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ゲーム開始前 1 出会いは突然じゃなくて必然に?

16 悪役令嬢の初めてのおつかい

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ハーリオン侯爵夫人ソフィアは、急に大きくなりはじめたお腹をさすりながら、長椅子にちょこんと行儀よく座っている娘を見た。
「ねえ、マリナ。あなたにしか頼めないのよ。わかって頂戴」
癖のない銀の髪を腰まで垂らし、後頭部に青いリボンをつけた少女は、母親の頼みに頑として首を縦に振らなかった。
「私は絶対王宮には行きません。お父様が自分で取りに戻られたらよいのですわ」

ハーリオン侯爵夫妻は世間でも仲の良い夫婦として評判であり、父は愛人の一人もなく毎日邸に帰ってきている。半年ほど前に次女ジュリアが夫婦の間に波乱を起こしたのだが、雨降って地固まる、夫妻にとって五人目の子を授かる結果となった。
「他国から大事なお客様がいらしているのよ。今晩は晩餐会なのだけれど、このイヤリングなしでは公の場に出られないの。私が届けようにも、馬車に揺られるとお腹が張ってこの子が苦しそうで。うちの使用人では、宰相の執務室がある東翼には立ち入れない。あなたしかいないの」
妹達は知らないが、父のイヤリングは代々ハーリオン侯爵家当主が身に付けているもので、初代が時の王より賜った家宝である。王の前では必ず身に付けるように、と何代目かの当主が遺言し、父も家訓として守っていた。

「ジュリアでは?」
「階段を使う代わりに木に登るような子よ。不審者だと思われるわ」
マリナは窓の外を見た。ジュリアと遊びに来ていたアレックスが、競い合って木登りをしている。
「では、アリッサはどうでしょう。大人以上に何でも知っています」
「そのとおりね。アリッサはよく知っているわ。自分がどこにいて、どこに歩いていけば目的地に着けるかもね」
アリッサは≪超≫がつく方向音痴だ。それほど広くない侯爵邸内でも毎日のように迷っており、使用人の誘導が欠かせない。
「王宮の機密区域は、外を守る兵士以外、使用人は極力少なくしていると聞いているわ。アリッサが迷わないでいられるかしら?」
マリナは額に手を当てて俯いた。無理だ、絶対迷子になる。

「エミリーは家から出たくないんですって。なんでも、魔法で外から覗かれないように、結界を張っておかなくちゃならないんですってよ。うふふ、面白いわねえ」
このところエミリーが神経質になっていたのは知っていたが、覗きって?まだ続いているのか。マリナは鳥肌が立った。魔術に傾倒して特異な雰囲気を持っている末の妹だが、ここは任せるのが安心だ。
そうだ、ここは義兄に頼もう。マリナがいいことを思いついた顔をしたのを見逃さず、
「ハロルドは出かけているわよ」
「うう……そうだったわ。お父様が皆にお披露目するって言って……」
万事休す。
「ね、お願いね、マリナ。……ん?……あ、いたた……」
「どうされました?お母様?……誰か!誰か来て!」
マリナが廊下へ使用人を呼びに行くと、お腹に手を当てていた侯爵夫人は、アメジストの瞳を細めて微笑した。

   ◆◆◆

ハーリオン家の家紋がついた馬車は、王宮の東側にある門へ入った。名乗らずとも家紋だけでスルーとは、なんと便利なことかとマリナは思った。
あれからすぐ、回復魔法を得意とする魔導士が呼ばれた。どこが悪いのか魔導士には分からなかったが、侯爵夫人はしばらく安静が必要と診断され、断る余地がなくなったマリナは、父のイヤリングを届けに王宮に参じたのである。

馬車を降りて、城の東翼を守る兵士に案内され、大理石の彫刻で飾られた廊下を進み、機密区域の入口まで着くと、マリナは一人取り残されてしまった。道順は説明してもらい、強気に分かったとは言ったものの、子供一人では心もとないのが本音である。
「夜じゃないのがせめてもの救いだわ」
廊下は日中なのに薄暗い。窓の傍にうっそうと庭木が生い茂っており、明るい夏の日だというのに光が届かない。六本目の柱を過ぎたところで、マリナはくすんくすんと子供が泣いているような声を聞いた。真昼の幽霊?まさか!古い建物にはどうしてもそういう怪談の類がつきものだ。足がすくむ。
恐る恐る廊下の角を曲がると、そこには肩までの金の髪にふわりとしたブラウスが愛らしい天使のような少年が、ぽろぽろと涙を零しながらしゃくり上げていた。

コツ。
マリナの足音が響く。
「誰っ!」
キッ、と少年が深い青をたたえた湖のような瞳で、マリナを睨み付けた。幽霊かもしれない、とマリナは怯えた。生身の人間にしてはあまりに綺麗だ。
「驚かせてしまい申し訳ございません。私は……」
言いながら恭しく礼をする。幽霊だろうと王宮に住むのだから、敬っておいて間違いはない。マリナが名前を言う前に、少年は立ち上がって彼女の前に歩み寄った。
「君は……天使?僕が死んでしまおうと思っていたから、迎えに来たの?」
マリナは少年が何を言っているのか理解できず、無難な対応を心掛けた。死ぬって何だ。アブナイ奴だったとしても、とにかく笑え、と。
「天使ではございませんわ。父の忘れ物を届けにきただけですの」
またにっこりと笑うと、少年の頬がわずかに赤く染まった気がした。
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