『行かなければ、壊れなかった』 ~74歳、四十年の友情が終わった日~

かおるこ

文字の大きさ
10 / 11

第9話「勇気」

しおりを挟む
第9話「勇気」

夜は、妙に静かだった。

テレビは消している。
時計の音だけが、壁を伝ってくる。

カチ、カチ。

ソファに座り、スマホを手の中で転がす。

冷たい。

指先が、少し汗ばんでいる。

「……かけるか」

誰もいない部屋に言う。

返事はない。

当たり前だ。

森の名前を、画面の中に見つめる。

四十年。

その重みが、指を止める。

「今さら、だよな」

喉が乾く。

だが、もう後悔だけで終わらせたくなかった。

想像の中で森を呼ぶのは、簡単だ。

現実で呼ぶのは、怖い。

「……よし」

深く息を吸う。

押す。

発信音。

耳に当てる。

プルル……。

呼び出し音が、やけに長く感じる。

一回。

二回。

三回。

その間に、胸の奥が何度も縮む。

出るな。

いや、出ろ。

両方の気持ちが、せめぎ合う。

プルル……。

長い。

こんなに長かったか、呼び出し音は。

手のひらに、じっとりと汗が滲む。

「出ろよ……」

小さく呟く。

五回目。

六回目。

そして。

『ただいま電話に出ることができません』

機械的な声。

留守番電話。

心臓が、どくんと鳴る。

切るか。

逃げるか。

「……いや」

息を吸う。

機械音が、冷たく告げる。

『メッセージをどうぞ』

短い沈黙。

その沈黙の中に、四十年が詰まっている気がする。

喉が震える。

「森……」

声が、少し掠れる。

一度、咳払いをする。

「今さらだけど……」

息が浅い。

言葉が、重い。

「……来るか?」

言った。

たったそれだけ。

だが、胸の奥が大きく揺れる。

「散らかってるけどな」

苦笑いが混じる。

「でも……」

言葉が詰まる。

“悪かった”と言えない自分がいる。

それでも。

「話、しよう」

声が震える。

「俺んちで」

最後に、小さく。

「待ってる」

ピッ、と機械音。

通話が終わる。

静寂。

スマホを下ろす。

手が、まだ震えている。

「……言えた」

ぽつりと漏れる。

部屋の匂いが、いつもより強く感じる。

古い家具。
少し湿った空気。

それでも、逃げなかった。

窓を開ける。

夜風が入る。

冷たい。

胸の熱と混ざる。

「来るかな」

不安が、じわじわ広がる。

無視されるかもしれない。

怒っているかもしれない。

もう、遅いかもしれない。

だが、それでも。

かけなかったよりは、ましだ。

ソファに腰を下ろす。

ばねがきしむ。

この音も、森に聞かせればいい。

この匂いも。

この生活も。

「これが俺だ」

小さく言う。

胸の奥に、わずかな軽さがある。

怖い。

だが、少しだけ、楽だ。

スマホを見つめる。

画面は暗い。

返事は、まだない。

時間が、ゆっくり流れる。

カチ、カチ。

時計の音。

待つ、という時間は長い。

だが今は、逃げていない。

それだけで、違う。

「あとは、お前次第だぞ」

森に向けて、言う。

夜は静かだ。

だが、胸の中では、小さな音がしている。

ヒビではない。

何かが、少しだけ、つながろうとする音。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

処理中です...