『黄金の砂漠 ―貯金残高一億円の孤独―』

かおるこ

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第6話 白木蓮の散る頃

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第6話 白木蓮の散る頃

朝、目を覚ましたときだった。

胸の奥が、妙に重かった。

志乃は布団の中でじっとしていた。
天井を見上げる。

「……あら」

声が少しかすれていた。

体を起こそうとすると、胸の奥がきゅっと締まる。
深く息を吸うと、少し痛い。

「風邪かしら」

独り言を言う。

部屋は冷えていた。
暖房はつけていない。

志乃は毛布をどけて立ち上がった。

足の裏が、畳の冷たさを拾う。

「大丈夫よ」

自分に言った。

「大げさね」

台所で湯を沸かす。
やかんの底が、コンロの火に温められていく。

しばらくすると、胸の違和感がまた戻ってきた。

きゅっと締め付けるような感覚。

志乃は流し台に手をついた。

「……変ね」

少し息が浅い。

窓の外では、白い花が揺れている。
向かいの庭の**白木蓮**だった。

花は大きく開き、春の光を受けている。

志乃はそれを見ながら、小さく言った。

「……病院、行く?」

しばらく考えた。

病院。

検査。

費用。

頭の中に数字が浮かぶ。

診察料。
検査代。
薬代。

志乃は小さく息を吐いた。

「……様子見でいいわよね」

だが胸の奥がまた締まった。

志乃は顔をしかめた。

「……やっぱり」

数時間後、志乃は近所の病院の待合室に座っていた。

消毒液の匂いが、鼻に少し刺さる。
床は白く、光が冷たい。

隣の椅子では老人が咳をしていた。

テレビから昼のニュースが流れている。

志乃は自分の膝の上に手を置いた。

手の甲の血管が浮いている。

「志乃さん」

看護師が呼んだ。

「どうぞ」

診察室のドアを開ける。

中には若い医師が座っていた。
三十代くらいだろうか。

「こんにちは」

「……こんにちは」

志乃は椅子に座った。

医師がパソコンを見ながら言う。

「今日はどうされました?」

志乃は少し考えた。

「胸が……少し」

手で胸を押さえる。

「息をすると、少し重い感じがして」

医師は顔を上げた。

「いつからですか?」

「今朝です」

「痛みは?」

「少し」

医師はうなずいた。

「念のため検査しましょう」

志乃はすぐ言った。

「検査?」

「心電図と血液検査です」

志乃の胸が、また別の意味で締まった。

「……必要ですか?」

医師は少し驚いた顔をした。

「はい。念のため」

志乃は指を握った。

「その……」

言いにくそうに言う。

「高いですか」

診察室が一瞬静かになった。

医師は志乃を見た。

「検査費用ですか?」

「ええ」

志乃は視線を落とした。

「少し様子を見ても……」

そのときだった。

医師の声が、少し強くなった。

「志乃さん」

志乃は顔を上げた。

医師はまっすぐ志乃を見ていた。

「命より大事なお金はありませんよ」

その言葉は、静かな部屋に落ちた。

志乃は息を止めた。

医師は続けた。

「もし大きな病気だったらどうします」

「……」

「検査で分かることは、調べたほうがいい」

志乃は何も言えなかった。

胸の奥が、違う形で揺れた。

しばらくして、小さく言った。

「……そうですね」

医師は柔らかくうなずいた。

「大丈夫ですよ。念のためです」

検査はすぐ終わった。

心電図の冷たい機械。
腕に刺さる細い針。

志乃は椅子に座りながら、ぼんやりしていた。

病院を出ると、空は少し曇っていた。

風が吹く。

向かいの庭の**白木蓮**が見えた。

志乃は立ち止まった。

白い花が、いくつか地面に落ちている。

さっきまで枝についていた花。

風が吹く。

花びらがひとつ、ゆっくり落ちた。

志乃はそれを見た。

「……散るのね」

小さく言った。

さっきまであんなに白く咲いていたのに。

もう地面に落ちている。

志乃は胸に手を当てた。

さっき医師が言った言葉が、まだ残っている。

**命より大事なお金はありませんよ。**

志乃は白木蓮を見上げた。

花はまだたくさん咲いている。

でも、風が吹けば落ちる。

いずれ全部。

志乃は静かに言った。

「……そうよね」

形あるものは、
いつか消える。

花も。

命も。

志乃は地面の花をひとつ拾った。

手のひらに乗せる。

花びらは柔らかく、少し湿っていた。

志乃はそれを見つめた。

そして、ぽつりと言った。

「……私」

風がまた吹いた。

枝の上で、白木蓮が揺れていた。

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