殺意の二重奏

木立 花音

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第四章「語られた、犯行動機」

【悪酔いしたい、夜がある】

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 龍人はリビングで一人、酒を飲んでいた。
 気休めに点けていたテレビは、いつの間にか深夜の報道番組に変わっていた。グラスに注がれているのは、熟したさくらんぼのように赤味の強いワインだ。丸みのある味わいと滑らかな舌触りが、ほのかに舌に残る。氷がカランと小さく鳴り、半分残っていたワインを龍人は一気に飲み干した。  
 空のグラスに再びワインを注ぐ。その動作を何度繰り返しただろう。適度な酔いは回っているのに、意識はどこまでも鮮明だ。龍人にとって酒は現実逃避の手段だった。だが今宵、アルコールはその機能を果たしていない。現実を忘れられず、気休めにもならない。  
 諦めてグラスをテーブルに置く。龍人はソファに深くもたれ、目を閉じた。すると、懐かしい記憶が、さっきまでそこにあったかのように脳裏に鮮明に浮かぶ。浮かんだのは、今日会った一人の女性の姿だ。  
 龍人は目を細め、懐かしさに胸を締め付けられる。
 わかっている。自分が何に心を痛めているのか。良心の呵責だ。  
 ――ねえ、龍人。  
 懐かしい声がする。
 それは、中学時代のある日の放課後の記憶だ。幼馴染の水津涼花が、屈託のない笑顔でこう言ったのだ。
「明日なんだけどさ、時間ある?」
「明日? ああ、大丈夫だけど」
 特に予定はなかったので、龍人は気軽に答えた。涼花の顔がぱっと明るくなり、嬉しそうに微笑んだ。
「本当? 良かったぁ! じゃあ、買い物に付き合ってくれない?」
 裏表のないさっぱりとした性格と、健康的なその美貌で、涼花はクラスで人気のある女子生徒だった。そんな彼女からの誘いであれば、龍人も悪い気はしない。
「買い物?」
「うん! 新しい服とか見たくてさ」
「わかった。いいよ」
 それでも龍人は素っ気なく返した。
 涼花の笑顔はまるで朝陽のようで、彼女の周りだけが鮮やかな色彩で輝きを放っているように感じられた。
「ありがと! じゃあ明日の放課後ね!」
 涼花は誰にでも分け隔てなく接する。だから、特別な意味などなかったのかもしれない。それでも――うぬぼれかもしれないが――彼女が自分を少しは特別に思ってくれているのを知っていた。龍人も、涼花が嫌いではなかった。  
 でも、それはやはり違うのだ。龍人は胸中でかぶりを振る。
 涼花にとって自分は恋愛対象ではない。彼女の恋愛感情は自分ではなく、双子の兄弟に向けられていた。彼女にとって龍人は、これまで一貫してただの幼馴染だ。自分、涼花、兄弟の三角関係は、微妙なバランスの上に成り立っていた。  
 だから、涼花の気持ちは嬉しいけれども素直に喜べない。
 自分は兄弟の代替品に過ぎない――劣等感が心に絡みつく。  
 高校に進み千歳が絡んでくると、三角形はさらに歪んで複雑化した。
 俺たち兄弟は、お互いに嫉妬心と所有欲を持っていた。
 双子だからだろうか、興味や関心を共有できるし、感覚的な思考もよく似ている。そのせいか、つい相手と自分を比べてしまう癖があった。あいつが光をつかめば、俺も同じ輝きを、いや、それを超える星屑を手にしたいと渇望する。誰かが囁いたことがある――「それはお前が自分を低く見ているからだ」と。確かに、その言葉は俺の胸に静かに刺さったのだろう。
 あいつと同じものを手に入れるか、あるいは先にそれをつかむことでしか、心の空隙を埋められなかった。劣等感という絡みつく糸から逃れる術を、俺は他に知らなかったのだ。 
 千歳は陽光のように笑うが、その瞳の奥には翳りが漂い、時折、作り物の笑みを風に散らす。そんな彼女を支えるという驕りが、俺たち兄弟に優越感を与えていた。だがその優越感は互いの魂を縛る鎖となり、共依存の渦に沈むばかりだった。
「あいつはあいつ、俺は俺」と割り切れればよかった。だが、そう簡単にはいかなかった。だから、千歳を好きになった。あいつも千歳を好いていたからだ。  
 千歳が絡んでくると、次第に涼花は身を引いた。それでも、涼花はたまに龍人のクラスに顔を出しては彼をからかって笑った。その時間が、涼花との唯一の接点だった。
 高校を卒業すると、それきり涼花とは疎遠になった。
 それでも、心の片隅にずっと涼花の影が残っていた。
 今の恋がダメになったから、じゃあ、昔の恋に、としがみつくのはみっともない。それがわかっていてなお後悔を止められない自分は、いまだに子どもみたいな精神構造をしているのだろう。
 あれから、数年。
 今ごろになって涼花と再会したのは、運命の悪戯か。
 龍人は心の中で呟く。そして再びグラスに入ったワインを口に含んだ。
 龍人はグラスにワインを注ぎ、口に含む。ふと思い立つ。明日、涼花を誘ってみようかと。刑事として忙しく働く彼女の姿を思い浮かべる。涼花の仕事終わりを待ち、軽く体を動かさないかと声をかける――そんな場面を想像すると、胸の奥がざわついた。  

 翌日の夕方、龍人は警察署の近くにいた。署の正面玄関から出てくる人影を眺めながら、龍人は落ち着かない気持ちで待つ。夕暮れの空が赤く染まり、街の喧騒が遠く響く。  
 やがて、涼花が現れる。スーツの上にカーディガンを羽織り、髪を無造作にまとめている。疲れた様子ながらどこか凛とした佇まいだ。
 声をかけていいものか一瞬迷ったが、彼女がこちらに気付く前に意を決して歩み寄った。  
「よお、涼花」  
 涼花が足を止め、驚いたように振り返る。
「龍人。なんでここに? ……まさか千歳に何かあった?」
 真っ先に千歳の心配をするあたりが、彼女らしいなと龍人は思う。
「いや、そうじゃない。たまたま近くを通ってさ。……仕事、終わったんだろ?」  
「うん、さっき終わったところ。……何か用?」
 涼花の声には、探るような響きがある。刑事の癖か、彼女の目は龍人の表情をじっと見ている。  
「別に大したことじゃないんだけどさ。最近、なんか体がなまってて。涼花、運動するの好きだったよな? 近くの公園で軽く走ったりしないか?」  
 涼花は一瞬目を丸くする。なにそれ、と軽いトーンで笑う。
「走るだなんて、急にどうしたの?」
「いや、ほら、昔みたいにさ。二人で汗かいたら、なんかスッキリするかなって」
 涼花は視線を落とし、カーディガンの裾を無意識に握る。長い沈黙の後、彼女は小さく息を吐いた。
「……龍人、わかってるよね。私が刑事で、君が……その、事件に関係してるかもしれないってこと」  
「ああ、そういうことなのか。じゃあ、まずいよな。悪い、忘れてくれ」
 龍人が踵を返そうとしたとき、「待って」と涼花が呼び止める。
「部長に確認してみるよ」
 スマホを取り出して、涼花が何やら操作している。ややあって、「大丈夫だって」と涼花は小さく笑い、肩をすくめる。
「でも、変なことしたら許さないから」
「するわけないだろう」
 龍人はほっと息をつき、内心の動揺を隠す。
 このような提案をしたのはなぜか。自分でもわからなかった。ただ、涼花に会いたかった。もしかしたらこれは、自分なりの懺悔なのかもしれない。あるいは、涼花に対する挑戦状。どれだけ考えても、答えは出なかったけれど……。
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