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学院編 4 歓迎会は波乱の予兆

98 悪役令嬢と思い出の楽譜

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「よくできましたね。単語もかなり覚えたのではありませんか」
嬉々としてマリナを褒め、ハロルドは銀糸の髪を指に絡ませた。
「あの……」
軽く耳に触れた指先を意識してしまう。くすぐったくて、少しドキドキする。
「凛と咲き誇る大輪の薔薇のような、美しく聡明なあなたに、誰もが心を奪われるのでしょうね」
「褒めすぎですわ」
「かく言う私も、その一人ですが……」
ハロルドはゆっくりとマリナの髪に口づける。
「アスタシフォンの王子にあなたを掠め盗られるつもりはありません」
視線を上げた時、青緑色の瞳は確かに決意に満ちていた。

   ◆◆◆

アリッサを連れたレイモンドが、自習室のドアを叩いた。
「入るぞ」
中から声がしないうちにドアを開ける。
――マリナちゃん、大丈夫かしら。
義兄ハロルドと二人きりで、迫られない可能性の方が低い。侯爵家にいた頃よりも彼の瞳にはさらに影が差し、危険な感じがするとアリッサは思う。
「……何をやっている?」
自分の前に立つレイモンドが呆れた声で尋ねた。
二人の様子が見えない。が、あまりよろしくない状況なのだろう。
「……見ての通りですよ、レイモンド」
ハロルドの冷たい声が聞こえた。続いて
「いいところだったのに邪魔をしないでよ、レイ」
といるはずのないセドリックの声がした。

レイモンドの腕を押しやり、顔を覗かせたアリッサは、姉のマリナには申し訳ないが目の前の三人を二度見してしまった。
「アリッサ……」
恥ずかしさでマリナは泣きそうになっている。
椅子に座ったマリナを真ん中にして、左側にハロルドがかけ、唇を耳元に寄せて彼女の首にかかった髪を撫でていた。マリナの右側にセドリックが座り、腰に右手を回して左手をハロルドに掴まれていた。
「手を放せ」
「お断りします。殿下はいきなり入って来たかと思えば、マリナを抱き寄せてキスしようとなさいました。マリナの合意なしに」
「マリナと僕は婚約者同士なんだ。キスくらいするさ」
「王太子妃『候補』ではありませんか。勝手に指名しておきながら図々しいですね」
「何だって?義理の兄のくせにベタベタしすぎじゃないか。いやらしい奴だ!」
「私はいやらしいことはしておりませんよ?殿下とは違いますから」
牽制しあう二人の間で、マリナは卒倒しそうだった。というか、倒れてしまいたい気持ちでいっぱいだった。無駄に丈夫な自分が恨めしくなる。
「いい加減にしろ。……歓迎の言葉は書いたのか?セドリック」
「……まだ」
不貞腐れて口を尖らせる。
「でもね、マリナをここに置いていけないよ」
「マリナはここに残ってもらう。俺は司会の進行台本を書き上げたからな。二人に説明して明日に備えてもらう」
「僕も残るよ」
「いいから生徒会室に帰れ」
レイモンドの口調に苛立ちが混ざる。マリナが
「私は、セドリック様が素敵な『歓迎の言葉』を話されるのを期待しておりますわ」
と助け舟を出し、ようやく王太子は自習室を出ていった。

   ◆◆◆

マリナとハロルドに一通りの流れを説明し、レイモンドはアリッサと共に音楽室へ向かった。学院の音楽室には、最高級品のピアノをはじめ、様々な楽器が備えられている。
「アリッサはピアノを弾くんだろう?」
書棚から楽譜を取り出してレイモンドが振り返る。ありとあらゆる楽譜も所蔵されており、自由に手に取って弾くことができるのだ。至れり尽くせりだなとアリッサは思った。
「私の弾ける曲の中から、二曲くらい……と思っています」
「妥当なところだろうな。……これは弾いたことがあるか?」
差し出された楽譜の題名を見て、アリッサが少し微笑んだ。
「はい。マリナちゃんと弾いたことがあります。……連弾なんです」
「連弾?ではもう一人誰か必要なんだな。では、こちらは」
「……少し、音が細かくて難しいですけれど、弾いたことはあります」
「作曲者がアスタシフォンへ旅行した時の思い出を曲にしたものらしい。明るく華やかな曲調が、歓迎会に相応しいと思うな」
「そうですね」
レイモンドに曲が合っていると言われれば、アリッサは反対する理由がなかった。自分の技量には少し難しい部分があるものの、弾けないわけではなかったのだ。レイモンドに促され、ピアノの前に腰かけ、深呼吸して鍵盤に指を置いた。

   ◆◆◆

特に役に立てることもなさそうだと判断し、ジュリアとアレックスは訓練場に向かっていた。生徒会役員が生徒会室を留守にしていたが、キースが来たのをこれ幸いと逃げてきたのだ
「腹芸を教わるつもりだったって、初めて聞いたよ」
「成り行きだよ。えっと、あの人……チャーリーさん?が教えてくれるって言うからさ。脱いだら腹筋がダメだって」
「え?アレックスくらい立派な腹筋してるの、クラスで見たことないけど?」
剣技科の男子生徒は、ジュリアを女と思わず、教室で着替えたり暑がって脱いだりするのだ。別に見たいわけではないが、毎日のように鍛えられた筋肉美を見せられてしまう。
「違うんだよ。鍛えてるとよくないんだってさ」
「へー。じゃあ、私ならいけるかも」
腹筋はできるが、筋トレをそれほどしていないジュリアは、制服のブレザーのボタンを外し、ワイシャツの上から自分の腹を撫でた。
「やめろ」
「何で?」
「全校生徒にお前の腹を見せるのか」
「……う」
前世なら腹を見せてもファッションで通るが、こちらの世界では露出狂になってしまう。尤も、女性剣士の中には、ロールプレイングゲームの女戦士のような、ビキニもどきのきわどい服を着る者もいる。完全にアウトでもなかった。
「剣士の服で肌を見せるのもあるでしょ?あれを着れば……」
「恥ずかしくないのか?……俺は絶対認めないぞ!」
「アレックスが認める認めないの話じゃないよ」
「俺が上半身裸で廊下にいたら、お前だって慌てたじゃないか。俺はお前の肌を他の男に見せたくないんだよ!」
アレックスがハッとして口をつぐみ、向こうを向いてしまった。
「……耳、真っ赤」
「うるせー」
「うん。分かったよ。腹芸するときは、先にアレックスに見てもらうよ」
「ああ……って、ええ!?」
ジュリアは意気揚々と訓練場のドアを開けた。後ろでアレックスが
「お前、全然分かってないだろ……」
と溜息をついていたのには気づかなかった。
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