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第10話「答え」
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第10話「答え」
午後だった。
窓から差し込む光が、六畳の床に斜めの線を引いている。
掃除はした。
だが、完璧ではない。
本棚の上にはまだ埃が薄く残り、
ソファは相変わらず少しへたっている。
「まあ、こんなもんだ」
自分に言い聞かせる。
机の上は片付けた。
新聞は縛った。
マグカップも洗った。
それでも、この部屋は森の家にはならない。
なる必要もない。
胸の奥が、静かにざわついている。
スマホは、まだ何も知らせない。
「来ねえかもな」
苦笑いが漏れる。
そのとき。
ピンポン。
チャイムの音。
本物だ。
心臓が、どくんと跳ねる。
一瞬、足が止まる。
幻じゃない。
もう一度。
ピンポン。
「……」
喉が乾く。
ゆっくりと立ち上がる。
玄関までの数歩が、やけに長い。
ドアノブに手をかける。
冷たい。
深く息を吸う。
開ける。
森が立っている。
少し照れた顔。
目が合う。
言葉が出ない。
風が、廊下から入り込む。
数秒の沈黙。
四十年が、その沈黙に詰まっている。
森が口を開く。
「来たぞ」
短い。
いつもの調子。
それだけで、胸の奥がほどける。
「ああ……」
声が、少し震える。
「上がれ」
森が靴を脱ぐ。
団地の狭い玄関。
少し擦り切れたマット。
森は何も言わない。
廊下を進み、リビングへ。
六畳。
低い天井。
古いソファ。
森が立ち止まる。
自分の鼓動がうるさい。
比べるな。
比べるな。
森が部屋を見渡す。
一瞬の静止。
そして、ふっと笑う。
「相変わらずだな」
その声は、からかいでも同情でもない。
懐かしさだ。
「悪いか」
「落ち着く」
ぽつりと言う。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
森がソファに座る。
きしむ音。
「おお、この音」
笑う。
「覚えてる」
「覚えてるのかよ」
二人で、少しだけ笑う。
ぎこちなさは、まだある。
だが、壊れてはいない。
キッチンへ向かう。
「コーヒーでいいか」
「ああ」
インスタントだ。
湯を注ぐ。
湯気が立ち上る。
少し苦い匂い。
カップを渡す。
森が一口飲む。
「うん」
頷く。
「うまい」
その言葉に、力が抜ける。
テーブルを挟んで座る。
向き合う。
しばらく無言。
だが、以前のような刺さる沈黙ではない。
森が言う。
「悪かったな」
唐突だ。
顔を上げる。
「何が」
「怒鳴った」
「……俺のほうこそ」
言葉が詰まる。
「見栄、張った」
正直に言う。
森が鼻で笑う。
「昔からだろ」
「うるせえ」
少し笑う。
森が、真顔になる。
「俺な」
ゆっくり言う。
「お前に来てほしかっただけだ」
胸が締めつけられる。
「比べる気なんか、ねえよ」
「……分かってる」
本当は、分かっていた。
比べていたのは、自分だ。
森が部屋を見回す。
「いいじゃねえか」
静かに言う。
「これが生活だろ」
その言葉が、想像の中と同じで、
胸にまっすぐ落ちる。
涙が、にじむ。
急いで目をこする。
「何泣いてんだ」
森が笑う。
「泣いてねえ」
声が少し掠れる。
団地の六畳。
完璧じゃない。
広くもない。
だが、森はここにいる。
逃げずに、ドアを開けた。
それだけだ。
森が立ち上がる。
窓を開ける。
外の風が入る。
「懐かしい匂いだな」
団地の匂い。
古い木と、生活の匂い。
それが、恥ではないと、今は思える。
森が振り返る。
「また来るぞ」
「来いよ」
自然に言えた。
その言葉に、もう震えはない。
森が笑う。
「今度は飲み物、ちゃんとしたの出せよ」
「うるせえ」
二人で笑う。
部屋に、笑い声が広がる。
狭い空間が、少し広く感じる。
友情は、崩れかけた。
だが、まだここにある。
完璧じゃなくていい。
立派じゃなくていい。
ただ、ドアを開ければいい。
森の背中を見送りながら、胸の奥で静かに思う。
(友情は、家の広さじゃなく、ドアを開ける勇気で決まる)
午後だった。
窓から差し込む光が、六畳の床に斜めの線を引いている。
掃除はした。
だが、完璧ではない。
本棚の上にはまだ埃が薄く残り、
ソファは相変わらず少しへたっている。
「まあ、こんなもんだ」
自分に言い聞かせる。
机の上は片付けた。
新聞は縛った。
マグカップも洗った。
それでも、この部屋は森の家にはならない。
なる必要もない。
胸の奥が、静かにざわついている。
スマホは、まだ何も知らせない。
「来ねえかもな」
苦笑いが漏れる。
そのとき。
ピンポン。
チャイムの音。
本物だ。
心臓が、どくんと跳ねる。
一瞬、足が止まる。
幻じゃない。
もう一度。
ピンポン。
「……」
喉が乾く。
ゆっくりと立ち上がる。
玄関までの数歩が、やけに長い。
ドアノブに手をかける。
冷たい。
深く息を吸う。
開ける。
森が立っている。
少し照れた顔。
目が合う。
言葉が出ない。
風が、廊下から入り込む。
数秒の沈黙。
四十年が、その沈黙に詰まっている。
森が口を開く。
「来たぞ」
短い。
いつもの調子。
それだけで、胸の奥がほどける。
「ああ……」
声が、少し震える。
「上がれ」
森が靴を脱ぐ。
団地の狭い玄関。
少し擦り切れたマット。
森は何も言わない。
廊下を進み、リビングへ。
六畳。
低い天井。
古いソファ。
森が立ち止まる。
自分の鼓動がうるさい。
比べるな。
比べるな。
森が部屋を見渡す。
一瞬の静止。
そして、ふっと笑う。
「相変わらずだな」
その声は、からかいでも同情でもない。
懐かしさだ。
「悪いか」
「落ち着く」
ぽつりと言う。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
森がソファに座る。
きしむ音。
「おお、この音」
笑う。
「覚えてる」
「覚えてるのかよ」
二人で、少しだけ笑う。
ぎこちなさは、まだある。
だが、壊れてはいない。
キッチンへ向かう。
「コーヒーでいいか」
「ああ」
インスタントだ。
湯を注ぐ。
湯気が立ち上る。
少し苦い匂い。
カップを渡す。
森が一口飲む。
「うん」
頷く。
「うまい」
その言葉に、力が抜ける。
テーブルを挟んで座る。
向き合う。
しばらく無言。
だが、以前のような刺さる沈黙ではない。
森が言う。
「悪かったな」
唐突だ。
顔を上げる。
「何が」
「怒鳴った」
「……俺のほうこそ」
言葉が詰まる。
「見栄、張った」
正直に言う。
森が鼻で笑う。
「昔からだろ」
「うるせえ」
少し笑う。
森が、真顔になる。
「俺な」
ゆっくり言う。
「お前に来てほしかっただけだ」
胸が締めつけられる。
「比べる気なんか、ねえよ」
「……分かってる」
本当は、分かっていた。
比べていたのは、自分だ。
森が部屋を見回す。
「いいじゃねえか」
静かに言う。
「これが生活だろ」
その言葉が、想像の中と同じで、
胸にまっすぐ落ちる。
涙が、にじむ。
急いで目をこする。
「何泣いてんだ」
森が笑う。
「泣いてねえ」
声が少し掠れる。
団地の六畳。
完璧じゃない。
広くもない。
だが、森はここにいる。
逃げずに、ドアを開けた。
それだけだ。
森が立ち上がる。
窓を開ける。
外の風が入る。
「懐かしい匂いだな」
団地の匂い。
古い木と、生活の匂い。
それが、恥ではないと、今は思える。
森が振り返る。
「また来るぞ」
「来いよ」
自然に言えた。
その言葉に、もう震えはない。
森が笑う。
「今度は飲み物、ちゃんとしたの出せよ」
「うるせえ」
二人で笑う。
部屋に、笑い声が広がる。
狭い空間が、少し広く感じる。
友情は、崩れかけた。
だが、まだここにある。
完璧じゃなくていい。
立派じゃなくていい。
ただ、ドアを開ければいい。
森の背中を見送りながら、胸の奥で静かに思う。
(友情は、家の広さじゃなく、ドアを開ける勇気で決まる)
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