる――そうだよねぇ?」
「……ッ」
 諸正が無言で顔をしかめた。
 あたしの〈魔法〉も展開に若干の時間を要するけれど、長くても数秒といった程度。でも、諸正の〈血鍼衝〉は、生体を操作するためにかなり複雑な制御を必要とするはずだから、そんな程度では済まないはずだ。
 生体というのはそれほどに複雑なもので、だからこそ忌儡は一見してそれとわかるほどの単純化を施される。他人の身体に干渉し、あまつさえ忌能を封じてしまうとなると、これはもう忌累機関にも滅多にいないようなすごい忌能者だってことになる。
 だけど、そんな超絶技能の持ち主である諸正であっても、一瞬のうちに他人の身体を支配下に置くようなことができるはずはない。できるなら、これまでの戦いのなかでも仕掛けてきてたはずだしね。
 今あたしが拘束されてるのは、気絶してる間に忌能をかけられてしまったからだけど、意識を取り戻した今の状態で〈血鍼衝〉の拘束からも抜け出してしまえば、攻撃手段の限られた諸正があたしを再び捕らえることは――ま、ほとんど無理なんじゃないかな。
「執事さんって、けっこう気持ちが顔に出やすいタイプだよねぇ。だからいつも悪ぶって誤魔化してるのかな?」
「いい加減にしろ……!」
「しないよ。だって、この状況じゃあたしは言いたい放題なんだもん。こんな楽しい機会、あたしが逃すわけないでしょ?」
忌狩人いみかりゅうどがおまえらのブレーンかと思っていたが、逆だったか――魔女」
「ううん? そんなことはないよぉ? あたしたちのブレーンはあくまで真琴。あたしはな~んも考えてない。あたしはただ、感じるだけ」
「感じる――?」
「あたしのこの子宮が、忌門のことも、忌獣のことも、忌能者のことも教えてくれるの」
「ハンッ。子宮で考える女ってやつか」
「おちんちんで考える男よりはいいんじゃないかな? まぁ、執事さんはそっちのほうも使えなくなってるみたいだけどね~?」
「このッ――!」
「殴ってもいいよぉ? あたし、痛いのもイケる口だから」
「クソがっ」
 諸正は握った拳を地面に打ちつけた。
「うふふ~。楽しいなぁ。執事さんくらいいじめがいのある人、なかなかいないよぉ?
 でも、まだ肝心なことを言ってなかったよね?」
「……やめろ」
「やめてあげない~。くふふ。執事さんはぁ、愛する人をぉ、前回の〈万代〉の生け贄にしたんだよねぇ?」
「――ッ!!」
「あったり~♪」
「この……ああ、くそっ!」
「殴りたければ殴ればぁ? 殺したければ殺してもいいしぃ? でも、できないんだよね? アハハ、アハハハハッ!」
 諸正は「クソッ」を繰り返しながら地面に拳を打ちつけ続ける。
 そんな諸正を見ながら、あたしはあそこがじんわりと濡れてくるのを感じていた。
(下着姿なのに、恥ずかしいなぁ)
 それでも、あたしは諸正への言葉責めを躊躇したりはしない。
 別に脱出の機会をうかがおうとか、そんな難しい考えじゃなくて、単に楽しいからなんだけどね。
「その時も、今回みたいに儀式に立ち会ったんだよねぇ? どうだったぁ? 最愛の人が、七日七晩、鬼のなぶりものにされるさまを、なにもできずにただ見ている気分は――?」
「~~~~~~ッ!!」
 声にならない悲鳴を上げつつ、諸正は血まみれになった手で頭を抱える。白目でも剥いて倒れてしまいそうな勢いだけど、それでも発狂できないのがこの男の悲しさなのかもしれない。
 そんな諸正にトドメを刺すべく、あたしが口を開きかけたところに、
「もう、そのくらいで勘弁してあげてください――美奈恵さん」
 春姫ちゃんが地底湖から上がってきた。
 白衣が地底湖の水に濡れて肌に張り付き、とってもエロい感じになっている。
「春姫ちゃんエロいなぁ。瞬君が見たら我慢できなくなって、襲いかかってくるかもよぉ?」
「ふふっ。この娘にとってはむしろ本望かもしれませんね」
 春姫ちゃんの口から漏れた言葉は……なんていうか、色っぽい妙齢の女性のような感じ。
「……おやぁ? あなたは、誰ぇ? 春姫ちゃんじゃなかったのぉ?」
「あなたほどの人なら、もうおわかりなのではなくて?」
「うふふ~。実は、わかってましたぁ」
「だと思いました」
 あたしと春姫ちゃんはからからと笑い声を交わす。
 立ち直りかけた諸正があたしたちを気味悪そうな目で見ている。
「久瀬倉家の母系に贄姫としての素養が伝わるなんて、嘘だったんだねぇ~」
「そういうことです」
「伝わるのは『素養』なんてよくわかんないものじゃなくてぇ、あなただったんだ。
 ……ねえ、なんて呼んだらいいのかなぁ?」
「封じられし鬼が忌門を用いて生み出した化身――影。久瀬倉家の贄姫に近しいもののあいだでは、〈サン〉などと呼ばれておりますわ」
「執事さんに指示を出していたのも、あなたなんだねぇ?」
「ええ。久瀬倉家に侵入した少年を殺すよう命じたのもわたしです」
「どうしてぇ?」
「わたしのなかにいる本来の人格――久瀬倉春姫が、あのものを慕っていたからです。わたしの本体に供せられるべき巫女が他の男と通じるなど、あってはならないことですから。それに――」
「それにぃ?」
「見てみたかったのですよ。愛する男が殺される様を見て、この初心うぶな娘がどんな反応を見せてくれるのか――」
「なるほどぉ。なんだか、あたしとは仲良くなれそうな気がするよ」
「そうかもしれませんね。ですが、残念ながら、わたくしはあなたを殺さなければなりません」
「どうしてぇ?」
「わたくしの本体たる鬼の、完全なる復活のためです」
 春姫ちゃん――を支配する鬼の化身〈サン〉がそう口にした瞬間、諸正が勢いよく身体を跳ね上げた。
「なんだと! それでは約束がちがうではないか!」
「うふふ。これは異な事をおっしゃる。殿方はやはり単純と申しますか、好きな女のこととなると、手もなく乗せられてしまうものですわね」
「だねぇ。執事さん、死んだ人のことを想うならぁ、その気持ちを利用されないようにしなくちゃダメだよぉ?」
「どういう――ことだ……答えろ、〈サン〉!」
「いいですわよ。でも、答えなんてもう出ているのではなくて? わたくしはここにいる美奈恵さんと、当代の贄姫であるこの娘とを捧げて、本体である鬼をこの世に降臨させようと思っているのですわ」
「俺を――騙したのかッ!」
「ええ。騙しましたわ。簡単でしたわね。あなたと来たら、〈万代〉を廃絶する方法がある――そう匂わせただけで、まるで飢えた獣のように食らいついてきましたからね」
「貴様ぁっ!」
「先ほど、美奈恵さんがよいことをおっしゃっていましたわね? 自分は生け贄なのだからまだ殺すわけにはいかないだろう、と。わたくしもそうですわ。この贄姫を殺してしまっては、〈万代〉は成立せず、あなたの愛しい人が命と操とを捨てて守った鬼の封印も解けてしまうというわけです。あなたはわたくしを殺せない」
「クソッ! クソッ! 俺は――俺は――また、何もできないのか! 咲夜を助けることもできず――咲夜が守ろうとしたものを守ることすらできないのか――ッ!」
「ふふふ。その悲嘆、その絶望――わたくしにとっては極上の美味ですわ。わざわざ手間をかけてあなたを騙してさしあげた甲斐があったというもの」
「だねぇ。執事さんの気持ちを想像すると、あたしもびしょ濡れになっちゃうよぉ。……でも、執事さん?」
「クソッ――クソッ――」
 諸正は茫然自失のあまり、あたしの呼びかけが耳に入らなかったようだ。
「もしもぉし、執事さぁ~ん? あ、ダメだ、聞いてない……」
 諸正があたしの戒めを解いてくれたら、できることがいくつかあるんだけど――弱ったなぁ。
 ま、こうなったら、真琴に期待するしかないかな。
 諸正は祭壇のそばに膝をつき、うつろな目で死んだ恋人の名前を呼びながら、必死で謝罪の言葉を口にしている。
「意外に脆い男でしたわね。まあ、それだけ十年前のことが堪えたのでしょう」
 春姫ちゃんは、瞬君によると「陽だまりのような」暖かい笑顔を浮かべる女の子なんだそうだけど、今の春姫ちゃん――〈サン〉が浮かべているのは、妖艶さと酷薄さのわかちがたく入り交じった「妖女」という言葉がぴったりの凄まじい笑みだ。
「もういいでしょう。美奈恵さんも覚悟はお済みでしょうし」
 〈サン〉があたしに視線を向けてくる。
「うん、こうなっちゃどうしようもないねぇ」
「よいご覚悟です。わたくしとしては、もっと醜くあがいてくださった方が好みではあるのですが」
「ご期待に沿えず、ごめんねぇ」
 〈サン〉はあたしの肢体を絡みつくような視線で舐めまわしていく。
「綺麗なお身体……。いったいどれだけの殿方がこのお身体に触れたのかしら?」
「さぁ、ちょっとあたしも覚えてないなぁ。前数えようとしたんだけど、三十を超えた辺りでどうでもよくなっちゃった」
「ふふ……素晴らしい。どこまでも穢れていながら、どこまでも無垢――わが本体復活のための生け贄として、あなたほどふさわしいお方もいないでしょう」
「それは光栄だねぇ」
 〈サン〉は、細くて白い指であたしの身体をなぞっていく。
 喉に触れ、鎖骨をなぞり、乳房のあいだを撫で、おなかをさすり、へそを揉み――〈サン〉の指はあたしの下腹部にまで到達した。
「やはり――ここでしょうね」
 言って、〈サン〉は房飾りのついた短刀を取り出した。
「なるべく一息にお願いするね」
「よろしいでしょう。あなたの場合、苦痛の中にも快楽を見いだすのでしょうから」
「人を変態みたいに言わないでよぉ」
「ふふっ。それは失礼致しました」
 〈サン〉はあたしの下腹部に顔をうずめ、へその下――子宮のあるあたりを舌で舐めた。
 その箇所に、短刀の切っ先を突きつける。
「では、ご覚悟」
「あい~」
 あたしが答えると、〈サン〉はあたしの子宮目がけて短刀を一気にさしこんできた。
 激痛と甘美な痺れが全身を駆け巡り、あたしの口から息が漏れる。
 
 そして――地下空洞に悲鳴がこだました。
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