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「うっ……」
額に乗せられた布は適度に水を含んでいて気持ちいい。コウの口から思わず出たのは苦しみからではなかった。
昨晩まではこれもすぐに熱が伝わってぬるくなってしまっていたけれど今朝は少し違う。目を開けるのも口を開くのも苦ではなかった。
「アスラン様……ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
「まだ眠っていてもよいのだぞ」
「いえ、その必要はないみたいです。目を閉じても、開いてきてしまいます……」
アスランに気を使っているのではなく本当にそうだった。
高熱が出て眠りっぱなしだったせいか、今は目がぱっちりしてしまう。
まず心配になってしまうのは、アスランのことだ。
自分と同じようにアスランまで弱っていることがコウにとって一番の恐怖だったのだが、アスランにその様子はない。コウを心配そうにのぞき込むのはいつもと変わらない美しいままのアスランだ。
コウはまずそのことにほっとしていた。
熱を出して寝込むなど初めてのことだった。軽い熱を出しても関係なく仕事には出ていたし、数日寝込むほどの大病をしたことがなかったのだ。
だから自分が寝込んでいる事実に朦朧とする意識の中で気付いた時、地上で何かの病原に感染しここで発病したのだと思った。
次から次へと人が死んでいく様子をコウは一度見たことがある。
それも工場は通常通りに稼動し、工場のあちらこちらでは匂いの強い乾燥木が燻され白い煙に満ちていた。
その煙が病の元を殺すのだと聞いたけれど、弱っている工員の体には逆効果だったように思える。
吸い込んだ煙が更に咳を誘発していたし、病人が減ることはなかった。
咳が出なくてよかった……
咳は病気のはじまりであり、嫌な咳が続けば不治の病にかかったという目安だった。でも今回自分にのどの異常はなかった。そして自分はもう好転したのだ。
感染病だったら大変だとアスランを遠ざけようとしたけれどそれは叶わず、アスランは強引にコウの看病をした。
それを跳ねのけるほどの力がコウにはなく、力の入らない腕をふることしかできなかったのだ。
倒れた一日目のことはよく覚えていない。
二日目のことは覚えている。病気である自分の横に寄り添い、体を拭き、水を飲ませてくれた。そして心配ないと手を握ってくる人がいる。
アスランを自分から遠ざけなければと思った。けれど一方では握った手を離したくないと思った。何かを伝えたいのに何の言葉も出てこない。そもそも口が開かないことが辛くて涙が出るだけだった。
そして今日が三日目の、おそらく朝だ。
「これまでのコウの環境を考えれば、いつこうなってもおかしくなかったのだ。気遣ってやることができず、すまない」
「謝るのは、僕の方です。それに、こんなによくしてもらって……」
額にのる布からはハーブの爽やかな香りがする。
体も顔もべたついておらず、こまめに拭ってくれていたことがわかる。
コウはこれまで休みなく働いてきた。ここへ来てがらりと環境が変わっても、常にできることを探して体を動かしていた。
極度の緊張を強いられる場面は何度もあった。ここへ来ること自体もそうであり、ロミーやルルアの登場も脅威であったはずだ。
コウには自分が無理をしていたという自覚がまったくない。だからどうして熱を出し倒れてしまったのか理解できていない。
突然目の前の景色から色が抜けていき、それに驚いているうちに膝から力が抜けて倒れてしまっていた。
自分の名を、喉が裂けんばかりにアスランが叫んでいたのは覚えているけれど、その後のことはぼんやりとしか思い出せない。
「アスラン様には、うつっていないのですよね?」
「ただの発熱であってうつるようなものではない。倒れた時に頭を打っていなくてよかった。発疹は体のどこにも出ていない。あとは回復するだけだ……コウ!よかった……本当によかった……」
「えっ……」
まだ横になったままのコウにアスランが抱き付いてくる。
ついさっきまでごく普通に喋っていたのに、抑え込んでいたものが一気に決壊して崩壊してしまったようだった。
「僕はアスラン様に大変な心配を、かけてしまったのですね」
「そうだ。もしこの温もりが消えてしまったらと何度も考えた。私の心臓をコウは何度も潰しかけたのだぞ」
アスランの体は大きい、しかしコウにすがっているアスランは小さな子供ようだ。
コウはアスランの髪を自然に撫でていた。
「僕はもっと健康にならないとだめなのですね。アスラン様のためにも」
「そうだ。コウの病気や怪我は、龍である私の命をも脅かす」
「それは……大変なことです……」
「もっと食べて体を大きくするのだ。体力をつけるためにも気分転換のためにも、小屋ばかりにいるのではなく森へ出よう」
「はい、そうしましょう。絶対にそうしましょう」
もうアスランに辛い思いをさせたくないとコウは何度も頷いた。生きていてよかったと涙を流し合いながら抱き合った。
その後、アスランはコウに新鮮な果実を食べさせるために小屋を出た。
食べたい物がしっかり伝えられ、それを取ってきて欲しいのだと、病が明けたコウは伝えられるようになった。小さな我がままだがそれがアスランには嬉しかった。
コウが倒れてからアスランは眠っていなかった。少し泣いたせいか目は赤くなっていたが体はなんともない。
国にいた頃から不眠の日が続くことはあったから慣れたものだ。しかし置かれた状況が今回はまったく違っていた。
息が浅く苦しそうなコウを見ていると胸が裂かれそうになった。それならばいっそ見なければいいのにそれができない。
いつもさせている美味しそうな匂いだって、この時だけは弱くなっていた。
アスランは看病の合間にコウの手をとり、早く良くなるようにと祈ることしかできなかった。
熱冷ましの薬を調達するのは容易い。しかし、コウの様子を観察して無理に体温を下げることは避けた。
コウはこれまでまともに薬という物を体内に入れたことはないだろう。ここでの生活で体も丈夫になっているし、自らの治癒力だけで回復できる、そうした方がいいとアスランは判断した。
なんて清々しい朝だ。
ビブレスに息づくすべての者達よ、私の番であるコウが無事に生還した。
私の愛に応えてくれたのだ。
アスランはそう叫びたかった。
叫ぶとコウを驚かせてしまうので、その代りに両手を天にかかげ、その場でくるりと一周まわった。
ここに医者がいれば、風邪や疲労だとわかりきったことを言っただろう。アスランもそれに同意する。しかし寝込んでいる相手は誰でもない唯一の番なのだ。これくらいは普通に興奮する。
「めちゃくちゃ盛り上がっていますね。でも、寝てれば治るってやつですよ、それ」
ロミーがいたなら冷静につっこんでだろう。
額に乗せられた布は適度に水を含んでいて気持ちいい。コウの口から思わず出たのは苦しみからではなかった。
昨晩まではこれもすぐに熱が伝わってぬるくなってしまっていたけれど今朝は少し違う。目を開けるのも口を開くのも苦ではなかった。
「アスラン様……ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
「まだ眠っていてもよいのだぞ」
「いえ、その必要はないみたいです。目を閉じても、開いてきてしまいます……」
アスランに気を使っているのではなく本当にそうだった。
高熱が出て眠りっぱなしだったせいか、今は目がぱっちりしてしまう。
まず心配になってしまうのは、アスランのことだ。
自分と同じようにアスランまで弱っていることがコウにとって一番の恐怖だったのだが、アスランにその様子はない。コウを心配そうにのぞき込むのはいつもと変わらない美しいままのアスランだ。
コウはまずそのことにほっとしていた。
熱を出して寝込むなど初めてのことだった。軽い熱を出しても関係なく仕事には出ていたし、数日寝込むほどの大病をしたことがなかったのだ。
だから自分が寝込んでいる事実に朦朧とする意識の中で気付いた時、地上で何かの病原に感染しここで発病したのだと思った。
次から次へと人が死んでいく様子をコウは一度見たことがある。
それも工場は通常通りに稼動し、工場のあちらこちらでは匂いの強い乾燥木が燻され白い煙に満ちていた。
その煙が病の元を殺すのだと聞いたけれど、弱っている工員の体には逆効果だったように思える。
吸い込んだ煙が更に咳を誘発していたし、病人が減ることはなかった。
咳が出なくてよかった……
咳は病気のはじまりであり、嫌な咳が続けば不治の病にかかったという目安だった。でも今回自分にのどの異常はなかった。そして自分はもう好転したのだ。
感染病だったら大変だとアスランを遠ざけようとしたけれどそれは叶わず、アスランは強引にコウの看病をした。
それを跳ねのけるほどの力がコウにはなく、力の入らない腕をふることしかできなかったのだ。
倒れた一日目のことはよく覚えていない。
二日目のことは覚えている。病気である自分の横に寄り添い、体を拭き、水を飲ませてくれた。そして心配ないと手を握ってくる人がいる。
アスランを自分から遠ざけなければと思った。けれど一方では握った手を離したくないと思った。何かを伝えたいのに何の言葉も出てこない。そもそも口が開かないことが辛くて涙が出るだけだった。
そして今日が三日目の、おそらく朝だ。
「これまでのコウの環境を考えれば、いつこうなってもおかしくなかったのだ。気遣ってやることができず、すまない」
「謝るのは、僕の方です。それに、こんなによくしてもらって……」
額にのる布からはハーブの爽やかな香りがする。
体も顔もべたついておらず、こまめに拭ってくれていたことがわかる。
コウはこれまで休みなく働いてきた。ここへ来てがらりと環境が変わっても、常にできることを探して体を動かしていた。
極度の緊張を強いられる場面は何度もあった。ここへ来ること自体もそうであり、ロミーやルルアの登場も脅威であったはずだ。
コウには自分が無理をしていたという自覚がまったくない。だからどうして熱を出し倒れてしまったのか理解できていない。
突然目の前の景色から色が抜けていき、それに驚いているうちに膝から力が抜けて倒れてしまっていた。
自分の名を、喉が裂けんばかりにアスランが叫んでいたのは覚えているけれど、その後のことはぼんやりとしか思い出せない。
「アスラン様には、うつっていないのですよね?」
「ただの発熱であってうつるようなものではない。倒れた時に頭を打っていなくてよかった。発疹は体のどこにも出ていない。あとは回復するだけだ……コウ!よかった……本当によかった……」
「えっ……」
まだ横になったままのコウにアスランが抱き付いてくる。
ついさっきまでごく普通に喋っていたのに、抑え込んでいたものが一気に決壊して崩壊してしまったようだった。
「僕はアスラン様に大変な心配を、かけてしまったのですね」
「そうだ。もしこの温もりが消えてしまったらと何度も考えた。私の心臓をコウは何度も潰しかけたのだぞ」
アスランの体は大きい、しかしコウにすがっているアスランは小さな子供ようだ。
コウはアスランの髪を自然に撫でていた。
「僕はもっと健康にならないとだめなのですね。アスラン様のためにも」
「そうだ。コウの病気や怪我は、龍である私の命をも脅かす」
「それは……大変なことです……」
「もっと食べて体を大きくするのだ。体力をつけるためにも気分転換のためにも、小屋ばかりにいるのではなく森へ出よう」
「はい、そうしましょう。絶対にそうしましょう」
もうアスランに辛い思いをさせたくないとコウは何度も頷いた。生きていてよかったと涙を流し合いながら抱き合った。
その後、アスランはコウに新鮮な果実を食べさせるために小屋を出た。
食べたい物がしっかり伝えられ、それを取ってきて欲しいのだと、病が明けたコウは伝えられるようになった。小さな我がままだがそれがアスランには嬉しかった。
コウが倒れてからアスランは眠っていなかった。少し泣いたせいか目は赤くなっていたが体はなんともない。
国にいた頃から不眠の日が続くことはあったから慣れたものだ。しかし置かれた状況が今回はまったく違っていた。
息が浅く苦しそうなコウを見ていると胸が裂かれそうになった。それならばいっそ見なければいいのにそれができない。
いつもさせている美味しそうな匂いだって、この時だけは弱くなっていた。
アスランは看病の合間にコウの手をとり、早く良くなるようにと祈ることしかできなかった。
熱冷ましの薬を調達するのは容易い。しかし、コウの様子を観察して無理に体温を下げることは避けた。
コウはこれまでまともに薬という物を体内に入れたことはないだろう。ここでの生活で体も丈夫になっているし、自らの治癒力だけで回復できる、そうした方がいいとアスランは判断した。
なんて清々しい朝だ。
ビブレスに息づくすべての者達よ、私の番であるコウが無事に生還した。
私の愛に応えてくれたのだ。
アスランはそう叫びたかった。
叫ぶとコウを驚かせてしまうので、その代りに両手を天にかかげ、その場でくるりと一周まわった。
ここに医者がいれば、風邪や疲労だとわかりきったことを言っただろう。アスランもそれに同意する。しかし寝込んでいる相手は誰でもない唯一の番なのだ。これくらいは普通に興奮する。
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