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第六章 壊れかけの心

4. 心の限界

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 洋輔の帰国までとうとう残り一ヶ月。二月の半ばは冷え込みが強く、彩子は睡眠不足も相まってひどく体調を崩してしまった。

「彩子、ちゃんとご飯食べてる?」

 会社を休んだ彩子を心配して恵美が様子を見にきてくれた。彩子の調子が悪いのをずっと気にしていたから、一も二もなく駆けつけてくれた。

「うん、一応食べてる」
「ずっと体調悪そうだよね? 病院は行ったの?」
「うん。行ったよ? でもただの寝不足だから」
「寝不足って……そうまでなるほど忙しいっけ?」
「いや、仕事は忙しくはないんだけど……」
「じゃあ、何?」
「うん……」
「ねえ、心配なんだって。どうしたの?」
「うん……」
「何かあった?」
「……」
「彩子?」
「……恵美っ……私、もう苦しいっ……」

 彩子はもう限界だった。彩子の心は壊れかけていたのだ。恵美の優しい声音に促されて、全部吐き出してしまった。

「はあ……とりあえず話はわかった。でもこのままだと身体によくないよ? 松藤くんにもう言ってしまったら? そのほうが楽になると思うよ?」
「だめ。それはできない。洋輔が傷つく……」

 彩子が全部知っていたとわかれば、洋輔は深く傷つくはずだ。そんなことできるはずもなかった。

「もうっ、傷ついてるのは彩子じゃんか……」
「……それでも、だめ」
「優しすぎるんだよ」
「違う」
「違わない! あんたら二人とも優しすぎるの! もっとずるくていいんだよ。まったく……言えばすぐに解決すると思うんだけど……」
「……」

 恵美が心配してくれているのはわかるが、どうしても頷くことはできなかった。

「もう、言わないのはわかったから。でもこのままはさすがに心配。しばらく私もここ住んでいい?」
「え、それはだめだよ。そこまで迷惑かけられない」
「いや、こういうときくらい頼ってくれたほうが嬉しいんだけど」
「でも……」

 恵美の言葉はありがたいが、どうしてもそこまで甘えられない。長女気質の彩子は甘えるのが苦手なのだ。

「はあ……まあ彩子の性格考えると、遠慮しちゃうのはわかるけども……あ、弟くんは?」
「え?」
「大学生だよね?」
「そうだけど……?」
「今春休みなんじゃない? 春休みの間、ここ来てもらったら?」
「え? 裕哉に?」
「そ。家族なら甘えやすいでしょ? 弟くんだってお姉ちゃんが体調崩してるの知ったら、来てくれるでしょ」
「うーん、でも……」

 確かに家族のほうが頼りやすいが、しかし彩子にとって弟は守る存在であって、守られる存在ではない。素直には頼りにくい。

「弟に頼らないなら、私が住むから」
「えぇ……」
「そんな目で見てもだめ!」

 恵美のその形相にこれは逃がしてもらえそうにないと彩子は悟った。

「わかった。じゃあ、裕哉に連絡する……」
「ん。電話かけて」
「え、今?」
「今」

 大人しく電話をかければ、裕哉はそれにすぐに応じてくれた。

『ごめん、裕哉?』
『どうしたの? 姉ちゃん』
『うん、ちょっとね、話したいこっ』

「ちょっ、恵美!?」

 恵美にスマホを取り上げられてしまった。

『こんばんは、裕哉くん。彩子の同僚の坂本恵美です。一度会ったことあるけど、覚えてるかな?』

 一度だけ恵美を実家に招待したことがあり、恵美と裕哉はそのときに顔を合わせていた。

『……あー、はい。えっと……』
『ごめんね、驚かせて。裕哉くんに頼みがあって』
『はい?』
『実は今彩子体調崩しててね。ちょっと一人にさせるのが心配なんだよね』
『え!? 姉ちゃん、具合悪いんですか?』
『うん。だからね、時間のあるときに彩子のこと看てやってくれないかな?』
『あ、はい。もちろんです』
『ありがとう。じゃあ、彩子に代わるね』

 彩子はちょっとだけ恵美に非難の目を向けてからスマホを受け取った。

『……裕哉。ごめんね』
『ううん。それより体調悪いって……病院は?』
『うん、病院は行ったから大丈夫』
『そう。俺明日そっち行くよ。ちょうど春休みで時間あるから』
『ありがとう、裕哉』
『ううん。明日何時ごろ帰ってくる?』
『八時くらいかな』
『わかった。じゃあ、そのくらいの時間にそっち行くから』
『うん、ありがとう』
『うん。じゃあ明日ね』

 通話を終えると彩子は恵美に向き直った。

「もう強引だよ……」
「こうでもしないと言えないでしょ」
「そうだけど……」
「裕哉くんがいられないときは私が来るから。絶対我慢せずに連絡してよ?」
「わかった」
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