私を見つけた嘘つきの騎士

宇井

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37 親友シシャ様

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 工作部のある建物は軍の敷地でも端に位置している。
 一番歴史のある建物で、廊下も重厚ではあるが暗く狭い。廊下をなかほどまで歩き、扉の中に招き入れられる。
 あまり見ないようにしたが、廊下の突き当たりは、何かこの世でないものが吹きだまっているような真っ暗さだった。
  案内された部屋は全面絨毯敷き。シシャ様が普段使っているであろう机は片付いているけれど、脇にあるもう一つの机は物置用と言った感じで書類や資料が乗せられるだけ乗せられている。

「机は二台あるけれど、この部屋を使うのは私だけです」

 心を読まれたかのような声かけに正直びっくりした。
 私はいつもファーガス様が座るという特等席、シシャ様の背もたれのあるクラシカルな椅子を与えられた。

「どうだろう、あなたの記憶はそろそろ戻っているのかな?」
「記憶は……まだ全てとは言えないです」

 この話題に関してはどこか後ろめたくていけない。

「ふうん、なるほど。ダイゴの言っていた、嘘がつけないって意味がわかりました。それと、シ シャっていうのはダイゴだけが呼ぶ名で、あまりいい意味はないんです。だから、私の事はネイハムでお願いします」

 シシャ様と呼ばれた事に嫌悪がある訳ではない感じ。シシャというのは本当に二人の間だけで通じる特別なようだ。
 ネイハム様は慣れた手つきお茶を入れ、音もさせずに机に置いた。

「ダイゴ、というのはファーガスのことです。子供の頃からお互い愛称で呼び合っていまして、いまだに抜けない。これはダイゴが差し入れる茶葉だから、なかなかいいものです。まあ差し入れといっても、彼がほとんどを消費してしまうんですけどね。どうぞ」
「いただきます」

 熱い湯気を立てるお茶は色が濃く、香りがきつめ。口に少し含むと風味もまた舌に残る個性あるものだった。

「ダイゴが王族だっていうのは知っているよね」
「はい、もちろんです」
「王族って面倒なのですよ。王太子は結婚して男子は既に二人誕生している。万事健やかにお育ち。第二王子は長く子宝に恵まれずにいましたが、ようやく奥さまはご懐妊、そろそろ臨月です。王族に後継問題で憂える事はありません。なのに、王籍を抜けたとしても王位継承権の放棄はできないのですよ。それがたとえ継承権百番目だとしてもです」
「想像のつかない世界です」
「その想像外の世界をはみ出してしまうのがダイゴだよ」
「はみ出し……」

 確かにそうかもしれないけれど、何ともみもふたもない言い方だ。

「収まらないとか入りきらないって表現より、そっちの方がしっくりくるんですよ、私は。そのはみ出した人間だって、降籍して領地をもらわなくとも公と呼ばれる身分に落ち着くでしょう。騎士としての階級も順調にあがっているし、世間の評判通り女性の結婚相手としてはこの国で一番の条件を持っていると言えます。おまけに見目の良さもある。国内だけに限らず、国外からの縁談が引きも切らない。この年までかわせて来られたのが不思議なほどです」

 答えようがなくて、頷く事しかできない。やっぱり、ファーガス様には降るほどの縁談があったと言う事だ。

「パトリシア。ダイゴはね、王族なんです」

 身に切り込むような、鋭い言葉だった。
 温かいカップを包んでいた手が揺れ、零しはしなかったが波紋が広がった。
 そう。ファーガス様は王族。で、私はただの男爵家の三女。
 そこに大きな隔たりがある事はわかっていた。知り合って話をする前からある事実だ。
 つい指に力が入る。

 学生の頃からそれが悪口を言われる理由になって、口さがない人達は今でもあからさまに侮蔑してくる。騎士である前に貴族であり、その序列にこだわる人はいる。
 どれだけファーガス様が好意を伝えてくれても、私は上手く返事をすることができないでいた。 それは、自分の根底にもそんな思いが、身分違いだという重みがあるから。
 でも、身分の事なんて自分ではどうしもない事。田舎の出て貧乏だという事実だって私一人ではどうにもできない。

 ネイハム様は、私では不釣り合いだと言いたいのだろうか。
 親友の相手ともなれば、気になるだろう。釣り合わない者が彼の隣にいる事に違和感を覚えずにいられないのだろう。
 長々とファーガス様の立場を話す冷静な頭で、私を品定めしていたのだろうか。
 カップをそっとソーサーに戻し机に置いた。指は震えていないけれど、じっとりと汗をかいていた。
 でも彼の口調は明るい。

「ねえパトリシア、ダイゴの事をどう思っている?」

 ネイハム様の大きな目がすっと細くなる。
 どうって……

「とても優しくて、強くて……強引で」
「で?」

 催促されても、胸で詰まってしまう。
 拙い言葉しか出てこない自分が恥ずかしくもある。
 しびれを切らしたか、ネイハム様は私の前にあった茶器を自分のものと一緒に下げる。どうやら入れ直してくれるようで、陶器が触れ合う硬い音と水の音とが響く。

「それほど難しい事を聞いたつもりはありませんでしたが、あなたにとっては」
「好きです」

 横顔だけを見せるネイハム様の言葉を遮ってしまった。

「ファーガス様のことが好きです。私には過ぎた方だというのはわかっています。でも気持ちだけはどうしょうもないんです」

 自分の声が耳を通り、避けていたものが胸にのしかかった。
 私が思いを寄せていい人でなない事。どれだけ優しい言葉をかけられても、変人だと思っても、思いあがってはいけない相手。

「ふっ、そうですか。あなたの口からはっきり聞くことができてよかった」

 立っていたネイハム様がまた座り直す。腕を組むと中性的な容貌とはいえ迫力がある。そうではない時との落差に気圧される。

「パトリシア、ダイゴは王族です」

 駄目押しのような一言に、ごくりと大きく喉が動いたのは、ネイハム様の方だった。

「でもね、なお且つ……変態なんです」
「……は?」

 私の中から滲み落ちそうだったものが寸でで止まった。

「彼は私が制止できないほど暴走していました。ですが私の親友です。犯罪者にはしたくない」
「えっと、ファーガス様が変態、とおっしゃったのでしょうか」
「変態です。まだ気づきませんか?」
「すいません」

 気付いています。
 そうであることは、とっくに気付いています。それも初日からです。でもだけど、この場で同意はできません。
 私とネイハム様は無言で見つめ合うことになった。
 小さく咳払いするネイハム様は少し照れているよう。

「王族に嫁ぐのは面倒事に飛び込むのと同じことです。ダイゴは頼りになるが性格に難がある。今まであなたに対して無理強いすることもあったでしょう。私はそれがずっと気掛かりでした。どうです、押し切られた事があるでしょう? 病院で目が覚めた時、真っ先にダイゴの姿が目の前にあるのはおかしいでしょう!? そう思いませんか!?」
「確かにそうですね……ファーガス様はどうして私の病院につきそっていたんでしょうか」
「今までまったくそれが気にならなかった?」
「ええ、まったく」

 ネイハム様が残念そうに私を見る。

「ファーガスがストーカーのように後をつけていたとか、影からコソコソと見守っていたとか、そうは思いませんでしたか?」
「まさか、いくらファーガス様でも……」

 いや、あるのかもしれない。というか、ないはずない。

「まあ、そういうあなただから、いいのかもしれませんね」

 嘘なく伝えただけなに、ネイハム様はため息をついた。

「事故一報を聞いて私は現場に駆けつけましたが、ダイゴの怪我はたいしたことありませんでした。一晩不明になって森で夜を明かしたらしいですが、全員無事です。数日中には隊が引き揚げてくるでしょう。ダイゴもそれと一緒に帰って来るように説得はしましたが、どうなるかはわかりません。パトリシアが執務室前にいいたのはこれが知りたかったのでしょう? だからその点は安心して下さい」
「はい。良かったです。ファーガス様が、皆さまがご無事でとにかく安心しました」

 無事、怪我も酷くない、ようやく気が抜けた。
 近いうちに帰って来る事までわかり、私は泣き笑いのような顔をしていただろう。

「知らない人間にのこのこ着いてくる、感情が顔に出る。大事に育てられたのはわかるけど閑やかすぎる。今後も工作部があなたを勧誘することはありません。ダイゴにそう言っておいて下さい。ああ……そう言えばわかります。ある意味あなたとダイゴはとてもお似合いです。あなたの気持ちを確かめられた以上、私は躊躇なく応援します。この先もどうか、記憶を失ったままで居て下さいね」

 ギクリとするのは、ネイハム様の笑っていない目だけのせいじゃない、と思いたい。
 ダイゴと下位貴族のバラ騎士の険しい恋。こちらが操作しなくとも国民は飛びついて熱狂するでしょう。
 何とも恐ろしいことを呟くネイハム様の持つ闇のようなものを初めて怖いと思い、ここから逃げたいと思った。
 もう帰りたい気持ちを抑え込み、入れ直して頂いたお茶をゆっくりと頂き、ネイハム様のお部屋を出た。

 小さな窓からはわからなかったけれど、外は細かな雨が降っていた。大きな雨粒よりもこちらの方が気力を奪う寒さだと感じた。

 ファーガス様は帰って来る。
 その事実だけが私の心にじんわり染み入った。
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