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第8話「砂の城の崩壊」
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記者会見場は、冷房が効きすぎていた。
蛍光灯の白い光が、壇上の長机を平板に照らす。消毒液と機材の熱の匂いが混ざり、どこか病院の待合室みたいな空気だ。シャッター音が小刻みに鳴り、マイクのスポンジが黒い花のように並ぶ。
五十嵐豪は、中央の椅子に座った。
黒のスーツ。昨日よりも濃いネクタイ。目の下に、薄くファンデーションの粉っぽさが残る。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
声は低い。やや乾いている。
フラッシュが焚かれる。白い閃光が瞬くたび、視界の端が揺れる。
司会の広報が言う。
「まずは五十嵐先生から、一連の件についてご説明を——」
五十嵐はゆっくりと口を開いた。
「ネット上で拡散している“縦読み”“アナグラム”についてですが」
喉を鳴らす。
「それは偶然です。創作における言葉遊びが、過剰に解釈されたにすぎません」
ざわ、と記者席が揺れる。
「“柳沢蓮”という人物についても、私は存じ上げません」
その瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。
だが、顔には出さない。
記者の一人が手を挙げる。
「では、ゴーストライター疑惑については?」
「事実無根です」
即答。
「私は三十年間、自らの手で書いてきました」
言い切ると、マイクが微かにハウリングを起こした。
キィン、と耳に刺さる音。
汗が、首筋を伝う。
別の記者が言う。
「では、原稿の執筆過程を証明できる資料は?」
「執筆ノートはあります」
「公開の予定は?」
「必要があれば」
五十嵐は視線をまっすぐ前に向ける。
光が強い。
眩しい。
だが、今はその光が頼りだ。
「私は作家です。言葉で語るしかない」
そのとき。
会場後方で、ざわめきが起きた。
スマホのバイブ音が、連鎖する。
ぶる、ぶる、と低い振動が、波のように広がる。
記者の一人が、目を見開く。
「……今、音声データが公開されました」
五十嵐の喉が凍る。
「音声?」
記者が画面を掲げる。
「“地下室録音ファイル”とあります」
背中に冷たい汗が走る。
司会が慌てる。
「それは確認中です——」
「再生します」
誰かが、スピーカーを上げる。
ノイズ。
ザザ、と小さな音。
そして、はっきりとした声。
『——光は、ついに自分の影に名を与えられる』
五十嵐の心臓が跳ねる。
その声は、自分ではない。
若い。
少し低く、静かで、抑えた熱を含んだ声。
柳沢。
会場が静まり返る。
音声は続く。
『先生、ここは“名を拒む”に変えたほうが、象徴性が出ます』
次に聞こえるのは、五十嵐の声だ。
『ああ、いいな。そこは任せる』
息が詰まる。
フラッシュが一斉に焚かれる。
『先生、“影”という語、三章でも使いました』
『構わん。私のテーマだ』
笑い声。
地下室特有の、少し反響する音。
記者の一人が叫ぶ。
「これは誰の声ですか!」
五十嵐の唇が動かない。
音声が続く。
『これで最後です』
柳沢の声。
『最後?』
『この原稿で、終わりにします』
ざわめきが爆発する。
机の上のマイクが震える。
五十嵐は立ち上がりかけ、椅子が床を擦る音が響いた。
「捏造だ!」
叫ぶ。
声がひっくり返る。
「編集で作られた音声だ!」
だが、音声は止まらない。
『お前は一生、俺の影だ』
その一言が、会場の空気を裂く。
五十嵐は凍りつく。
あの地下室で、自分が言った言葉。
紛れもない自分の声。
記者が詰め寄る。
「影とは誰ですか!」
「柳沢蓮とは何者ですか!」
「ゴーストライターを雇っていたのでは!」
マイクがぶつかり合い、甲高い音が鳴る。
汗が目に入り、視界が滲む。
五十嵐は口を開く。
だが、言葉が出ない。
喉が砂を噛んだように乾く。
水を求めるが、グラスは遠い。
司会が叫ぶ。
「本日はこれで——」
だが、声はかき消される。
会場後方。
壁際に立つ佐伯は、スマホを握っていた。
震えは止まらない。
指先が白い。
「……やりましたね」
隣に立つ水野が小声で言う。
佐伯は目を閉じる。
耳には、地下室の録音が残っている。
湿った空気。
キーボードの音。
柳沢の、静かな声。
あの日、USBメモリを受け取った瞬間を思い出す。
“もし何かあったら、使ってください”
その言葉。
佐伯は、唇を噛む。
血の味が広がる。
「俺は編集者だ」
小さく呟く。
「本物を、世に出す」
壇上では、五十嵐が立ち尽くしている。
フラッシュが容赦なく浴びせられる。
その光は、もはや祝福ではない。
断罪の光だ。
記者が声を荒げる。
「先生、説明してください!」
「あなたの“最高傑作”は誰の作品ですか!」
五十嵐の足元が、ぐらりと揺れる。
砂の上に立っている感覚。
積み上げてきた賞状。サイン本。インタビュー記事。
すべてが、砂粒だった。
音声が最後まで流れる。
『光は、いつか自分の影に追いつかれる』
地下室の声が、会場に響く。
五十嵐は、マイクに手を伸ばす。
だが、その手は震えている。
「私は——」
声が出ない。
スポットライトが、やけに熱い。
汗が顎から落ちる。
床に染みる。
誰かが叫ぶ。
「もう嘘は通用しません!」
その言葉が、胸に刺さる。
嘘。
自分は、いつから砂の上に城を築いていた。
その城は、今。
音もなく、崩れ落ちている。
佐伯は壇上を見つめる。
五十嵐の背中が、ひどく小さく見える。
そして、心の奥で確かに思う。
——影が、名を取り戻した。
会場の喧騒は止まらない。
だが、崩壊はもう、始まっていた。
蛍光灯の白い光が、壇上の長机を平板に照らす。消毒液と機材の熱の匂いが混ざり、どこか病院の待合室みたいな空気だ。シャッター音が小刻みに鳴り、マイクのスポンジが黒い花のように並ぶ。
五十嵐豪は、中央の椅子に座った。
黒のスーツ。昨日よりも濃いネクタイ。目の下に、薄くファンデーションの粉っぽさが残る。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
声は低い。やや乾いている。
フラッシュが焚かれる。白い閃光が瞬くたび、視界の端が揺れる。
司会の広報が言う。
「まずは五十嵐先生から、一連の件についてご説明を——」
五十嵐はゆっくりと口を開いた。
「ネット上で拡散している“縦読み”“アナグラム”についてですが」
喉を鳴らす。
「それは偶然です。創作における言葉遊びが、過剰に解釈されたにすぎません」
ざわ、と記者席が揺れる。
「“柳沢蓮”という人物についても、私は存じ上げません」
その瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。
だが、顔には出さない。
記者の一人が手を挙げる。
「では、ゴーストライター疑惑については?」
「事実無根です」
即答。
「私は三十年間、自らの手で書いてきました」
言い切ると、マイクが微かにハウリングを起こした。
キィン、と耳に刺さる音。
汗が、首筋を伝う。
別の記者が言う。
「では、原稿の執筆過程を証明できる資料は?」
「執筆ノートはあります」
「公開の予定は?」
「必要があれば」
五十嵐は視線をまっすぐ前に向ける。
光が強い。
眩しい。
だが、今はその光が頼りだ。
「私は作家です。言葉で語るしかない」
そのとき。
会場後方で、ざわめきが起きた。
スマホのバイブ音が、連鎖する。
ぶる、ぶる、と低い振動が、波のように広がる。
記者の一人が、目を見開く。
「……今、音声データが公開されました」
五十嵐の喉が凍る。
「音声?」
記者が画面を掲げる。
「“地下室録音ファイル”とあります」
背中に冷たい汗が走る。
司会が慌てる。
「それは確認中です——」
「再生します」
誰かが、スピーカーを上げる。
ノイズ。
ザザ、と小さな音。
そして、はっきりとした声。
『——光は、ついに自分の影に名を与えられる』
五十嵐の心臓が跳ねる。
その声は、自分ではない。
若い。
少し低く、静かで、抑えた熱を含んだ声。
柳沢。
会場が静まり返る。
音声は続く。
『先生、ここは“名を拒む”に変えたほうが、象徴性が出ます』
次に聞こえるのは、五十嵐の声だ。
『ああ、いいな。そこは任せる』
息が詰まる。
フラッシュが一斉に焚かれる。
『先生、“影”という語、三章でも使いました』
『構わん。私のテーマだ』
笑い声。
地下室特有の、少し反響する音。
記者の一人が叫ぶ。
「これは誰の声ですか!」
五十嵐の唇が動かない。
音声が続く。
『これで最後です』
柳沢の声。
『最後?』
『この原稿で、終わりにします』
ざわめきが爆発する。
机の上のマイクが震える。
五十嵐は立ち上がりかけ、椅子が床を擦る音が響いた。
「捏造だ!」
叫ぶ。
声がひっくり返る。
「編集で作られた音声だ!」
だが、音声は止まらない。
『お前は一生、俺の影だ』
その一言が、会場の空気を裂く。
五十嵐は凍りつく。
あの地下室で、自分が言った言葉。
紛れもない自分の声。
記者が詰め寄る。
「影とは誰ですか!」
「柳沢蓮とは何者ですか!」
「ゴーストライターを雇っていたのでは!」
マイクがぶつかり合い、甲高い音が鳴る。
汗が目に入り、視界が滲む。
五十嵐は口を開く。
だが、言葉が出ない。
喉が砂を噛んだように乾く。
水を求めるが、グラスは遠い。
司会が叫ぶ。
「本日はこれで——」
だが、声はかき消される。
会場後方。
壁際に立つ佐伯は、スマホを握っていた。
震えは止まらない。
指先が白い。
「……やりましたね」
隣に立つ水野が小声で言う。
佐伯は目を閉じる。
耳には、地下室の録音が残っている。
湿った空気。
キーボードの音。
柳沢の、静かな声。
あの日、USBメモリを受け取った瞬間を思い出す。
“もし何かあったら、使ってください”
その言葉。
佐伯は、唇を噛む。
血の味が広がる。
「俺は編集者だ」
小さく呟く。
「本物を、世に出す」
壇上では、五十嵐が立ち尽くしている。
フラッシュが容赦なく浴びせられる。
その光は、もはや祝福ではない。
断罪の光だ。
記者が声を荒げる。
「先生、説明してください!」
「あなたの“最高傑作”は誰の作品ですか!」
五十嵐の足元が、ぐらりと揺れる。
砂の上に立っている感覚。
積み上げてきた賞状。サイン本。インタビュー記事。
すべてが、砂粒だった。
音声が最後まで流れる。
『光は、いつか自分の影に追いつかれる』
地下室の声が、会場に響く。
五十嵐は、マイクに手を伸ばす。
だが、その手は震えている。
「私は——」
声が出ない。
スポットライトが、やけに熱い。
汗が顎から落ちる。
床に染みる。
誰かが叫ぶ。
「もう嘘は通用しません!」
その言葉が、胸に刺さる。
嘘。
自分は、いつから砂の上に城を築いていた。
その城は、今。
音もなく、崩れ落ちている。
佐伯は壇上を見つめる。
五十嵐の背中が、ひどく小さく見える。
そして、心の奥で確かに思う。
——影が、名を取り戻した。
会場の喧騒は止まらない。
だが、崩壊はもう、始まっていた。
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