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第二章「涼花と戸部家の人々」
【誠実な人ですから】
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通りに沿って、洒落た構えの住居が並んでいた。どの家も壁の色が綺麗で、緑豊かな庭を備えている。千葉市の中でも、いわゆる高級住宅街として名高い地域だ。
まるで別荘地のような住宅街のど真ん中に、目的地であるマンションは建っていた。十分な駐車スペースがあったので、コインパーキングなどを利用する必要がなくて助かった。
「もう少し小回りが利く車にしたらいいのに」と越智の愛車である国産SUVを見ながら涼花が嘆息すると、「これは男の浪漫なんです。女性にはわかりません」と彼は拗ねてみせた。
越智は、駐車をするときに何度も切り返しをしていた。男の浪漫など腹の足しにもならないなと涼花は思う。小さくて、小回りの効く車が一番だ。
戸部千歳の部屋はマンションの五階。インターホンを押すと、すぐに柔らかな声が応じ、扉が開く。
なだらかな肩、均整の取れた体躯、艶やかな長い黒髪。そこに立っていたのは、涼花の同級生、戸部千歳だった。高校時代と変わらぬ美貌は、むしろ大輪の花が開くように輝きを増している。涼花の胸に、懐かしさとほのかな疼きが混じる。
「あら……もしかして」
「ご無沙汰しています。水津涼花です」
警察手帳を見せると、千歳はたおやかに会釈した。
「ああ、やっぱり。……驚いた。またずいぶんと懐かしい顔が来たものね。いつから警察の仕事を?」
「大学を卒業してからすぐかな」
「そう。元気そうで何より」
千歳も、とこのタイミングで言うのは不謹慎に思えて、涼花は口を噤んだ。
「どうぞ入って」と千歳が促したので、涼花と越智は家の中に入る。外観から想像した通りの、洒落た造りの部屋だった。入ってすぐのところに広いリビングダイニングがあり、その奥がキッチンになっている。
ソファに座った涼花と越智に対して、「今、お茶を淹れるわ」と千歳は言った。
「あ……お構いなく。お話だけお伺いしましたら、すぐにおいとましますから」
「そういうわけにもいかないわ」
越智が恐縮したが、千歳はキッチンに立つとお茶の支度に取りかかった。「お手伝いします」と越智が申し出たが、千歳は笑って首を振る。
「いいの、座っていてください」
「……そうですか? 申し訳ありません」
涼花はぐるりと室内を見渡した。壁に油彩の風景画が何枚か飾ってある。千歳に絵を描く趣味があっただろうか? と一瞬考えて、いや、これは蓮音が描いたものだろうと思い至る。彼は高校時代美術部に所属していた。記憶が蘇りかけた瞬間、ダイニングテーブルのフォトフレームが目に入る。そこには、若い千歳と龍人が並んで笑っていた。
涼花の胸が、かすかに締めつけられる。
「どうぞ」
テーブルに出されたお茶に口をつけつつ、越智が切り出した。
「婚約者の弟さんが亡くなられたばかりで、気落ちされているところ恐縮です。本日は、龍人さんの恋人である千歳さんに、いくつかお伺いしたく参りました」
「私も驚いています。どうしてこんなことになってしまったのかと。龍人からは、自殺ではないかと聞きましたが、本当ですか?」
自殺だと聞いている? 涼花と越智は顔を見合わせた。
「いえ。自殺か他殺かは、まだはっきりしておりません。我々としては、状況証拠を可能な限り多く集めて、理論的にかつ慎重に結論を出さなければいけません。そのため、こうしてお時間を頂戴しているわけです」
「そうですよね、わかりました」
千歳は目を伏せた。長い睫毛が影を落とした。
「現在のお仕事は?」
「保険会社で派遣社員として働いています」
千歳の答えは淀みない。
「以前からその職場ですか?」
「いいえ。この家に引っ越した際、前の職場を辞めました。勤務地が遠くなってしまったもので」
「龍人さんと同棲を始めるための引っ越しでしたね?」
「そうです。ちょうど龍人が千葉市に転勤になったタイミングでしたので……二年ほど前の話でしょうか」
涼花はメモを取りながら、千歳の表情を観察する。落ち着いた受け答えに、動揺の色はない。
「龍人さんとは、半年ほど前から別居されていますよね? それはまた、どうして?」
「そんなことも言わなくてはならないの?」
急に口調がフランクになる。千歳の視線は涼花に向いていた。
「ごめんね。亡くなった蓮音と龍人の身の回りから調べていかないといけないの。龍人が引っ越しをした背景に、何かトラブルがあったと疑っているわけじゃないよ。何も問題がなかったことを、確認していかないといけないんだ。便宜上ね」
疑うのが仕事だから、と涼花は自嘲気味に笑う。事件性から龍人の部屋は現場保全中で、彼は別の場所で暮らしてもらっている。この状況をいたずらに長引かせるわけにはいかなかった。
わかったわ、と千歳は一つ息を吐いた。
「昨年の冬、十二月二十四日のことでした」
「クリスマスイブですね」
「はい。その日、家でささやかなパーティをする予定を立てていたのですが、龍人がそれを忘れて出張の予定を入れてしまったのです」
「そいつはひどい。あ、いや失礼。それで喧嘩になって、別居することになってしまったと?」
「そうです」
「龍人さんのほうが、部屋を出ていかれたのですか?」
「そうです。この部屋の家賃は、私が払っているものですから。それでですかね」
涼花が越智に耳打ちする。「千歳の実家、資産家なの」と。「なるほど」と越智は頷く。
「それから、現在まで別れて暮らしていると」
昨年の十二月からだとすでに九ヵ月だ。すいぶんと長い別居だと涼花は思う。
「はい。私は、もう怒ってはいないんですけれどもね」
「そうなのですか。もう怒ってはいないからと、一度彼と電話でお話をされてみてはいかがでしょう?」
婚約を解消したわけではないし、千歳は寄りを戻したがっている風でもある。なら、一度きちんと話をするべきではないかと涼花は思った。二人の間に、行き違いや誤解がありそうだ。
「何度か電話はしてるけど、彼は『うん』と言ってくれなくて。ああ見えて、一人の時間や空間を大切にする人なの。一人暮らしのほうが気楽なのかも」
千歳は寂しそうに微笑んだ。龍人は交友関係が派手だったが、周囲に過干渉するのもされるのも嫌うタイプだったなと涼花は思う。自由で奔放な一匹狼タイプなのだ。千歳の言葉に嘘はない。
「会ってはいないんですか?」
「いえ、数ヶ月に一度くらいは会ってるわ」
龍人の証言と一致する。涼花はメモに目を落とす。
「失礼ですが、龍人さんに他に好きな人ができた可能性は?」
「それはないと思います」
千歳はきっぱりと言い切った。
「他に好きな女性ができたのなら、私にきちんと別れを告げるはずです。そういう誠実な人ですから」
涼花と越智は再び顔を見合わせた。
「質問を変えます。蓮音さんの周辺で、何か良くない噂を聞いたことがありませんか? たとえば、交友関係や職場でのトラブルなど」
千歳は首を振る。
「彼は仕事ができる人だったから、トラブルなんて聞いたことないわ」
まるで別荘地のような住宅街のど真ん中に、目的地であるマンションは建っていた。十分な駐車スペースがあったので、コインパーキングなどを利用する必要がなくて助かった。
「もう少し小回りが利く車にしたらいいのに」と越智の愛車である国産SUVを見ながら涼花が嘆息すると、「これは男の浪漫なんです。女性にはわかりません」と彼は拗ねてみせた。
越智は、駐車をするときに何度も切り返しをしていた。男の浪漫など腹の足しにもならないなと涼花は思う。小さくて、小回りの効く車が一番だ。
戸部千歳の部屋はマンションの五階。インターホンを押すと、すぐに柔らかな声が応じ、扉が開く。
なだらかな肩、均整の取れた体躯、艶やかな長い黒髪。そこに立っていたのは、涼花の同級生、戸部千歳だった。高校時代と変わらぬ美貌は、むしろ大輪の花が開くように輝きを増している。涼花の胸に、懐かしさとほのかな疼きが混じる。
「あら……もしかして」
「ご無沙汰しています。水津涼花です」
警察手帳を見せると、千歳はたおやかに会釈した。
「ああ、やっぱり。……驚いた。またずいぶんと懐かしい顔が来たものね。いつから警察の仕事を?」
「大学を卒業してからすぐかな」
「そう。元気そうで何より」
千歳も、とこのタイミングで言うのは不謹慎に思えて、涼花は口を噤んだ。
「どうぞ入って」と千歳が促したので、涼花と越智は家の中に入る。外観から想像した通りの、洒落た造りの部屋だった。入ってすぐのところに広いリビングダイニングがあり、その奥がキッチンになっている。
ソファに座った涼花と越智に対して、「今、お茶を淹れるわ」と千歳は言った。
「あ……お構いなく。お話だけお伺いしましたら、すぐにおいとましますから」
「そういうわけにもいかないわ」
越智が恐縮したが、千歳はキッチンに立つとお茶の支度に取りかかった。「お手伝いします」と越智が申し出たが、千歳は笑って首を振る。
「いいの、座っていてください」
「……そうですか? 申し訳ありません」
涼花はぐるりと室内を見渡した。壁に油彩の風景画が何枚か飾ってある。千歳に絵を描く趣味があっただろうか? と一瞬考えて、いや、これは蓮音が描いたものだろうと思い至る。彼は高校時代美術部に所属していた。記憶が蘇りかけた瞬間、ダイニングテーブルのフォトフレームが目に入る。そこには、若い千歳と龍人が並んで笑っていた。
涼花の胸が、かすかに締めつけられる。
「どうぞ」
テーブルに出されたお茶に口をつけつつ、越智が切り出した。
「婚約者の弟さんが亡くなられたばかりで、気落ちされているところ恐縮です。本日は、龍人さんの恋人である千歳さんに、いくつかお伺いしたく参りました」
「私も驚いています。どうしてこんなことになってしまったのかと。龍人からは、自殺ではないかと聞きましたが、本当ですか?」
自殺だと聞いている? 涼花と越智は顔を見合わせた。
「いえ。自殺か他殺かは、まだはっきりしておりません。我々としては、状況証拠を可能な限り多く集めて、理論的にかつ慎重に結論を出さなければいけません。そのため、こうしてお時間を頂戴しているわけです」
「そうですよね、わかりました」
千歳は目を伏せた。長い睫毛が影を落とした。
「現在のお仕事は?」
「保険会社で派遣社員として働いています」
千歳の答えは淀みない。
「以前からその職場ですか?」
「いいえ。この家に引っ越した際、前の職場を辞めました。勤務地が遠くなってしまったもので」
「龍人さんと同棲を始めるための引っ越しでしたね?」
「そうです。ちょうど龍人が千葉市に転勤になったタイミングでしたので……二年ほど前の話でしょうか」
涼花はメモを取りながら、千歳の表情を観察する。落ち着いた受け答えに、動揺の色はない。
「龍人さんとは、半年ほど前から別居されていますよね? それはまた、どうして?」
「そんなことも言わなくてはならないの?」
急に口調がフランクになる。千歳の視線は涼花に向いていた。
「ごめんね。亡くなった蓮音と龍人の身の回りから調べていかないといけないの。龍人が引っ越しをした背景に、何かトラブルがあったと疑っているわけじゃないよ。何も問題がなかったことを、確認していかないといけないんだ。便宜上ね」
疑うのが仕事だから、と涼花は自嘲気味に笑う。事件性から龍人の部屋は現場保全中で、彼は別の場所で暮らしてもらっている。この状況をいたずらに長引かせるわけにはいかなかった。
わかったわ、と千歳は一つ息を吐いた。
「昨年の冬、十二月二十四日のことでした」
「クリスマスイブですね」
「はい。その日、家でささやかなパーティをする予定を立てていたのですが、龍人がそれを忘れて出張の予定を入れてしまったのです」
「そいつはひどい。あ、いや失礼。それで喧嘩になって、別居することになってしまったと?」
「そうです」
「龍人さんのほうが、部屋を出ていかれたのですか?」
「そうです。この部屋の家賃は、私が払っているものですから。それでですかね」
涼花が越智に耳打ちする。「千歳の実家、資産家なの」と。「なるほど」と越智は頷く。
「それから、現在まで別れて暮らしていると」
昨年の十二月からだとすでに九ヵ月だ。すいぶんと長い別居だと涼花は思う。
「はい。私は、もう怒ってはいないんですけれどもね」
「そうなのですか。もう怒ってはいないからと、一度彼と電話でお話をされてみてはいかがでしょう?」
婚約を解消したわけではないし、千歳は寄りを戻したがっている風でもある。なら、一度きちんと話をするべきではないかと涼花は思った。二人の間に、行き違いや誤解がありそうだ。
「何度か電話はしてるけど、彼は『うん』と言ってくれなくて。ああ見えて、一人の時間や空間を大切にする人なの。一人暮らしのほうが気楽なのかも」
千歳は寂しそうに微笑んだ。龍人は交友関係が派手だったが、周囲に過干渉するのもされるのも嫌うタイプだったなと涼花は思う。自由で奔放な一匹狼タイプなのだ。千歳の言葉に嘘はない。
「会ってはいないんですか?」
「いえ、数ヶ月に一度くらいは会ってるわ」
龍人の証言と一致する。涼花はメモに目を落とす。
「失礼ですが、龍人さんに他に好きな人ができた可能性は?」
「それはないと思います」
千歳はきっぱりと言い切った。
「他に好きな女性ができたのなら、私にきちんと別れを告げるはずです。そういう誠実な人ですから」
涼花と越智は再び顔を見合わせた。
「質問を変えます。蓮音さんの周辺で、何か良くない噂を聞いたことがありませんか? たとえば、交友関係や職場でのトラブルなど」
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