13 / 15
第11話 却下
しおりを挟む
第11話 却下
決定書は、淡々としていた。
白い紙。
黒い活字。
感情の一切ない文章。
**保佐開始の申立てを却下する。**
**申立ては相当性を欠く。**
森本隆は、その一文を何度も目でなぞった。
インクの匂いが、かすかに鼻に残る。
家庭裁判所の廊下は、相変わらず静かだ。
蛍光灯の白い光が、床に反射している。
真紀は、少し離れた場所に立っている。
顔色が白い。
裁判官が最後に言う。
「刑事事件化については、現段階では見送ります」
一瞬、森本の胸がざわつく。
だが続く言葉が、空気を変える。
「ただし、申立ての経緯については、関係機関へ通知します」
真紀の目が揺れる。
「関係機関とは?」
裁判官の声は冷たい。
「社会福祉士資格の所管団体です」
その瞬間、真紀の呼吸が止まったように見えた。
「……それは」
声が震える。
「必要な調査が行われます」
木槌の音。
乾いた衝撃。
すべてが終わる。
廊下に出た瞬間、真紀が壁に手をついた。
指先が白くなる。
「どういうこと……」
初めて、声が崩れる。
森本は黙って立っている。
佐伯刑事が近づく。
「刑事立件は現時点では難しい。ただ」
視線を真紀へ向ける。
「三回の虚偽申告は記録に残ります」
真紀が振り向く。
「虚偽じゃありません!」
声が裏返る。
佐伯は淡々と返す。
「客観的証拠と一致しない申告です」
「私は心配しただけ!」
「結果的に、警察力が動いています」
静かな圧。
真紀の肩が震える。
森本は、ゆっくり言う。
「終わりだ」
真紀が睨む。
「あなたは勝った気でいるでしょう」
「勝ち負けじゃない」
「じゃあ何?」
森本は答えない。
彩花と恒一が、少し離れた場所にいる。
彩花が小さく言う。
「お母さん……」
真紀は娘を見る。
その目に、初めて迷いが浮かぶ。
「私は、あなたたちを守ろうとしたの」
恒一が、低く言う。
「父さんを壊して?」
その言葉が、鋭い。
真紀の顔が歪む。
「違う!」
声が震える。
「お父さん、最近おかしかったでしょう?優先順位も、感情も……」
森本が静かに言う。
「俺は壊れていない」
真紀は、両手で顔を覆う。
肩が、小刻みに震える。
「怖かったの……」
その声は、初めて本音に近い。
「あなたが、どんどん遠くなる気がして」
廊下に、人の足音が響く。
誰も立ち止まらない。
世界は通常運転だ。
「だから権限を握ろうとしたのか」
森本の声は、低い。
真紀は涙をこぼす。
「違う……守りたかった」
「俺を施設に入れて?」
「もしものためよ!」
叫び声が、廊下に反響する。
一瞬、沈黙。
真紀は膝から崩れ落ちた。
スーツの膝が床に触れる。
冷たいタイル。
「私は……間違ってないと思ってた」
涙が、ぽたりと落ちる。
「手続きも、制度も、全部正しいって」
森本は、静かに見下ろす。
怒りは、もうない。
「正しい手続きでも、動機が歪めば暴力になる」
真紀の嗚咽が、廊下に響く。
彩花が、迷いながら近づく。
「お母さん……」
だが手は、伸びない。
恒一は立ったまま、目を伏せている。
真紀は、顔を上げる。
化粧が崩れ、目が赤い。
「資格……どうなるの?」
声が、子どものようだ。
佐伯が静かに言う。
「調査次第です」
真紀の呼吸が荒くなる。
「私、それしかないのに……」
森本の胸が、わずかに痛む。
だが言葉は、冷静だ。
「俺も、それしかなかった」
仕事。
信用。
家族。
奪われかけた。
真紀は、声を絞り出す。
「離婚、する?」
その問いは、弱い。
森本は、少しだけ間を置く。
空調の風が頬を撫でる。
遠くでエレベーターのベル。
「話は後だ」
感情を抑えた声。
真紀は、俯く。
崩壊は、派手ではない。
音もなく、
静かに、
積み上げたものが崩れる。
社会福祉士としての信用。
母としての立場。
妻としての正当性。
すべてが、ひび割れている。
森本は、ゆっくり歩き出す。
子どもたちが後に続く。
背後で、真紀の嗚咽が残る。
外に出ると、空気が冷たい。
深く吸い込む。
肺が痛い。
だが、生きている。
却下。
その二文字は、重い。
守られたものもある。
壊れたものもある。
森本は空を見上げる。
灰色の雲の隙間に、わずかに光。
戦いは終わった。
だが、物語はまだ終わらない。
決定書は、淡々としていた。
白い紙。
黒い活字。
感情の一切ない文章。
**保佐開始の申立てを却下する。**
**申立ては相当性を欠く。**
森本隆は、その一文を何度も目でなぞった。
インクの匂いが、かすかに鼻に残る。
家庭裁判所の廊下は、相変わらず静かだ。
蛍光灯の白い光が、床に反射している。
真紀は、少し離れた場所に立っている。
顔色が白い。
裁判官が最後に言う。
「刑事事件化については、現段階では見送ります」
一瞬、森本の胸がざわつく。
だが続く言葉が、空気を変える。
「ただし、申立ての経緯については、関係機関へ通知します」
真紀の目が揺れる。
「関係機関とは?」
裁判官の声は冷たい。
「社会福祉士資格の所管団体です」
その瞬間、真紀の呼吸が止まったように見えた。
「……それは」
声が震える。
「必要な調査が行われます」
木槌の音。
乾いた衝撃。
すべてが終わる。
廊下に出た瞬間、真紀が壁に手をついた。
指先が白くなる。
「どういうこと……」
初めて、声が崩れる。
森本は黙って立っている。
佐伯刑事が近づく。
「刑事立件は現時点では難しい。ただ」
視線を真紀へ向ける。
「三回の虚偽申告は記録に残ります」
真紀が振り向く。
「虚偽じゃありません!」
声が裏返る。
佐伯は淡々と返す。
「客観的証拠と一致しない申告です」
「私は心配しただけ!」
「結果的に、警察力が動いています」
静かな圧。
真紀の肩が震える。
森本は、ゆっくり言う。
「終わりだ」
真紀が睨む。
「あなたは勝った気でいるでしょう」
「勝ち負けじゃない」
「じゃあ何?」
森本は答えない。
彩花と恒一が、少し離れた場所にいる。
彩花が小さく言う。
「お母さん……」
真紀は娘を見る。
その目に、初めて迷いが浮かぶ。
「私は、あなたたちを守ろうとしたの」
恒一が、低く言う。
「父さんを壊して?」
その言葉が、鋭い。
真紀の顔が歪む。
「違う!」
声が震える。
「お父さん、最近おかしかったでしょう?優先順位も、感情も……」
森本が静かに言う。
「俺は壊れていない」
真紀は、両手で顔を覆う。
肩が、小刻みに震える。
「怖かったの……」
その声は、初めて本音に近い。
「あなたが、どんどん遠くなる気がして」
廊下に、人の足音が響く。
誰も立ち止まらない。
世界は通常運転だ。
「だから権限を握ろうとしたのか」
森本の声は、低い。
真紀は涙をこぼす。
「違う……守りたかった」
「俺を施設に入れて?」
「もしものためよ!」
叫び声が、廊下に反響する。
一瞬、沈黙。
真紀は膝から崩れ落ちた。
スーツの膝が床に触れる。
冷たいタイル。
「私は……間違ってないと思ってた」
涙が、ぽたりと落ちる。
「手続きも、制度も、全部正しいって」
森本は、静かに見下ろす。
怒りは、もうない。
「正しい手続きでも、動機が歪めば暴力になる」
真紀の嗚咽が、廊下に響く。
彩花が、迷いながら近づく。
「お母さん……」
だが手は、伸びない。
恒一は立ったまま、目を伏せている。
真紀は、顔を上げる。
化粧が崩れ、目が赤い。
「資格……どうなるの?」
声が、子どものようだ。
佐伯が静かに言う。
「調査次第です」
真紀の呼吸が荒くなる。
「私、それしかないのに……」
森本の胸が、わずかに痛む。
だが言葉は、冷静だ。
「俺も、それしかなかった」
仕事。
信用。
家族。
奪われかけた。
真紀は、声を絞り出す。
「離婚、する?」
その問いは、弱い。
森本は、少しだけ間を置く。
空調の風が頬を撫でる。
遠くでエレベーターのベル。
「話は後だ」
感情を抑えた声。
真紀は、俯く。
崩壊は、派手ではない。
音もなく、
静かに、
積み上げたものが崩れる。
社会福祉士としての信用。
母としての立場。
妻としての正当性。
すべてが、ひび割れている。
森本は、ゆっくり歩き出す。
子どもたちが後に続く。
背後で、真紀の嗚咽が残る。
外に出ると、空気が冷たい。
深く吸い込む。
肺が痛い。
だが、生きている。
却下。
その二文字は、重い。
守られたものもある。
壊れたものもある。
森本は空を見上げる。
灰色の雲の隙間に、わずかに光。
戦いは終わった。
だが、物語はまだ終わらない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる