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第7話 真実の書類
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病室の朝は、いつもより少し早く明るくなっていた。
カーテンの隙間から差し込む光が、白い床を静かに照らしている。
消毒液の匂いと、どこかから漂ってくるパンの焼ける匂い。
朝食の時間が近いらしい。
和子はベッドの上で目を覚ました。
足のギプスは相変わらず重い。
寝返りを打とうとすると、鈍い痛みが骨の奥に響く。
「……はあ」
小さく息を吐いた。
枕元の引き出しには、まだあの紙が入っている。
離婚届。
思い出すだけで、胸が少し冷たくなる。
そのとき、病室のドアが静かに開いた。
「お母さん」
娘の美咲だった。
今日は少し早い時間だ。
「早いのね」
和子が言うと、美咲は頷いた。
「ちょっとね」
手には封筒を持っている。
茶色い、大きめの封筒。
椅子を引いて座ると、机の上にそれを置いた。
「お父さんは?」
和子が聞く。
「さっき帰った」
美咲は苦い顔をした。
「『今日は用事がある』って」
和子は小さく頷いた。
修一は、あれ以来ほとんど長く居ない。
顔を出しても、すぐ帰る。
まるでこの病室の空気が気に入らないみたいに。
美咲は封筒をぽんと叩いた。
「お母さん」
「なに?」
「昨日の話」
和子の胸が少しだけ高鳴る。
昨日。
――名義ってどうなっていたかしら。
そう言ったとき、美咲の目が変わった。
「気になってさ」
美咲は封筒を開いた。
中から何枚かの紙を取り出す。
少し古い、黄ばんだ書類。
「家の書類、家にあった」
和子は思わず身を乗り出した。
「本当に?」
「うん」
紙がこすれる音。
パラ、パラ。
静かな病室に、その音が妙に響く。
美咲は一枚の紙を取り出した。
「これ」
和子の胸がドクンと鳴る。
「登記簿」
聞き慣れない言葉だったが、何となく意味はわかった。
家の正式な書類。
「ちゃんと調べた」
美咲の声は少し低い。
和子は息を飲んだ。
「……どうだったの?」
数秒、沈黙。
窓の外で風が吹き、カーテンがゆっくり揺れた。
美咲は紙を見つめたまま言った。
「ねえ、お母さん」
「うん」
「お父さん、完全に忘れてるよ」
「……え?」
美咲は紙をくるっと回し、和子の方へ向けた。
「ここ見て」
和子は目を凝らす。
細かい文字。
住所。
地番。
そして――
所有者。
そこに書かれていた名前。
**和子**
和子の息が止まった。
「……私?」
美咲が頷く。
「そう」
指でなぞる。
「所有者、和子」
病室の空気が、ゆっくり動いた。
遠くでナースコールが鳴る。
ピンポーン。
でも和子の耳には入らなかった。
「……そうだ」
胸の奥で、記憶が一気に蘇る。
住宅会社の廊下。
父の低い声。
――名義は和子にしなさい。
修一の沈黙。
あの春の日。
「……忘れてた」
和子は小さく呟いた。
美咲は苦笑した。
「忘れてたの、お母さんじゃないよ」
「え?」
「お父さん」
紙を軽く叩く。
「完全に」
和子は呆然とした。
「でも……修一さん、ずっと」
「『俺の家だ』って?」
美咲は肩をすくめた。
「言ってたね」
そして小さく笑った。
「違うじゃん」
和子の胸がゆっくり熱くなる。
四十年。
ずっと聞いてきた言葉。
――俺の家。
でも本当は。
ずっと。
「……私の家?」
「そう」
美咲ははっきり言った。
「お母さんの家」
その言葉は、思っていたよりずっと重かった。
和子はしばらく黙っていた。
窓の外の木が揺れる。
葉がこすれる音。
長い沈黙のあと、美咲がぽつりと言った。
「ねえ」
「なに?」
美咲は真剣な顔で和子を見る。
「お母さん」
「うん」
「追い出されるのは」
一瞬、間を置く。
そして、はっきり言った。
「お父さんだよ」
和子の胸の奥で、何かが静かに動いた。
怒りでも、悲しみでもない。
もっと静かなもの。
長い間、心の奥に沈んでいたものが、
ゆっくりと、
目を覚まし始めていた。
カーテンの隙間から差し込む光が、白い床を静かに照らしている。
消毒液の匂いと、どこかから漂ってくるパンの焼ける匂い。
朝食の時間が近いらしい。
和子はベッドの上で目を覚ました。
足のギプスは相変わらず重い。
寝返りを打とうとすると、鈍い痛みが骨の奥に響く。
「……はあ」
小さく息を吐いた。
枕元の引き出しには、まだあの紙が入っている。
離婚届。
思い出すだけで、胸が少し冷たくなる。
そのとき、病室のドアが静かに開いた。
「お母さん」
娘の美咲だった。
今日は少し早い時間だ。
「早いのね」
和子が言うと、美咲は頷いた。
「ちょっとね」
手には封筒を持っている。
茶色い、大きめの封筒。
椅子を引いて座ると、机の上にそれを置いた。
「お父さんは?」
和子が聞く。
「さっき帰った」
美咲は苦い顔をした。
「『今日は用事がある』って」
和子は小さく頷いた。
修一は、あれ以来ほとんど長く居ない。
顔を出しても、すぐ帰る。
まるでこの病室の空気が気に入らないみたいに。
美咲は封筒をぽんと叩いた。
「お母さん」
「なに?」
「昨日の話」
和子の胸が少しだけ高鳴る。
昨日。
――名義ってどうなっていたかしら。
そう言ったとき、美咲の目が変わった。
「気になってさ」
美咲は封筒を開いた。
中から何枚かの紙を取り出す。
少し古い、黄ばんだ書類。
「家の書類、家にあった」
和子は思わず身を乗り出した。
「本当に?」
「うん」
紙がこすれる音。
パラ、パラ。
静かな病室に、その音が妙に響く。
美咲は一枚の紙を取り出した。
「これ」
和子の胸がドクンと鳴る。
「登記簿」
聞き慣れない言葉だったが、何となく意味はわかった。
家の正式な書類。
「ちゃんと調べた」
美咲の声は少し低い。
和子は息を飲んだ。
「……どうだったの?」
数秒、沈黙。
窓の外で風が吹き、カーテンがゆっくり揺れた。
美咲は紙を見つめたまま言った。
「ねえ、お母さん」
「うん」
「お父さん、完全に忘れてるよ」
「……え?」
美咲は紙をくるっと回し、和子の方へ向けた。
「ここ見て」
和子は目を凝らす。
細かい文字。
住所。
地番。
そして――
所有者。
そこに書かれていた名前。
**和子**
和子の息が止まった。
「……私?」
美咲が頷く。
「そう」
指でなぞる。
「所有者、和子」
病室の空気が、ゆっくり動いた。
遠くでナースコールが鳴る。
ピンポーン。
でも和子の耳には入らなかった。
「……そうだ」
胸の奥で、記憶が一気に蘇る。
住宅会社の廊下。
父の低い声。
――名義は和子にしなさい。
修一の沈黙。
あの春の日。
「……忘れてた」
和子は小さく呟いた。
美咲は苦笑した。
「忘れてたの、お母さんじゃないよ」
「え?」
「お父さん」
紙を軽く叩く。
「完全に」
和子は呆然とした。
「でも……修一さん、ずっと」
「『俺の家だ』って?」
美咲は肩をすくめた。
「言ってたね」
そして小さく笑った。
「違うじゃん」
和子の胸がゆっくり熱くなる。
四十年。
ずっと聞いてきた言葉。
――俺の家。
でも本当は。
ずっと。
「……私の家?」
「そう」
美咲ははっきり言った。
「お母さんの家」
その言葉は、思っていたよりずっと重かった。
和子はしばらく黙っていた。
窓の外の木が揺れる。
葉がこすれる音。
長い沈黙のあと、美咲がぽつりと言った。
「ねえ」
「なに?」
美咲は真剣な顔で和子を見る。
「お母さん」
「うん」
「追い出されるのは」
一瞬、間を置く。
そして、はっきり言った。
「お父さんだよ」
和子の胸の奥で、何かが静かに動いた。
怒りでも、悲しみでもない。
もっと静かなもの。
長い間、心の奥に沈んでいたものが、
ゆっくりと、
目を覚まし始めていた。
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