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第3話「最初の友達」
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第3話「最初の友達」
四月の教室は、まだどこかよそよそしい匂いがする。
新品の教科書の紙の匂い。ワックスがけされた床の匂い。
そして、少しだけ甘いシャンプーの匂い。
陽菜は席に座り、ノートの端を指でなぞっていた。
隣の席。
そこにいるのは、いつも笑っている女子。
莉子。
髪はゆるく巻かれていて、光が当たるたび柔らかく揺れる。
話す声も明るくて、笑い声は鈴みたいに軽い。
(話しかけたい)
でも喉がきゅっと縮む。
チャイムが鳴る。
高く澄んだ音が、胸の奥まで響く。
授業の準備をしながら、陽菜は横目で莉子を見る。
ペンケースを開ける音。
カチャ、とシャーペンが転がる。
今だ。
「……あの」
声が、思ったより小さい。
莉子がぱっと振り向く。
「ん?」
その目が、まっすぐこちらを向く。
逃げたくなる。
でも、笑う。
口角を、ぎゅっと上げる。
「その……シャーペン、かわいいね」
言ってしまった。
変かな。急すぎたかな。
心臓がどくどく鳴る。
一瞬の沈黙。
そして、莉子の顔がぱっと明るくなる。
「え、ほんと?ありがと!これさ、昨日買ったばっかなんだよ!」
救われる。
「どこで?」
「駅前の雑貨屋!あそこ、めっちゃ種類あるの」
莉子がペンを差し出す。
陽菜は受け取る。
つるっとしたプラスチックの感触。
ほんのり甘いゴムの匂い。
「ほんとだ、持ちやすい」
「でしょ!陽菜も行く?」
名前を呼ばれた。
胸の奥が、ふわっと温かくなる。
「うん、行ってみたい」
少しだけ自然に言えた。
莉子は身を乗り出す。
「てかさ、陽菜って前髪巻いてるよね?自分で?」
また心臓が跳ねる。
「う、うん。昨日練習して」
「えーすご!私いつも失敗するんだよね」
「ほんと?温度低めにするとやりやすいよ」
言ってから、少し驚く。
ちゃんと答えられた。
会話が、続いている。
莉子が笑う。
「陽菜、なんか研究家っぽい」
「え?」
「ちゃんと考えてる感じ。いいじゃん」
その言葉が、胸の奥で静かに広がる。
いいじゃん。
たったそれだけなのに、
体の中の緊張が、少しほどける。
授業が始まる。
先生の声が遠くで響く。
でも、さっきのやりとりが頭の中で何度も再生される。
(大丈夫だったよね)
ふと隣を見ると、莉子がこっそり小声で言う。
「あとでさ、購買一緒に行かない?」
目が合う。
「うん」
今度は、迷わず言えた。
昼休み。
教室は一気に騒がしくなる。
机を動かす音、笑い声、パンの袋を開ける音。
廊下に出ると、いろんな匂いが混ざる。
焼きそばパン、甘いクリームパン、揚げ物の油。
「何買う?」
莉子が聞く。
「えっと……おすすめある?」
「メロンパン一択!」
「じゃあ、それにする」
二人で並ぶ。
肩が少し触れる。
前の人が振り向いて、ちらっとこちらを見る。
その視線に、ほんの少しだけ身構える。
でも、莉子が普通に話し続ける。
「陽菜ってさ、中学どこ?」
「○○中」
「え、私△△!」
「近いね」
「ね!もしかしてどっかで会ってたかも」
その“もしかして”が、くすぐったい。
購買のおばちゃんが言う。
「はい、メロンパン二つね」
紙袋の温かさが手に伝わる。
甘い匂いが、鼻をくすぐる。
教室に戻り、机を向かい合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
パンをちぎると、ふわっと甘い香りが広がる。
「うまっ」
莉子が目を丸くする。
「ほんとだ」
笑い合う。
その瞬間、陽菜は気づく。
さっきまであった、胸の奥の重たい石がない。
「ねえ陽菜」
「ん?」
「最初さ、話しかけてくれて嬉しかった」
え。
「え、なんで?」
「だって私もさ、ちょっと緊張してたし」
「え、全然そんな風に見えなかった」
「見せないようにしてただけ」
そう言って、少し照れたように笑う。
その笑顔が、すごく人間らしくて、あたたかい。
陽菜はゆっくり息を吸う。
(ああ)
高校デビューって、
完璧に可愛くなることじゃない。
目立つことでも、
無理にキャラを作ることでもない。
ただ。
「おはよう」
「かわいいね」
「一緒に行く?」
その、最初の一言。
それが、扉だった。
「莉子」
「なに?」
「……これからも、よろしく」
少しだけ照れながら言う。
莉子がにっと笑う。
「こちらこそ!」
その声は、春の空気みたいに軽い。
窓の外では、桜が風に揺れている。
光が教室に差し込む。
陽菜は、ふと自分の頬がゆるんでいるのに気づく。
作った笑顔じゃない。
自然に、上がっている。
(あ、これか)
胸の奥が、静かに満たされる。
最初の一言は、怖い。
喉が乾いて、声が震えて、逃げたくなる。
でも。
一歩踏み出せば、
ちゃんと返ってくる。
パンの甘さが、まだ舌に残っている。
その甘さみたいに、
じんわりと広がる安心。
陽菜は、そっと思う。
(今日、私はちゃんと始められた)
高校デビューは、
見た目より、勇気。
そして。
笑顔は、
作るものじゃなくて、
生まれるものなんだと知った。
四月の教室は、まだどこかよそよそしい匂いがする。
新品の教科書の紙の匂い。ワックスがけされた床の匂い。
そして、少しだけ甘いシャンプーの匂い。
陽菜は席に座り、ノートの端を指でなぞっていた。
隣の席。
そこにいるのは、いつも笑っている女子。
莉子。
髪はゆるく巻かれていて、光が当たるたび柔らかく揺れる。
話す声も明るくて、笑い声は鈴みたいに軽い。
(話しかけたい)
でも喉がきゅっと縮む。
チャイムが鳴る。
高く澄んだ音が、胸の奥まで響く。
授業の準備をしながら、陽菜は横目で莉子を見る。
ペンケースを開ける音。
カチャ、とシャーペンが転がる。
今だ。
「……あの」
声が、思ったより小さい。
莉子がぱっと振り向く。
「ん?」
その目が、まっすぐこちらを向く。
逃げたくなる。
でも、笑う。
口角を、ぎゅっと上げる。
「その……シャーペン、かわいいね」
言ってしまった。
変かな。急すぎたかな。
心臓がどくどく鳴る。
一瞬の沈黙。
そして、莉子の顔がぱっと明るくなる。
「え、ほんと?ありがと!これさ、昨日買ったばっかなんだよ!」
救われる。
「どこで?」
「駅前の雑貨屋!あそこ、めっちゃ種類あるの」
莉子がペンを差し出す。
陽菜は受け取る。
つるっとしたプラスチックの感触。
ほんのり甘いゴムの匂い。
「ほんとだ、持ちやすい」
「でしょ!陽菜も行く?」
名前を呼ばれた。
胸の奥が、ふわっと温かくなる。
「うん、行ってみたい」
少しだけ自然に言えた。
莉子は身を乗り出す。
「てかさ、陽菜って前髪巻いてるよね?自分で?」
また心臓が跳ねる。
「う、うん。昨日練習して」
「えーすご!私いつも失敗するんだよね」
「ほんと?温度低めにするとやりやすいよ」
言ってから、少し驚く。
ちゃんと答えられた。
会話が、続いている。
莉子が笑う。
「陽菜、なんか研究家っぽい」
「え?」
「ちゃんと考えてる感じ。いいじゃん」
その言葉が、胸の奥で静かに広がる。
いいじゃん。
たったそれだけなのに、
体の中の緊張が、少しほどける。
授業が始まる。
先生の声が遠くで響く。
でも、さっきのやりとりが頭の中で何度も再生される。
(大丈夫だったよね)
ふと隣を見ると、莉子がこっそり小声で言う。
「あとでさ、購買一緒に行かない?」
目が合う。
「うん」
今度は、迷わず言えた。
昼休み。
教室は一気に騒がしくなる。
机を動かす音、笑い声、パンの袋を開ける音。
廊下に出ると、いろんな匂いが混ざる。
焼きそばパン、甘いクリームパン、揚げ物の油。
「何買う?」
莉子が聞く。
「えっと……おすすめある?」
「メロンパン一択!」
「じゃあ、それにする」
二人で並ぶ。
肩が少し触れる。
前の人が振り向いて、ちらっとこちらを見る。
その視線に、ほんの少しだけ身構える。
でも、莉子が普通に話し続ける。
「陽菜ってさ、中学どこ?」
「○○中」
「え、私△△!」
「近いね」
「ね!もしかしてどっかで会ってたかも」
その“もしかして”が、くすぐったい。
購買のおばちゃんが言う。
「はい、メロンパン二つね」
紙袋の温かさが手に伝わる。
甘い匂いが、鼻をくすぐる。
教室に戻り、机を向かい合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
パンをちぎると、ふわっと甘い香りが広がる。
「うまっ」
莉子が目を丸くする。
「ほんとだ」
笑い合う。
その瞬間、陽菜は気づく。
さっきまであった、胸の奥の重たい石がない。
「ねえ陽菜」
「ん?」
「最初さ、話しかけてくれて嬉しかった」
え。
「え、なんで?」
「だって私もさ、ちょっと緊張してたし」
「え、全然そんな風に見えなかった」
「見せないようにしてただけ」
そう言って、少し照れたように笑う。
その笑顔が、すごく人間らしくて、あたたかい。
陽菜はゆっくり息を吸う。
(ああ)
高校デビューって、
完璧に可愛くなることじゃない。
目立つことでも、
無理にキャラを作ることでもない。
ただ。
「おはよう」
「かわいいね」
「一緒に行く?」
その、最初の一言。
それが、扉だった。
「莉子」
「なに?」
「……これからも、よろしく」
少しだけ照れながら言う。
莉子がにっと笑う。
「こちらこそ!」
その声は、春の空気みたいに軽い。
窓の外では、桜が風に揺れている。
光が教室に差し込む。
陽菜は、ふと自分の頬がゆるんでいるのに気づく。
作った笑顔じゃない。
自然に、上がっている。
(あ、これか)
胸の奥が、静かに満たされる。
最初の一言は、怖い。
喉が乾いて、声が震えて、逃げたくなる。
でも。
一歩踏み出せば、
ちゃんと返ってくる。
パンの甘さが、まだ舌に残っている。
その甘さみたいに、
じんわりと広がる安心。
陽菜は、そっと思う。
(今日、私はちゃんと始められた)
高校デビューは、
見た目より、勇気。
そして。
笑顔は、
作るものじゃなくて、
生まれるものなんだと知った。
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