『長女だからと介護を押し付けられ会社を辞めた私、父の葬式の翌日に追い出されたので――特約付き贈与契約と不当利得返還請求で兄夫婦を破産させます

かおるこ

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第4話 父の本音

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第4話 父の本音

 夜は、思っていたより静かだった。

 廊下の電気を消すと、家はすぐに暗くなる。古い木の柱が、温度の変化で小さくきしむ音を立てた。

 時計の針が、かち、かち、と一定のリズムで進んでいる。

 私は父の部屋の襖を少しだけ開けた。

「父さん、起きてる?」

 ベッドの上で、父がゆっくりこちらを見る。

「……ああ」

 枕元の小さな灯りが、柔らかい橙色で部屋を照らしていた。天井の影が、静かに揺れている。

 父の顔は、昼よりも疲れて見えた。

「水、飲む?」

「少し」

 私はコップを取り、ストローを差し込む。

 父の頭を支えると、体の重みが腕にかかった。骨ばった肩の感触が、手のひらに伝わる。

「ゆっくりね」

 父はストローをくわえ、小さく吸う。

 ごく、という音が静かな部屋に響いた。

「もういい」

「うん」

 私はコップを机に戻した。

 窓の外では、虫の声が細く続いている。夏の終わりの夜だった。

 私は椅子に腰掛ける。

 父は天井を見つめていた。

 しばらく何も言わない。

 その沈黙が、妙に長く感じた。

 やがて父が、ぽつりとつぶやいた。

> 「すまんな……」

 私は首を傾ける。

「何が?」

 父はすぐには答えなかった。

 左手の指が、布団の端をゆっくり握る。

「……こんな体になって」

「父さん」

「迷惑かけてる」

 声はかすれていた。

 私は首を振る。

「迷惑なんて思ってない」

「嘘つけ」

 父は小さく笑った。

「夜中に何度も起こして」

「それくらい平気」

「仕事まで辞めさせて」

 その言葉で、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 私は視線を落とす。

「……別に」

「兄貴は?」

 父が聞いた。

 私は少しだけ間を置く。

「忙しいんじゃない?」

 父は黙った。

 窓の外で、風が木の葉を揺らす音がした。

 しばらくして、父が低い声で言った。

「来ないな」

 私は答えなかった。

「健一」

 父は天井を見たまま言う。

「最近、顔見たか?」

 私はゆっくり息を吐く。

「……二週間くらい前」

「そうか」

 父は苦笑した。

「まあ、あいつらしい」

 その笑い方が、少し寂しそうだった。

「由香さんは?」

「見てない」

 私は正直に言った。

 父は目を閉じる。

 部屋の中は静かだった。

 時計の音。

 父の呼吸。

 外の虫の声。

 そのすべてが、ゆっくり重なっている。

 やがて父が目を開けた。

「美月」

「なに?」

「お前、疲れてるだろ」

「そんなことない」

「顔に出てる」

 私は思わず笑う。

「嘘つくの下手だな」

 父が言った。

 私は少し肩をすくめた。

「まあ、ちょっとだけ」

「すまんな」

 また同じ言葉だった。

 私は首を振る。

「父さんのせいじゃない」

「いや」

 父はゆっくり言う。

「全部、わかってる」

 その声に、私は顔を上げた。

「……何が?」

「兄貴のことだ」

 胸が、少しだけ強く鳴った。

「……」

「あいつ」

 父は小さく息を吐く。

「来ないだろ」

 私は何も言えなかった。

「金のことしか頭にない」

 その言葉は静かだった。

 怒りではなく、あきらめに近い声だった。

「昔からそうだ」

 父は続ける。

「お前は真面目で」

「兄貴は要領がいい」

 私は苦笑する。

「それ、昔から言ってる」

「でもな」

 父はゆっくりこちらを見る。

 その目は、思ったより強かった。

「今、ここにいるのは」

 少しだけ間があった。

「お前だ」

 胸の奥が、じんわり熱くなる。

 父は言った。

「美月」

「うん」

「この家な」

 私は父の言葉を待つ。

 夜の空気が、少し冷たくなっていた。

「……お前が守ってくれ」

 その言葉は、思っていたより重かった。

「え?」

 私は聞き返す。

「兄貴じゃなくて?」

 父は首を振った。

「健一は無理だ」

「そんなこと」

「わかる」

 父は言った。

「俺の息子だ」

 部屋は静まり返っていた。

 私は父を見つめる。

 父は続ける。

「この家はな」

 ゆっくり言葉を選ぶ。

「祖父さんが建てた」

 私はうなずく。

「知ってる」

「だから」

 父は小さく息を吐く。

「守れるやつに残したい」

 私はしばらく黙っていた。

 胸の奥で、何かが静かに揺れる。

「……私?」

「そうだ」

 父は言う。

「お前なら」

 少し笑った。

「安心だ」

 私はうつむく。

 畳の匂い。

 夜の空気。

 父の呼吸。

 そのすべてが、ゆっくり胸に沈んでいく。

「そんな大げさな」

「大げさじゃない」

 父は言った。

「本音だ」

 私は父を見る。

 その顔は、疲れているけれど、どこか穏やかだった。

「……わかった」

 私は静かに言う。

「守る」

 父は目を閉じた。

「そうか」

 それだけ言って、小さく笑う。

 部屋の灯りが、ゆっくり揺れる。

 私はその顔を見ながら、胸の奥で何かを強く感じていた。

 その言葉は、静かだった。

 でも確かに、深く刻まれた。

 私はその夜の会話を、

 ずっと忘れなかった。

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