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第5話 父の死
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第5話 父の死
三年は、あっという間だった。
そう言うと簡単に聞こえるけれど、本当は違う。
一日一日は、驚くほど長かった。
夜中の呼び声。
トイレの介助。
食事を一口ずつ運ぶ時間。
それでも、気がつけば三年が過ぎていた。
その日の朝は、妙に静かだった。
父の部屋の窓から、薄い冬の光が入っている。空気は冷たく、吐く息がかすかに白い。
「父さん」
私はいつものように声をかけた。
返事はなかった。
「父さん?」
ベッドに近づく。
父は仰向けのまま、静かに眠っているように見えた。
でも。
胸が、動いていない。
私はそっと手を伸ばす。
「……父さん」
肩に触れる。
冷たかった。
その瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
「父さん……」
もう一度呼ぶ。
でも、返事はない。
窓の外で、風が木を揺らしていた。
葬式の日は、朝から慌ただしかった。
黒い服の人たち。
線香の匂い。
低く流れる読経の声。
葬儀場の空気は、どこか重たい。
私は椅子に座り、膝の上で手を組んでいた。
遺影の父は、昔の顔だった。まだ元気だったころの、少し照れた笑顔。
線香の煙が、ゆっくり天井へ昇っていく。
「美月」
声がした。
振り向くと、兄の健一が立っていた。
黒いネクタイを緩めながら言う。
「疲れてるだろ」
「大丈夫」
「三年も介護してたんだし」
兄はそう言いながら、どこか他人事みたいな顔だった。
その横で、兄嫁の由香がスマートフォンをいじっている。
「ねえ」
由香が顔を上げた。
「香典袋ってどこ置くの?」
「受付」
「そうなんだ」
軽い声だった。
私は視線を落とす。
読経の声が、低く響いている。
線香の煙の匂いが、鼻に残る。
式が終わり、控室に移ったときだった。
由香がふっと笑った。
「ほんと大変だったね」
私は顔を上げる。
「……なにが?」
「介護」
由香は椅子に座りながら言う。
「三年もやってたんでしょ?」
「うん」
「でもさ」
その言葉は、妙に軽かった。
> 「介護くらいで恩着せがましいのよ」
時間が、一瞬止まった気がした。
私は由香を見る。
「恩着せがましいなんて」
「だってさ」
由香は肩をすくめる。
「家族なんだから当然じゃない?」
胸の奥で、何かが小さく軋む。
「……」
「健一くんだって忙しいんだし」
兄は苦笑する。
「まあまあ」
止めるでもなく、ただ笑う。
私は何も言わなかった。
言葉が、出てこなかった。
そのあと、遺言の話が出た。
親族が数人集まり、小さな部屋に座る。
空気は重く、誰もあまり話さない。
父の知り合いの行政書士が、封筒を机に置いた。
「お父さまの遺言書です」
紙の音が、やけに大きく聞こえた。
封が開かれる。
ページがめくられる。
私は膝の上で手を握っていた。
行政書士が読み上げる。
「被相続人、誠一は――」
声は淡々としている。
そして。
「全財産を長男、健一に相続させる」
その言葉が、部屋に落ちた。
一瞬、音が消えた。
私は遺影を見る。
父は、静かに笑っている。
兄が息を吐く。
「……そうか」
由香の顔がぱっと明るくなった。
「やっぱりね」
私は何も言えなかった。
胸の奥が、空っぽになる。
三年。
食事。
排泄。
夜の介助。
すべての時間が、遠くに流れていく。
葬儀場の外に出ると、空気は冷たかった。
冬の風が頬に当たる。
空は曇っていた。
兄が言う。
「美月」
「なに?」
「これからのことだけど」
その声は、妙に事務的だった。
「家のことな」
「……うん」
「父さんの遺言通り」
兄はポケットに手を入れる。
「俺のものになる」
私はうなずいた。
「そうだね」
由香が腕を組む。
それから言った。
> 「もう役目終わりだろ?」
胸の奥が、ゆっくり冷えていく。
「三年もいたんだからさ」
由香は続ける。
「十分でしょ」
私は兄を見る。
兄は視線をそらした。
「……」
由香が言う。
> 「明日までに出ていけ」
その言葉は、風より冷たかった。
私はしばらく何も言えなかった。
葬儀場の前で、枯れ葉が転がっていく。
遠くで車が通る音。
誰かの話し声。
そのすべてが、妙に遠い。
「……わかった」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
兄は小さくうなずく。
「悪いな」
由香はため息をついた。
「早めに荷物まとめてね」
私は空を見上げる。
曇った空。
冷たい風。
胸の奥は、静かだった。
怒りでもなく、悲しみでもなく。
ただ、何かが終わったような感覚。
三年。
父の部屋。
夜の声。
すべてが、遠くなっていく。
私は小さく息を吐いた。
そして静かに思った。
これで、本当に――
終わりなのだろうか。
三年は、あっという間だった。
そう言うと簡単に聞こえるけれど、本当は違う。
一日一日は、驚くほど長かった。
夜中の呼び声。
トイレの介助。
食事を一口ずつ運ぶ時間。
それでも、気がつけば三年が過ぎていた。
その日の朝は、妙に静かだった。
父の部屋の窓から、薄い冬の光が入っている。空気は冷たく、吐く息がかすかに白い。
「父さん」
私はいつものように声をかけた。
返事はなかった。
「父さん?」
ベッドに近づく。
父は仰向けのまま、静かに眠っているように見えた。
でも。
胸が、動いていない。
私はそっと手を伸ばす。
「……父さん」
肩に触れる。
冷たかった。
その瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
「父さん……」
もう一度呼ぶ。
でも、返事はない。
窓の外で、風が木を揺らしていた。
葬式の日は、朝から慌ただしかった。
黒い服の人たち。
線香の匂い。
低く流れる読経の声。
葬儀場の空気は、どこか重たい。
私は椅子に座り、膝の上で手を組んでいた。
遺影の父は、昔の顔だった。まだ元気だったころの、少し照れた笑顔。
線香の煙が、ゆっくり天井へ昇っていく。
「美月」
声がした。
振り向くと、兄の健一が立っていた。
黒いネクタイを緩めながら言う。
「疲れてるだろ」
「大丈夫」
「三年も介護してたんだし」
兄はそう言いながら、どこか他人事みたいな顔だった。
その横で、兄嫁の由香がスマートフォンをいじっている。
「ねえ」
由香が顔を上げた。
「香典袋ってどこ置くの?」
「受付」
「そうなんだ」
軽い声だった。
私は視線を落とす。
読経の声が、低く響いている。
線香の煙の匂いが、鼻に残る。
式が終わり、控室に移ったときだった。
由香がふっと笑った。
「ほんと大変だったね」
私は顔を上げる。
「……なにが?」
「介護」
由香は椅子に座りながら言う。
「三年もやってたんでしょ?」
「うん」
「でもさ」
その言葉は、妙に軽かった。
> 「介護くらいで恩着せがましいのよ」
時間が、一瞬止まった気がした。
私は由香を見る。
「恩着せがましいなんて」
「だってさ」
由香は肩をすくめる。
「家族なんだから当然じゃない?」
胸の奥で、何かが小さく軋む。
「……」
「健一くんだって忙しいんだし」
兄は苦笑する。
「まあまあ」
止めるでもなく、ただ笑う。
私は何も言わなかった。
言葉が、出てこなかった。
そのあと、遺言の話が出た。
親族が数人集まり、小さな部屋に座る。
空気は重く、誰もあまり話さない。
父の知り合いの行政書士が、封筒を机に置いた。
「お父さまの遺言書です」
紙の音が、やけに大きく聞こえた。
封が開かれる。
ページがめくられる。
私は膝の上で手を握っていた。
行政書士が読み上げる。
「被相続人、誠一は――」
声は淡々としている。
そして。
「全財産を長男、健一に相続させる」
その言葉が、部屋に落ちた。
一瞬、音が消えた。
私は遺影を見る。
父は、静かに笑っている。
兄が息を吐く。
「……そうか」
由香の顔がぱっと明るくなった。
「やっぱりね」
私は何も言えなかった。
胸の奥が、空っぽになる。
三年。
食事。
排泄。
夜の介助。
すべての時間が、遠くに流れていく。
葬儀場の外に出ると、空気は冷たかった。
冬の風が頬に当たる。
空は曇っていた。
兄が言う。
「美月」
「なに?」
「これからのことだけど」
その声は、妙に事務的だった。
「家のことな」
「……うん」
「父さんの遺言通り」
兄はポケットに手を入れる。
「俺のものになる」
私はうなずいた。
「そうだね」
由香が腕を組む。
それから言った。
> 「もう役目終わりだろ?」
胸の奥が、ゆっくり冷えていく。
「三年もいたんだからさ」
由香は続ける。
「十分でしょ」
私は兄を見る。
兄は視線をそらした。
「……」
由香が言う。
> 「明日までに出ていけ」
その言葉は、風より冷たかった。
私はしばらく何も言えなかった。
葬儀場の前で、枯れ葉が転がっていく。
遠くで車が通る音。
誰かの話し声。
そのすべてが、妙に遠い。
「……わかった」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
兄は小さくうなずく。
「悪いな」
由香はため息をついた。
「早めに荷物まとめてね」
私は空を見上げる。
曇った空。
冷たい風。
胸の奥は、静かだった。
怒りでもなく、悲しみでもなく。
ただ、何かが終わったような感覚。
三年。
父の部屋。
夜の声。
すべてが、遠くなっていく。
私は小さく息を吐いた。
そして静かに思った。
これで、本当に――
終わりなのだろうか。
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