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第7話「しなやかな心の育て方」
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「しなやかな心の育て方」
「最近さ、なんか疲れてない?」
放課後の教室。
オレンジ色の光が机をなぞる。
莉子が頬杖をつきながら、陽菜を見る。
「え、そんな顔してる?」
「してる。なんか、ぎゅってなってる」
陽菜は自分の胸に手を当てる。
ぎゅって。
確かに、呼吸が浅い気がした。
「寝不足かな」
「何時に寝てるの?」
「……一時とか」
「遅」
即答だった。
窓の外では、部活の掛け声が響いている。
体育館のドアが開く音。
夕方の風が、少しひんやりしている。
「ちゃんと寝なよ」
「分かってるけどさ」
陽菜は机に突っ伏す。
木の冷たさが額に伝わる。
「考えちゃうんだよね」
「何を?」
「うまくやれてるかな、とか。嫌われてないかな、とか」
言葉にした瞬間、胸の奥が少し軽くなる。
莉子は少し黙ってから言った。
「それ、ちゃんと食べてる?」
「え?」
「お昼、最近少なくない?」
陽菜は目をそらす。
「ダンス部あるし、軽めでいいかなって」
「それで夜お腹すいて、夜更かしでしょ」
図星だった。
莉子が笑う。
「心ってさ、わりと単純だよ」
「なにそれ」
「ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、ちょっと動いて。意外とそれだけで機嫌直る」
「機嫌って」
「自分の心の機嫌」
その言葉が、妙に残った。
その夜。
陽菜は珍しく、十一時前に布団に入った。
窓の外は静か。
遠くで車の音が小さく響く。
「……寝られるかな」
天井を見上げる。
いつもならスマホを触る時間。
でも今日は置いたまま。
深く息を吸う。
空気がひんやりして、肺の奥まで届く。
ゆっくり吐く。
胸のざわざわが、少しずつ静まる。
「大丈夫、大丈夫」
小さくつぶやく。
朝。
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
カーテンの隙間から、柔らかな光。
「……え」
頭が、軽い。
身体も、重くない。
キッチンから味噌汁の匂いがする。
湯気と一緒に、あたたかい香り。
「陽菜、珍しく早いじゃん」
母が驚く。
「なんか、すっきりしてる」
ごはんを口に運ぶ。
米の甘さ。
味噌汁の塩気。
「あ、ちゃんと美味しい」
思わず言う。
「今まで美味しくなかったの?」
「いや、なんか……感じてなかった」
母はくすっと笑う。
「余裕がなかったんじゃない?」
余裕。
その言葉が、静かに胸に落ちる。
学校。
廊下を歩く足取りが軽い。
「おはよ」
声も、自然に出る。
莉子が目を丸くする。
「なにその顔、元気じゃん」
「寝た」
「ほらね」
昼休み。
ちゃんとお弁当を全部食べる。
噛むたびに、音と味がはっきりする。
「なんかさ」
陽菜はぽつりと言う。
「ちゃんと生きてる感じする」
「それ前、生きてなかったみたいじゃん」
「いや、なんかぼんやりしてた」
午後の授業。
ちょっとしたミスをする。
「あ」
教科書を落とす。
前なら、心臓がばくっと跳ねて、
“やばい、まただ”って思っていた。
でも今日は。
「まあいっか」
自分で拾いながら、笑う。
隣の席の男子が言う。
「珍しくミスったな」
「うん、珍しく」
普通に返せる。
胸の奥に、トゲが刺さらない。
放課後、ダンス部。
汗が額を伝う。
息が上がる。
でも、しんどさが嫌じゃない。
「陽菜、今日キレあるね!」
先輩の声。
「ほんとですか?」
「うん、なんか余裕ある」
余裕。
またその言葉。
帰り道。
夕焼けが空を染める。
オレンジと紫が混ざる。
「ねえ莉子」
「なに?」
「ストレスってなくならないよね」
「うん」
「でも、前より怖くない」
莉子が笑う。
「回復力ついてきた?」
「回復力?」
「レジリエンスってやつ」
「なんでそんな言葉知ってんの」
「ネット」
二人で笑う。
陽菜は歩きながら思う。
失敗しても、
嫌なことがあっても、
ちゃんと寝て、食べて、呼吸していれば、
戻ってこれる。
家に着き、部屋に入る。
窓を開けると、夜の空気が冷たい。
胸いっぱいに吸い込む。
「はあ」
深く吐く。
今日あった嫌なことを思い出す。
ちょっとした視線。
ちょっとした言葉。
でも。
「大丈夫」
声に出す。
「私はちゃんとやってる」
鏡の前に立つ。
目が、前より柔らかい。
「好きかも」
ぽつりと出た言葉に、自分で驚く。
完璧じゃない。
不安もある。
でも。
ちゃんと食べて。
ちゃんと寝て。
ちゃんと動いて。
泣きたいときは泣いて、
嬉しいときは笑う。
それを繰り返す。
それだけで、心は少しずつ強くなる。
ベッドに入る。
布団の温かさが背中を包む。
「明日も、まあなんとかなるでしょ」
軽く言う。
その言葉が、ちゃんと本気だと分かる。
目を閉じる。
心は、まだ未完成。
でも、確実に育っている。
しなやかに。
ゆっくりと。
折れないためじゃない。
折れても、戻れるために。
陽菜は静かに眠りについた。
その呼吸は、昨日より深かった。
「最近さ、なんか疲れてない?」
放課後の教室。
オレンジ色の光が机をなぞる。
莉子が頬杖をつきながら、陽菜を見る。
「え、そんな顔してる?」
「してる。なんか、ぎゅってなってる」
陽菜は自分の胸に手を当てる。
ぎゅって。
確かに、呼吸が浅い気がした。
「寝不足かな」
「何時に寝てるの?」
「……一時とか」
「遅」
即答だった。
窓の外では、部活の掛け声が響いている。
体育館のドアが開く音。
夕方の風が、少しひんやりしている。
「ちゃんと寝なよ」
「分かってるけどさ」
陽菜は机に突っ伏す。
木の冷たさが額に伝わる。
「考えちゃうんだよね」
「何を?」
「うまくやれてるかな、とか。嫌われてないかな、とか」
言葉にした瞬間、胸の奥が少し軽くなる。
莉子は少し黙ってから言った。
「それ、ちゃんと食べてる?」
「え?」
「お昼、最近少なくない?」
陽菜は目をそらす。
「ダンス部あるし、軽めでいいかなって」
「それで夜お腹すいて、夜更かしでしょ」
図星だった。
莉子が笑う。
「心ってさ、わりと単純だよ」
「なにそれ」
「ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、ちょっと動いて。意外とそれだけで機嫌直る」
「機嫌って」
「自分の心の機嫌」
その言葉が、妙に残った。
その夜。
陽菜は珍しく、十一時前に布団に入った。
窓の外は静か。
遠くで車の音が小さく響く。
「……寝られるかな」
天井を見上げる。
いつもならスマホを触る時間。
でも今日は置いたまま。
深く息を吸う。
空気がひんやりして、肺の奥まで届く。
ゆっくり吐く。
胸のざわざわが、少しずつ静まる。
「大丈夫、大丈夫」
小さくつぶやく。
朝。
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
カーテンの隙間から、柔らかな光。
「……え」
頭が、軽い。
身体も、重くない。
キッチンから味噌汁の匂いがする。
湯気と一緒に、あたたかい香り。
「陽菜、珍しく早いじゃん」
母が驚く。
「なんか、すっきりしてる」
ごはんを口に運ぶ。
米の甘さ。
味噌汁の塩気。
「あ、ちゃんと美味しい」
思わず言う。
「今まで美味しくなかったの?」
「いや、なんか……感じてなかった」
母はくすっと笑う。
「余裕がなかったんじゃない?」
余裕。
その言葉が、静かに胸に落ちる。
学校。
廊下を歩く足取りが軽い。
「おはよ」
声も、自然に出る。
莉子が目を丸くする。
「なにその顔、元気じゃん」
「寝た」
「ほらね」
昼休み。
ちゃんとお弁当を全部食べる。
噛むたびに、音と味がはっきりする。
「なんかさ」
陽菜はぽつりと言う。
「ちゃんと生きてる感じする」
「それ前、生きてなかったみたいじゃん」
「いや、なんかぼんやりしてた」
午後の授業。
ちょっとしたミスをする。
「あ」
教科書を落とす。
前なら、心臓がばくっと跳ねて、
“やばい、まただ”って思っていた。
でも今日は。
「まあいっか」
自分で拾いながら、笑う。
隣の席の男子が言う。
「珍しくミスったな」
「うん、珍しく」
普通に返せる。
胸の奥に、トゲが刺さらない。
放課後、ダンス部。
汗が額を伝う。
息が上がる。
でも、しんどさが嫌じゃない。
「陽菜、今日キレあるね!」
先輩の声。
「ほんとですか?」
「うん、なんか余裕ある」
余裕。
またその言葉。
帰り道。
夕焼けが空を染める。
オレンジと紫が混ざる。
「ねえ莉子」
「なに?」
「ストレスってなくならないよね」
「うん」
「でも、前より怖くない」
莉子が笑う。
「回復力ついてきた?」
「回復力?」
「レジリエンスってやつ」
「なんでそんな言葉知ってんの」
「ネット」
二人で笑う。
陽菜は歩きながら思う。
失敗しても、
嫌なことがあっても、
ちゃんと寝て、食べて、呼吸していれば、
戻ってこれる。
家に着き、部屋に入る。
窓を開けると、夜の空気が冷たい。
胸いっぱいに吸い込む。
「はあ」
深く吐く。
今日あった嫌なことを思い出す。
ちょっとした視線。
ちょっとした言葉。
でも。
「大丈夫」
声に出す。
「私はちゃんとやってる」
鏡の前に立つ。
目が、前より柔らかい。
「好きかも」
ぽつりと出た言葉に、自分で驚く。
完璧じゃない。
不安もある。
でも。
ちゃんと食べて。
ちゃんと寝て。
ちゃんと動いて。
泣きたいときは泣いて、
嬉しいときは笑う。
それを繰り返す。
それだけで、心は少しずつ強くなる。
ベッドに入る。
布団の温かさが背中を包む。
「明日も、まあなんとかなるでしょ」
軽く言う。
その言葉が、ちゃんと本気だと分かる。
目を閉じる。
心は、まだ未完成。
でも、確実に育っている。
しなやかに。
ゆっくりと。
折れないためじゃない。
折れても、戻れるために。
陽菜は静かに眠りについた。
その呼吸は、昨日より深かった。
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