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学院編 5 異国の王子は敵?味方?

135 閑話 ヴィルソード侯爵夫人の憂鬱

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ヴィルソード侯爵家。当主のオリバーは騎士団長を務める名家であり、一人息子のアレキサンダーは次期国王であるセドリック王太子の側近になることがほぼ確定である。オリバーの妻・アンジェラは、王立学院にいる息子から受け取った手紙を前に、眉間に皺を寄せていた。童顔で若く見える彼女が厳しい表情をすることは滅多になく、遠巻きに侍女達が様子を見ている。
「はあ……」
溜息をつく彼女の隣には、長椅子を一人で使ってもおかしくはない大男の夫が、仕事にも行かず座っている。先頃二人目の子を授かったと分かり、腫れ物に触るように妻を大事にしているのはいいのだが、身体が丈夫ではないアンジェラを心配するあまり、騎士団の任務の一つである魔物討伐や遠征を全てキャンセルして家にいるのだ。
「仕事に行かなくてよろしいの?あなた」
一先ず、貴族の妻モードで話しかけてみる。
オリバーは渋く男らしい顔を一瞬で綻ばせて、愛しい妻を振り返った。
「いいんだ。俺は君の傍にいたいんだから」
頭痛がしてきた、とアンジェラはこめかみを押さえる。理屈では通じない男なのだ、自分の夫は。年下の幼馴染を説得するように、畏まった口調を改めた。

「傍にいたくても仕事は?あなたが行かないと少しは困るんじゃないの?副団長も小隊長の皆も」
「俺がいなくても命令系統は完璧だ」
「そうでしょうね。あなたに任せられるのは、先陣を切って突っ込んでいくことだけだものね」
「いやあ、それほどでも」
オリバーは太い指で赤い髪をがしがしと掻いた。
「褒めてないわよ。アレックスから手紙が来たわよ。これ読んで、考え直しなさい」
白い飾り気のない封筒で、オリバーの額をべしっと叩く。立ち上がって別室へ行こうとすると、すかさず手を引かれ、彼の膝の上に座らされた。
「一緒に読もう」
「……分かった」
当主夫妻の仲睦まじい様子に、侍女達が生温かい視線を向けてくる。アンジェラはいたたまれなくなって身を縮ませた。
「どれどれ……」
耳元で呟く夫の声は楽しそうだ。

   ◆◆◆

父上、母上、お元気ですね。お元気だとエレノアから聞きました。
僕の弟か妹も元気だと思います。うれしいです。
僕は毎日剣の練習をしてがんばっているので、いつか見せたいと思います。

ジュリアは毎日元気です。練習もしています。
ジュリアに宝石をあげたいと思います。何色がいいですか。
僕はジュリアには赤が似合うと思います。赤い服もドレスもよく似合います。

   ◆◆◆

「……これだけか?」
侯爵は目を見開いた。挨拶とジュリアのことしか書いていないではないか。
「そうよ。便箋は一枚でおしまい。最後は何を言いたいのかさっぱりだわ」
「君は分からないのか?」
「あなたは?」
「アレックスはジュリアに婚約指輪を贈りたいんじゃないか?ずっとはっきりしないままに来てしまったからな」
太い腕を妻の腰に回し、柔らかい髪に鼻先を近づける。
「婚約指輪もくれなかった人もいたけどね」
「うっ……」
「告白されて翌日には結婚式だっけ?」
「ううっ……」
侯爵は胸に何かが刺さったと感じ、シャツをはだけさせて自分の胸元を見た。何も刺さっていないことを確認し、気のせいだったかと安堵する。
「結婚式の後で晩餐会を早々に抜け出して、侍女達が用意をする間もなく初夜だっけ?」
「ううううっ……」
「アレックスはちゃあーんと手順を踏んでいるわ。流石私の息子よね」
「俺の息子でもある」
アンジェラは夫の呟きを完全にスルーすることに決めた。髪の色も瞳の色もそっくり、手紙が謎の文章になっているところもそっくりだったが、何となく肯定したくなかった。
「私達が勝手に選ぶのはよくないわね。今度、王太子殿下の御誕生日が祝日だから、学院から外出許可をもらって家に帰って来させましょう」
「ああ、うん。宝石商に声をかけておくか」
「あの子、自分で選べるかしら?ジュリアちゃんにも来てもらったほうがいいわね」

侯爵夫人は執事と侍女に指示を出し、
「返事はオリバーが書くから」
とちらりと夫を見、にっこりと微笑んだ。
「俺が書くのか……」
「あら、手紙はあなた宛てよ?」
手紙を書くことを息子以上に苦手にしている侯爵は、がっくりと項垂れた。

その日も夜遅くまで、ヴィルソード侯爵家の書斎からは、侯爵の苦悶の雄叫びと侯爵夫人の叱咤激励の声が聞こえていたという。最後は、侯爵に飛びかからんばかりの侯爵夫人を、執事と年かさの侍女が総出で取り押さえ、
「お早くお休みになられませんと、お子様に障りが……」
「無理をなさいますとまたお倒れに……」
などと言い含めて寝室へ連れて行った。
翌朝、執事が書斎で燃え尽きて灰になっている侯爵を見つけ、手紙を受け取り従僕に配達させた。事の次第を侯爵夫人に伝えると、
「オリバーの割に頑張ったわね」
と侯爵は妻から『お褒めの言葉』を賜ったのだった。
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