殺意の二重奏

木立 花音

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第一章「自殺か、他殺か」

【自殺ではありませんよ?】

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 捜査本部は、千葉県警察本部のある千葉中央署に置かれることとなった。
 翌日涼花が出勤すると、鑑識の結果はおおむね出そろっていた。
 死因は当初の予測通り毒死。口内や胃の内容物から毒物が検出された。死亡推定時刻は、七月三十一日金曜日の二十時から翌〇時までの間。死後硬直の状態から、これより早い可能性はないと鑑識は結論づけた。
 毒も大方の予想通り亜ヒ酸で、現場の小瓶の内容物と一致。
 部屋の中で採取された指紋は二種類。採取された場所は、キッチンのシンク付近、室内に置かれていた複数の電化製品、リビングに置いてあったテーブルなど。この二種類の指紋は、それぞれ龍人と蓮音のものであると判明している。龍人の部屋で蓮音が死んでいたのだから不自然な点はない。
「ただ、一つ気になる点がありまして」
「引っかかる点?」
 越智の説明に森岡が問うた。
「リビングのテーブルから見つかった指紋が、妙に少なかったらしいんです」
「指紋が少なかった? ……部屋の掃除をしたあとだとしたら、別におかしくはないだろう?」
「ええ。ですが、それだけではありません。部屋のドアノブからもほとんど指紋が出なかったんです」
「とはいえ、出なかったわけじゃないんだろう?」
「そうです。テーブルからもドアノブからも、二人の指紋は見付かっているんです。数が少ないだけで」
「高温多湿な環境下では、指紋の成分が変化しやすく、短期間で消えてしまうことがある……」
 涼花が呟くと、「そうなんです」と越智が同意する。
「だから、ありえない、ということはないのだけれども、どこか不自然だ。というのが鑑識の見解なんです」
 どういうことだろうな、と涼花は考える。室内はお世辞にも整理整頓が行き届いてはいなかった。そのわりに、床やカーペットは綺麗で目立った汚れがないのが気になっていた。どこかちぐはぐなのだ。床から髪の毛が採取できればと考えていたのだが、ほとんど見つからなかった。
 とはいえ、第三者の指紋は見つかっていないので、決定的に何かおかしいというわけじゃない。
「自殺と他殺、両面で捜査中だからな。指紋が少ないくらいで騒ぐ必要はないだろ」
「そうですね」
 森岡の見解に、越智もしぶしぶといった体で頷いた。
 毒が入っていた小瓶とワイングラスからは、蓮音の指紋のみが見つかった。ワインボトルからは龍人と蓮音の指紋が検出された。金曜の夜に龍人がワインを開け、翌日に蓮音が毒入りワインを飲んで自殺した――話の筋は通る。

「密室。毒入りのワイン。死亡推定時刻。これはやはり自殺かな」
 森岡が顎をさすりながら呟いた。足を組んでふんぞり返る。
 死亡推定時刻である八時から〇時近くまでの間、龍人が飲み歩いていたことは会社の同僚の証言によって裏が取れていた。合鍵を所持していたのは龍人のみ。そして、その彼のアリバイは完璧なのだ。
 それでも涼花は異議を唱える。
「おかしいです。仮に自殺なら、なぜワインで毒を飲む必要があったんですか? 水でも良かったはず」
「入沢蓮音は、ワイン好きだったらしい。銘柄についても詳しかったようだし、最後くらいは好きな酒を飲みたかったのだろう」
 森岡が答える。龍人の証言によれば蓮音はワインに詳しかったが、酒に強いほうではなかったらしい。
「おかしい点はもう一つあります。タイミングです。なぜ先週の金曜日に自殺をしたのですか? わざわざ、兄の部屋にいるときを選ぶ理由がない」
「確かに」と越智が思案する。
「だが、逆にそのタイミングを選ばない理由もないだろ?」
「それはそうですが……」
 森岡の反論に涼花は口ごもった。
「弟さんは友だちが少なく、今の会社にもうまく馴染めていなかったらしい。孤独に耐えられず、突発的に自殺衝動に目覚めたのかもしれん。もしかしたら、自殺の引き金になる出来事が何かあったのかもしれないが」
 その通りだ。自殺をする人間特有の兆候を周囲が見逃していただけかもしれない。それでも涼花には自殺と思えない。
「たとえば、ワインを買ったのが龍人じゃなかったとしたら?」
「どういうことだ?」と森岡。
「龍人は、普段からワインを飲む人間ではなかった。冷蔵庫の中身がビールばかりであったことや、くずかごの中に入っていたのがビールの缶であったことからもこれは明白です」
「だから、それは彼が言っていたように気分転換で買ったのだろう?」
「ワインを購入したことを証明できますか? と質問をしたとき、彼は財布の中からすぐにレシートを出しました。まるで準備でもしていたみたいに。……ですが、くずかごの中にはレシートが複数枚捨てられていました。私の記憶では、彼はお金の管理をまめにするタイプの人間ではなかった」
「記憶違いということは?」
「ないとは言い切れませんが……。越智君、家計簿をつけている様子もなかったんだね?」
「ありませんでした」
 越智が書類を確認しながら答える。
「レシートをくずかごから拾って、自分の買い物だと偽った可能性もあります」
「なんのために?」
「それは……まだわかりませんが」
 なおも涼花は続ける。
「他にもあります。キッチンのシンクにわずかな濡れ跡がありました。龍人は119番通報後、救急隊が来るまで部屋でじっとしていたと証言しています。でも、死亡推定時刻から十時間以上経っているのに、シンクが乾いていないのはおかしい」
「本人が忘れているだけで、顔でも洗ったのだろう」
 憮然たる面持ちで森岡が言う。
「そうですね。そういった解釈もできるかもしれません。ですが、何かを洗った痕跡が、他にもあったとしたら?」
「なんだって?」と森岡が身を乗り出した。それだと、龍人の証言がとたんに怪しくなる。
「越智君。食器棚の中に入っていた物に付着していた指紋について、すべて調べてもらったはずだけれども、どういう結果になっていたか説明してもらえる?」
「了解しました」
 ファイルをめくりながら、越智が白板に向かって文字を書き始めた。
 茶碗、指紋一種類(蓮音)。
 食器皿、指紋一種類(蓮音)。
 コーヒーカップ、指紋二種類(龍人、蓮音)。
 グラス、指紋二種類(龍人、蓮音)。
 別にどこもおかしくないだろう、と森岡は言いかけて、そこで言葉を飲み込んだ。
 ワイングラス、指紋検出なし。
「いや……どういうことだ?」
「どういうことだと思いますか? 森岡さん」
「ワイングラスだけを丁寧に洗った……なんてことは考えにくいわなあ。仮にそうだとしても、指紋がいっさい残っていないのはおかしい」
「そうですね。食器棚の中にワイングラスは四つあって、そのすべてから指紋は検出されませんでした。食器棚の中にあった他の食器類、茶碗やコーヒーカップはわりとずさんな洗い方だったのに対して、ワイングラスは綺麗に洗われていたのも気になりました。まるで、ワイングラスにだけ、第三者に見られては困る物が付着していたみたいです」
 涼花の鋭い視線に、気圧されるように森岡は絶句した。
「不自然な点は、もう一つあるんですよ」
「まだあるのか?」
 ええ、と涼花は頷いた。話しているうちに段々と興奮してきて、自然と腰が少し浮いていた。
「キッチンの端のあたりにコンセントがあったのを覚えていますか? そこに伸びている電源コードが三本あったのですが、一本が刺さっていなくて床に放置されている状態でした」
「それが何かおかしいのか? コンセントが二つなら、一本刺さっていないのは必然だろう?」
「そうですね。ですので、ここからは私の予想です。おそらくそこに、三個口のコーナータップが本来刺さっていたのではないかと。それを外したことによって、電源コードのうちの一本が放置されてしまった」
「なぜコーナータップを外したんだ? ……あっ」
 途中まで言いかけて、森岡は何かに気が付いた。他の捜査員も、このことはいっさい頭になかったらしい。みな一様に驚愕の顔で固まった。
「盗聴器ですか」と越智が森岡の言葉を引き継いだ。
「はい。おそらく、盗聴器が内臓されているコーナータップがそこにあったのではないかと。警察に見つかるとまずいと判断して、何者かがそれを回収した。外されていた電源コードは、電子レンジのものでした。そして電子レンジの内臓時計は、電源コードを差し直したところ九時を指していました。その時間に、盗聴器が外されたせいではないかと疑っています。……もちろん、これはすべて私の予想ですが」
「なるほど、それは妙ですね。もしも、盗聴器が外されたことでその時間に時計が止まったのだとしたら、遺体発見の通報があった時間に、コンセントが抜かれたことになる。それだと、俄然入沢龍人が怪しい。彼は、事件があったことを知っていた可能性すらある」
 越智が唸った。
「もう一つ。毒の入った小瓶が、食器棚の奥にあったのも気になりました。自殺する人間が、わざわざそんな場所に瓶をしまうでしょうか? 死因を隠す必要なんてないのに」
「つまり、入沢蓮音が食器棚にしまったわけではなく、元からそこにあったのかもしれないと。そうなると、他殺であった可能性が出てきますね」
「そういうこと」
 越智は頷き、白板に『他殺の可能性有り』と書き足した。
「……だが、入沢龍人は毒の瓶の存在を知らなかったと言っているぞ?」と森岡が指摘する。
 涼花は頷く。
「はい。もちろん、彼が嘘をついている可能性もありますが。ただ、これらはすべて私の推測です。証拠はまだありません。……部長」
 涼花は三田刑事部長に向きなおる。
「蓮音の部屋のパソコンとスマホを調べてもらえますか? そこで何か事件に関わるデータが見つかれば、自殺の線は薄まるはずです」
「ああ。すでに部下に調べさせている。もうすぐ結果が出るよ」
「お願いします」

   * * *

 警察署を出る前、涼花は鑑識課に立ち寄った。
「田中さん。これ、ちょっと鑑識してもらえる?」
 若い女性鑑識員に声をかけ、涼花は小さな袋を渡す。鑑識員は、三つ編みに眼鏡と、ステレオタイプな真面目女子といった風貌だ。
「なんですか? ……髪の毛? 今回の事件と関係があるんですか?」
「うん。現場で見つかった髪の毛と一致するか、調べてほしいの」
「わかりました」  

   * * *
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