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第6話:取り乱す女
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第6話:取り乱す女
玄関のドアが閉まったはずなのに、
継母はまだ出ていかなかった。
スーツケースを握りしめたまま、
リビングの中央で立ち尽くしている。
「……こんなの、認めない」
低く、湿った声。
私はソファの背に指先を置いた。
革の冷たい感触が、現実をはっきりさせる。
橘が淡々と言う。
「法的に確定しています。名義、遺言、公証、全て有効です」
「そんな紙切れで人生が決まるわけないでしょ!」
継母の声が裏返る。
ワインの匂いが強い。
甘く、重く、鼻にまとわりつく。
連れ子の姉が涙目で叫ぶ。
「ママ、何か言いなよ!」
「言ってるでしょう!」
ヒステリックな声が壁に跳ね返る。
私はただ、見ている。
五年前、同じ声に震えていた少女は、もういない。
「私が育てたのよ!」
継母が叫ぶ。
唾が飛ぶ。
頬が紅潮し、目が血走っている。
「誰がご飯を食べさせたと思ってるの! 誰が洗濯してやったの!?」
私は首を傾ける。
「私です」
空気が止まる。
「……何ですって?」
「掃除も、洗濯も、料理も。私がやりました」
連れ子の妹が顔をしかめる。
「は? 家族なんだから普通じゃん」
「家族は、立ったまま食べません」
自分の声が驚くほど静かだ。
冬の台所。
冷たい床。
冷めた皿。
匂いまで蘇る。
継母が笑う。
引きつった、乾いた笑い。
「証拠でもあるの?」
橘が、静かに鞄を開く。
ファイルが一冊、二冊、三冊。
分厚い紙の束。
「あります」
継母の喉が鳴る。
「これは、お父様が残した日記のコピーです」
橘がページを開く。
紙の擦れる音が、やけに大きい。
「“心陽、本日も朝四時起床。家事。学校遅刻。”」
継母の顔色が変わる。
「“連れ子二名、食事後、皿も下げず。”」
空気が重くなる。
私は呼吸を整える。
日記の文字が目に浮かぶ。
父は、見ていた。
「さらに、録音データ」
橘が小さな機器を置く。
再生。
――“学校より家のことが大事でしょ?”
継母の声だ。
歪んだ音声でも、はっきり分かる。
連れ子の姉が青ざめる。
「ちょっと、ママ……」
継母が橘に詰め寄る。
「盗聴!? 違法よ!」
「家庭内での録音は、証拠として有効です」
橘は微動だにしない。
私は継母を見る。
「父は、知っていました」
その一言で、継母の目が泳ぐ。
「……嘘よ」
「通帳もあります」
橘が次の書類を開く。
「生活費として引き出された金額と、実際の使用履歴」
レシートのコピーが並ぶ。
高級レストラン。
ブランド品。
エステ。
私の学用品は、最安値のものばかりだった。
「これは……家計の問題よ!」
「未成年の養育費の不正流用です」
橘の声が、少しだけ硬くなる。
「さらに、施設入所に関する経緯」
私は息を飲む。
橘が読み上げる。
「“心陽を一時的に保護施設へ預ける。十八歳まで、財産に触れさせるな。”」
継母が叫ぶ。
「それは私の判断よ!」
「いいえ」
橘が紙を裏返す。
「施設側の記録には、“後妻の強い要望により即日入所”とあります。お父様の意思ではない」
静寂。
時計の秒針の音が、やけに大きい。
継母の肩が震え始める。
「……あなたは、感謝すべきなのよ」
急に声が低くなる。
「私はあなたを引き取った。面倒を見た。屋根の下に置いてやった」
私は一歩、近づく。
革靴が床を鳴らす。
「屋根の下に“置いた”んですね」
視線を合わせる。
「育てた、ではなく」
継母の目に涙が滲む。
でも、それは後悔の涙じゃない。
怒りと焦りの涙。
「私は悪くない! あなたが生意気だったから!」
連れ子の妹が泣き出す。
「ママやめてよ……」
橘が静かに言う。
「これ以上の抗議は無意味です。不当利得返還請求も可能です」
「な、何よそれ!」
「過去五年分、法的に遡及できます」
継母の顔から血の気が引く。
「そんな……そんなの……」
私は深く息を吸う。
ワインの匂いが薄れる。
代わりに、冷たい空気が肺に入る。
「私は復讐しに来たわけじゃない」
声が震えないことに、自分で驚く。
「ただ、父の遺言を守るだけです」
継母が床に崩れ落ちる。
ヒールの音が虚しく響く。
「私だって……苦労したのよ……」
その言葉は、初めて聞く弱さだった。
でも、私の胸は揺れない。
「私は八歳でした」
それだけ言う。
連れ子たちは黙る。
橘が書類を閉じる。
「本日中に退去を。さもなくば、法的手続きを開始します」
継母は何か言おうとして、言葉にならない。
私は窓のカーテンを開ける。
冬の光が、部屋に流れ込む。
埃が舞う。
この家は、こんなに暗かっただろうか。
継母が立ち上がる。
力なく、スーツケースを引く。
連れ子たちも、無言で続く。
玄関のドアが開く。
冷たい風が一瞬、吹き込む。
そして、閉まる。
静寂。
私はリビングの中央に立つ。
床の冷たさが、足裏に伝わる。
勝った。
でも、歓喜はない。
ただ、ひとつの鎖が外れた感覚。
橘が言う。
「完全勝利です」
私は首を横に振る。
「違います」
窓から入る光を見つめる。
「これが、スタートです」
胸の奥が、ようやく静かになる。
ざまぁ第二波は、怒号ではなく、
法と証拠で終わった。
そして私は、
もう誰の使用人でもない。
玄関のドアが閉まったはずなのに、
継母はまだ出ていかなかった。
スーツケースを握りしめたまま、
リビングの中央で立ち尽くしている。
「……こんなの、認めない」
低く、湿った声。
私はソファの背に指先を置いた。
革の冷たい感触が、現実をはっきりさせる。
橘が淡々と言う。
「法的に確定しています。名義、遺言、公証、全て有効です」
「そんな紙切れで人生が決まるわけないでしょ!」
継母の声が裏返る。
ワインの匂いが強い。
甘く、重く、鼻にまとわりつく。
連れ子の姉が涙目で叫ぶ。
「ママ、何か言いなよ!」
「言ってるでしょう!」
ヒステリックな声が壁に跳ね返る。
私はただ、見ている。
五年前、同じ声に震えていた少女は、もういない。
「私が育てたのよ!」
継母が叫ぶ。
唾が飛ぶ。
頬が紅潮し、目が血走っている。
「誰がご飯を食べさせたと思ってるの! 誰が洗濯してやったの!?」
私は首を傾ける。
「私です」
空気が止まる。
「……何ですって?」
「掃除も、洗濯も、料理も。私がやりました」
連れ子の妹が顔をしかめる。
「は? 家族なんだから普通じゃん」
「家族は、立ったまま食べません」
自分の声が驚くほど静かだ。
冬の台所。
冷たい床。
冷めた皿。
匂いまで蘇る。
継母が笑う。
引きつった、乾いた笑い。
「証拠でもあるの?」
橘が、静かに鞄を開く。
ファイルが一冊、二冊、三冊。
分厚い紙の束。
「あります」
継母の喉が鳴る。
「これは、お父様が残した日記のコピーです」
橘がページを開く。
紙の擦れる音が、やけに大きい。
「“心陽、本日も朝四時起床。家事。学校遅刻。”」
継母の顔色が変わる。
「“連れ子二名、食事後、皿も下げず。”」
空気が重くなる。
私は呼吸を整える。
日記の文字が目に浮かぶ。
父は、見ていた。
「さらに、録音データ」
橘が小さな機器を置く。
再生。
――“学校より家のことが大事でしょ?”
継母の声だ。
歪んだ音声でも、はっきり分かる。
連れ子の姉が青ざめる。
「ちょっと、ママ……」
継母が橘に詰め寄る。
「盗聴!? 違法よ!」
「家庭内での録音は、証拠として有効です」
橘は微動だにしない。
私は継母を見る。
「父は、知っていました」
その一言で、継母の目が泳ぐ。
「……嘘よ」
「通帳もあります」
橘が次の書類を開く。
「生活費として引き出された金額と、実際の使用履歴」
レシートのコピーが並ぶ。
高級レストラン。
ブランド品。
エステ。
私の学用品は、最安値のものばかりだった。
「これは……家計の問題よ!」
「未成年の養育費の不正流用です」
橘の声が、少しだけ硬くなる。
「さらに、施設入所に関する経緯」
私は息を飲む。
橘が読み上げる。
「“心陽を一時的に保護施設へ預ける。十八歳まで、財産に触れさせるな。”」
継母が叫ぶ。
「それは私の判断よ!」
「いいえ」
橘が紙を裏返す。
「施設側の記録には、“後妻の強い要望により即日入所”とあります。お父様の意思ではない」
静寂。
時計の秒針の音が、やけに大きい。
継母の肩が震え始める。
「……あなたは、感謝すべきなのよ」
急に声が低くなる。
「私はあなたを引き取った。面倒を見た。屋根の下に置いてやった」
私は一歩、近づく。
革靴が床を鳴らす。
「屋根の下に“置いた”んですね」
視線を合わせる。
「育てた、ではなく」
継母の目に涙が滲む。
でも、それは後悔の涙じゃない。
怒りと焦りの涙。
「私は悪くない! あなたが生意気だったから!」
連れ子の妹が泣き出す。
「ママやめてよ……」
橘が静かに言う。
「これ以上の抗議は無意味です。不当利得返還請求も可能です」
「な、何よそれ!」
「過去五年分、法的に遡及できます」
継母の顔から血の気が引く。
「そんな……そんなの……」
私は深く息を吸う。
ワインの匂いが薄れる。
代わりに、冷たい空気が肺に入る。
「私は復讐しに来たわけじゃない」
声が震えないことに、自分で驚く。
「ただ、父の遺言を守るだけです」
継母が床に崩れ落ちる。
ヒールの音が虚しく響く。
「私だって……苦労したのよ……」
その言葉は、初めて聞く弱さだった。
でも、私の胸は揺れない。
「私は八歳でした」
それだけ言う。
連れ子たちは黙る。
橘が書類を閉じる。
「本日中に退去を。さもなくば、法的手続きを開始します」
継母は何か言おうとして、言葉にならない。
私は窓のカーテンを開ける。
冬の光が、部屋に流れ込む。
埃が舞う。
この家は、こんなに暗かっただろうか。
継母が立ち上がる。
力なく、スーツケースを引く。
連れ子たちも、無言で続く。
玄関のドアが開く。
冷たい風が一瞬、吹き込む。
そして、閉まる。
静寂。
私はリビングの中央に立つ。
床の冷たさが、足裏に伝わる。
勝った。
でも、歓喜はない。
ただ、ひとつの鎖が外れた感覚。
橘が言う。
「完全勝利です」
私は首を横に振る。
「違います」
窓から入る光を見つめる。
「これが、スタートです」
胸の奥が、ようやく静かになる。
ざまぁ第二波は、怒号ではなく、
法と証拠で終わった。
そして私は、
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