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六回の表。それは──本上さん。君自身だ
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「またレフトだ。落とすぞ!」
相手ベンチから野次が飛ぶ。
本上だから。女の子だから。味方ベンチの中にも蔓延していく諦めムード。
打球を見ながら後退していた本上さんの足が、またもや鈍る。その様子を見た相手ランナーが、タッチアップを考慮することなくリードを広げた。ダメか……と俺までもが諦めかけたその時、センターから三澤君の指示が飛んだ。
「本上! もっと後ろだ!」
真下からでは見辛い飛球でも、横方向からであれば視認し易い。三澤君の声を信じて後退を始めた本上さんの目が、やがてしっかりとボールを捉えたのだろう。後退が、全力疾走に変わる。
万が一の落球に備え、三澤君が俊足を飛ばし大きく回り込むようにしてバックアップに走る。
落下点になんとか入った彼女は、目一杯左手を伸ばした。落ちて来たボールはぎりぎりグラブの端に収まる。
サード! という柏木君の指示に応えて、本上さんは反転しながら送球体勢に入った。慌ててベースに戻った二塁ランナーが、タッチアップのスタートを切る。
とんとん、と数歩ステップを刻んだのち、本上さんが右腕を力一杯振った。
左中間の深い位置からの返球だ。彼女の肩では少々心もとないと判断した坂谷君が、中継にはいる。
しかし――送球の角度とスピードを確認した上で、坂谷君はスルーした。サードベース手前でワンバウンドしたボールは、サード佐藤君のグラブに真っ直ぐ吸い込まれた。
一拍遅れて、相手ランナーが回りこむようにして突っ込んでくる。
歓声。
悲鳴。
様々な声が響く中、塁審がランナーの足とボールとを交互に確認する。
判定は……アウト。
「ナイス本上!」谷口君の声とともにベンチがわいた。
なんだよ本上さん、普通に肩つえーじゃん。そんだけのボールを投げられるんだったら、レフトじゃなくてライトでも使えるな。
ピンチの裏にチャンス有り。
あがった士気が衰えないうちに、俺が動く。六番山田君のところで、代打、谷口君を告げた。
谷口君が、緊張した面持ちで右バッターボックスに向かう。
今日ずっと隣に座っていた彼には、逐一相手投手の癖を教え込んだ。相手投手には、牽制球以外にも微細な癖があった。右打者の外角にコントロールする時、腕の角度が少し下がるのだ。
それに、谷口君のバッティングは元々悪くない。コースがある程度わかっているのなら、ミートするのも難しくないはず。
三塁線を鋭く破った打球は、左翼線ライン際を転々と転がって行く。その間に谷口君は、楽々二塁に到達した。
続いて打席に向かうのは本上さん。
まだショックを引きずっているんだろうか? 彼女は俯いたまま、バッターボックスに向かって歩く。
「本上、頼むぞ!」ベンチに戻っていた山田君の激が飛ぶ。
彼ばかりではない。何人かの選手がベンチ前に出て、声を飛ばしていた。
ここ数日。本上さんを見るチームメイトの目が変わったことに、俺は気づいていた。皆が彼女の力を認め、信頼し始めている。
君はもう、一人ぼっちなんかじゃない。
こんなにも、信頼してくれる仲間がいる。
応援してくれる仲間がいる。
でも……。まだたった一人だけ、君のことを信頼していない選手がいる。
それは──本上さん。君自身だ。
顔を上げろ。
胸を張れ。
なあ、知っているか? 雪菜ちゃん。
七番ってのは、コーチが密かに期待を寄せている選手を入れる、打順だってことを?
本上さんが打席に入る。
顔を上げた彼女の表情には、もう、迷いの色は見えなかった。
本上さんがバットの先端を外野に向ける。ひゅう、と佐藤君が口笛を吹いた。
その様子を見届けて、俺は深くベンチに座り直した。もう――彼女なら大丈夫だ。
初球。思いきり振ったバットは、ボール一個ぶん下。彼女は何度かスイングを繰り返して、軌道を再確認する。
二球目。バットにボールは当たるものの、タイミングが合わず一塁線へのファール。少し振り遅れているのか?
「ボールよく見て!」柏木君の声が飛ぶ。
あっと言う間にカウントを追い込まれた三球目。ついに彼女のバットがボールを捉える。
思いきり振りぬいた打球は、ひゅおっ──という風切り音とともに、鋭い角度でライト方向に舞い上がる。
打球の行方を呆然と見送っていた二塁ランナーの谷口君が、思い出したようにスタートを切った。
俺はベンチから身を乗り出して叫んだ。「走れー! コーチャー! ランナー回せー!」
外野手に捕球される可能性なんて、考慮する必要がなかった。打った瞬間にわかる会心の一打。
必死に追いかける右翼手の頭上を大きく超えたライナー性の打球は、即席でこしらえたフェンス前の地面に落下すると、ワンバウンドして金網部分にぶち当たる。ガシャンという激しい音が、ベンチまで響いた。
「惜しい! もうちょっとで柵越え!」佐藤君が舌を巻き、三澤君が、四番の田中君を茶化した。「なあ、田中。お前でもあそこまで飛ばしたことあったっけ?」
「あ~……。どうだろう? 覚えてない」
ようやく打球に追いついた右翼手が返球を始めた頃には、谷口君がすでにホームインしたあとだった。「ナイスラン!」
ボールが内野に戻ってくる。その様子と走ってくるランナーの本上さんを見比べながら、サードコーチャーが腕を回した。
「行けー本上ー!」俺と三澤君の声を背に受け、本上さんがサードベースを蹴ってホームに向かう。
相手ベンチから野次が飛ぶ。
本上だから。女の子だから。味方ベンチの中にも蔓延していく諦めムード。
打球を見ながら後退していた本上さんの足が、またもや鈍る。その様子を見た相手ランナーが、タッチアップを考慮することなくリードを広げた。ダメか……と俺までもが諦めかけたその時、センターから三澤君の指示が飛んだ。
「本上! もっと後ろだ!」
真下からでは見辛い飛球でも、横方向からであれば視認し易い。三澤君の声を信じて後退を始めた本上さんの目が、やがてしっかりとボールを捉えたのだろう。後退が、全力疾走に変わる。
万が一の落球に備え、三澤君が俊足を飛ばし大きく回り込むようにしてバックアップに走る。
落下点になんとか入った彼女は、目一杯左手を伸ばした。落ちて来たボールはぎりぎりグラブの端に収まる。
サード! という柏木君の指示に応えて、本上さんは反転しながら送球体勢に入った。慌ててベースに戻った二塁ランナーが、タッチアップのスタートを切る。
とんとん、と数歩ステップを刻んだのち、本上さんが右腕を力一杯振った。
左中間の深い位置からの返球だ。彼女の肩では少々心もとないと判断した坂谷君が、中継にはいる。
しかし――送球の角度とスピードを確認した上で、坂谷君はスルーした。サードベース手前でワンバウンドしたボールは、サード佐藤君のグラブに真っ直ぐ吸い込まれた。
一拍遅れて、相手ランナーが回りこむようにして突っ込んでくる。
歓声。
悲鳴。
様々な声が響く中、塁審がランナーの足とボールとを交互に確認する。
判定は……アウト。
「ナイス本上!」谷口君の声とともにベンチがわいた。
なんだよ本上さん、普通に肩つえーじゃん。そんだけのボールを投げられるんだったら、レフトじゃなくてライトでも使えるな。
ピンチの裏にチャンス有り。
あがった士気が衰えないうちに、俺が動く。六番山田君のところで、代打、谷口君を告げた。
谷口君が、緊張した面持ちで右バッターボックスに向かう。
今日ずっと隣に座っていた彼には、逐一相手投手の癖を教え込んだ。相手投手には、牽制球以外にも微細な癖があった。右打者の外角にコントロールする時、腕の角度が少し下がるのだ。
それに、谷口君のバッティングは元々悪くない。コースがある程度わかっているのなら、ミートするのも難しくないはず。
三塁線を鋭く破った打球は、左翼線ライン際を転々と転がって行く。その間に谷口君は、楽々二塁に到達した。
続いて打席に向かうのは本上さん。
まだショックを引きずっているんだろうか? 彼女は俯いたまま、バッターボックスに向かって歩く。
「本上、頼むぞ!」ベンチに戻っていた山田君の激が飛ぶ。
彼ばかりではない。何人かの選手がベンチ前に出て、声を飛ばしていた。
ここ数日。本上さんを見るチームメイトの目が変わったことに、俺は気づいていた。皆が彼女の力を認め、信頼し始めている。
君はもう、一人ぼっちなんかじゃない。
こんなにも、信頼してくれる仲間がいる。
応援してくれる仲間がいる。
でも……。まだたった一人だけ、君のことを信頼していない選手がいる。
それは──本上さん。君自身だ。
顔を上げろ。
胸を張れ。
なあ、知っているか? 雪菜ちゃん。
七番ってのは、コーチが密かに期待を寄せている選手を入れる、打順だってことを?
本上さんが打席に入る。
顔を上げた彼女の表情には、もう、迷いの色は見えなかった。
本上さんがバットの先端を外野に向ける。ひゅう、と佐藤君が口笛を吹いた。
その様子を見届けて、俺は深くベンチに座り直した。もう――彼女なら大丈夫だ。
初球。思いきり振ったバットは、ボール一個ぶん下。彼女は何度かスイングを繰り返して、軌道を再確認する。
二球目。バットにボールは当たるものの、タイミングが合わず一塁線へのファール。少し振り遅れているのか?
「ボールよく見て!」柏木君の声が飛ぶ。
あっと言う間にカウントを追い込まれた三球目。ついに彼女のバットがボールを捉える。
思いきり振りぬいた打球は、ひゅおっ──という風切り音とともに、鋭い角度でライト方向に舞い上がる。
打球の行方を呆然と見送っていた二塁ランナーの谷口君が、思い出したようにスタートを切った。
俺はベンチから身を乗り出して叫んだ。「走れー! コーチャー! ランナー回せー!」
外野手に捕球される可能性なんて、考慮する必要がなかった。打った瞬間にわかる会心の一打。
必死に追いかける右翼手の頭上を大きく超えたライナー性の打球は、即席でこしらえたフェンス前の地面に落下すると、ワンバウンドして金網部分にぶち当たる。ガシャンという激しい音が、ベンチまで響いた。
「惜しい! もうちょっとで柵越え!」佐藤君が舌を巻き、三澤君が、四番の田中君を茶化した。「なあ、田中。お前でもあそこまで飛ばしたことあったっけ?」
「あ~……。どうだろう? 覚えてない」
ようやく打球に追いついた右翼手が返球を始めた頃には、谷口君がすでにホームインしたあとだった。「ナイスラン!」
ボールが内野に戻ってくる。その様子と走ってくるランナーの本上さんを見比べながら、サードコーチャーが腕を回した。
「行けー本上ー!」俺と三澤君の声を背に受け、本上さんがサードベースを蹴ってホームに向かう。
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